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真実は闇の中へ

「どうして、なぜ、わらわが殺されなくていけないの!」

 さるぐつわと目隠しを外されたアイリーンはそう叫んだ。叫んでも無駄だと思ったがそれでも叫ぶしかなかった。

 連れてこられたのは森の奥深く。人気など全く感じられない。ぐるりと5人ほどの覆面をした男たちに囲まれている。体つきを見ただけで屈強な男たちである。

 華奢なアイリーンがどう抵抗してもどうにもならない。ましてや、一緒に拉致された愛人の男は頼りないほどひ弱な体つき。芸術のことを語らせたら、一晩中自慢げに話す弁舌も、この状況下では何の役にも立たない。

「奥様、奥様が超えてはいけない一線を越えられたからですよ」

 一人の男が覆面を取った。見た目は白髪の老人であるが弱弱しい躯体ではない。その眼光は鷹の目のような鋭さである。

「べ、ベンジャミン!」

 アイリーンはコンスタンツア家の家令の姿を見て驚愕した。強盗団に誘拐されたのだと思っていたが、犯人は自分の家の家令。

(ということは……)

「お察しのとおりです。旦那さまから奥様の抹殺を指示されました」

「嘘……あの人が……。これまで見逃してくれたじゃない。何よ、今更!」

 アイリーンが愛人を連れ立って浮気旅行に行くのは今回が初めてではない。今まで何度も出かけた。相手はその都度変わり、旅先で変わることも度々であった。今回は芸術を志す若者と黒髪の伯爵の三男坊の2人を伴っていた。

 芸術を志す若者はアイリーンから援助を受けて、絵画を描いていた。何回かコンクールに応募したが入選できず、未だにアイリーンより贅沢に暮らすためのお金を無心しているヒモ男であった。

「そんなことではありません、奥様」

 ベンジャミンはひどく落ち着いた口調で話した。それが余計に恐怖感を煽る。

「では、何よ……心当たりはないわ!」

「奥様のように旅に出ていた旅芸人の一座を襲わせましたね。強盗団に見せかけていたようですが、奥様が雇ったことは調べがついています」

「そ、それは……知らないわ。あんな下手な旅芸人一座になぜわらわが関わるの!」

 ベンジャミンはアイリーンの下手な言い訳にも全く動じない。

「奥様、どうやら、その一座のことをよくご存じで。そしてその一座の花形女優、クラリスとその娘、クリスチーナという名もご存じですな」

「うっ……」

 アイリーンは言葉を飲み込んだ。知っているも何もこの有能な家令が言っているとおりだ。アイリーンはその名前をよく知っている。自分の主人の妾で娘は隠し子だ。

「正妻のわらわに隠れて、平民ごときが妾を囲った罰じゃ」

「旦那様は奥様の放蕩をすべてご存じでした。息子を生んでくれた功績で一生遊んで暮らせるようにするおつもりでした。それなのに旦那様の心の拠り所をあのように殺すとは……。奥様は越えてはならない一線を越えたのです」

 ベンジャミンは冷静に話す。興奮気味のアイリーンとは見事な対比をなす。

「て、天誅じゃ。隠し子など認めぬ」

「……そうですか。では、これも天誅ですな」

 ベンジャミンは覆面の男の一人にアイリーンと共に拉致した青年の目隠しとさるぐつわを取るように命じた。

「う、うわっ。なんだ、なんだ、ここは……。ア、アイリーン!」

 青年は気の毒なぐらいビクビクして腰が抜けて立てないようだ。地面で見苦しく足を動かす。

「奥様、この男に冥土の道案内をさせましょう」

 ベンジャミンが目で合図すると2人の男が青年を羽交い絞めにして、そして口を無理やり開けさせた。そこへ赤い液体を流し込む。

「うわっ……うぐ……うぐ……」

 青年は苦しみ出した。泡を噴いている。

「多少苦しいですが、それも10秒ほどです。やがてこのように安らかに死にますよ」

 ベンジャミンが懐中時計を取り出したときには、芸術家の青年は苦しんだことが嘘のような安らかな死に顔になった。

「ハ、ハリー……ひどい、まさか、殺すなんて!」

 アイリーンは驚愕し、へなへなと地面に崩れ落ちた。恐ろしさで腰が立たない。だが、涙を流すことはなかった。この男はたくさんいる愛人の一人に過ぎない。

「ひどくはないですよ。この男は奥様より多額のお金を引き出し、放蕩な生活をしていました。そして許せないのはその金の力で貧民街の子供を買って毒牙にかけていたのです。その罪は死に値するでしょう」

「そ、それは……絵のモデルにするためでしょう!」

 アイリーンも薄々は気づいていた。ハリーという名の自称芸術家の青年は、子供の裸体を描くといって、貧民街の子供を男子や女子関係なく集めていたことを。クトルフ人やウイカル人、奴隷階級のルーン人やコボルト族などの魔族の子供だ。モデルにした後に自分の快楽の犠牲にしていたのだ。

 まさに鬼畜、悪魔の所業だ。そしてその罪は今、命をもって償われた。さらに死んだ後に地獄の業火に焼かれるに違いない。

 今度はアイリーンの番である。

「や、やめて……」

 男たちがアイリーンを羽交い絞めにし、そして口を無理やり開けさせる。

「奥様、ご心配には及びません。警察当局には、奥様は愛人と心中をしたという体で処理します。ただそれでは奥様の名誉に傷がつきます。よって、世間体を考慮し、強盗に襲われて命を落としたというのを表向きの理由とします」

「ぐっ……ゴホゴホ……そんなことはどうでもいいわ!」

 アイリーンは悪態をついた。自分が死んだ後の名誉などどうでもいい。

(わらわは……死ぬの……嫌だ……)

 アイリーンは貴族令嬢として生を受けた。生家のマクドナルド家は子爵と言っても領地もなく、名ばかりの貧しい家であった。

 それでも貴族の体面を保つため、先祖伝来の屋敷を維持し、そして貴族らしい生活をしていた。当然、借金をするしかない。積みあがった借金を清算するためにアイリーンはコンスタンツア家に嫁入りしたのだ。

 アイリーンの結婚によって、父は借金の清算とコンスタンツア家の財力で政府の役人の職にありつき、家は何とかまともな生活ができるようになった。

その代償としてアイリーンは年の離れた商人のところに嫁いだのだ。

 選民意識が強いアイリーンは、夫となったアーレフを愛する気持ちはなかった。アーレフはアーレフで妻に貴族の血統を求めただけであったから、アイリーンをまるで自分の装飾品のように扱っていた。

 アイリーンが湯水のように金を使い、そして何人もの愛人を囲ったのは、それに対する反発である。

 それについてもアーレフは何も言わない。アイリーンは表向き浮気を隠していたが、ばれても構わないと思っていた。

但し、ベルに関しては自分の地位が危うくなるという危惧から、赤ん坊のうちに殺そうと思っていた。

 浮気では離婚されないが、ベルの父親が違うことがばれるのだけはまずいと考えたのだ。結果的にはそれは何とかばれずに済んだ。

 跡継ぎを生んだということで、後は死ぬまで贅沢に暮らせばよかったのだが、アイリーンのプライドを傷つける出来事があった。それはアーレフが劇団の歌姫を愛人に囲い、子供まで産ませていたことを知ったのだ。

 アイリーンは、自分の行いは棚に上げてこの愛人に対して激しい憎しみを覚えた。

 そしてその歌姫に産ませたアーレフの娘に対しても危機感を覚えた。莫大なアーレフの遺産がそこに渡ることを危惧したのだ。

 もしベルが自分の子どもでないと知ったら、自分はベルと共に追放されてしまうだろう。

 自分の子供がいるとなったら、そういうこともしかねない。

 だから、アイリーンは刺客を雇い、この母子を襲わせた。母親の歌姫は劇団員と共に殺すことに成功した。しかし、娘の方は行方不明になったと聞いている。

 その後のアーレフの様子から、アーレフも行方を掴めていないらしい。状況からすれば、もう死んでしまった可能性が高った。結果的にはアイリーンの思惑通りになった。

「ぐふっ……」

 毒が体中に回り始めた。毒の麻痺作用で苦しさはなくなりつつある。苦痛なく死ぬように命じたアーレフの配慮だ。

「くくく……。ベンジャミン、聞くがいいわ!」

 一筋の血を口から流しながら、アイリーンは叫んだ。

「ベルはアーレフの子供じゃない。いい気味だわ。他人の種の子供を育てていたのよ。悔しがるがいい、悲しむがいい。そしてあの薄気味悪いガキを追い出すがいい。ハハハハハッ~」

 アイリーンは死ぬ前に一矢報いたと思った。ひどく気分がいい。悔しがるアーレフの顔を想像するだけで笑みがこぼれる。そして自分が死んだ後のコンスタンツア家の混乱を思う。これほど効果的な復讐はない。

 しかし、家令のベンジャミンはまったく取り乱す様子はない。淡々とこう答えた。

「……奥様。旦那様はそんなことはとうに承知されております」

「嘘!」

 苦しさを忘れてアイリーンはそう叫んだ。

 ベンジャミンの残酷な言葉にアイリーンは絶望の縁に叩き落とされた。

 そしてそのまま、永遠の闇の中へ身を投じたのであった。


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