アイスクリームと騒動
「シャーリーの奴、遅いな」
5分ほど待っても角を曲がったシャーリーズが帰ってこない。ベルは待たせてあった馬車から降りた。
学校帰りの生徒が列を作ることもあったから、時間がかかっているのかとも思ったが、なんだか嫌な気がしたのだ。
そして嫌な気は現実のものになった。アイスクリームを持ったシャーリーズが道端に倒れている。傍に蹴倒した相手が立っていた。ベルの中に熱い怒りの感情が沸き起こる。
「おい、僕のメイドに何してくれているんだよ!」
ベルはそう叫んで駆け寄った。振り返った顔に覚えがあった。そしてその振り返った人物もベルのことをよく覚えていた。
「お前はベルンハルト!」
「ウィリアム・ド・マクドウェル!」
ベルもそう口にした。あのタレント付与の儀式のときに絡んで来た伯爵の息子である。ウィリアムは学校の門に視線を送り、そしてベルを見下げたような口調で質問した。
「お前もこの学校に通っているのか?」
「それが?」
ベルも無礼な物言いのウィリアムの素っ気なく返した。
「ふん。相変わらず、平民のくせに口の悪い奴だ。いくら金持ちでも身分の差をわきまえろ!」
ウィリアムはそうベルに声を荒げた。以前にベルのタレント能力で酷い目にあったことを忘れているようだ。
(あの酷い下痢が僕のせいだと思っていない)
普通に考えてそう思うのは普通だろう。人間を急に下痢にする魔法なんて聞いたことがない。ましてやそんなタレント能力はありえない。
きっと神様の罰があたったのだと思っているのであろう。
「俺は魔法能力が認められて、今年から王立士官学校に入学した。エリート軍人の道まっしぐらだ」
そう威張り散らす。自分で自分のことをエリートという奴は、大抵、ろくでもない奴だ。
「そのエリート様が僕のメイドを足蹴にしているにはどうしてですか?」
一応、事を荒立てたくはないと思ったベルはそう丁寧な言葉に戻した。それを平民が貴族にへりくだる姿だと勘違いしたウィリアムはますます増長する。
「このクトルフ人の女がこの俺に口答えをしたのだ。そんな奴は蹴られて当然だ」
「この方が列に横入りをなさったのです……にゃん」
状況が読めた。アイスクリーム屋の前には生徒の列ができていた。後からやって来たウィリアムが横入りをしたのだ。ちょうど、アイスクリームを買って受け取ったばかりのシャーリーズがつい咎めたのだ。
それに激高したウィリアムがシャーリーズを蹴倒して罵声を浴びせていたのだ。シャーリーズとしては、相手が高位の貴族の子供だとは思わず、ルールを守らないことを注意しただけなのだ。
しかし、相手が悪かった。ウィリアムは自分がマクドウェル伯爵家の者だと告げた。これで周りの列を作っていた人間は黙り込んだ。
そして注意したシャーリーズは抵抗できなくなった。2級市民であるクトルフ人のシャーリーズは、1級市民のバルカ人には口答えができない。さらにそれが貴族となったら殺されても文句が言えないのだ。
戦闘力は剣士であるシャーリーズの方が数十倍も上であるが、バルカ人の貴族であるウィリアムには逆らえないのだ。
これが主人であるベルを守るためなら容赦なく反撃したであろう。しかし、今はそうではない。膝をついて頭をたれ、許しを請うしかない。
それを見たウィリアムを右足でシャーリーズの右肩を蹴った。バランスを崩したシャーリーズは道に転がったのだ。それでも運動神経がよいから、両手にもったアイスは落としていない。
それが気に食わなかったのか、ウィリアムはシャーリーズの背中をがしがしと蹴っていたというわけだ。
「話を聞くと、とても品行方正な貴族様が行う所業とは思いませんが……」
そうベルは嫌味を言った。貴族の前ではベルもあからさまに喧嘩を売れない。売れば父親のアーレフに迷惑をかけてしまうことが分かっていたからだ。
「なんだと貴様。貴族の俺に逆らうのか!」
ウィリアムは目配せをする。すると人の列に隠れていた取り巻きの2人が出て来た。あのタレント・ジャッジの時の2人である。
「ふふふ……。この前みたいにちょっと痛めつけてやれ!」
ウィリアムはそう2人に命じた。2人は一瞬だけ嫌そうな顔をした。この2人は以前にベルに絡んだことで酷い目にあった。
あろうことか、神聖なる神殿で脱糞をしてしまったという記憶だ。神殿の神官長に叱られ、家でも酷く叱られた。お祝い事であったタレント・ジャッジの思い出が黒歴史になってしまったのだ。
もちろん、2人ともそれをベルがやったこととは思っていない。それでも絡んだことであの不幸な出来事だ。
「おい、何をやっている!」
躊躇する2人にウィリアムは怒鳴る。止む無く2人はベルに掴みかかる。タレント・ジャッジの時は簡単に抑え込めた。抑え込めば後はウィリアムが殴るだろう。そのお膳立てをしてやるのだ。
だが、2人がかりで掴みかかろうとしたが、ベルはその手をするりとかわした。『緊急回避』の発動である。
「あれ?」
「どうして?」
するりと絶妙に逃げるベルを捕まえることができない。
「何をやっている!」
ウィリアムも参戦する。こっちは直接殴ってき来た。しかし、これもかわす。かわすどころか、絶妙のタイミングでかわしたので、ウィリアムのパンチが2人の友人の顔面に直撃。2人ともウィリアムに殴られて鼻血を出す。
「畜生め、逃げるな!」
「そんなことを言っても無理ですよ、ウィリアムのお坊ちゃま」
ベルは馬鹿にしたようにおどける。これにますます激高するウィリアム。
「おい、こっちへ来て加勢しろ。このガキを捕まえて痛い目に合わせろ!」
ウィリアムは、今度は少し離れて立っていた黒服の男に命令した。この男はウィリアムのボディガードらしい。こんな子ども同士の争いに関わりたくないのか、声をかけられたときに嫌そうな顔をした。しかし、ウィリアムの命令に背けば解雇もありうるので、仕方なくベルに向かって来る。
相手はプロのボディガードだ。戦闘力は当然一般人よりも上。ウィリアムの手下の少年たちよりも動きが鋭い。
しかし、それでもベルは掴まれそうになると、緊急回避の能力によってするりと抜け出す。
(このままでは埒が明かないですわね)
ベルが回避している上空に飛んで見ているクロコが、そうベルに次の行動を促した。ベルもそろそろだと感じていた。
「そうだな。いくか……」
ベルは指を差した。対象はウィリアム。
「解離奈有」
「うっ!」
ウィリアムが顔をしかめた。お尻を両手で抑える。
「馬鹿な……急に……お腹が……うっ!」
よたよたとトイレに向かって歩き出す。足が極端な内またでかがんでいるので、実に滑稽な格好だ。
「おや、どうしたんだい。決闘の最中にトイレかい?」
ベルがそう声をかける。周りで見ていた野次馬の生徒たちも思わず笑う。ウィリアムの手下の2人もボディガードの男も笑いを堪えている。
ウィリアムがそんな状態だから、もうベルを捕まえようとはしない。ボディガードの男は、ここで自分の任務を思い出し、慌ててウィリアムの介抱に駆け寄る。
「お、覚えていろよな。今度会ったら許さない……うっ……」
大声を出すと漏らしそうなので後半は声が裏返る。ますます、周りが笑う。
「そうですか。また神様の罰が下ったのでしょうね。僕のボディガードを侮辱した罪は償ってもらいます」
ベルは慌てて野外トイレに駆け込もうとしているウィリアムを指さした。
「解離奈有」
「わあああああああっ……」
あと一歩でトイレに駆け込めそうだったウィリアムは限界点を突破した。
ベルは地面で倒れているシャーリーズに視線を送る。
「シャーリー、君の屈辱は晴らした。よくアイスクリームを守った。誉めてやろう」
「……ありがとうございます、ベル様」
シャーリーズは立ちあがった。両手には購入したアイスクリームを持っている。ウィリアムに暴行を受けても買ったアイスクリームは落としていない。彼女の類まれな能力によるものだ。




