リットリオのおじさま
ペネロペはセントフォース音楽院の寮でため息をついていた。孤児院からこの寮に入り、入学式を明日に控えていた。
部屋は2人用で同室の女子は政府の官僚の娘。幸い、気が合う子であったのだが、ペネロペのため息は別のところにあった。
明日の入学式に着る服がないのだ。入学式は男子も女子もそれなりに着飾り、セントフォース音楽院専用のマントを羽織ることになっている。
それはセントフォース音楽院の伝統であるが、絶対というわけでもなく、貴族のお姫様の学生の中には、きらびやかなドレスを着て参加する者もいるそうだ。
しかし、ペネロペの場合はマントどころか着て行ける服がない。着古したワンピースの中で、少しマシなものを着てみたが、残念な姿が部屋の姿見に映った。
マントがあれば、まだ服を隠すこともできるが、そのマントも用意できない。特注で服屋に作らせるものであるから、安くても値段も銀貨20枚以上はする。
(……仕方がない。格好で勉強するわけではないわ)
入学式を欠席する方法も取れた。お腹が痛いとか頭が痛いと言って寮で寝ていれば、それで過ごせる。入学式は所詮、儀式に過ぎない。欠席しても成績に響かないだろう。
(だけど……逃げていてはダメ。せっかく、お金を援助してくれる方がいるのに)
ペネロペはそう思った。自分は親切な人のおかげでここの学費を援助してもらっているのだ。その人は自分の才能に惚れこんでお金を出してくれている。その期待に応えることが、ペネロペが今することである。
それに服がないなんてことは、この先、いくらでも起こる。恥ずかしいとか惨めとか思っていたら何も学べない。
トントン……。ドアが叩かれた。
学生寮の小間使いの少女である。この子はペネロペと同じ年齢。犬耳姿の獣人である。亜人種と呼ばれて2級市民の下に位置付けられる『コボルト族』の少女だ。
名前を「ルウ」という。ペネロペはこのルウとは、初日から知り合い、仲良くなっていた。民族は違うが互いの恵まれない境遇に親近感がわいたのだ。
「ペネロペ様、客間にお客様が来ています」
そうルウは告げた。2人の時は「様」を付けないでと約束しているが、ルウは仕事中であるので、仕事モードで話している。
小間使いは寮のお嬢様たちに忠実に仕えるのが仕事なのだ。
「ルウ、ありがとう……」
ペネロペは自分を訪ねて来た人に心当たりはない。天涯孤独であるし、友達もいない。
「ロマンスグレーのおじいさんだったよ」
ペネロペの怪訝な顔にそうルウは囁いた。ペネロペの顔は輝いた。前から書いていた手紙をそっとポケットに入れて、面会者が待つ1階の客間に急いだ。
セントフォース音楽院の女子寮は男子禁制であるが、入り口で許可を得ると1階ホールに作られたいくつかの客間で会うことができる。
ほとんどは父親であったり、兄であったりするわけだが、ペネロペがドアを開けると黒いジェストコートを着た老紳士がソファに座っていた。その横には侍女が一人立っている。
「あ、あの……ペネロペです。援助していただきありがとうございます」
ペネロペはそう言って頭を下げた。この紳士が自分に学費を出してくれた男性だと思ったのだ。
老紳士は立ち上がり、ペネロペに頭を上げるように言った。
「ベンジャミンといいます。私はあの方の代理です。頭を下げる必要はありません」
ベンジャミン。ベルの家の家令である。もちろん、ペネロペは知らない。
「だ、代理の方ですか……」
少し落胆したペネロペ。直接会って自分の感謝の気持ちを伝えようと思っていたのに残念だ。
「あ、あの……あの方は……」
「主人は仕事が忙しく来られませんので、私が代理で来ました」
「そ、そうですか……」
ペネロペは少し悲しくなった。そんなペネロペを優気に見るベンジャミン。実はベルに指示されてあるものを届けに来たのだ。
「ペネロペ様、あの方より、これを届けるように仰せつかりました」
ベンジャミンは侍女に目配せをする。侍女は部屋のコート掛けにかかっていた白い布を外した。
「あっ……」
思わずペネロペは声を上げた。きれいな布地で作られた上品なワンピース。そしてセントフォース音楽院のマント。ストッキングに靴、帽子と一式揃っている。あと、リットリオ地方特産の黄色い花が一輪添えられている。
「あの方がペネロペ様に届けるようにと……」
ペネロペの顔に涙があふれてくる。あの方は自分のことを気遣ってくれたのだ。
「ペネロペ様のお体に合うよう特注で作ったものです。高級素材で仕立てましたので、入学式前のこの日になってしまい、申し訳ないとのことです」
ペネロペは両手で顔を覆い、そして感謝の言葉を述べた。
「嬉しいです。こんなうれしいことはありません」
「ペネロペ様が感謝していたと伝えておきましょう。そしてこれです」
ベンジャミンは机に金貨1枚とブローバーカードを置いた。
「この金貨は当面の生活費です。寮費と食費、学費や教材費等はこちらで支払います。それとは別にセントフォースは裕福な学生が多いのでいろいろと付き合いがあるでしょう。今後はブローバーカードには毎月金貨1枚分を振り込むので、それで対応しなさいとのこと。また、特別にお金が必要な時はその都度相談しなさいとのことです。相談する時はローソン通り2番地のクオーツ法律事務所のエドックス弁護士に連絡しなさい」
「……あ、ありがとうございます。どう感謝してよいかわかりません」
ペネロペはそう答えた。いくら町で自分の歌声に感動したからといって、ここまで親切にしてくれる人はいない。
「侍女に着替えを手伝わせます。もしサイズが合わないようでしたら急いで手直しをさせますので」
そういってベンジャミンは部屋を出ようとした。慌ててペネロペはベンジャミンを引き留める。
「差支えなければ、あの方のお名前を教えていただけないでしょうか。毎月、お礼の手紙を書きたいのです」
聞かれることは予想していたベンジャミンは、あらかじめベルと相談していた答えを口にする。
「わけあって名前は明かすことはできません。ただリットリオ地方出身の貴族の方です」
「ではどのようにお呼びすればよいでしょうか?」
「それはペネロペ様がお考えになられてはどうですか。きっとあの方はその方がうれしいと思いますよ」
そうベンジャミンは答えた。
「わかりました。いつもリットリオ地方の黄色い花をくださいます。ですから、私はリットリオのおじさまとお呼びしたいです」
「そう伝えておきましょう」
「あの、これは今回のお礼のお手紙です。これから毎月、手紙を書きます。リットリオのおじさまにお渡しできますでしょうか?」
「渡しましょう。また、私が来られない月は先ほどの法律事務所へ郵送しなさい」
そういうとベンジャミンはほほ笑んで部屋を出たのであった。




