セントフォース音楽院へ
今度視察に理事長の息子が来るとぺネロペが知ったのは、1週間前のこと。いつものように服の繕いや洗濯の仕事をさせられていた。
アイロンをかけて仕上がった品を配送するために作られた部屋へ運んでいる途中で院長が孤児院のスタッフと立ち話をしているのを聞いたからだ。
「次の理事会に理事長の息子が来るらしい」
「代理といっても15歳の子供。一体、理事長は何を考えているのか……」
「いつものように家令を代理をよこして形ばかりの理事会を開いてくれればよいのに、息子が来るということで、2,3名の理事が出席すると言ってきた。迷惑だこと」
「院長、その子供や理事が何かかぎつけると厄介なことに……。子供に勉強させずに労働させていたことや、賃金を懐に入れていたことがばれたら……」
「これ、滅多なことを口にするのではないよ。あくまでも孤児院の運営費の足しにしているのです。それに労働をすることは将来働く時に役に立ちます。これは教育の一環なのです」
ペネロペはこの話を聞いて(とんでもない大人たちだ)と改めて思った。ペネロペは14歳。13歳の時にこの孤児院にやってきた。
理由は母親が強盗に殺されてしまい、天涯孤独の身になったためだ。
母親は王都から離れた第2の商業都市スーベンの歌劇場に出演する歌手であった。人気の歌手で収入も多く、そして支援してくれるパトロンも多くて裕福な暮らしをしていた。
ペネロペの父親は誰か知らない。支援してくれるパトロンの誰かとは思うがはっきりとしない。母も父については何も教えてくれなかった。
ペネロペが思うに王都で大商人をしている男性ではないかと思う。この男性は、出張のついでに屋敷に寄り、ペネロペのことを非常にかわいがってくれていた。服やおもちゃなどのプレゼントもよくしてくれた。
強盗に襲われたのは地方巡業をしている最中であった。この時、ペネロペも同行していた。強盗の狙いはどうやら母親とペネロペの命であった。
なぜ分かったかというと、ペネロペは母親の機転で樽の中に隠れて命が助かったのだ。一緒にいた歌劇団の団員も殺されてしまった。
そこで強盗たちの話を樽の中で聞き、彼らの狙いがぺネロペと母親を殺すことであったことを聞いたのだ。
やっとのことでスーベンの町に帰って来くると、住んでいた家も火をかけられて燃えてしまっていた。
この家へ帰ればもしかしたら父親が手を差し伸べてくれるのではないかと思ったが、自分が生きていると分かれば何者かが再び自分を殺しに来る可能性も否定できない。
そう考えたペネロペはスーベンから定期馬車に乗って、自力でこの王都に来たのだ。
ちなみにまだ殺し屋たちは諦めていないはずだと考え、この時に『ペネロペ』という名前に変えたのだ。本当の名前はクリスチーナ。なんだか貴族みたいな名前だが、父親が付けてくれたと母は言っていた。父親は貴族出身者なのかもしれない。
偽名のペネロペと言う名前は、母が出演する歌劇のヒロインの名前。妖精のお姫様の名である。
以前から、いつか母の後を継いでそのお姫様役をやりたいという思いをもっていた。自分を殺しに来る者たちからは逃れるために、名前を変えるしかないのなら、いつか演じるはずだった名前にしようと考えたのだ。
しかし、王都では13歳の子供が暮らすことはできず、町を歩いている時に警備兵に保護された。それから修道院が経営する孤児院に一時的に収容された。
保護された時に親は母一人。流行り病で亡くなったと話した。殺し屋対策である。そんな話はごまんとあったから疑われもしなかった。
しかし、そこは子供の数が多く、いろいろとたらい回しにされて、このアリア孤児院へとやってきたのだ。
ここでの暮らしは最低であった。読み書きの勉強はそっちのけで、女の子は衣服の繕いや洗濯の仕事をさせられ、男の子は金具細工の加工の仕事を内職でやらされていた。
食べ物も具の少ないスープに古いパン。ジャガイモのふかしたものが代わりに与えられることがあった。だからみんな栄養不足で痩せていた。病気にもよくかかり、それが原因で死んでしまうこともあった。
月に1回の理事会の時だけ、少しはましな服に着替えさせられ、食事もまともなものが与えられたが、これが体裁をつくろうものだということは誰でもわかった。
反抗すれば暴力を振るわれるので、誰もが黙った。しかし、賢いペネロペは許せなかった。
アリア孤児院は元王妃が設立した伝統ある孤児院で、寄付金も多く、出資者も大商人や貴族が名を連ねる。資金も豊富なはずなのに、それを子どもたちの教育に使わず、自分たちの懐に入れているのだ。
ペネロペは音楽ができたので、才能がありそうな女の子と一緒に町の道端で芸をせられることもあった。
アカペラで歌い、道行く人からお金をもらうのだ。そのお金は全て院長に取り上げられる。
(ここの大人は卑怯だ……)
ペネロペは絶望したが何もできない。
そんな時にそこへ理事長の代理として15歳の息子が来ると聞いて、少し希望がわいた。
同じ子供なら気が付いて何か言ってくれるのではないかと思ったのだ。場合によっては直接窮状を訴えることもできる。
だがペネロペの期待は裏切られた。所詮は金持ちのボンボンである。何不自由ない暮らしをしている子供にペネロペたちの苦しみは分からない。
院長の肩をもつような発言をしたので、思わず怒りから頬を叩いてしまった。幸い、院長から叱られることはなかったが、ペネロペの訴えは握りつぶされたようだ。
(あんなお坊ちゃまに相談した私がバカだったわ……)
ペネロペはベルに相談したことを後悔した。
しかし、どういうわけか2週間後に事態は変わった。突然、兵士が乗り込んできて子どもたちを無理やり働かせていた罪で院長が逮捕されたのだ。
スタッフも全員クビになり、新しい院長とスタッフがやってきた。
みんな優しい人ばかりである。
それだけではない。
ペネロペにとってすごくいい話が来た。
お金を出してくれる人が現れ、ペネロペを都の音楽学院に入学させてくれるというのだ。
学校の名前はセントフォース音楽院。この国で音楽を学ぶのなら、一番の学校である。入学金も授業料も恐ろしく高く、庶民では絶対に学べないところである。そこに通えるように奨学金を出してくれると言うのだ。
(こんな幸運がわたしにもたらせるなんて……)
ペネロペはもしかしたら、あのベルという男の子がやったのではないかと思った。しかし孤児院への捜査は理事の誰かが以前から調べていたという話であるし、自分に奨学金を出してくれるという人は、以前、ペネロペが町で歌っていたのを聞いて、その才能に惚れ込んだという。
(そういえば、以前、わたしが歌っていたときに銀貨をくれた人がいた。もしかしたら、その人かしら……)
ペネロペはそう思い込んだ。銀貨をくれる人はいないので、ペネロペはこの1枚をそっとポケットに隠した。今もいざという時のために持っている。
(きっと銀貨をくれた人が自分に奨学金をくれた人だと思う。あの金持ちボンボンがやったことではないわ)
「これでわたしも孤児院を出て音楽院の尞で暮らせる。あのいけ好かない男子とは二度と会わないわ!」
ペネロペは僅かな荷物と支援してくれるという人からもらったアコーディオンをもち、入学することになったセントフォース音楽院の尞へと旅立ったのであった。




