小学校男子の性分
(ベル様は最低ですわね)
クロコも便乗する。ベルはうっとうしいので、親指と中指で輪をつくり、クロコの体を弾いた。くるくる回って飛んで行くクロコ。
(確かに院長はかなり不正をしていそうだ。内偵を進めればボロがかなり出てくるだろう。横領に背任罪で追放できるが……)
問題は証拠を集めて他の理事を説得するのに時間がかかることになる。それまでにペネロペが訴えたことが院長に伝われば、彼女はひどく折檻されるだろう。かといって、彼女だけを救うわけにはいかないし、それではプライドの高そうな彼女は納得しないだろう。
「ふん、分からないさ。君とは身分が違う。僕は大金持ちだからね。貧乏で不幸を身にまとった哀れな孤児の世迷言なんか理解できないね」
そうベルはさらにひどいことを言った。ペネロペの怒りを増幅させようと思ったのだ。もし、ここで何事もなかったようにふるまっても、ずるがしこい院長はペネロペを疑い、証拠の隠滅を図るだろう。
それをさせないためには、今は院長の味方になる振りをする必要があった。
「本当に最低だわ……。いつも来ないお飾りの理事長とは違って、理事長代理で息子が来るって聞いたから、わたしたちの窮状を知ってもらうチャンスだと思ったのに、こんなクズ男子なんて……」
「クズで結構。でも、君はこのゴミ箱の中で暮らす。大した教育も受けられないから、大人になっても浮かばれないだろうね。君は美人になりそうだから、町の歓楽街のお店で、おっさん相手にいやらしい商売をしているだろうね。はい、残念でした」
「ひ、ひどい……」
ペネロペの目から涙があふれてくる。それを見てベルも(しまった、言い過ぎた)と思った。いくら彼女を怒らせるつもりでも、さすがにいい過ぎである。ペネロペの涙は、ベルが言ったことが事実であることを理解しているからだ。
13歳の女の子にしては非常に賢い。きっとここに来るまではちゃんと育てられていたのであろう。生まれてすぐに捨てられた子は、野生の動物のように知性も遅れてちゃんと考えることができない。
そんなペネロペを見るとベルは何だか嗜虐的な感情になる。好きな子をもっといじめたくなる小学生男子の性だ。
「泣いたって無駄だね」
バシッ! ペネロペがベルの頬をぶった。これはベルの計画通りである。こうしないと院長はごまかせない。
「どうしたのですか!」
叩かれた音を聞いて院長が飛び込んで来た。叩いたペネロペと叩かれて頬を赤くしたベルを見てすべてを悟った。
「な、なんてことをしたんだい、ペネロペ!」
院長はペネロペの手首をつかんで叩こうとする。ベルはそんな院長を制止する。
「アンナ院長、暴力はダメです。僕はなんともありませんよ」
院長はペネロペを叩くのを寸前で止めた。他の理事も集まってきたので、ここで13歳の女の子の顔を叩く姿は見せられない。
「しかし、坊ちゃま……」
「彼女が少々、この孤児院での待遇について不満を言ったので、僕がそれを否定したのです。こんな優しい院長さんの下で毎日ご飯が食べられ、寒い思いをしないで暮らせているのに、少々、仕事がつらいなんて文句を言うのは筋違いだと言ったのですよ」
ベルはペネロペの訴えをほんの少しだけ暴露した。真実を少しだけ話せば、院長は信用するだろう。自分の悪事がすべて告げ口されたのではと疑っていた院長は、ペネロペが仕事の辛さだけを話しただけだと思い込んだ。
それだけであったのなら、別に構わない。逆に仕事をさせないと孤児院の経営が苦しいというアピールができると皮算用した。
うまくいけば理事たちから多額の寄付金をもらい、自分のふところがさらに温まる。
「そうですか、ベルンハルト様。実は子供の数が増えて経営が苦しく、やむを得ず内職を増やしていたのです」
「そうか。それでは予算の増額を考えないといけませんね」
ベルはそう騙されたふりをした。期待通りの言葉に院長はペネロペの手首を離し、気味の悪い笑顔を作った。
(これでペネロペが折檻されることはないだろう……ただ……)
ペネロペは目に涙を浮かべてベルのことを見ている。完全に嫌われている。ベルのことを殺してやりたいくらいの思いだろう。嫉妬と無礼に対する怒り、そして自分の未来への絶望である。
(あ~あ。ベル様の気持ちは分かるけれど、自分が悪者になるとはいただけないですわ。あのペネロペという女の子の頭に黒い星が出現しましたですわ。ついでに院長は消えて今は赤いハートマークですわ)
(クロコ、気持ち悪いこと言うなよ)
ベルは小さな声で戻ってきたクロコにそう言った。
「それじゃ、院長。僕は帰るよ」
「はい、お坊ちゃま。お父様に予算の増額の話をよろしくお願いします」
「わかりました。僕に任せてください」
ベルは約束して孤児院を出た。院長との約束はもちろん嘘だ。不正を暴き、子供たちを救おうとベルは考えている。
迎えに来ていた馬車には家令のベンジャミンが待っていた。
「ベル様、何かありましたか?」
「この孤児院の経理について至急調査をしてくれ。院長の横領が疑われる」
ベルはそうベンジャミンに指示した。ベンジャミンは軽く頷いた。どうやら、彼は前からそれに気が付いていたような素振りだ。もしかしたら、父のアーレフもそれを知っていてベルを試したのかもしれない。
「それと……アコーディオンを寄付したいと思うのだけど……」
「アコーディオンですか?」
ベルの指示に怪訝そうに答えるベンジャミン。これは予想していなかったようだ。
「孤児の中に一人、面白い女の子がいるのだ。音楽の才能を感じる。彼女は時折、町に出て歌を歌って小銭を稼がされているらしい。アコーディオンがあれば、彼女の歌はもっと引き立つと思うんだ。小金も稼げるだろうし。彼女なら院長に取り上げられる前にちょろまかすこともできる。そういうしたたかさももっていそうなんだよ」
「それならその女の子に教育を受けさせる機会を与えてはいかかでしょう?」
ベンジャミンがそう進言した。孤児院内の教育ではレベルが低いので、ここから音楽を学べる学校へ通わせようというのだ。
「……あの生意気そうな子に手を差し伸べるのか……。うん。面白そうだ」
ベルは転生前の苦い経験から、女性に対しては偏見をもっている。表面は従順で可愛い素振りをしていても、本心は何を考えているか分からない。
だからこの孤児院に来るまでは、女子に金をかけて教育しようという気にはならなかった。どちらかといえば、転生前の自分と重なる男の子たちに手を差し伸べようと内心考えていたのだ。
(女なんか、服を縫って鍋でも磨いていれば結構だ!)
そんな偏見の塊であった。
しかし自分に意見したペネロペに対して、そんな考えが少し変わった。どちらかというと、自分の手のひらに乗せて彼女がどこまでいけるか実験しようと考えたのだ。意地の悪い考えである。
(僕が援助すると聞いたら、きっとあの子は不快に思うだろう。いい考えがある)
ベルはベンジャミンに耳打ちをする。ベンジャミンは不可解な表情を浮かべたが、それでもベルの意見には反対しない。
「分かりました。そのように取り計らいましょう」
そう約束したのであった。
(ベル様、ベル様にしては優しいですわね)
肩に乗っているクロコがそう囁いた。思いっきり皮肉が込められている。ベルは否定しない。この邪妖精は人間の黒い心を見透かすのが得意なようだ。
(そうだろ、僕は優しいのさ)
(白々しい。クロコには厳しいですわね)
(そうかなあ)
ベルはポケットに忍ばせたチョコクッキーの包み紙を取り出した。これはクロコの大好物である。
(前言撤回ですわ)
自分の顔より大きいクッキーを頬張る。クロコが見えない者には、クッキーが宙に浮いて徐々に消えていく不思議な光景を見ることになるだろう。




