妖精の卵
10歳からベルが密かにやっていることがある。
それは町の探索。ベルは生まれてからずっと1日を大きな屋敷内で過ごしていた。外出は馬車で外に食事に行くか、乗馬の稽古で牧場へ行くくらいであった。
お金持ちの子供の格好では、それほど治安のよくない王都では危険なので庶民の子供を装っている。地味な服に靴。擦り切れたマフラーだ。
ポケットには銀貨2枚と銅貨5枚を忍ばせている。買い物に行かされた子供という体である。
家令のベンジャミンにもアーレフにも内緒での外出である。裏庭の塀のブロックを3つほど動かすと、ベルの体格なら抜け出せる穴を密かに作った。そこから外へ出るのだ。
今日も抜け出して町を歩いていた。向かうのは露店が並ぶ市場だ。王都にはいくつかこういう露店が並んでいる。
金持ちが買い物をする高級店が並ぶ商店街とは違って、狭い道の両側にたくさんの商品が並べられて、店主が客と対面で品を売っている。
客と店主の値段交渉のやりとりがあちらこちらから聞こえてくる。露店には野菜や果物などの生鮮食品や服や帽子、靴などの衣料品、そして安物の金属や宝石で作ったアクセサリーの店がある。
こういう店を見ながら人々の話を聞いているだけで、ベルは心がうきうきとする。商人の家に生まれたからであろうか。
(いやいや、僕は貴族女とあの軽薄そうな伯爵家の三男との子どもだから、商人の父様の血は引いていないけど……)
やはりお金持ちの上品な暮らしは窮屈だと感じる。庶民だった転生前の記憶があるベルにとっては、こういうあけっぴろげな雰囲気は気が休まるのだ。
(おや?)
ベルはいかにも異国から来たという行商のアクセサリー屋の前で足を止めた。地面に布を敷いて売り物を並べている。
古ぼけた銀製品のナイフやペン立て、ペンダントや指輪が並んでいる。他と変わらない品ぞろえだが、デザインは東方のものっぽい感じだ。
しかし、テーブルに置かれた古びた白銅色の丸い卵のようなものが気になった。
「あの、おじさん、これはなんですか?」
ベルは聞いてみた。初めて見るものである。古道具屋の店主は暇だったので、ベルの問いかけに気さくに答えた。
「ああ、これは妖精の卵と言われるものだ。東の国の新年の祭りで子供たちに配るものさ」
「へえ……。子供に?」
「ああ、これは封印されているが中に大抵、銅貨が1枚入っている。いわゆる新年のお小遣いという奴さ」
(お年玉みたいなものか……)
それにしても「妖精の卵」とは変な名前だ。
「なぜ、妖精の卵というのですか?」
「この中に妖精が入っているものもあると言われているのだよ。妖精が入っていれば、その妖精は解放してくれた人間に一生尽くすと言われている。まあ、伝説だがな」
店主は卵を手に取り、少し振った。カチカチと音がする。
「まあ、この中身は銅貨だろうがな」
そういって店主は笑った。おみやげ物として売れると思ったが全く売れないらしい。確かに黄銅で作られた卵は置物として使うには、ころころ転がって使いにくいし、輝きもくすんでいてきれいでもない。そして中身は銅貨1枚である。
蜜ろうで上と下がくっつけられているから、再利用は可能であるが、これはせいぜい、東の国で使われているような子供へのお小遣いをやるときの器くらいしか使えないだろう。
「おじさん、これはいくら?」
「統一銀貨1枚」
そう店主は言った。あきらかに吹っ掛けている。中身は銅貨1枚だから銅貨1枚以上の価値はあろうが、統一銀貨1枚なら銅貨20枚分にあたる。
「高いよ、おじさん」
「じゃあ、お前はいくら出す?」
店主はこの子供が卵に興味をもったと思い、急に商売気が出てきたようだ。
「銅貨2枚」
ベルはそう言った。商店主はとんでもないという表情だ。
「銅貨10枚」
店主の提示は当初の半額である。思い切った提示はこの売れそうにないゴミを無知な子供に押し付けようという魂胆であろう。
「銅貨5枚」
ベルも負けてはいない。これ以上は出さないとポケットに手を突っ込んで、手にした銅貨5枚を見せた。右ポケットには銅貨。左には銀貨2枚があるがそれは見せない。これが全財産だというブラフだ。
「……仕方がない。子供へのプレゼントだよ」
店主はそう言って笑った。ベルから5枚の銅貨を受け取る。おそらく仕入れ値はそれより安いのだろう。別に落胆したようでもない。ずっと売れなかった品がはけて満足という顔だ。
ベルは妖精の卵なるものを手に取った。そして店主にお礼をいうと屋台へと向かう。ここでフライドヌードルを注文した。ついでの木製のお椀にお湯を入れてもらった。飲むためでなく、先ほどもらった卵を入れるためだ。
蜜蝋で閉じられた卵の上下は、お湯で熱せられるとぐらぐらと外れ始めた。ベルは上と下をもって外す。簡単に上下に外れた。
中からは予想通り、1枚の銅貨ができてきた。
(やっぱり、大したものじゃなかったかな……なんだか気になって、むきになって買ってしまったけれど)
ベルは卵を見た時に何か惹かれるものがあった。だから何かあるのではと思ったが、所詮は店主の言った通りのがらくただったようだ。
「あ~あ。100年ぶりに解放されたと思ったら、ご主人様はガキンチョだったですわね」
何やらババ臭い声がする。ベルは少し視線を上げた。




