前科77:君のためなら
敵に襲われ団地内の隠し通路を逃げ回っていたがようやく撒けた。
清春は仮眠をとって体力を回復させた後に、探索を開始。
調べていくと、カプセルの製造工場だけではなかった。
薄暗い廊下。封鎖された扉。
隔離された病棟のような構造。
明らかに、何かを試していた痕跡。
手術台。血の染みた布。
床に刻まれた魔術印。壁に打ちつけられた検体番号。
だが、ただの人体実験ではない。
一つ一つの部屋に、確かな"テーマ"が存在していた。
(オレでも術式の全容がここまで掴めねェって事は……)
清春は標準的な東魔大生ぐらいの学力はある。
その知識を以てしても、謎が多い。
術式の一部は明らかに既存の魔術体系を逸脱していた。
そして──
「……気味わりィな」
団地の異空間を進むごとに、空間が軋む。
直線で結ばれていたはずの通路は折れ、歪み、回転し、螺旋になった。
魔術による空間結合の歪みが酷い。
正規の魔術印ではない。場当たり的な繋ぎ。
このレベルの研究をしているにしてはあまりに稚拙だった。
「いや……」
わざとだ。誘導されてる。
安全そうなルートには違和感がありすぎた。
数度、ルートを変えた転移を挟んだ先で、空間の質が変わった。
空気が、異様に澄んでいる。
湿り気も、血の匂いも、薬品の刺激臭もない。
──その空間は、白かった。
壁も、床も、天井も。
劣化の跡すらない。美しい空間。
血もない。拘束具もない。
そして在るのは、意味を持ちすぎた余白。
祝詞のような魔術印。
白い壁に刻まれた巨大な魔術印は、美しかった。
緻密に書き込まれ、一枚の絵画のようだった。
「────ッ!」
なのに。
魔術印に視線を合わせた瞬間、清春の内臓が跳ねた。
吐き気が来るより早く、体が後ずさった。
「んだよこれ……ッ!」
胃の奥が捻転する。
口元を抑えて、嘔吐をかろうじてこらえた。
何が起きたのか、わからない。
ただ、感覚が叫んでいた。
──直視してはいけない。
その印を、目で追った瞬間。
清春は識ってしまった。
壊すためのものではない。
殺すためのものでもない。
人間が、人間であるために必要な何か。
それを"剥がす"。
印の美しさはまやかしだ。
その実、存在の意味ごと剥ぎ取る。
言うならば命への冒涜。
魔術の一端が、清春の中に入り込み意志を蝕む。
「こんな魔術印アリかよ……っ!」
苦悶の声を上げる。
視ただけで人間を壊す魔術印なんて──
(……そんなもん、あり得るのか?)
理解が崩れる。
魔術師としての前提が、塗り替えられた。
これ以上この部屋に居るのは危険だ。
踵を返して部屋を出ようとする、そして清春は視界の隅に捉えてしまった。
(対になっている──?)
魔術印の刻まれた壁の対面。
そこに対になるようにもう一つ魔術印が刻まれていた。
だがこれ以上の直視は危険だ。
(これ以上はやべぇ……)
意識が引きずられる。
何とか体を動かして雑な転移陣に飛び込んだ。
飛び込んだ先には、よく見た景色が広がっていた。
──戸山団地のどこかの棟の通路だ。
風が吹く。その冷たさすら、安心感が浮かんでくる。
ひび割れた廊下の窓から身を乗り出すと、下層の広場が一望できた。
火と血にまみれた地獄──いや、戦場だ。
そこに黒い龍、黒龍がいた。
牙で人間を引き裂き、尾で車をなぎ倒している。
対するは銀泉会の魔剣使い達。
数が多い。使える人間を全員集めたという感じだ。
「……酷ェ」
戦いになっている理由はすぐにわかった。
団地の子供達が特攻を仕掛けているのだ。
そして龍頭の人間達が、その隙をついて魔剣使いへ攻撃している。
「最終局面って感じだな」
ポケットからスマホを取り出す。
画面は、バキバキに割れていた。
しかも──圏外。通信不能。
(こうなると美晴ちゃんがやべぇな。あいつらにも連絡つかねェし)
だが、今は探して回る時間なんてない。
この抗争に混ざる気なんかない。
とっとと美晴を見つけて撤退だ。
団地内をこそこそ移動していると、前に誰かが居た。
そこに居たのは──若い派手な身なりの男達だ。
戦場に似つかしくない服。艶やかな髪。整った顔立ち。
その中に、何人もの子供が混じっていた。
「大丈夫だよ」
一番年齢が高そうな少女が、そう言って微笑んだ。
自分に言い聞かせるような声だった。
正面に立つ男は、しゃがみ込んで視線の高さを合わせていた。
「いいかい。よく聞いて」
男の声は穏やかで、落ち着いている。
「これを投げたら、みんなが一斉に動く。向こうは君に意識を向けるから、その間に俺たちが叩く」
少女は黙って頷いた。
「君は囮じゃない。引き金役だ。作戦の要だよ」
そういって丸い筒を渡した。
うっすらと魔術印が光っている。魔導力製のものだ。
「終わったら、すぐに合流する。下の子も一緒に、ちゃんと逃がす」
男は、はっきりとそう言った。言い切る口調だった。
「約束だ。これが終わったら、もう戦わなくていい」
少女は仲間の頭に手を置いた。
「すぐ戻るから。ここで待ってて」
少女が声をかけると周りの子達も頷いた。
陰から静観していた清春はそのやり取りを見て納得した。
これが特攻の正体か、と。
しかし自分には関係ない。
他に目的が──となった所で清春はカッターナイフを取り出した。
「仕方ねェ」
手を切り裂いた瞬間、冷気が蔓延した。
吐き捨てるように呟き、清春の目から熱が消える。
次の瞬間だった。床に広がった霜が音もなく隆起する。
氷は棘ではなく、壁になった。
逃げ場を塞ぐように、男たちの周囲を一気に囲い込む。
理解する暇もない。
清春が一歩踏み出すと同時、空間が凍りついた。
──圧殺。
氷が内側へと収縮し、男たちの身体を一斉に押し潰す。
悲鳴は途中で途切れ、骨の砕ける音と、短い呼気だけが残った。
血が跳ねる暇すらない。氷の中で、肉も声も形を失った。
最期に、全てが粒子となって砕け散り何事もなかったかのような静寂が訪れる。
子供たちが、呆然と清春を見ていた。
「……あんた、誰……?」
清春は肩をすくめる。
「通りすがりの、女子の味方だよ」
軽口だった。
それ以上の説明は、最初からする気がない。
「とっとと逃げな」と手を振って子供たちを逃がす。
「お見事。辻上のねーさんシクったんか。保障請求しないとな」
声がかかり振り返る。
昨日聞いた声だ。忘れていない。
夏目諭吉。落とし前をつけ損ねた相手だ。
瞬間。清春の頬を魔術の攻撃が掠めた。
清春の頬から血が流れ、だが歯をむき出して笑った。
「きっちり落とし前つけてもらうぜ。おねーちゃん」
「こっちのセリフだ。クソ野郎」
周囲の空気が変わった。
誰もが逃げ出すのに十分な、魔術師二人の殺気だった。
──今度こそ殺す。
お互い獰猛な獣のように笑いながら、必殺の魔術を展開した。
●
――初動は、アイラからだった。
魔導アーマーの噴射が炸裂し、大地を蹴り抜く。
同時に、美鈴も加速した。
「あの女を倒すぞ──!」
「うん──!」
短い会話の後に狂化の深度を上げた。
骨が鳴り、筋肉が張り付き、影が鬼の形を引いた。
道征が笑いながら放った斬撃を避け、別方向に分かれる。
──挟撃だ。速度をずらして道征へ迫る。
アイラの拳が道征の胸元へ――
「いい判断だ」
だが、道征は半歩ずらす。
肩を落とし、腰を切り、衝撃を斜めに逃がす動き。
アイラの拳が道征の肩を掠める程度に終わった。
「チッ!」
――そこへ、美鈴が接近。
壁を蹴って空中で身体を捻り、落下の加速を踵に乗せて叩き込む。
直撃。道征の足が沈む。コンクリートが割れ、粉塵が舞う。
道征は、肘で受けていた。しかも、真正面ではない。
アイラの時と同じく威力を殺す受け方だった。
2人の反応を見て、道征は笑った。
「格闘技の達人は何人も殺してきたからねぇ!」
次の瞬間、道征の反撃。
戦争の魔剣が、最短軌道で振り抜かれる。
刃が違う。全く違う魔剣へと変質していた。
そこに、アイラが横から割り込んだ。
アーマーの推力で身体を滑り込ませ、美鈴を弾き出した。
「油断するな!」
「アイラだってやられてたくせに!」
着地。二人で怒鳴りあいながら間髪入れず、再加速。
「「――もう一回!」」
今度は役割が逆だ。美鈴が前。
狂化した脚で壁を走る。
人間を超えた膂力で蹴り、蹴り、蹴り――残像を引いて距離を詰める。
アイラは後方から追撃。美鈴の跳躍に合わせ、アーマーの噴射を利用して空中に跳ぶ。
「――上!」
美鈴は壁を蹴り、さらに踏み込んだ。
その瞬間。道征の目が、光った。
怪しい閃光。この前くらった視界を操作する魔術だ。
視界が、ひっくり返──らない。
美鈴の身体が、わずかに揺れただけだ。
「……嘘でしょ!?」
道征は油断していた。
ほんの一瞬。
戦場で致命的なほどの間。それでも――
「……チッ」
短い舌打ち。
戦争の魔剣でギリギリ美鈴の跳び蹴りを受け止める。
(下位互換でも、やはり西園寺恭一郎の孫か──!)
かつて殺せなかった相手。
戦えば戦うほどこちらが不利になっていく化け物。
西園寺の狂化の恐ろしさを思い出した。
戦えば戦うほど成長していくのだ。
視界を奪う魔術が効かなかったのも納得だ。
「こっち!」
アイラの拳を何とか防御魔術で直撃は避けた。
このペースはよくない。
魔剣を振って竜巻を起こし、一旦二人と距離を取ろうとする。が──。
「まだだ──っ!」
アイラが魔力を集中。
銀色の髪が揺れて破壊のエネルギーへと変換。
同時に美鈴も魔力の爪を顕現。
二人の同時攻撃で道征の起こした竜巻は吹き飛ばされて消えた。
「そうくるか」
アイラと美鈴が同時に駆け出す。
同時、道征も認識を改めた。
遊んで殺せる相手から、殺さなければいけない相手へ。
戦争の魔剣から赤い線が伸びて道征の体を侵食。
魔力が増幅され、今度は道征が攻勢に回った。
「──もう、止まらねぇぞ!」
戦争の魔剣の一撃。
剣先に宿ったエネルギーを見て美鈴は回避した。
空間ごとぶった斬られたような剣筋。
二人の拳が反撃として放たれるが道征の姿は消えていた。
「上!」
アイラの方が反応が早い。
一瞬で上まで跳んだ道征が魔剣を振りかぶっていた。
二人は後ろに大きく跳躍。
魔剣が叩きつけられた数メートルに稲妻が迸る。
あんなのまともに受ける気にならなかった。
「やるじゃん」
一息もつけず道征が美鈴に再接近。
──早すぎる。八代と互角レベルだった。
「でも、アンタはこうするよ」
攻撃が来るかと思った。フェイントだ。
代わりに、赤い鎖が道征によって右腕にはめられた。
力が一切入らない。腹を蹴られ、壁に叩きつけられる。
鎖が壁と同化し、美鈴が自由に動けなくなった。
「美鈴!」
アイラが接近。
道征は獰猛に笑うと魔剣を構えた。
隙の無い構え。動けば殺される、そんな感覚を覚えた。
「────っふ!」
浅く呼吸を吐き加速。
道征の側面に回ったが彼女の方が早い。
回避してからの横薙ぎの一撃をくらう。
衝撃でアイラの体が吹っ飛ばされて転がっていく。
「固いねぇ。流石旧式の魔導アーマーだ。でも、アンタ死ぬよ」
道征が淡々と呟く。
着用者の事を一切考えていない設計だ。
アイラもカプセルを使って副作用を緩和しているにすぎない。
でも、それでも止まれない。
戦う理由がある。まだ子供たちが逃げ切っていない。
よろよろとアイラが立ち上がる。
「アイラ……ッ!」
呼んだ声は、壁に縫い止められたまま宙に溶けた。
赤い鎖が、容赦なく美鈴の右腕を壁に縛り付けている。
力を込めても、びくともしない。
視線の先で、アイラがふらつきながらも、拳を構える。
「……やる気だね」
道征は笑った。
殺意も嘲笑もない。
ただ、事実を確認するような声音。
だが一人の戦士として彼女に敬意を払うつもりだった。
呼応するように、戦争の魔剣に魔力が込められていく。
「当然でしょ……!」
アイラが前に出る。
道征が魔剣を構えて迎え撃つ。
美鈴は、理解した。
このままでは、アイラは殺される。
「……やめ……ッ!」
声は届かない。
その瞬間、美鈴の中で何かが静かに切り替わった。
考えるのを、やめる。
躊躇も、恐怖も、全部切り捨てる。
右腕に鎖が巻き付いている。なら――
美鈴は、自分の右肩に魔術印を展開した。
「――ッ!!」
鈍い音。
骨が、内側から砕ける感触。
狂化で硬化した腕を、魔術で切断した。
血が噴き上がる。腕が床に落ちる。
視界が一瞬、白く弾けた。
だが、意識は飛ばない。それ以上に大事なものがあるから。
「……ッ!?」
想定外の状況に、道征の目がわずかに見開かれる。
その一瞬で十分だった。
美鈴は、足に力を込め地を蹴った。
狂化した脚がコンクリートを爆砕する。
距離を一気に詰める。
「――ああああああッ!!」
全魔力を、拳に集中。
狙いは道征ではない。戦争の魔剣だ。
振り下ろされかけた剣目掛けて全力で拳を振るう。
「腕、ぶった斬って──!」
乾いた音が響く。
赤い剣身が激しく揺れる。
道征の動きが、完全に止まった。
「……は?」
渾身の一撃は、戦争の魔剣にヒビを入れた。
面白かったらブクマ評価等お願いします。
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