前科27:日本語で書いてあるけど実際の歌詞はドイツ語だと思ってくれ!
──お母さん。東京はとても怖い所です。
辻本美晴は三月に上京してきてから通算百五十回目となる東京の恐ろしさを田舎で暮らす母に心の中で語りかけた。故郷、山梨県富士吉田市で一生を終えるつもりであったが、記念受験で受けた東京魔術大学魔導力科に何故か合格してしまった。実家は農家兼魔導具のメンテナンスを行う自営業者。三人兄妹の末っ子。地元の魔術高校を卒業した後に、実家で働くだけの人生は大きく変わった。
「ロン。大三元」
半裸の男達に囲まれながら同級生の麻雀を見守っている自分の状況が半年前では考えられなかった。
ルールはよくわからないが、西園寺美鈴という同じ班になった子が勝ったらしい事だけは美晴にもわかった。歓喜の声が上がり、男達が更に服を脱ぎ始めてこのまま犯されてしまうのだろうかという不安が頭をよぎる。
「私達の勝ちです。田所先輩。蒸し機のレンタルの件。よろしくお願い致します」
「……強くなったな、美鈴」
がっくりと項垂れながら田所が返事をした。美鈴の対面に座っていた如月ノエルも無表情のまま親指をサムズアップさせた。ぱっと見た感じ日本人には見えなかったが、麻雀のルールは理解していたようだった。堂々たる風格で麻雀牌を片付けている。
「よーしよしよし! お前らよくやったぞ!」
わしゃわしゃと美鈴の頭を撫でた八代が肘内をくらった。
ヒィと思わず美晴は避けてしまった。伊庭八代──名前だけは美晴も知っていた。自分達が生まれる前に、首都壊滅にまで追い込んだ魔術師と同じ能力を持つ男だ。兄達が「お前は弱いんだから絶対に関わっちゃダメだぞ」と忠告してくれたが、まさか入学一ヵ月で関わる事になるとは思っていなかった。魔導力科に馴染めず、友達もできず一人でうじうじしていた所に話しかけてきてくれたので最初は恩人だと思っていたが、どうしても怖いものは怖い。
「後は材料の調達だけだな。バターと塩は僕の口利きで何とかしてやる。芋の調達は農大とでも交渉するか!」
五月祭の一年生の仕事は出店を出す事だ。
運営から一グループ五万円の出店金を貰って出店を出すのだ。利益が出ても返済する必要がないので小遣い稼ぎにもなる。美鈴達グループは八代の提案でじゃがバターを売りに出す事に決めたのだ。調理も簡単で利益率も悪くない。更にこうして安く機材を仕入れてくれる先輩を紹介してくれたりと、本当に伊庭八代は恐ろしい悪魔のような男なのだろうかという疑問が湧く。
「うおおおおおお!!!! 千ヶ崎さんの生写真!!!」
「千ヶ崎さんの生足いいいいいいいいいいいいい!!!!!」
「ふとももおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
半裸の男達がべしょべしょになりながら泣いていた。机の上に置いてあった写真をさっと美鈴が回収している。美晴も少しだけ見たが、偶に学内で見かける美人な先輩が映っていたと記憶していた。派手なギャルと居る所も何回か見た事があった。この写真と田所のコネを賭けてコンビ打ち麻雀で勝負をしていたのだ。恐ろしく倫理観のタガが外れているとも美晴は思う。
「これで結構費用浮くなぁ。浮いた費用でコスプレでもする? マイクロビキニならあるけど、美鈴が着ても需要が──っぺげ」
美鈴の回し蹴りが八代の顔面に炸裂して吹き飛ばされ、ベランダを突き抜けゴミ置き場まで転がっていった。美晴が再び恐怖に慄くが誰も気にしていない。無表情でそれを眺めていたノエルが空中に『喉渇きすぎワロタ』と文字を書いて立ち上がる。相変わらず意図がよくわからないが、喉が渇いたという事だけは美晴にもわかった。
「そうですね。少し休憩しましょう。如月さんも辻本さんもお疲れさまでした」
そのまま三人で連れ立って流星寮を出た。
酷い寮だと美晴は思う。裸の銅像の陰部にはパテが盛られて大量の傘がかかっている。センスがあまりにも下品過ぎた。だがその一方、寮の人達に対してそこまでの嫌悪感はない。美晴の所属する第三女子寮の間ではここに近づいただけで妊娠させられるとまで言われている。
「あの……伊庭先輩はあのままで良いんです?」
「ゴミをゴミ箱に叩きこんだだけの話です。問題ありません」
「えぇ……」
悪魔のような男に対しこの仕打ち。やはり血継魔術科は怖いと美晴は感じた。
自分より小さくても人間離れした威力の蹴りだった。それでいて恰好がキッチリしていて先輩に対しても毅然とした態度で臨んでいる。自分とは何もかもが違くて羨ましいとすら感じる程だった。今でさえ美鈴とノエルと一緒に歩いている事ですら、場違いなのではないかとビクビクしている。
「そういえば、芋。どうしましょうかね? あのバカに頼むと犯罪スレスレになりそうなので、サブプランを考えておきたい所ですが」
『体で払う!』
「ははは。如月さんは発想がユニークですね。──はい。辻本さんどうでしょうか?」
渇いた笑いの後、一瞬でノエルとの会話を打ち切った美鈴が美晴の方を向いた。
真っすぐに見つめられると怖かった。美晴の実家は農家も兼ねているので、ジャガイモは長期保存しているものがある。毎年廃棄してしまう分もあるので、手に入れようと思えばほぼ無料同然だ。だがしかし、ノエルと美鈴の真っすぐな目に見つめられると緊張して何も言えなくなってしまった。
「あ……あの……その……考えて、おきます……」
自分の家のジャガイモが受け入れて貰えるかどうか自信がなかった。
丹精込めて作ったものではあるが、出荷用ではない。何か言われたら立ち直る事ができない。ぐるぐると思考だけが巡り何も言えなくなった。会話がそれっきり止まったまま三人で歩いていると、自動販売機まで辿り着いた。
「あ……」
美晴が小さく声を上げると自販機前に立っていた複数の学生が三人を見た。
「誰? 知り合い?」
「……新入生の子。一軍の制作班だったかな」
「お、お疲れ様です……」
美晴がおどおどしながら財布から小銭を出してジュースを買おうとしたが、自販機の前を体によって立ち塞がれてしまい小銭を入れられない。周りの仲間が「意地悪すんなよー」とか笑いながら野次を飛ばすが誰一人として助け船を出そうとする人間は居なかった。
「というか、邪魔です。どいてください」
そんな折、美鈴が何で文句を言わないのだとばかりに言い放った。
周囲に緊張感が走り、美鈴は美晴から小銭を受け取ると自販機の前に立っていた男を押しのけて小銭を入れ始めた。
「何にするんですか?」
「え……あ、あの……お茶で……」
ボタンを押してお茶が出てくると受け取って美晴に渡してやる。
続けて美鈴が自分の分を買おうとすると、自販機がドンと叩かれた。先程押しのけた男だ。機嫌が悪そうな顔で美鈴を睨みつけている。
「お前、一年坊だろ? 態度悪いんじゃねーのか?」
「……先程、伊庭先輩に回し蹴りをかましたところなので、それに比べれば随分とマシだとは思いますが」
伊庭先輩、という単語を聞くと男達の顔つきが変わった。
距離を取って全員が臨戦態勢に入る。美晴の態度から察する事に、絡んできているのは魔導力科の上級生のようだ。前に魔導力は血継魔術科の事を敵視していると聞いていたので、この態度には納得できるものがある。
(五人か……)
美晴に戦闘能力があるかといえば無さそうなので守るしかない。ノエルも皆無であろう事は見るだけでわかっている。魔導力科を五人相手にして二人を守りながら戦うのは中々厳しそうだったががやるしかなさそうな雰囲気だった。指輪に力を込めて血を流すと同時、相手の出方を伺った所、
「─────────────────」
魔力の乗った美しい声が世界に対し干渉を始めた。
人間が聞き取れる歌詞ではない。人間の限界とも言える高音。しかし古より伝わりしその言霊は魔術と同じく容易に世界の常識を書き換える。一瞬世界が闇に染まったかと思うと、男達の眼前に眩い光が迸った。閃光の爆発とも言うべきその威力に流石の美鈴も目が眩む。
「──来て」
優しく高い声が聞こえた。温かくもありほっとするような声だが発音が少しだけ慣れないように感じた。手を引かれてそのまま走り出していく。眩い光の影響から解放された時に美鈴の手を握っていたのはノエルだった。反対側の手では美晴を引いている。彼女が先程の現象を起こしたという事が二人にもわかった。
「綺麗な声……」
美晴が感想をぽつりと呟くとノエルは少しだけ耳を赤くした。
●
自販機で光に目をやられていた男達は五分ほど蹲っていたがようやく目が元に戻って来た。怒りに任せて立ち上がり、悪態をつきながら自販機を蹴る。少しからかったつもりが意外な反撃をされてしまいこのザマだ。魔術師に恥をかかされたという事が彼らのプライドを著しく傷つけたのだ。魔導力科に、魔術の才能を持つものは少ない。それでも諦めきれず魔導力で何とか魔術師に勝とうとする人間が多かった。
「くそっ! さっさと立てよ! 追いかけんぞ!」
「うるせぇ! つーかこんなん"一軍"にバレたらやべぇから辻本黙らせねぇと!」
魔導力科は弱肉強食の世界だ。明確に序列が作られ、上下関係がはっきりとしている。
入学初っ端から一軍に所属した美晴の事を彼らは元々よく思っていなかった。あんなおどおどしているのに一軍というのも癪にさわる。少しからかって終わりにするつもりだったが、こうなればきっちりと落とし前をつけるしかないと判断した彼らは走り出そうとしたが、
「まぁまぁ、落ち着きなって」
彼らの前に純黒の魔剣が突き刺さった。禍々しい形だ。それでいて美しさもある。
かつて彼らが喉から手が出るほど欲しがった血継魔術の中でも最強格である魔剣だ。今はそれが死ぬ程憎くもあった。魔導力で再現しようと思ってもできない奇跡に近い魔術である。声と共に現れたのは──伊庭八代。顔が腫れて靴の跡がうっすらとついている。
「お前らから絡んで反撃されたから、集団で襲うってのは道理が通らんでしょう。しかも、美晴ちゃん後輩なんでしょ?」
「うるせぇな! てめぇには関係ねぇだろ!」
「関係あるよ。──あの二人も、僕が面倒見てる後輩だ。イジメるんだったら、"僕達"がこれからも立ち塞がるぞ」
男達が周囲を見ると、八代だけでなく流星寮の面々に何時の間にか囲まれていた。
才能があるが度し難いバカばかりしかいないのが流星寮だ。どれもこれも一筋縄ではいかなさそうな面子ばかりである。この面子は流石に相手にすると面倒くさい。そう判断した彼らは悪態をつきながらその場を去っていった。
「"声楽魔術"か。いやー。ノエルちゃんとんでもないモン持ってたな」
「ありゃ学問レベルじゃねぇなぁ。魔術科もどうやってあんな子引っ張って来たんだか」
「山田先輩も山崎もいねぇからわからねぇなぁ。何処で何してんだか」
「何かあの二人。今年は魔術科の代表に選ばれたらしいぜ。多分、訓練じゃねぇかな」
「まさかあの二人……。五月祭で活躍してこっそりモテる気なのでは……!?」
田所の言葉に流星寮の面々がシン、と静まり返った。目には仄暗い殺意の光が見える。抜け駆けは許さないという一体感が彼らの中に生まれた。そして、八代が心の底から楽しそうに笑いながら言った。
「今は泳がせておけばいいさ。もしもの事態になったら、清春と一緒に始末すれば良いんだからさ」
その言葉に流星寮の面々も清々しい笑顔を浮かべながらうんと頷いた。
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