前科21:女子から食べ物を貰った男は三日ぐらいは舞い上がっている。
その日、都内の警察官は忙しい一日だったと振り返る人間が多かった。
通常の業務に加え、G事案が再び発生。それも複数個所。指揮系統はコロコロ変わり、現場は状況を掴めないまま与えられた役目をこなし続けた。首都高を封鎖しろと言われれば封鎖し、江東区へ応援にいけと言われれば駆け付けた。そして、昼過ぎには終息し日勤の終わりまでようやく一息となった。
そんな落ち着き始めた警察署の中を、後輩を労いながら歩いていた矢田文雄巡査長はため息をついて取り調べ室へと入った。
「……また君か」
取調室には全裸の男。──伊庭八代が座っていた。今日の騒動の中心にいた人間だ。今回は流石に反省したのか心なしかシュンとしているようにも見える。なるべく感情を動かさないよう、矢田は八代の前に座った。
「お久しぶりです。矢田さん。──皆、取り調べが終わって釈放されたのに、どうして僕だけ居残りなのでしょうか?」
「どう考えても、その格好が原因だね」
G事案の首謀者は鬼神商会だ。主犯は殺害。残党は何人かは逮捕したものの末端。"女幹部"は現在も逃亡中だ。公安と魔術犯罪捜査課が一連の事件について怪我をしていない人間は取り調べを終えている。八代もその対象であり、取り調べは終わっている。
ここで居残りをさせられているのは格好が全裸だったからだ。公然猥褻罪のようなどうでも良い事件の後始末だけは矢田達のような所轄に回されている。
「大体の事情は聞いている。──伊庭君も大変だったね。しかし、君のような若者がテロリストと戦うのは良くはないと思うんだ」
「警察呼んでも死体が増えるだけですよ」
「そうだね。でも、これは大人として君に言わなきゃならない事なんだ。どう受け取るかは君に任せる」
「……はい。今後はなるべく気を付けます」
普通の子じゃないという事は矢田にもわかっていた。
八代の言葉が事実だという事もわかっている。警察官が何人行った所で本当に死体が増えるだけなのだ。警察にも上級魔術師は数多く居るが鬼神商会の幹部を止められる人間は少ないし、他の案件にかかりきりなのが実情でもある。だが、それでも自己満足であろうとも八代には言っておきたかった。
この子が何時か困ったときに、誰かに頼っても良いという選択肢を持ってもらうために。
「それで、君の恰好の事だがもしや戦闘で服が燃えてしまったのだろうか? 激しい戦闘のようだったからね。それなら仕方ないのかもしれない」
「──いえ、野球拳したからです」
「私なりに助け船を出したつもりなんだがね……」
ここで頷いてくれたら終わったのに、と心の中で矢田はため息をついた。今日も長くなりそうだ、と肩をほぐして気合を入れる。
「成程。──サイレンが鳴った時に服を着るという発想は無かったのかな?」
「服は燃やされました」
「……鬼神商会に?」
「いえ、野球拳の相手です。"菊姫式野球拳"は脱いだ服を燃やされるんですよ」
矢田の頭が痛くなってきた。テロリストの幹部と殺し合いをした後に野球拳をやれる心境が理解できなかった。何人かは酒を飲んでいたという報告もある。ここは、飲まなきゃやってられなかったという事で理解する事にした。矢田にしても飲まなきゃやってられない心境になったからだ。
「……状況は理解しました。それで、君はまた全部脱がされたんだね?」
「はい。真犯人はあの乳も態度もでかい女です」
「どちらにせよ脱いだのは君の意思だ」
一言で切り捨て供述調書を進めていく。もはや真実を書いて行くしかなかった。そして──
「そういえば伊庭君。身分証持ってますか? この前、千ヶ崎さんに学生証返して貰ってたよね?」
「……………………」
「………………………………燃やされちゃったの?」
コクンと八代が頷いた。どうやらまた股間に張り付けていたようだった。矢田も供述調書にこれを書くのか、といまいち気が乗らない。
「でも僕は後悔してません。一年かけて姫先輩のブラまでやっとたどり着きましたから」
「随分と前科を重ねてしまったようだがね」
「男たるもの死ぬ事以外はかすり傷ですよ。このまま研究が進めば、卒論のテーマを黒ギャルの乳首の考察にするつもりですしね」
「野球拳は研究じゃないと思うな。君の四年間の集大成がそれでいいの?」
「本当は魔動力科で服が透けて見える眼鏡の開発をしたかったんですよ。でも血継魔術科しか合格できなかったので、その時点で魔術という学問に未練はありません」
「君は、人生に対して少し潔すぎる所があるね」
どこまで本気で言ってるのかわからないが、目が真剣だった。
担当教員に同情をせざるを得ない。天下の東京魔術大学。選ばれた人間しか入学できない血継魔術科。その卒論のテーマが黒ギャルの乳首の考察。馬鹿と天才は紙一重、という単語が矢田の頭をよぎった。もしかしたらこんな男が逆に何時か世界を救うかも──なんて思ったが、
「ちなみに矢田さんは白ギャルと黒ギャルのどちらが好みですか? 僕としては白ギャルも捨てがたいのですがやはり乳首──」
「はい。供述調書書き終わりました。内容に問題が無ければサインをお願いします」
絶対にないな、と鼻で笑って八代にペンを渡した。
●
千ヶ崎真央争奪戦から数日が経過した。
病院から退院し、ようやく日常生活に戻った西園寺美鈴は紙袋を提げて大学へと向かって歩いていた。リハビリも兼ねて大学まで徒歩だ。約四キロ近い道のりなのでのんびり歩いて一時間ぐらいだ。天気の良い日だが表情は浮かない。
(まるで蚊帳の外……)
虹の魔剣使いに一撃でやられてしまった。目を覚ました時は病院で処置を受けた後だ。瀕死の重傷だったが、流星寮の斎藤に治療して貰ったらしい。同じ病院に入院していた真央から大体の事情は聞いたが、悔しいのと情けないのとが同居しあまり会話する事もせず、逃げるように先に退院した。
【狂化】の血継魔術に感謝するばかりだ。使うたびに肉体が回復していくのでもうほぼ回復していた。
「──っ!」
悔しさに声を上げ空を睨む。最終的に場を収めたのは西園寺家だった。家では叔父達が真央のご機嫌取りに忙しい。警察組織への介入。千ヶ崎家に対する援助。全てを裏から操っている。極めつけは全て美鈴を通して千ヶ崎家に話を通している所だ。安心感を与える目的だろう。美鈴も家の意向がそうであるなら従うしかない。ただ、真央を裏切っている罪悪感だけはずっと心の奥底にある、
「ん……」
嫌な事を考えながら歩いているともう大学の前だった。門を潜って敷地内へ。教室棟に入るわけでもなく寮が立ち並ぶ方へと向かう。休日だというのにどこか騒がしい。各寮の前には車が何台も並び改装している寮まである。そして、その最奥にある流星寮。
そこも作業着姿の男達によって大掛かりな改装が行われていた。
「……お疲れ様ですー」
寮の入り口付近で作業員に声をかけると、
「おっ。美鈴じゃん。何だよ。もう体調は良くなったか?」
「斎藤先輩……っ!? 先日は、助けて頂いてありがとうございました」
「医療魔術科の人間として当たり前の事だ。気にすんなよ」
リーゼントがヘルメットで隠れているので一瞬誰だかわからなかった。よくよく見てみると全員作業着姿だが流星寮の面々だ。だらしない格好が基本の男達なのできちんと服を着ていると誰だかわからなくなったのだ。美鈴の存在に気づいたのか男達がわらわらと寄ってくる。
「ええと、皆さんこれは何をしてらっしゃるのですか?」
「寮のリフォームだ」
「どうして今更……? 他の寮もやってらっしゃるみたいですけどね」
「千ヶ崎さん争奪戦第二ラウンドだ──っ!」
男達の目が鋭くなり、斎藤の説明が始まった。千ヶ崎真央の家が金銭的トラブルにあった事は大学内ではもう周知の事実である。その隙を狙って、各寮や各勢力が自身の手元に真央を置くべく、選んでもらえるよう寮のリフォームやらをやり始めたとの事だ。寮によっては寮生で金出し合ってまで真央を勧誘しようしている情報を得た流星寮も、負けじと寮の改装に着手したとの事だった。
「今度は大学内で奪い合いですか。千ヶ崎先輩も人気なんですねぇ」
「血継魔術科は居るだけで箔がつくからな。ウチのはゴミだけど」
「あいつまだ勾留されてるんだってな。恥ずかしい男だ」
「まぁ、見てろって美鈴。リフォームのコンセプトは女子が安心して住める部屋だ。風呂トイレ入り口全て別になる予定だからよ。お前も千ヶ崎さんに会ったら是非このコンセプトを推しておいてくれ! 絶対にだからな! 頼むぞ!! 皆の全財産かき集めたんだからな!?」
断ったら殺されそうな勢いだったので何とか頷く美鈴だった。全員目が血走っていてとても怖い。
これ以上この場所に居ては身の危険を感じるので、美鈴はとっとと要件を済ませる事にした。
「ああ、そのええと……これ。助けて下さった皆さんへのお礼です。休憩時間にでもどうぞ」
紙袋を斎藤に渡す。中身はお手伝いさんに見繕って貰ったお菓子だ。この連中には発泡酒の方が良いかと思った美鈴だが、西園寺家のプライドがそれを許さなかった。お菓子を手渡しただけなのに妙に男達は興奮しだし、好き放題雄たけびを上げ始める。
「うおおおお!!! 女の子から初めてプレゼント貰ったぞおおおおお!!」
「しかもチョコだぞおい! これもう実質本命チョコみたいなもんだろ!」
「それは違うと思います」
どうでもいい会話をしていると轟音を立ててミキサー車が寮の前にやってきた。車に乗っているのは山田だ。
「先輩。お疲れ様っす。これでコンクリ打てますね」
「組合との交渉終わったヨ。スランプ試験始めヨ!」
次いでヒゲの田所がポンプ車に乗って現れた。美鈴の目からどう見ても本職の人間達にしか見えない。彼らがどこまで行こうとしているかわからないが、それでもその情熱だけは羨ましかった。要件も済んだので「私はそろそろ……」と挨拶。踵を返して寮から離れようとすると「美鈴」と名前を呼ばれた。
「三人分の部屋ブチ抜いて広く住めるようになってるからよ。完成したら何時でも遊びに来い!」
振り返ると流星寮の面々が笑って見送ってくれていた。それに一礼をすると今度こそ振り返らずに歩いていく。足取りが少しだけ軽く口角が上がっているのを感じた。認めたくはないが少しだけ嬉しかったのだ。どうしようもないアホだが、気の良い連中なのだ。
寮が並ぶエリアを抜けて再び校舎まで戻る。掲示板を確認しようと向かうと携帯電話が震えた。
「伊庭先輩か……」
表示名「全裸」となっているので八代だった。携帯を使えるという事は勾留期間が終わったのだろうと予測できた。まず、何から話そうか。色々と文句も言いたい事もある。報告したい事もある。頭の中で整理しながら美鈴はそれでも微笑を浮かべながら通話ボタンを押した。
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