プロローグ
「ねぇー海斗いつまで部屋に篭ってるのよ。勝手に入るわよ」
そう大声が屋敷中に響いた。彼女は冴宮家(冴宮翔専属)に使える幼馴染で使用人の柏木優だ。使用人という意識が低いのか、冴宮家嫡男たる冴宮海斗の事を呼び捨てにし、尚且つ使用人らしくない口調だ。最も堅苦しくされるよりかはマシなのだが……そんな訳で度々使用人なのか疑いたくはなってしまう。
「おい勝手に入ってくるなよ……」
「別にいいじゃない。私たちの仲なんだしさ」
「お前は幼馴染だけど使用人。本当に使用人なのか疑いたくなるよ。今は手が離せないから出てって欲しい」
優は恨めしそうに此方の方を見つつ出て行った……筈だ。度々部屋の扉の前に居座り、頃合いを見て再び入ってくるということがあるから少しばかり気が散ってしまう。
五分程経ってからだろうか、「あら柏木さん冴えないカイト君に何か用事があるのかしら」の声が聞こえると、「あわわわっ」という声と共にドンという尻餅をついたかの様な音が聞こえた。やっぱり優は扉の前に居座っていた様だ。
これで優が部屋に入ってくる事はないと安心していると……暫くして、
「冴えないカイト君、何処まで終わったのかしら」と海斗の顔の真横から声が聞こえた。其処には黒髪の大人びた少女がいる。彼女は正親町詩乃。海斗の通う私立明和学院の生徒会長であり、常に学年トップ。天才的な文学の才能を有し、一時は女子高校ラノベ作家と活躍していたものの、現在は休止(事実上の引退)をしているという風変わりな人物だ。
「まだまだ全然ですよ……ってか本当に台本って入りますか。煽動なんて、スキルと色々な方法を駆使すれば台本なんてか書……」
言葉は途中で止められてしまった。海斗の口と詩乃の人差し指が触れているからである。その指は柔らかく決して気分の悪いものではなかった。一瞬うっとりとしていると、「あら私の美貌に見惚れてしまったのかしらね」と魅力的な雰囲気を醸し出しつつ言った。こればかりはうざったらしく思えてしまう。
慌てて海斗は首を振り、「いやいやそんなんじゃなくてですね。人差し指を押しつけられて困惑してしまったんですよ」と訂正を急いだ。
「あら残念……まぁいいわ。文章というのはしっかりと作っておいて損の出るようなものではないのよ。しっかりと作っておきなさい」
そう言い残すと海斗の部屋から立ち去った。
本当に何をやっているんだろうという気持ちが溢れ出てくる。海斗は冬休みの期間を利用して現在冴宮家長野別邸に来ている。長野別邸は温泉旅館をモチーフに作られている為かなり広い。また作られた大浴場は源泉掛け流しの素晴らしい温泉だ。
本来であれば今すぐにでも雪景色のなか温泉に浸かりたいところなのだが、『World Unity Online』での魔王としての役割を果たす為……と言ってもお飾りの様に感じる時もあるのだが、魔王の配下ユーザー達を煽動するという仕事をしなければならなかった。
長野別邸に到着してから、かれこれ三時間以上も文章を書いては詩乃に添削を加えられているのだ。本当に辛い天職を与えられてしまったものだ。
因みに支配者天職というのがwuoには存在する。
国王、皇帝、そして魔王の三つが存在する。国王三人、皇帝は二人、残る魔王が一人と、支配者天職は現在全ユーザーが三万人を超えるなか六人しかなれないのである。
支配天職というのは想像を絶する程に辛く大変である。辞めたいのならアカウント削除をして再登録をすれば良いと思う者も多いだろう。勿論そう海斗はしたのだ。そしたら何故なのだろう、何度も何度も何度も何度も何度も試したのにも関わらず、必ず毎回魔王を引き当ててしまった。それ以来潔く諦め大人しく魔王を務めていた。
そして先程文章を詩乃に提出したところ、「ギリギリ及第点ね……本当に冴えないカイト君は文章の才能も冴えないわね」と罵られた。ーー罵られた際に海斗の頬は少しばかり赤く染まったが、これはMだからではない……決してMではない筈だ……
やっとの事で海斗は温泉に向かった。長野別邸に造られた温泉は、まるで一つの銭湯の様に多くの設備が設置されている。三種類の岩風呂、二種類の内湯、壺湯、檜湯、打たせ湯、水風呂にそしてサウナ。どれも一人で入るには広くとても気持ちが良くなる。そして冬には雪景色も見ることができ、疲れを癒してくれる最高の温泉なのだ……そう最高の筈だったのに。
「おいお前ら!何勝手に入ってきやがる!今は俺の時間だろお・れ・の」
岩風呂に浸かっていた海斗の目の前に乱入者が現れたのだ。乱入者は全員で五名。うち二人は優と詩乃である。では残りは誰かというと妹の朱奈、二人目の幼馴染霧島雫に同じクラスの姫川 楓だ。
彼女らはゲームだととても心強い仲間なのだが、色々とやらかす問題児供である。
「あらあら冴えないカイト君は、私達を見て興奮しているのかしら」
「海斗のためならみっ見せてもモゴモゴ」
「いやだっ。お兄ちゃんの変態」
「海斗余り褒められたことでは……」
「海斗君は私の裸をそんなにも見たいの」
「見たいわけじゃないから!!出て行ってくれ!!」
海斗は別邸のある山の隅々までに聞こえるかの様な大声で反発をした。
そして乱入者達から逃げることを決意し、その場から急いで逃げ出した。
逃げている途中「きゃっ」とか「失敗じゃない」とかいう声が聞こえた気がするが気にしてはいけない。
どうにか海斗は部屋へ戻る事に成功した。海斗の部屋は何部屋かに分かれていて、まるで旅館で一番上等の部屋である。
囲炉裏があり、雪景色を見渡せる部屋に、更には室内露天風呂もある。最も大浴場の方が伸び伸びと入れる。と海斗が室内露天風呂を使用したことは少ない。しかし先程邪魔も入った故珍しく海斗は室内露天風呂を使用することとした。
室内露天風呂に入っていると、初めから大人しくこっちに入っていれば良かったという気分になる。実はこの別邸の中で室内露天風呂からの景色が最も良いのだ。
『トロォ』という効果音が聞こえてくるかの様に風呂の中でなりつつあった海斗は景色を諦め、風呂から出た。
浴衣に着替え、風呂に入る前にいた部屋に戻ろうとした。何やら部屋から話声が聞こえてくる。海斗が襖の戸を開けると先程の乱入者達が食事をしていた……食事は食堂を使う筈なのだが。当たり前の様に困惑する海斗に彼女らは、「早く食べないと時間なくなるよ」と声を掛けてきた。
うっかりしていた。どうやら『World Unity Online』へログインする時間が迫っている様である。並べられた様々な料理を急ぎ早く食べ終わると片付け迄やらされた。……これでも冴宮家の嫡男なのだが気にしてはいけないだろう。
そろそろログインする時間になり、海斗は「じゃあ各自ログインの後、部屋に集合な」と声をかけた。
部屋の明かりは消され、窓からは月の光で照らされている。海斗はゴーグルを装着して布団に入った。意識を集中させログインを開始した。これで前回のログアウト地点から再開することが可能だ。
(さぁ一仕事するとするか)と考えつつ海斗はゲームの世界へと渡った。