1.9自らの将来について考えてみた
「ただいま戻りました」
夕食に皆が食堂に集まりだしたころ、ドアを開けて入って来たのはクレイン家の長男であるゼロス兄さんだった。
肩から革の鞄を下げているところを見ると、学校から帰って来た所だろう。
「お帰り、ゼロス。今日もたくさん本を読んで来たかい」
「父さん、ただいま。残念ながら今日は、講義が長かったので本は読めていません」
流石、父さん。帰って来て早々、本の話だ。
だけどゼロス兄さんにはうまい事かわされたようだ。
そこに後ろから母さんが声を掛ける。
「お帰りなさい。ゼロスさん、お腹すいたでしょう? 直ぐに食事、用意しますね」
「えっと、カレンさん、お願いします」
不意打ちだったようだ。少し緊張気味に答えるゼロス兄さん。
そんなゼロス兄さんに、母さんはぐいぐい詰め寄っていく。
「あら、また『カレンさん』なの? 悲しいわ」
などど、言いながら涙を拭く真似をする母さんに、ゼロス兄さん押され気味だ。
「すみません。カレン……母さん」
ゼロス兄さん、押し出しを食らった感じで、顔を真っ赤にしながら言い直していた。
とても小さな声だったけど。そのゼロス兄さんをそっと抱きしめる母さん。
嬉しそうに口元が緩んでいる。
何とも不思議な会話だが、それには訳がある。
ゼロス兄さんは、実のところカレン母さんのお腹を痛めた子ではない。
父さんと前妻さんの間にできた子だ。この前妻さん、どこかの貴族のお嬢様だったのだけど、父さんと恋仲になって駆け落ちみたいな感じで結婚したらしい。
その結果、向こうの親の不評を買ってしまった父さんは、当時王都で就いていた仕事を止める羽目になってしまい、仕方なく父さんの地元へと戻って来たとの事だ。
だが、この戻って来たこの田舎の地での生活が、蝶よ花よと育てられたお嬢様には合わなかったようだ。
折しもお嬢様のお腹の中には、後のゼロス兄さんとなる赤ん坊がいる時期と重なってしまい、どんどん体調を崩してしまった。
その後、ゼロス兄さんだけは無事に産むことが出来たのだが、お嬢様の体調は戻らず一年を経たずして帰らぬ人となってしまったのだ。
母さんと呼べる人が小さい時にいなかったゼロス兄さん、父さんが再婚して、もう6年も経つというのに未だに母さんの事を『母さん』と呼ぶのを恥ずかしがっている。
母さんは、今23歳。12歳のゼロス兄さんからしたら母さんと言うより姉さんの方がしっくりくるという事もあるだろう。
さらに12歳と言えば、そろそろ思春期に入る時期でもあり、俺だったら逃げ出してしまいそうな恥ずかしさに違いないと、密かにゼロス兄さんを憐れんでいたりもする。
そんな憐れみを浮かべた目でゼロス兄さんを見ていると、兄さんはつかつかと歩いてきて俺の目の前の空席に座った。
「どうした、アル。今日のご飯は嫌いかい?」
ゼロス兄さん、俺の憐れみの目を違うことに勘違いしたようだ。
「あ、いえ、おいしいですよ。この焼き魚にご飯に味噌汁も」
「そうなのか。ならどうしてそんな悲しそうな眼をしているのだ? 心配事なら相談に乗るけど」
やばい! と思ったけど手遅れだった。とても真面目なゼロス兄さんが、心配そうな目で俺を見ている。
困った。何と返そう。ゼロス兄さんを憐れんでなんてとても言えない。
ぱっと思いつくのは、ワーグさんとの訓練でケガがというごまかしだが、下手に言うとローネさんが飛んで来かねない。
うーん、何かいい案は……と考えた結果、定番の話をする事にした。
「いや、今日も読書の時、ラスティ先生が膝の上から下ろしてくれなくて。どう言えばいいか考えていました」
「ああ、なるほど。その件か。すまんアル。その件は相談に乗れない。」
納得してくれたようだ。だが、当の相談については、目を逸らされ即答で断られた。
まぁ、良いのだけど。と思ったら、背後に気配を感じた。
「あら、アル君。どうして膝の上が嫌かしら?」
現れたのは、当然、ラスティ先生だ。頬を赤く染めた。
どうやら、お酒を飲んでいるようだ。
「あ、いえ、ぼくももう成長しましたし、そろそろ一人でも大丈夫かなぁっと思いまして」
「ふぅーん、成長ねぇ。5歳の子が言ってもねぇ。説得力がないわ、よっと」
言いながら、俺を持ち上げるラスティ先生。止めてほしいです。
特に今は家族も幼馴染も見ているので。などと思いつつ、じたばたしてみるけど、がっちりホールドされて動けない俺はラスティ先生のテーブルにそのまま連行された。
連れてこられた俺は、当然のようにラスティ先生の膝の上に座らされている。
いつもは、人気のない書庫だから少し恥ずかしい程度なのに、家族皆の前でされると破壊力がすごい。
出来るなら降りたいのだけど、お腹の辺りをがっちりホールドされて動くに動けない俺に、隣に座るワーグさんが話しかけてきた。
「がはは、よく来たなアル」
こちらを向いて、顔を近づけるワーグさん。
かなり酒臭い。
ラスティ先生にも、酒臭いからあっち向いて話して、って言われてしまっている。
慌てて口をつぐんで、悪い、とかつぶやいている。ちょっと落ち込んでいるのだろう、熊耳がしょぼんとしている。
仕草がユーヤ兄と一緒だ。何だかちょっとかわいい。
「しかし、アルよ。剣術が得意なようだな。父さんは、鼻が高いぞ」
「ガハハ、中々いい動きだった。あの動きなら、ユーヤもビルも倒せるだろう」
「何、ユーヤ君をか? それはさすがに褒めすぎだろう。しかしアルは、本を読むのが好きなようだし、私のように文官を目指すのがよいと思っていたのだが、少し考えを改めないといけないな」
父さんズの話が盛り上がっている。
互いに酒が進み、ビル君が、とか、いやいやユーヤ君がとか褒め合っている。
そんな他愛のない話を聞いていると、ラスティ先生が耳元で囁いて来た。
「アル君は、将来何になりたい?」
ラスティ先生が至近距離で囁くので吐息が耳にかかりくすぐったい。
「止めてくださいよ。こそばゆいです」
思わず身をよじって非難の声をだす。
そんな俺を見てラスティ先生は、微笑みを浮かべつつ、で? 、って問いかけてくる。
将来なりたいもの。
その問いに俺は、困ってしまった。
俺がやりたいことは、最大の目標は文明の発展だ。だが、とても俺ごと気にできるとは言えない。取り敢えずは、確認としておこう。そのために、この世界に送り込まれたのだから。
そして、その目的の為には、何になるべきか、考える。
まず考えられるのは、前世と同じ公務員、こっちでは文官か? 国民を豊かにするためにする仕事だ。
悪くはないと思う。けど、何か違和感を覚える。
国と言う括りに入ってしまうと自由に動けない気がしてしまう。
ならば研究者か? この世界に足りない何かを研究して発展へと促す仕事。
それでも良いだろう。けど、やっぱり何か物足りない。
一つや二つ研究してこの世界が大きく変わるとは思えないから。
自由に動けて、世界を大きく動かす存在。そう考えると、範囲が絞られてくる。
地球でも存在した、大きな影響力を持つ個人。
それは――
「ぼくは、商人になろうと思います」
それも、ただの商人ではない。世界を股に掛ける大商人に、と言う続きの言葉は心の奥にしまって、俺はラスティ先生に微笑みかけた。