1.7実は俺が育てています
「あ、な、た、分かっているの! アル君は、バーク属領の領主であるユーロス様の息子さんなのよ。それを、あなた、本気で殴るなんて。死にたいの? それなら今から私が、とどめさしましょうか?」
「いや、すまん。ほんと―にすまん。アルが、あんまりにも良い動きするものだからつい、力が入って……、だから、な、その、重たいだろ俺の斧。下ろさないか」
「そうね。重たいわね。下ろそうかしら? あなたの脳天に? いい? いいの? 下ろしていいの!」
「いや、下ろさなくていい。俺が悪かった。本当に、心から悪かった。もうしないから。斧をこっちに渡してくれ」
俺の意識がうっすらと戻ったら聞こえてきた会話だ。
どうやら、ローネさんがブチ切れているらしい。
ぼんやりと戻ってきた視界だったが、入って来たローネさんを見て一気に目が覚めた。
いつも、優しく目を細め微笑んでいるローネさんの目が、ぎゅ!っと吊り上がり、その形相は、まさに獲物をねめつける狐そのもの。
こっちまで震え上がってしまった。
「あー、ローネ。その辺にね。アル君がびっくりして震えているわ。まったくねぇ、アル君、大丈夫。あれは、熊も狐も犬も食わない夫婦喧嘩だから」
頭上から聞こえる呑気な声に俺は、ちょっと落ち着いたようだ。
また俺はラスティ先生の膝の上で優しく抱きしめられている事に気が付いた。
「あ、アル君。大丈夫。ごめんなさい。本当に。うちの馬鹿亭主が。分かる範囲の怪我は、理術かけたけど、気分悪くない? 痛いとこない? 頭打ってない?」
矢継ぎ早に質問を投げかけながら、俺の体をぺたぺた触ってくるローネさん。非常にこそばゆい。
「あ、あの、落ち着いてください。大丈夫です。ちょっと吹き飛ばされたけど、大事なところは守ったので」
あの時、あの吹き飛ばされた時、やばいと思って全力で理術を発して空気の壁を作った。
だから、体は大丈夫、擦り傷程度。その傷もローネさんが治してくれた。
気を失ったのは、単純に理力を使いすぎたから。
「そう、よかった」
安心したのだろう。俺をぎゅっと抱きしめるローネさん。
その大きな大きな胸にうずもれる俺。何だか久しぶりな感じがした。
元々、俺たち兄弟の乳母もしていたローネさん、その胸に抱きしめられたこともたくさんあるのだと思う。
だけど俺が記憶を取り戻した時には、サーヤもいる事から俺たちの面倒を積極的に見ることは無かった――などと感慨に浸るのも束の間、だんだん苦しくなってきた。
やばい。胸にうずもれて息が出来ない。
実はローネさん、俺を窒息死させようとしているのではないだろうかと思うほどだ。
俺が懸命に手を動かして、ローネさんの体をタップしていると助け船が出たようだ。
「ローネも、そこまでにね。今度は、貴女がアル君気絶させる気なの?」
半笑いの言葉と共にローネさんの手を緩めてくれたのは、ラスティ先生だった。
おかげでやっと呼吸ができるようになる。
「ご、ごめんねアル君」
「はぁ~、大丈夫です。謝る必要ありませんよ。とっても気持ちよくて天にも昇るような気分ですから」
「ぷっ!」「がはは、マセガキだな」「あの子ったらいつの間に?」
ローネさんがあまりにも思いつめた顔していたので、ちょっとボケてみたら皆から良い反応が返ってきた。
でも嘘じゃないよ。暖かくて柔らかくて最高の気持ちでしたよ。途中までは。
皆の笑顔を見たからだろう、ローネさんも釣られて笑顔になっていく。
よかったよかったと思っていたら一人、いじけた顔の人がいた。
ラスティ先生だった。
「私が、毎日毎日抱きしめてあげているのに、感想一つ言わないアル君が。なんで? 私の胸では満足できないの? ねぇ、アル君」
答えにくい問いを投げかけながら肩抱いてくるラスティ先生。目が怖いです。
「まぁまぁ、ラスティ。貴女の胸は、まだ成長中でしょ? 森人族一の巨乳になったって騒いでいたじゃない。これからに期待って事で、食事にしましょ」
今度の助け舟は、母さんだった。グッドです。母さん。
「仕方ないわね。そういう事にしといてあげる。ね、ア・ル・く・ん」
思わせぶりな発言をして、投げキッスしながら離れていくラスティ先生に、俺は一人冷や汗を掻いていた。
ばれているのではないか、と。
そう、俺がラスティ先生の胸を成長させていることが――。
あれは数年前、俺が理力の訓練を始めたころだ。
母さんは、寝ながらも動き回るビルと、寂しがり屋で離れると直ぐにぐずるシェールの二人を寝かせるのに大変な時期だった。
また、ローネさんも乳母の仕事も終わっており、自宅でユーヤとサーヤの二人の事にかかりっきりだった。
そんな事情なら俺個人としては、一人で寝てもよかったのだ。
何の心配もない。けど、母さんが体の弱い俺を心配した。
だから、寝付くまででもとラスティ先生に添い寝をお願いしたのだ。
ラスティ先生との寝るまでの時間は、すごく楽しかった。
若そうに見えるラスティ先生だけど、森人族だけあって実はウン十年生きているらしい。
その間、母さん達と魔獣駆除員をしたり、また、1人で色々な国へ旅をしたりとしていたらしく、多彩な話で俺を楽しませてくれた。
だが、たった一つだけ残念なことがあった。
それは、いざ眠る段になったら、ラスティ先生が俺をぎゅっと抱きしめてくれる事だった。
比較的寒い時期の事だったので単に温めようとしてくれたのだろうが、抱きしめられるたびに俺の心には冷たい風が吹いていた。
なぜなら。
足りなかった。圧倒的に足りていなかった。胸部の肉感が。
総じて森人族は、男女ともにほっそりとしているそうだし、俺は別に胸で女の人を区別したりはしない。
区別したりはしないのだけど、無意識に母さんやローネさんと比べ物足りなさを感じたのだ、と思う。
だから俺は、いたずら半分的にちょっと試してみたのだ。
理術と言うものを――
地球の頃の記憶をたどると、胸を大きく成長させるためには女性ホルモンが欠かせないと聞いた事がある。
これは、美容と健康で町おこしが出来ないかと考えて実際に美容クリニックとかに話を聞きに行ったので間違いないと思う。
ただ、注射なんかで注入すると副作用があるから実際にはやってないとの話だった。
でも、理術でやるなら話は別だ。
要は、女性ホルモンの生産量を増やしてやればいい。
女性ホルモンを生産するのは、卵巣だったな。そこに、活性化の理術をかけて。後は、脂肪を増やすような食事をと思うけど、それを促すのはさすがに無理。
てな事を、毎晩続けていたら、あれよあれよという間に、ずっと広がる大平原から二か所で火山活動が始まって大地が盛り上がりだして……現在に至るである。
「ははは……」
乾いた笑いしかでてこないでいると――
「アルー。何してるのー? 手を洗ってらっしゃい」
料理片手の母さんに訝しがられてしまった。
慌てて動こうとする俺。だけど、ラスティ先生が気になって見てしまう。
すると、何もなかったかのように席に座ってワーグさん達と話を始めていた。
おかげで気づいているのだろうか? 聞いてみたい。けど怖い。などと考え込んでしまう。
「アールー! 」
またまた、発せられる母さんの声。その声に、俺ははじけ飛ぶように手を洗いに行った。