2.9爺様と血がつながっているとは思えません
俺の打ち込みを爺様は予想通り木剣で弾いてくれた。
お返しとばかりに繰り出される爺様からの打ち込みを、俺も同じように木剣で弾く。
思惑通りの流れだ。
内心笑みを浮かべつつ俺はさらにこの応酬を繰り返させるように導く。
すると何度目かの打ち込みを俺が弾いたとき爺様の眉がピクリと動いた。
何かに感づいたようだが少し遅かった、と言っておこう。
それというのも次の俺の打ち込みで目論見が達成されるのだから。
そして次の木剣が打ち合った瞬間、『バキィ!』と双方の木剣が根元から折れる音が響き渡った。
「これまで!」
折れた木剣を手に爺さんが告げる。
俺は、「ありがとうございました」と礼をして頭を上げた時、ぎょっとした。
爺様が、めちゃくちゃいい顔で笑っていたのだ。
これまでの無表情が嘘のように。
強面の本気の笑顔、空腹の猛獣が獲物を見つけた時のような顔、本当に逃げ出したくなるほどに怖かった。
二歩ほど後ろに下がったぐらいだ。
だが、その顔は瞬きしている間に無表情へと戻っていた。
そしてまた。
「次!」
と短く告げる爺様。
その頃には父さんが新しい木剣を持ってきていた。
その木剣を爺様とビルに渡す。
そして二人が対峙した。
ビルは、ある意味全力で戦っていた。
ある意味と言ったのは身体強化理術を使用していないことを除けばという事だ。
俺の行動を見てビルも空気を読んだようだった。
俺は密かに安心した。
若さを生かして爺様の周りを駆け回りかく乱する戦法に出たビル。
爺様も的が絞れず木剣が空を切っている。
今回も実力伯仲の勝負だった。
ビルの息が上がるまでは。
残念ながら爺様に木剣を叩き込む前にビルの息が上がってしまったのだ。
ペース配分を間違ったようだった。
その後、動きの止まったビルは、あっけなく木剣を突き付けられていた。
上がった息のまま、「ま、いり、ました」何とか言葉を出したビルが肩を落として下がっていく。
この時、また、爺様の顔にあの笑みが浮かんだ。
一瞬だったけど。
そしてまた、「次!」と告げる爺様。
当然だろう。
ここまで来てシェールだけなしという事はあり得ない。
だからシェールは、ずっと考えていたようだ。
本気を隠したまま勝つ方法を。
初心者でも出来る理術だけで勝利するための手順を。
爺様の前に立った時、シェール、策は完璧だ! と言った顔をしていた。
そして始まった二人の戦い。
序盤は母さんの時と同じ流れだった。
速度重視の理術による攻撃。
ただ一つ違うのは炎ではなく水の理術であるというところか。
無数の水球を打ち出すシェールを爺様は難なく打ち払っていた。
それでも、お構いなしに打ち続けるシェールに少し疲れが出たように見えた。
水球の連射速度がほんの少し落ちていた。
直後、爺様の動きが変わった。
見事な見切りで水球の隙間を縫ってシェールに近寄っていく爺様。
連戦で疲れもあっただろう、子供だと思って舐めているところもあったのだろう、不用意にシェールに近づいた爺様。
完全にシェールの思惑に嵌ってしまったようだ。
剣の間合いまであと一歩と言ったところで爺様。
『ごっちーん!』
と大きな音を響かせた。
見事にすっ転んで頭を打ち付ける音だった。
爺様、シェールが密かに地面に張った氷に滑って後頭部を強打して身悶えていた。
その隙にシェールはゆっくりと氷の剣を爺様の首筋へと当てた。
「ま、まいった」
爺様は潔く負けを認め――そして破顔して大声で笑い出した。
「くくくく、はぁははははは、はぁぁぁははははははは、はぁははははははは」
壊れたおもちゃように声を出す爺様。
かなり怖い。
あのクールなシェールが逃げ出そうとするぐらいに。
だがシェール逃げることは叶わなかった。
爺様にがっしり腕を掴まれてしまったのだ。
そして逆の手でぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
いや撫でるなんて可愛いものではない。
ぐわんぐわん頭を振られるといった方が正しいかもしれない。
「くくく、まさか、儂を倒す孫がおろうとはな。それが、こんなに可愛いらしい娘とは。素晴らしい。素晴らしいぞ、ユーロス。先の二人も磨き甲斐がありそうだしな。これは、たまらん。滾って来たぞ!」
1人で盛り上がる爺様。
やばいです。
何がって、シェールが。
頭振られすぎて壊れそうです。
どうにかしてあげてと思っていると、後ろから声がした。
「あなた、やめてください。折角の孫娘が壊れてしまいますわ」
言いつつ近づいてくる妙齢の女性は、『あなた』という呼び方から考えるに爺様の奥さん、つまり俺達三つ子にとっての婆様のようだった。
婆様というには見た目めちゃくちゃ若いけど。
そして爺様の正面にたどり着いた婆様、シェールをさっと奪い取る。
「シェール、初めまして。あなたのおはあさんよ。……と自分で言っていても抵抗があるわ。うーん、どうしましょう」
一人悩みだす婆様、『ばあさん』という呼称に抵抗があるようだ。
シェールを優しく両手で包んだまま考え込んでいる。
「婆様、お婆さん、おばば、ばばあ、だめだめ、そんな呼ばれ方したくない……それならいっそ、そうだわ。私の事は、ウィレと呼んでくださいな。ね、シェール」
上品そうな女性の口から『ばばあ』が出てきたときには驚いた。
でもどうやら無事自己解決したらしい。
花が咲いたような笑顔でシェールに語り掛けている。
対するシェールはというと爺様に頭振られすぎて、まだ朦朧としているようだ。
ふらふらしながら「ウィレさん?」みたいな感じでつぶやいている。
だが名前を呼んだのは間違いだったようだ。
喜びが頂点に達したのだろうシェールを抱きしめてくるくる回りだした婆様ことウィレさん。
ますますシェールは揺られていた。
爺様と婆様は似たもの夫婦のようだった。
訓練場から応接室へと戻った爺様は、最初の無表情な対応は何だったのかと思うほど笑顔があふれていた。
怖いけど。
特にシェールを見るときの顔が特別だ。
デレデレで甘々の爺さんって感じだ。
本当に怖いけど。
俺とビルへ向ける顔は比較的ましなことを思うと、よほど孫娘が嬉しいのだろう。
後で聞いた話だが爺様夫婦、子供は三人とも男だそうだ。
その子供のうち、長男は結婚し子供もいるが男二人のみ。
しかも王都の屋敷に詰めていて、もう何年も孫の顔すら見ていないらしい。
次男に至っては結婚もせず、趣味に没頭しているそうだ。
そして最後の三男とは言わずと知れた我が父さん。
前妻さんがゼロス兄さんを生んで死んでしまった後は諦めていたらしいのだが、母さんと再婚し生まれた三つ子の一人が念願の女の子だったのだ。
爺様と婆様は狂喜乱舞したらしい。
だが世は常に無常、奇しくもバーグ属領への出発間近にホワゴット大森林で小規模ながらドラゴンの寝返りが発生し、領主である爺様は動きが取れなくなってしまったそうだ。
魔獣の動きが読めない状態では、いくら護衛がいると言っても婆様だけを送り出すわけにはいかない。
「そうこうしているうちに、結局、12年行けずじまいだった」
「本当にそうですね。どれほどこの手で抱きたいと思った事か」
爺様は悔しげな表情を婆様なんて涙を浮かべて語っている。
今でこそ、そこそこ危険だけど数日の道のりで行けるバーグ属領。
俺が生まれたころは馬車も通れず、徒歩でしかたどり着けないほどの完全な陸の孤島状態であったそうだ。
「でも、これからは一緒に暮らせます」
「だな」
「受験に受かればね」
せっかく俺が言ったいい言葉に嫌味を返すのは、言わずと知れたシェールだ。
嫌な事を思い出させる。
だがそこで爺様がとんでもない事を言い出した。
「お前ら、試験受けるつもりなのか? もう合格で良いと思うのだが」




