同僚
夢は続いていた。猫の鳴き声も。降り間違いはあれ以来ない。土曜日から数えるとすでに五日間。そして、夢の中の時間も少しずつ動いている。
猫と再会した長野さんは、またあの神社へと歩みを進めた。猫に呼ばれるまま歩いて行くと、そこで、長野さんがあの階段から転げ落ちた友達と会話をするのだ。長野さんが「ごめんね。ごめんね」と泣きながら謝る。それを友達が黙って聴いている。ただ、長野さんを見下ろしたまま。そして、その友達が口を開いた時に夢は覚める。ただ、感覚として、長野さんが彼女と何か約束したらしいということは分かっていた。
それが、えも言われぬ恐怖として、私の中に留まる。やっと寝付いたはずなのに、それ以上眠れなくなる。
寝不足のまま会社のデスクに着くと横井チーフの大きな声が聞こえた。
「広崎、ホンマに大丈夫か? 隈できてるで」
元々ラグビーをしていたらしい横井チーフが声を上げたせいで社内のほとんどが、といっても10人程の社員が私に注目した。その中には後輩の中野ちゃんと小坂くんもいる。
「ホンマですか? ちゃんと隠したつもりやったんですけど。いや、ちょっと寝不足で。ほら、最近暑くて、起きるというか」
本当に隈は隠したつもりだったのだ。朝起きると眼窩が暗い。うわぁ、最悪だ。と一生懸命にファンデーションを重ねたはずなのに。それでも分かるらしい。
「クーラーつけんと寝てるんか?」
暑がりにしか見えない横井チーフは既にクーラーなしでは眠れないのかもしれない。いつもなら、このくらいの暑さまでは全然平気なのだ。
「節約で」
愛想笑いをしながら答えたのだが、それが横井チーフの逆鱗に触れたらしい。
「あほか。いいか、そんなちょっとのこと節約して、体壊したらどうにもならんねんで。それこそ、もっと金掛かるやろ。いいか。今日からはちゃんとクーラーかけて寝るんやで」
「はい」
私は素直に返事した。本当は別のことで寝不足であることを隠している私に対して、横井チーフの言い分は正論他ならない。加えて、猫の呪いを恐れて眠れていないなんて言えない。大変だったのは、その心配が他の同僚にも移ってしまったらしいこと。悪いことではないのだけれど、寝不足の私にとって、それは招かれざる客と言ったところだった。だから、お昼休み、お弁当ではなく、コンビニで買ったパンとお茶で食事をしていると、いつもはぎりぎりまで外でお昼を取ってくる金井さんと今村さんまでもが声を掛けてきた。
「広崎ちゃん、ホンマに大丈夫? 悩み事とか? あっ、この前係長に呼ばれてなんか言われたん? そんなんやったら、私から一言ゆっといたるわ。あいつ無神経やろ」
無神経であることは確かかもしれないが、決して彼に何か言われた結果の寝不足ではない。いや、実際は彼の言葉のせいでの寝不足でもあるのだが、これで、猫の呪いなんて言い出したら、この人達は一体どんな反応をするのだろう。
「係長に何か言われたってわけではないんです」
愛想笑いで私が返すと、今村さんはコーチの長財布を脇にはさんだまま私の昼ごはんを眺めた。
「ほら、だって、いつもちゃんとお弁当作ってるやん? 作れへんなんて、よっぽどじゃない?」
私が話をしようとすると、今度は金井さん。
「ほんまやわ。体調悪いんやったらいつでも言うてや。広崎ちゃんのしてる仕事は私らが若い頃にしてたんと同じやしな。分からんことはないしな」
「そうやで、気ぃ使わんと。長野さんがおれへんからって、しんどい時はしんどいねんしな」
「若いからって無理したらあかんよ」
この会社は良くも悪くもお節介な人が多い。昔は見合い相手も面倒見ていたらしいから、それよりはましになってきているのだろう。気を付けなければプライバシーもへったくれも無くなってしまう。
しかし、今はそれが少し心強い。もし、何かあったとしても、きっとこの人達が騒いでくれるはず。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
やっと口を挟むことができた私は、強がって答えていた。悪夢に魘されているということを認めたくないのだ。もし、認めれば、猫の呪いというものを認めてしまうことになるし、そんな怪異の世界にはどうしても歩みを進めたくなかった。