8話 兎のぬいぐるみ
「なんだか、こうやって星野君と並んで歩くのも久しぶり」
黒崎さんは笑う。
「そうだね、ここ最近アルバイトも減らしたし」
その分余った時間を小説を書く時間に当てた。
夜月先輩にはまだ言ってないけれど、今書いている小説が完成したら新人賞に応募しようと思う。
少し前に知ったけど、彼女が書いているのは純文学と言うらしい。
純粋な文学。なんだか夜月先輩を表す言葉の様にも思えた。
もし、僕に才能があるのならば、彼女と同じ純文学を書きたいと思った。
僕も彼女と同じ世界を見たかった。
途中、黒崎さんが横を眺めている事に気がついた。
視線を追うと、射的屋があった。棚の一番上には兎のぬいぐるみが乗っている。
「もしかしてあれが欲しいの?」
黒崎さんは目を驚いた猫の様に見開いた。
「えっいや、その可愛いなって思って。実は私ぬいぐるみが大好きで……」
だんだん声が小さくなる。顔が赤い。
そんな黒崎さんが可笑しくて頬が緩む。
「よし、一度やってみるよ」
「えぇ、いいよ、そんな……」
僕は戸惑っている黒崎さんを連れて店主のおじさんにお金を払い、射的銃を手に取り、構える。
狙いを定めて引き金を引く。コルクは兎に当たり、グラリと棚から落ちた。
「坊主、おみごと! 持ってきな」
僕は少し照れて笑った。
昔、小学生だった妹が景品のぬいぐるみをねだり、同じ様に取ってあげた事があるのだ。
当時は意地になり、かなりの金額を使って手に入れたが、そのおかげで射的は得意になったのだ。
景品の兎を黒崎さんに渡した。
「わぁ! すごい星野君! ……本当に私にくれるの?」
「もちろん、そのために取ったんだ」
「ありがとう……」
黒崎さんは幸せそうにぬいぐるみを抱きしめた。しかしすぐに我に返り、恥ずかしそうに口を開く。
「……おかしいでしょ。高校生にもなって、ぬいぐるみが大好きなんて」
確かに以外だった。
黒崎さんは垢抜けた、どこか洗礼された都会的な印象の女の子だったからだ。
流行に敏感で、だけど自分の感覚を大事にする。
だから彼女の身につけている服、彼女の好きな音楽、彼女の好きな本。
そのどれもがハイセンスだと思った。
今の彼女は僕が抱いたイメージの反対だった。だけど――
「とても可愛いと思うよ。それに素敵だとも思う」
そう言ってから、急に自分がストレートな言葉を発した事に恥ずかしくなった。
これは普段僕が小説を書いているせいだろうか。それとも祭りの雰囲気に当てられたのだろうか。
言われた黒崎さんも慌てた様子だった。落ち着きなく髪をいじっている。
すこし落ち着いた頃、彼女は突然、頭を下げた。
「今日、夜月さんの事、ごめんなさい」
僕は慌てる。「どうしたの急に」
「あの人に酷い事言っちゃった」
「でも先輩も黒崎さんの事をからかっていたみたいだし、おあいこだよ」
「ううん、先に言ったのは私の方。
わたしね、噂だけで、あの人の事を憎んでいた。星野君を騙そうとしているんじゃないかって。
だけど今日一緒に回った時、全然そんな風には見えなかったの。多分、嫉妬してた」
「嫉妬?」
「うん、あんなに綺麗なんだもん。それに小説家なんだよね? 放課後、星野君と一緒に書いているのを見たよ。なんだか私に無い物ばかり持っていて、すごく悔しかったの」
そう言って黒崎さんは苦い笑みを浮かべた。
意外だった。黒崎さんは自分に自信がある人だと思っていたから。
「私、後であの人に謝ってくる。そして友達になりたいなぁ」
「きっとなれるよ。先輩も黒崎さんと仲良くしたいはずだよ」
そろそろ1時間が経とうとしていたので、僕たちは待ち合わせ場所に向けて歩き始める。
もう少しでつく時、 「さっきの言葉、ちょっとだけ訂正」 黒崎さんはどこか嬉しそうに話した。
「まずはライバルになりたいな。友達になるのはその後で」