7話 橙色の灯り
「もう! なんで星野君が”茨の魔女”と仲がいいのよ! それに亮太もデレデレしちゃって!」
夜月先輩が去り、途中でファミリーレストランに入ってからも、黒崎さんは怒っていた。
「俺が黙ってろって言ったんだ、実際、夏美はキレてるじゃんか」
「そうだけど……」黒崎さんはグラスに入った氷を口に入れ、がりがりと砕いた。
「あの、黒崎さん、夜月先輩と何かあったの?」
黒崎さんは少しの沈黙の後、
「私が特に何かされた訳じゃないけど」と口を開いた。
「あの人、女の子達に嫌われてるんだよ。私の友達はみんな言ってるよ。すっごく口が悪いし、学校もよくサボってるし、それにその、人の彼氏を誘惑して、取っちゃうんだよ。岸田先生にも色目を使ってるって聞くし……」
僕はまた違和感を覚える。僕の印象と、黒崎さんの印象とでは夜月先輩の印象は別人の様に違っていた。
「黒崎さん。 夜月先輩はそんなに悪い人じゃないよ」
「それは星野君があの人に毒されてるからだよ。」
黒崎さんはまるで聞く耳を持たないといった様子だった。
きっと黒崎さんは、他の女子達から聞いた話を信じているのだろう。
保健室では、美月先輩が入ると、そこにいる女子生徒達は嫌な顔をして出ていく。推測だけど、彼女達が根も葉も無い噂を流し、黒崎さんの耳に入ったのかもしれない。
今回の祭りでは誤解が解けて、黒崎さんは美月先輩の友達になって欲しい。
そうすれば美月先輩はもっと笑顔になるかもしれない。
僕はシロップとミルクがたっぷり入ったアイスコーヒーを飲みながら思った。
それから二日後、に僕は待ち合わせ場所に行くと、先に待っていた亮太が手を振った。
「よう、優」
「亮太早いね。黒崎さんと夜月先輩は?」
「浴衣の着付けに時間が掛かるんじゃねーかな? あー夜月先輩の浴衣姿が楽しみだぜ」
「そういえば美月先輩には口説かないの? いつもの亮太なら放っておかないよね?」
冗談で言ったつもりだったが、亮太は真面目な顔つきで答えた。
「まーな。前に足を怪我して保健室に行った時、あの人がいて椅子に座って本を読んでいた。すげぇ綺麗だったから声を掛けたんだ。その本、面白いんですか? って。そしたら一言だけ『つまらないわ』って」
「うん、夜月先輩なら言うね」
僕は少し笑う。だけど亮太は笑っていなかった。
「その時な。先輩の目は、俺も小説も見ていない、どこか遠くを見ていた気がしていたんだ。その目を見て、なんてゆうか、気安く話しかけちゃ駄目だなと思ったんだ。
だからその日以来俺はあの人と話していない。でも、仲良くはなってみたいかな。
すげー面白い人だし、一緒にいると毎日退屈しなさそうだ。こうして先輩と夏祭りを見に行けるのもお前のおかげだな」
「そうだったんだね。たしかに先輩は人をからかう時があって誤解されやすいけど、本当は優しい人なんだ。亮太と黒崎さんとも仲良くなって欲しい」
「俺はともかく夏美がなぁ。まあ、夏美は友人が多いから悪い噂を真に受けているだけだと思うぜ。美人は嫉妬の格好の的だからな」
亮太は空を見上げながら呟いた。僕は驚く。
「すごい、鋭いよ亮太。そうか、黒崎さんはやっぱり誤解していたのか」
「だろ? 伊達に女好きを名乗っちゃいない。ついでにもう一つ当ててやろう」
亮太は僕を見つめる。まるで猛禽類の様な瞳だった。
「優、お前は愛澤先輩の事が好きなんだろ?」
「え?」
不意を突かれた。すぐに言葉を返せない。
「見てれば分かるよ。お前態度に出やすいからな」
「……そう、なのかな?」
「なんだ、自分で気づいてないのか?」
亮太は茶化す様に笑った。
僕は考える。夜月先輩はとても綺麗だ。僕は彼女の笑顔が見たくて小説を書いている。
だけど僕は彼女の弟子で、僕は彼女と同じ世界に立ちたくて小説を書いているはずだ。
だから夜月先輩と一緒に毎日を過ごしている……のだろうか?
僕は夜月先輩に恋をしているのだろうか?
その先の考えが浮かばない。その時、
「お待たせー! 星野君!」
黒崎さんは オレンジ色の浴衣を着てきた。
ヒュウと亮太は口笛を吹く。
「いいじゃん。夏美」
「でしょ? どうかな星野君」
そう言って黒崎さんはくるりと一周した。
「うん、とても似合ってるよ、黒崎さん」
「えへへ」 黒崎さんは笑う。しかしすぐに表情が固まる。
「お待たせ。」
後ろから声が聞こえた。
振り返ると僕は少しの間、呆けてしまった。
そこには紫陽花色の浴衣を着た夜月先輩が立っていた。いつもの長い髪を結っていて、
なんだか絵画から飛び出してきたような、非現実感に彼女は包まれていた。
「私も浴衣を着てみたのだけど、どうかしら?」
「え、えと。すごく綺麗です……」
僕は全く気きいた言葉が思いつかなかった。
それは亮太も同じで「さ、最高っす……」としか言えないようだ。
黒崎さんも唖然としている。夜月先輩はふふっと笑った。
「さあ、行きましょうか」
僕達の住む街は、それなりに都会の方で、花火大会は沢山の人で賑わっていた。
四人で屋台を散策している途中、黒崎さんは、うつむき気味に後ろの方を歩いていた。
――きっとすごく楽しみにしていたんだろう。苦手な人と回るのは、やはり苦痛なのだろう。
なんだか僕と夜月先輩が黒崎さんをいじめているみたいで心苦しくなる。
その時、
「……よし! せっかくの夏祭りだし、ここは男女ペアに別れるか!」
と亮太は快活に声を上げた。
「いい考えね。亮太君」 と夜月先輩。
「どうも!」
「でもどうやって分けるの?」
と複雑な表情で黒崎さんは言う。
「グーパーで決める! 一時間でペア交代でどうよ」
僕はその意見に賛成で、黒崎さんと夜月先輩も賛同した。
「じゃあ行くぜー」
そう言って笑顔で手を出す亮太を見て関心する。
きっと亮太は、黒崎さんの事を思って言ったのだろう。亮太はいつもは軽い調子だけど
実はとても鋭く、優しい男だ。
さっきだって僕自身が気づいていない事すら言い当ててしまった。
――やっぱ亮太はすごいや。
僕は友人を尊敬の目で見つめる。
結果は亮太と夜月先輩がグー。僕と黒崎さんがパーだった。
「えっ」
黒崎さんは驚いた様な顔を見せる。
「よっしゃ夜月先輩とだ! 早速行きましょう先輩」
「え、ええ……」
珍しく夜月先輩がたじろぐ。
「それじゃあ夏美、優。一時間後ここで会おうぜ」 そう言って亮太は夜月先輩を連れて人混みの中に消えていった。
夜月先輩は亮太に押されながらこちらを見つめて笑った。少し寂しそうな笑顔だった。
「……じゃあ星野君、行こっか」
黒崎さんは俯きがちに僕のシャツの端を軽く掴む。
僕は頷き、橙色の町並みを並んで歩き始めた。