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3話 愛澤夜月は小説家

 泳ぐことは出来ずにそのまま深く深く沈んでいく。

 水面を見上げると月の細い光が差し込んでいた。

 心地良い。

 そんな、感覚だった。


 僕は時間を忘れて必死に彼女のノートを読み続けた。

 彼女が書いていた物は小説だった。それだけなら別になんとも思わない。

 だけど僕は、今までの人生を塗り替えられた気持ちだった。


 内容は一人の少女の話だ。特に変わった出来事も起きずに淡々と日常が進む。そんな小説。

ただ、それだけの話なのに、僕はこの小説を美しいと思った。

もっと続きが読みたい。次のページをめくろうとしたそのとき―ー


「ちょっと貴方! それは私のノートよ! 勝手に見ないで!」

 背後から鋭い怒声が響いた。

振り返ると先ほどまで机に突っ伏していた彼女が、怒りに満ちた表情で睨み付けていた。

「うわぁ! ごめんなさい! 勝手に読んじゃダメとは思っていたのですが――」


僕は慌てて弁解の言葉を並べる。

しかし彼女は僕の顔を見ると、少し驚いた様子で訪ねた。「貴方……泣いているの?」

「……えっ?」


 僕は目を拭うと、手の甲は暖かい涙で濡れていた。

その後、いつもより鍵を返すのが大幅に遅れた僕は、残っていた先生に叱られる事になった。トボトボと校門を出ると、彼女が待っていた。


「あの、勝手にノートを見ちゃって本当、すみませんでした」

そういって僕は頭を下げた。

「確かに。人のノートを勝手に見た貴方は最低ね」


 鋭い言葉が僕に突き刺さる。

 そうだよなぁと申し訳無い気持ちになった瞬間、

「だけど、閉館時間まで寝ていたのは悪かったわ。先生に怒られたのでしょう?」

彼女は決まり悪そうに言い、寝不足なのよと大きなあくびをした。


「それで、どうして貴方は泣いていたの?」

僕は顔が熱くなった。女の子の前で泣いてしまうなんてなんだか情けない。だけど僕の口から自然に言葉がこぼれた。

「読み始めたとき、海に沈む感覚がありました」


「海?」

「はい……暗くて深い、僕だけがいる世界で、孤独で、だけどそれが心地良いってゆうか……何言ってんだろ僕」

混乱する僕を見て、彼女はクスクスと上品に口元を手で隠し、笑い始めた。やっぱり僕はおかしな事を言ってしまったとまた顔が熱くなると、彼女は口を開くと


「センスあるわ。貴方」

「え?」

「そういう感じ方が出来るの貴方が初めて。普段誰の本を読んでいるの?」

 彼女は興味があるとでも言いたい様に身を乗り出す。

「いや、僕はあまり本を読まなくて……」


「読まないの? 貴方、仮にも図書委員でしょうに」

「あれはくじ引きで決まったんだ」

彼女は少しあきれた様子で「褒めて損したわ」 とため息を吐いた。さっきから彼女は、僕が抱いた最初のイメージとは違い毒舌だ。


「だけど」

 彼女は僕の目を真っ直ぐ見つめた。

「だけど貴方の感じ方は本物。貴方はきっと、自分を何も持ってないと思っている。何かを持っている人達が羨ましくてしょうがない、

そんな自分はきっと不幸な存在だ。そう考えているのでしょう?」


僕は驚く。全部当たってる。

「……どうしてそれを?」

「さあ、どうしてかしら」

 彼女はからかうようにくすりと笑った。

 「貴方、名前はなんて言うの?」


「星野優です」

「そう、私は愛澤夜月」

「愛澤先輩は小説家を目指しているんですか?」

「っ、あはははは!」

そう聞くと、夜月先輩は腹部を抱え、大きく笑った。


 僕は呆然とする。何かおかしな事を言ったのだろうか?

夜月先輩はしばらく笑った後、「目指すも何も、私は小説家よ」 と言った。

僕は彼女が何を言っているのか少し分からなかった。


「それは趣味とか……」 

「いえ、ちゃんと出版して、お金を貰ってる。それは小説家を名乗ってもいいんじゃない?」

「――本当に小説家なんですか?」

「しつこい。ほら、これが証拠」

 彼女は少しムッとして鞄から一冊の本を取り出し、僕に渡す。ページをめくった僕は言葉を失う。

先ほど読んだ少女の日常の話がそのまま載っていた。


「まぁ、私自身の情報は一才出してないから信じないのはしょうがないわね」

 僕は頭を抱える。

 見入るような美しい顔の持ち主で、読むと泣いてしまう様な文を書く小説家。

そんな子が本当に存在するのだろうか?


 目の前にいる彼女は、僕の妄想なんじゃ無いだろうかと言う気さえする。

「でも何もそんなに驚く事?」

「驚きますよ!」


 キョトンとする彼女に僕は大声で答える。

 普通小説家なんて、大人にならないとなれないと思い込んでいた。

「そうかしら? だって優は私の小説を読み、泣いてしまったのでしょう? 貴方を泣かせる小説を書く事が出来る私は、プロであってもおかしいことは何も無いのよ」


 確かにその通りだ。だけど、やっぱり僕の学校の生徒が書店に並んでいる本を書いていると言うことは、僕の常識を打ち砕くには十分だった。

 彼女は少しの間、考える様に左手で口を覆い、やがて手を外す。見えた口元は笑っていた。


「決めた、貴方を弟子にするわ」


「――え?」

思わず耳を疑った。弟子?

「弟子にすると言ったの。貴方が泣いた理由が私には分かる。貴方はこれからの人生で何度も同じ涙を流す事になる。これは不幸な事ね」


 彼女は僕をじっと見つめる。僕は目を逸らす事が出来ない。

「私の弟子になればこれから泣かなくても言いようにしてあげる。その代わり私の言う事はなんでも聞きなさい」


「えぇ!? なんでもですか!?」

「私のノート勝手に見たんだからそれくらい安いもんだわ」

「だけど僕は弟子になるなんて一言も……」

 僕が慌てている間に夜月は早足で歩いて行く。途中、くるりと僕の方を見てからかうような、少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「これからよろしく。またね、優」


 そういうとツカツカと歩いて行ってしまった。

 いろんな事が起こりすぎて僕はしばらく呆然と立ち尽くした。

 そういえば下の名前を呼び捨てにされたような……。

 しばらく時間が経ち、ようやく帰ろうと思い、歩き出した。その時ふと、聞き忘れていた事を思い出した。


 どうして月を見ていたのですかと。


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