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10話 彼女が恋した少年、彼が愛した少女

 最初に夜月先輩がいなくなった事に気づいたのは彼女の母親だった。

 朝、なかなか起きてこないと思い、彼女の部屋に入った時、いつも彼女が小説を書いていた机の上に置いてあったらしい。内容は一言で、

「いままでお世話になりました」とだけ書かれていた。

 

 家族はすぐに警察に捜索願いを出した。

 家出だとしても仲が悪かったわけでは無いので、家族は先輩がどこに、どうしていなくなってしまったのか見当も付かないらしい。

 僕がそれを知ったのは家に警察が事情聴取に来たからだ。

 理由は彼女と親しかったからだそうだ。

 そのとき、ようやく彼女が言った、「さようなら」の意味に気づいた。

 

 結局、僕から何も聞くことが無いと分かった警察は、早い段階で引き上げていった。

 自室に戻る時心配そうな顔で妹が、「顔が真っ青だよ。大丈夫?」と声を掛けてくれたが、僕はまともに返事を出来なかった。


 とてつもない無力感の膜が僕を覆った。

 僕は彼女を何も理解していなかった。彼女に何も出来なかった。

 月が照らす夜の海。空に咲いた打ち上げ花火。

 あんなにも、同じ景色を見ていたはずなのに。


 何もする気が起きないまま夜になり、携帯電話が鳴り響く。着信を見ると黒崎さんだった。僕は携帯を耳に当てる。

「……黒崎さん、夜月先輩が――」

「知ってるよ、私の家にも警察が来たから。ねぇ星野君。近くの公園に今から来てくれる?」

 近くの公園とは夜月先輩が月を眺めていた公園だった。ここからは少しだけ距離がある。

「どうしても伝えたい事があるの」黒崎さんの声色はいつもと違い、静かだった。


「……わかった。今から向かうよ」

「待ってるね」 電話が切れる。

 公園に着くと、黒崎さんが待っていた。夜の公園は僕と黒崎さんの二人だけだった。

「黒崎さん」

 彼女は強いまなざしで僕を見つめていった。

「星野君。実は私、昨日の深夜に夜月さんと会ったんだ」

 僕は驚く。どうして黒崎さんに?


「昨日の夜、私達、連絡先を交換したの。星野君と良太の三人で帰った後、夜月先輩が電話を掛けてきた の。今から駅で少し会えないかって。会いに行くと、浴衣姿のままあの人がいて、これを星野君にって」

 そう言って、黒崎さんはショルダーバックから、白い洋封筒を取り出し、僕に渡す。


「本当はこれ、一ヶ月後に渡してくれって言われたんだ」

「なら、どうして今渡すの?」

「それは私が怒っているから」


 その声はいつもの黒崎さんの物とは思えないほど、低かった。

「会った時、最後にこう言われたんだ。『貴方に友達としてお願いする。優を頼むわ』って。

 あのときは言葉の意味が分からなかったけど、今なら分かるよ。

 きっとあの人は、星野君を私に譲りたいんだと思う」

「それは――」

 意味を聞こうとしたとき、

「馬鹿にしないでよ!]

 黒崎さんは叫んだ。彼女の顔を見ると、瞳が濡れていた。昨日の夜月先輩とは違う涙。

 その涙は、悔しさの色を帯びていた。


「ねぇ、星野君。私ね……星野君の事が好きなんだ」

 一瞬、時間がスローモーションになった気がした。遠くで聞こえていた車のエンジン音は消え、彼女の言葉だけがはっきりと音になった。

「だけど、星野君は私を見ていない。そんな事、とっくに分かってるの」

 彼女は両手で顔を覆う。


「あの人は、私が星野君を好きなのを知ってて、私を”友達”と読んで、星野君を私に譲ろうとした。

星野君は物じゃないし、あの人が消えるからって、隙間に入り込むような、私はそんなずるい女じゃない。 それが許せない。やっぱり私は、あの人が大っ嫌い」

 夜の公園は、彼女の嗚咽する声だけが響く。涙は受け止め切れずに腕を伝っている。

 僕にもようやく彼女の怒りの理由が分かった。

 夜月先輩はあの日、最初から消えるつもりだったんだ。


 彼女がいなくなった後の僕と、僕を好きになってくれた黒崎さんの為を思っての行動だったのだろう。

 だけどそれは、黒崎さんに対する、最大級の侮辱だった。

 彼女はやはり、茨の魔女だったのだ。彼女の茨は人を遠ざけ、交流を断つ。そして黒崎夏美も傷つけてしまった。

 

「……それなら私は、あの人の友達をやめる。だから、約束も破る。この手紙は星野君に渡すね。

これは宣戦布告よ。私はあの人が帰ってくるまで、絶対に許さないんだから」

 僕はその言葉に驚いて顔を上げる。彼女は愛澤夜月がこの街に帰ってくる事を望んでいる。

 彼女は許そうとしているのだ。

 夜月先輩は――いや、僕たちは、黒崎夏美を見くびっていたんだと思う。

 彼女は17歳の女の子として、誰よりもプライドを持っていたんだ。夜月先輩に真っ正面からぶつかったのは彼女だけなのかもしれない。

 きっと夜月先輩はその事を、どこか嬉しく思っていたはずだ。だから彼女に手紙を渡したのだろう。”友達”という言葉は、きっと本当の意味を持っていたはずだ。


「黒崎さん」

 僕は口を開く。ここまで僕と先輩に向き合ってくれた人にこれから残酷な言葉を言わなければならない。

「ごめん。僕は、愛澤夜月を愛してしまったんだ。

人をからかうのが好きで、毒舌で、少し傲慢で、意外と子供っぽくて。

だけど、誰も見る事が出来ない世界を見ることが出来て、何も持たない僕にあの夜を教えてくれて、僕のことを特別な人間だと言ってくれた彼女を、僕は愛しているんだ」


 彼女への気持ちは好きと言う言葉じゃ足りない。

 ”愛している。”

 子供の僕が持つにはあまりにも不相応な言葉だ。

 だけどそうとしか形容できなかった。

「……そっか。好きより、愛してるの方が、強い言葉だもんね」

 黒崎さんは泣きながら頬笑んだ。


 どしゃぶりの雨の中に開花する花の様な、強く美しい笑顔だった。


「じゃあ私、もう行くね。ありがとう、さよなら。星野君」

 彼女は背を向け走り出した。

「待って! 最後に!」

 僕は大きな声で呼び止めた。黒崎さんはゆっくりと振り返る。

「黒崎さん。こんな僕を好きでいてくれて、ありがとう」

「――やっぱり」

 彼女は嬉しそうに笑う。確信する様に、信じていた様に、言葉を紡いだ。

 

「やっぱり星野君は優しいね。そんな貴方が大好きでした」

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