9話 彼女が月を見上げていた理由
黒崎さんと待ち合わせ場所に戻ると、先に夜月先輩と良太が待っていた。
どうやらお互い打ち解けた様子で、親しく話している風に見えた。
二人は僕と黒崎さんペアを見つけると、良太は大きく、先輩は小さく手を振った。
「よう、それじゃあ交代だな」
「えー、良太とは嫌だなぁ」
黒崎さんは冗談っぽく言う。良太もそれに付き合う様に笑い、
「それはこっちのセリフ。それじゃあ優、また一時間後な」
そう言って二人は歩いて行った。
やっぱり僕には二人はお似合いに見える。
「じゃあ、私達も歩き始めましょうか」
「そうしましょう」
僕は少し考え、夜月先輩の白く細い手を握る。少し驚きの表情を見せる先輩に
「は、はぐれると悪いですから。 行きましょう」
夜月先輩は僕の手をしっかりと握り、「ええ、ちゃんとエスコートしてね」
そう言って可憐に微笑んだ。
ああ、やっぱり僕は、祭りの雰囲気に当てられてるのかもしれない。
僕と先輩は屋台を見て回る。意外だったのは、いつもクールで大人っぽい夜月先輩が、亮太以上にはしゃいでいた事だった。
「あれがやりたいわ!」 と指を指し、型抜きを始めたかと思うと「次はあれ!」 と金魚をすくう。そうかと思うと「あれが食べたいわ!」と林檎飴を舐める。
(先輩は美人だからか、どの屋台でも、サービスで多めに貰っていた。)
最初は僕が手を引いていたはずなのに、いつの間にか彼女に引っ張られる形となっていた。
「ほら、優! 早く早く!」
「急がなくても大丈夫ですって」
僕は少し困りながらも、彼女に振り回されるのを楽しんでいた。
しばらく手を引かれ、あまり人気がない場所まで来た。
「あはは、先輩、楽しそうですね」
「ええ、とても。」
夜月先輩も笑った。
「こういう所、ほとんど来れなかったから」
なんだかその言葉だけやけに浮いていて、それはどうしてですかと訪ねようとしたとき。ドン、と爆音が鳴り響いた。夜空を見上げると花火の閃光が空に広がっていた。赤、紫、緑、黄色。様々な色が混じった空は美しかった。
「とても綺麗ね」
夜月先輩は空を見上げたまま言う。
「ええ、とても」
「黒崎さんと亮太君。あの子達には悪い事をしたわね」
「えっ
「本当は三人で行くつもりだったのでしょう? 私はどうしても貴方と行きたくてつい我が儘を言ってしまったわ」
ごめんなさいと笑った先輩の顔は普段では想像つかないほど弱々しかった。
「そんな事ないですよ!」
僕はそう声を大きくし、夜月先輩を見ると驚いた。
彼女の表情はあの時の、月を眺めていた時と同じだった。 以前と違い、先輩の小説を読み、自分の世界を書いてきた僕は少しだけ今の彼女の気持ちが分かる気がする。
夜月先輩は孤独だ。彼女はきっとその世界でただ一人で、それはどうしようもなくて。僕のイメージした深海に、彼女はいる。
先輩にとって月は自分以外の全ての人がいる場所で、自分は決してそこに行くことが出来ない。彼女は暗い海にどんどん沈んでいく。
だから月を見上げていたんだ。
僕は。僕はこんな悲しい理由を知りたかったわけじゃない。
「夜月先輩。貴方は一人じゃ無いですよ」
僕はそう告げた。
夜月先輩は弱々しい表情で首を振る。
「いいえ、私は一人よ。これからもずっと。あの子達にも、貴方にも、もうすぐそれが分かるわ」
僕は彼女を真っ直ぐ見つめた。
「僕が一緒にいます。ずっと。」
彼女も僕の目を見つめる。瞳は波の様に揺らいでいた。
「優・・・・・・」
彼女は僕の頬を触れる。 そしてそのまま僕の唇にキスをした。
海の味がした。見ると彼女は涙を流していた。
「私、貴方が好き」
「僕も好きです」
「今の貴方はとっても綺麗。
その表情も、その声も、その瞳の光も。まるで全部宝石で出来ているみたい」
僕たちは、もう一度キスをした。さっきよりも強く唇が合わさる。
「もう、師匠と弟子の関係はお終いね」
キスが終わった後、愛澤夜月は涙を拭い、笑った。僕はその笑顔を見て安心した。
「……今日はもう帰らせて貰うわ。さようなら、優」
「はい、さようなら、夜月先輩。」
夜月先輩は僕からそっと離れ、まるで闇の中に溶け込んでいく様に見えなくなった。
この時、やっぱり僕は祭りの雰囲気に当てられて、そして浮かれていたんだと思う。
これから、彼女の事を理解していけばいいと酷く呑気な気持ちだった。
彼女が孤独だと言った本当の理由を気づかなかったのだから。
彼女の笑顔を見て、安心しきってしまったのだから。
そして翌日、僕は後悔する事になる。
愛澤夜月は失踪した。まるで魔法を使ったかの様に、僕の前から消えてしまったのだ。




