プロローグ
「星野夜月先生。デビュー10周年、おめでとうございます」
打ち合わせ当日、僕の担当の佐藤さんは、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
僕もお辞儀を返す。東京の片隅にある古い喫茶店の中は、僕と佐藤さんと、この店のマスターだけだった。
「しかし先生の担当になってから早くも10年ですか……時が流れるのは早いものですね」
10年前より髪が薄くなった佐藤さんは昔を懐かしむ様に言った。
「あはは、そうですね。なんだか、ついこの前の出来事の様な気がします」
「あの時はまさか自分が、未来のベストセラー作家の担当になれるなんて、微塵も思いませんでしたよ」「僕なんて、小説家になれる事すら思いませんでしたよ」
僕はそう言って笑い、珈琲を口に含む。
ここの珈琲はとても苦い。 僕はミルクと砂糖を入れなければ飲むことは出来ない。
「それで先生、早速仕事の話に入りますが。今回の新作読ませていただきました。……感動しました。断言します。長年この仕事をやってきましたが、ここまでの小説は見たことがありません」
佐藤さんは興奮した声で話した。
「ありがとうございます。そう言ってくださるととても嬉しいです。」
「だけど先生、この話に出てくる女の子はもしかして……」
「はい。僕の高校生時代の話を元にしています。僕の、作家としての名前を貰った子です」
佐藤さんの顔が曇る。お人好しの佐藤さんの事だからきっと何と声を掛ければいいか迷っているはずだ。
「僕は彼女の弟子だったんですよ」
「弟子? それは小説の弟子という事ですか?」
「いいえ」
ぼくはくすりと笑う。
「魔法使いです」
「魔法……なるほど、それが先生の見ている世界なのですね」
佐藤さんも目元にしわを作り笑った。今まで沢山の小説家と仕事をしてきた彼だからこそ、この言葉を理解してくれるのだと思う。
僕は嬉しくなる。やっぱり佐藤さんが担当で本当に良かった。
佐藤さんは冷めた珈琲を一気に飲み干すと、
「分かりました! 私も微弱ながら、手伝わせて頂きます。この小説を、最高の本にしましょう!」 と力強い口調で言った。
「では先生、まずタイトルの件ですが、どうですか?」
「はい、今日の朝、ようやく決まりました」
いつもは編集者の佐藤さんがタイトルを決めるのだが、今回だけは僕が決めさせて貰った。
あの人には、夜月には。僕だけの言葉で飾ってあげたかったから。
僕は微笑む。この言葉を、君は気に入ってくれるだろうか。
「あのとき、僕は魔女の弟子になった」