ラプラスの魔物 外伝 少年と悪魔
これは朧月夜の兄妹の10年前のお話。黎明が連れ去られる、そして兄が勇気を出したお話。
黎明は物置の掃除をしていた。兄の住んでいるほぼ近くの家に、黎明は住んでいる。この街に来た際の荷物は全て黎明の部屋に置いてあった。
「ええっと、これはこうして、……これは……。」
古い木箱を開ける。美しい金の飾りが施してあった。その中には、蓄音機の首飾りがあった。少しだけ黄色い喇叭のような部分が欠けている。横についている柄を回すと、直ぐに綺麗な音色が出た。
「……懐かしいですわね…。」
黎明はふと、あの10年前のあの日を思い出していた。
10年前ーーーーーー
「お師匠様、街まで買い物に行ってきても宜しいでしょうか?」
齢13の少年ーーーー朧は、蓬莱に訪ねた。
「好きにするが良い。」
「有難うございます。」
ねぇねぇ!とけたたましい声が聞こえる。それは、舌足らずな声でこう言った。
「おにいさま!わたくしも連れいってほしいわ!」
「駄目だよ黎明。街は人が多い。もし黎明が居なくなったら僕は責任を取れないよ。」
黎明は少し怒る。
「ちゃんと言う事聞くわ!ねぇ〜!連れて行って!」
「だけど…。」
そこでリビングで本を読んでいた蓬莱が口を挟んだ。
「連れていっておやりなさい。その為の魔法じゃろぅ?」
「……お師匠様が言うなら。」
「やったぁー!」
黎明は喜んだ。しかし蓬莱が付け加える。
「気をつけるのじゃぞ。今、街の近くで社交会が行われておる。その人混みに紛れて人身売買を行う輩がおるそうじゃ。」
朧は少し下を向くと、直ぐにこう言った。
「分かりました。必ず無事に連れ帰ってきます。」
街にて
「わぁ〜!おにいさま!すごいですわ!」
「そうだね、黎明。絶対に手を離しちゃ駄目だよ。」
その街は美しいレンガ造りだった。社交会のシーズンに紛れて、沢山の人々が居る。それなりの買い物をした。そして、ふと、ほんの一瞬、目を逸らしただけだった。いや、正しく言うと、黎明が消えた。
「…黎明?」
黎明がいない。周りにも、どこにも。路地裏に駆け込んで魔法を使う。しかし反応が見られない。
「何処に行ったんだよ…。彼奴…。」
結局1時間探しても見当たらない。ふぅ、とため息を付いたその瞬間だった。
「お困りのようだねぇ、少年。」
女の声。朧は直ぐに返した。
「誰だ。」
「悪魔だよ…。ねぇ、君の妹さん、居なくなっちゃったんだよねぇ?」
「…生憎と悪魔に手を借りる程落ちぶれちゃいないんだが?」
朧は声のする方を睨んだ。すると金髪緑眼の女が出てきた。服は黒く、喪服。体は一反木綿の様な姿だった。
「私と契約すれば、少年の妹を必ず助けられる。どうだい?いいだろう?」
ニヤニヤ笑う顔が鬱陶しくて仕方ない。しかし黎明を助けられるのなら話は別だ。
「……必ず助けられるんだな?」
「勿論だとも。」
朧は一つため息を付くと、悪魔が持っている契約書にサインした。
???
「おい!此奴は上玉だぞ!」
罵声。怒声。
「…どこですの?ここは?」
目の前の情景が一気に木箱の中に変わった。ガタゴトと音を立てる。
「おにいさま…。」
黎明は酷く憔悴して、今は居ない兄の影を夢見た。
同刻。
「此所で合ってるんだな?」
「あぁ、そうさぁ。」
悪魔のお陰で黎明の居場所は一気に分かった。しかしそれは見た目は上流階級の馬車。もし間違っていてごめんなさいで済む問題ではない。さぁ、考えろ。己の全てを欺く方法は一体どれだ?風体はバレる。姿を変えるだけじゃ駄目だ。朧は少し考えると、こう叫んだ。
「スチームスモーク!」
周りに一気に白い煙が広がる。混乱、怒声、困惑、緊張。一気に馬車まで駆け上がり、
「悪魔!屋根ごと吹きとばせ!」
「御意…。」
そして吹き飛んだ。その中には拘束状態の黎明が居た。大丈夫かなど話している暇はない。馬車に一気に落ちると、黎明を抱き上げる。所謂お姫様抱っこだ。そのまま一気に馬車の木材剥き出しの所に足を引っ掛け上がった。浮遊術も使いながら見えた路地裏に駆け込む。しかし追手が来るのは分かった。大の大人相手に逃げ切るなど不可能だ。朧は着ていたチェックのポンチョを黎明に着せてこう言った。
「いいかい黎明。その悪魔について行くんだ。後で僕も追いかけるから、ね?心配しないで。」
朧は笑いながら言った。
「わかりました…おにいさま…。絶対に、かえってきてくださいましね…。」
少し泣きそうなのを見送る。そして朧は殺気全開で相手に向き直った。
「さぁ次はお前達の番だ。僕の妹に手を出した事、許されると思うなよ?」
「はっ!餓鬼の戯言かぁ?」
煽る声。それに冷静に朧は答えた。
「餓鬼はどっちだ?」
「言わせておけばぁぁ!!」
思い切り棍棒を振りかざす男を避け、そのリーチに入って腹を殴る。思いっ切り吹っ飛ぶ。次の男は短刀。頸動脈に刺さるギリギリを滑って避けたあと、周りの水蒸気を集めて巨大な水球を作り、それをぶち当てる。最後は武器なしの阿呆男。朧は半ば呆れながらローキックをかました。追手が来ないうちに黎明の岬が見える路地裏の先まで逃げた。
「はぁ…、しんど…こんな運動したの、あの日ぶ、り、だよ、……。まぁ、あ、の時、にくらべ、たら、火も、ない、し、いいけ、どさぁ、!」
黎明はきょとんとしている。朧はまた後ろを向き直した。
「何なのこれ?僕に対するいじめ?」
そこには明らかに勝てそうにもないし、逃げ切る事も不可能な大男が立っていた。
「俺の部下に随分手荒い事をやるのは何処のどいつだと思っていたがなぁ…こんな餓鬼とは…。」
はぁ、と朧は一つため息を付く。
「悪魔。黎明を守れ。何があっても死なさせるな。」
「わーってますよ。」
朧は大男を見直した。さぁ今から大見得張るんだ。
「アンタの部下って本当に弱いよね。役立たずにも程があるよ?」
「まぁそう言われるのも無理はないがな。だが、」
といきなりローキックをかまされる。これは避ける事しか出来ない。
「俺はてめぇを殺せるからなぁ。」
連続かかと落とし。掌底。正拳。次のローキックで思いっ切り朧は硬い石がある場所まで吹っ飛ばされた。
「くっそ……。」
朧は毒づく。
「所詮は餓鬼だな。」
蓬莱のお抱えメイド、キリアは言っていた。キリアはかなりの武術使いで、大体の事は教えてもらっていたが、武術のやる上で大切な事は、相手の挑発に乗らないこと。しかしこの状態で挑発も何も無い。朧は大男に首根っこを掴まれた。思いっ切り殴られる。筈だった。世界が1秒だけ止まって、そして動き出した瞬間に、其処にあったのは、史上最強無敵無敗の朧の嘲笑だった。
「…痛い…そんな首締められる趣味とか無いんだけど……。」
ばさりと思いっ切り落とされて、大男は倒れた。大男の眉間には、吹っ飛ばされた先にあった先の尖った石がめり込んでいた。確実に死んでいるだろう。
「…おにいさま…。このひと、大丈夫ですの?」
「……大丈夫だよ。意識失っているだけだから。」
優しい妹のために、朧は嘘を言った。もう日暮れだった。斜陽が傾いている。
「ほら、黎明。良いものを上げよう。」
「いらないですわ!」
「!?」
だって、と黎明は前置きする。
「おにいさまが……、傷つくなら……、わたくし、もう……っ、なにも…っ…、いらないです…。それで、おにいさまが、お怪我をなさらないなら、もう、目の前で、ひとがきずつくのは、うんざりです…。おにいさま、人の事、…ばっかり…!」
ポロポロと泣いている。朧は驚いた。4歳の、まだ幼いとしか言えないこの妹が、其処までの信念を貫くとは。朧は一瞬だけ目を細めて、こう言った。
「いいかい、黎明。その信念を大切にするんだ。」
「……しんねん?」
「今はまだ分からなくてもいい。でもいつか分かる。しかもね、もうこんな事は、僕が怪我する事は無くす。このプレゼントはその証だ。」
「本当?」
黎明は半べその顔で朧を見た。
「本当だよ。僕が最後の家族に嘘をつく訳無いじゃないか。それにね、もう少しで黎明の誕生日だろ?」
黎明は驚いた顔をした。
「はい、前から欲しがってた日傘と、蓄音機の首飾り。それと飴。……蓄音機がちょっと欠けちゃったけど。直せるよ?直す?」
黎明はにっこり笑った。
「かまいませんわ。これも大切なおもいで、ってものでしょう?」
朧は少し驚くと、直ぐにこう言った。
「…そうだね。」
そして朧は最後に向き直った。
「さぁ、お前が最後だ。悪魔。貴様の契約解消だ。」
悪魔はけたけたと笑った。
「少年、悪魔との契約解消は無理だと決まっているのだよ?」
今度は朧がけたけた笑った。その手には悪魔の契約書があった。ひらひら風に翳している。
「なっ…!それは…。」
ビリビリと、契約書を破る。朧は言った。
「僕がサインした時に、すり替えておいた。なかなか大変だったんだぞ?」
さも大変だった様な、しかし明らかに欺くのを楽しんでいる、朧の顔。悪魔は呆然として声も出ない。
「これで契約解消、だな。貴様の名前も貰った。」
「そしたら、私は……!」
「そうだな。消える。」
だが、と明らかな黒い笑みを朧はした。
「此所で恩を売るのも悪くない。貴様の名前はこれから、矛盾の魔女『ヴィーダーシュプルフ』だ。」
「…魔女、ですか。」
悪魔ーーー魔女はそう言った。
「そうだ。恩をいつ返してもらうか楽しみだなぁ。だから言ったろ?僕はお前の手を借りるほど落ちぶれちゃいないさ。」
上ずった声で朧言った。悪魔を凌ぐその笑顔で。そして黎明に言った。
「さぁ、帰ろう。寒くなるしね。」
そして黎明と朧は闇に消えた。魔女は一つごちた。
「恨むようで恨めない、凄い少年だねぇ。」
お師匠様の家にて。
夕食を済ませて、今日あった事を蓬莱の部屋で話した。
「…という事があったんです。」
「黎明は寝ておるのかェ?」
「はい。よっぽど疲れた様です。」
そうか、と蓬莱は言った。そして、さて朧よ、と言った。
「手前は貴様が怪我をして良いと一言も言っておらんぞ?」
「……すいません。」
朧は深く謝る。
「はぁ……。全く、大切な人の事を守るというその硬い信念は見上げたものじゃが、体を傷つけてしまったら終わりじゃ。」
朧はまだ深く謝ったまま。
「これは明日の修行はロングバージョンじゃな。」
と蓬莱はニヤリ笑う。朧はため息を付いた。そして蓬莱を睨む。
「……この野郎…。」
「何か言ったか?」
「いいえ何も。」
では、と言って朧は自分の部屋に戻った。ぱたり、と本を閉じる。
「全く、人殺しの少年とは思えぬ優しさじゃな。孤児の少年少女よ。」
その呟きは、闇に溶けた。
10年後 朧古書堂にて
がちゃり。ドアノブを回す音がする。
「やぁ黎明。君が1人で来るなんて珍しいね。」
「そういう事もありますわ。」
黎明はにっこり微笑んだ。そしてあの話をする。
「ほら、蓄音機の首飾り。あの日の物ですわ。」
「……まだ持っていたのかい?」
「お兄様から最初に貰った大切なプレゼントですもの。」
黎明はニコニコしながら答えた。朧は驚く。
「お、『お兄様』って言った!久しぶり!何時ぶり?待って!もう1回言って!録音するから!」
「あぁ?」
黎明が訝しげに顔をしかめる。声も怖い。
「申し訳ございませんでした。」
朧は謝る。
「兄様は性癖の百貨店なんですか…?」
「そうとも言うよ?」
「はぁ……。」
と黎明はため息を付いた。朧はニヤニヤしながら言う。
「ねぇ、黎明。君の手に持っている『物』は一体なぁに?」
さも分かっている様に言う。確信犯だ。本当に愚兄で性癖の百貨店で役立たずでポンコツで、それでいて大切な人を守る為には己の身を削る事すら厭わないこの兄は。
黎明は古書堂の扉まで戻ると、その手に持っていた『物』を思いっ切り振りかざした。それは見事に朧の眉間に当たる。
「いったい!!」
黎明は心の底から笑ってこう言った。
「あの時!とってもかっこよかったですわ!それではごきげんよう!大好きなお兄様!」
古書堂内に、思いっきり響く。眉間当たって跳ね返った『あの日』に買ってやった同じメーカーの飴をキャッチする。朧は扉まで行くと、走っていく黎明に声をかける。
「またおいで!何時でも待ってるから!」
遠くで、わかっていますわ!なんて鈴の声が聞こえた。朧は飴を太陽に翳す。
「私…あんまり甘味は好かないのだけれど、」
けどね、と相打ちを付く。
「…黎明から貰ったものだ。美味しく頂くとしますか。 」
暗く見えない古書堂内。
それでも心の中は暖かくて。
これは遠い日のお話で。
とっても暖かい人を守るお話。
書籍化とか凄いですよね。して欲しいです。なーんて言うのは夢です。笑