ラプラスの魔物 4
「此処は………?」
蓮花はふと目を覚ました。自分のベットの上に、自分の体。静か、だった。ベットから降りて、家の外に出てみる。しかし、時計の針は、何処の時計にも無く、物音一つしない、虚空の空間だ。酷く冷たい。外に出た道端で、蓮花は膝を付いた。
「……誰か、助けて……」
その声は、虚しく空気に消えた。
同刻。
「無事にこの世界に戻って来れて良かったですけれど、蓮花姉様が……。」
蓮花はモルテとの対決の後から、消えている。
「…恐らくだけど、彼奴の術の世界に囚われて居るんだろうね。」
「術を解くのには、モルテが必要、か。」
古書堂内が、酷く冷たい。
「……直に来るよ。外に出てる。ここらへんは危なくなるかもしれないから、結界を張るのを宜しく頼んだよ。」
木製の扉から、朧は出た。その瞬間に、あの呑気な声がする。
「あぁ〜?お姉ちゃん、術の世界に囚われちゃった〜?つまんないのー!」
モルテは少し甲高い声で、空中を旋回している。
「じゃあ次は、朧お兄ちゃん?ねぇ?指名手配犯の残酷な『ラプラスの魔物』、の、朧お兄ちゃんだよねぇ?」
「…随分知っているのだね。私の事を。」
「もっちろんだよ!お兄ちゃんのせいでボクが生まれた!こんなにも忌み嫌われた醜い姿でね!お兄ちゃんが殺した皆の怨念でボクは出来てるんだよ!ねぇ!?」
声を荒らげ、モルテは一息付いてこう言った。
「お兄ちゃんは、一体その手で何人殺したの?」
朧はその返答に応えず、こう答えた。
「怨念の割にはよく饒舌だね。その調子で彼女に掛けた呪いを解いてもらおうか?」
「却下だよ。お兄ちゃんが死んだら考える!」
モルテの背後には大量の手。そして朧の右腕は白龍の腕に変わった。
「わぁ!やっぱり『ラプラスの魔物』だねぇ!凄い!その力でさぁ、お姉ちゃんを何回も過去に戻したんでしょう?」
朧が今にもモルテを殺しかけたその瞬間だった。鈴の声が聞こえる。
「『ラプラスの魔物』に忌み嫌われしマクスウェルの悪魔よ!銀の月の御力によって、今、命を止め給え!」
黎明は自分の片目から眼帯を外すと、朧の方を向いた。其の瞬間、朧の白龍のそれは、煙を出して消え去った。黎明の片目は銀色で、茨が三日月を囲っている様な紋章だった。
「黎明……。邪魔をするな。」
実の妹にも殺気を出す。しかし黎明は声色を変えずにこう言った。
「嫌ですわ。兄様はまた『ラプラスの魔物』の意識に囚われるの!?確かに昔に比べれば、勝手に龍になったりする事は無くなりましたわ。でも、兄様はまだ感情が激しい時は、直ぐに意識に取り込まれる。もうそんな兄様は見たくないのです!」
あーあ、とモルテがため息を付く。
「もー!ボクは朧お兄ちゃんと戦いたかったのーにー!」
「…お相手は私がしますわ。」
真っ直ぐと、黎明はモルテを見詰める。
「黎明お姉ちゃん、無理だよ、そんな事。」
「もう、これ以上私の大切なものを奪わないで!だから私は戦うのですわ!『ラプラスの魔物』を止めるだけの力だけで、『マクスウェルの悪魔』が生きてる訳じゃない事、教えて差し上げますわ!」
ぐるり、と黎明の周りに白い旋風が起こる。そしてそれが黒い麒麟ーー角端を形作った。
「嘘、だ?角端だって!?」
モルテが酷く驚いた声を出した。
「御願い、私の麒麟よ、私を助けて!」
その瞬間麒麟はモルテを取り囲んだ。だが、
「く、るしい、た、すけ、て」
それが、黎明の本音だった。
「でも、もう、嫌、なので、す…。目の、前で、大、切な人、を、も、う、失いたくない…!」
ボロボロ、と黎明は涙を流す。朧は黎明の中の『マクスウェルの悪魔』が暴走し始めている事を悟った。だが、『ラプラスの魔物』の力を全て無効化するのが『マクスウェルの悪魔』。故に今の黎明を止めることが出来ないのだ。魔法が効くような相手ではない。
「黎明、しっかりしろ!黎明が私を止めるんじゃなかったのかい!?」
それに反してモルテが高々と笑う。しかし黎明の悪魔の力が効いているのだろうか、酷く余裕が無い。その刹那、誰かが召喚呪文を使った音がした。その術の主は黎明の頭にぽん、と手を置くと、一瞬で悪魔の力は消え去った。声の主が言う。
「全くの、朧も黎明も変わらんのゥ。元気にしておったかェ?」
黒い服に黒いベール、長い腰まである結った黒髪。酷く妖しげな雰囲気を保ったその女性を見て朧は驚いた。
「お師匠、様?」
「暫く見ぬ内にでかくなったものじゃ。相変わらずの余裕ぶりか?」
「…お師匠様も相変わらずの皮肉ぶりでいらっしゃる様ですね。」
「それぐらい口がきけるなら大丈夫だの。さァて、此処の舞台にうってつけの演者が居る。さらばじゃ朧。その最後の家族をきちんと守れ。……あぁ、1人では無いかもしれんのゥ。」
酷くニヤつくその顔で、女性は振り向きざまに黒い扇子を口に当てて言った。朧は少し笑って、相変わらずだと呟いた。そしてその女性は風の如く消えた。
「はぁ……私は一生あの人に敵わないなぁ…蓬莱 蚩尤お師匠様。」
そう呟いた瞬間、結界を張り終えた、神無月が戻って来た。
「……そういう事か。あれが、蓬莱…。聞きたい事は山程あるが……。朧、引き返せ。もう蓮花が居る空間は俺が開いておいた。」
「え?良いのかい?」
「…俺はこの死神もどきと殺り合わねばならんからな。」
その殺気、肌が痺れるほどの物に、朧は驚いた。
「わ、わかった。」
うふふ、とモルテが呟いた。
「次は神無月お兄ちゃん?」
「そうだ。今なら生きて帰れるぞ?」
「生憎そんなので引くほどボクはヤワじゃないよ?」
その瞬間、刀が響く音と肉切りの音が、酷く響いた。
異空間にて。
「……私、1人っきり…ですね…朧さんにも、もう、会えないのかな……?」
色々な所を回ってみたが、一向に外に出られない。
「そう言えば、お腹が空きませんね…。」
食べ物も無ければ何も無い、感情も、凍る。蓮花はまた自分の家の道端に座った。
「寂しい……です。朧さんに、会いたい…?………分からないです…。」
「会いたく無いのかェ?」
蓮花の目の前に、蓬莱が居た。
「……何方でしょうか?」
蓬莱は少し笑うと、蓮花に聞き返した。
「おマイさんは死者に名を聞くのかェ?」
「…死神様、ですか?」
「似た様な者じゃのゥ。」
「私を、殺しに?」
酷く、蓬莱は笑う。
「あっはっはっはっ……全く面白い女子じゃ。おマイさん、気に入った。名は何という?」
「死神様は私の名前を知っているのでは?」
蓮花が不思議そうに聞き返す。蓬莱は微笑みながら聞いた。
「生憎との、人の名は手前が聞く様にしとるのじゃ。」
黒い、美しい微笑が蓮花を見据える。
「御手洗 蓮花 と申します。」
「御手洗とはなかなか霊力の強い一族ではないか……。彼奴、おマイさんに霊力があるから奉公人にしたのじゃろうな。」
「……?あの、彼奴とは…?」
蓬莱が少し驚く。
「おや、知らんのかェ?手前は朧月夜 滄溟と朧月夜 黎明の師匠じゃ。……。もう時間かのォ。」
「時間?」
蓮花はまた不思議そうに聞き返した。
「そうじゃ。手前はもう亡骸の身。故にあまり長い間空間に留まれぬ。さらばじゃ、蓮花。」
「え!?待っ、待って下さい!まだ私聞きたい事が沢山あって!」
蓬莱が目を細め微笑する。
「それは彼奴から聞け。それと手前もおマイさんに聞きたい事がある。」
「何でしょう?」
蓮花は何時もの引き締まった顔で聞いた。
「おマイさん、彼奴の事が好いておるのかェ?」
蓬莱は笑う。蓮花は普通に答えた。
「好き、なんかじゃ無いです……。ただ、一緒に居ないと、とてつもなく寂しいんです…。」
蓬莱は驚いたあと、くつくつ笑ってこう言った。
「其れを好きだと言うのじゃよ。」
「う、嘘だ!ボクが負ける訳が無い!」
モルテの後ろにあった腕は、皆、神無月が切り刻んでしまった。
「…なかなか弱いな、其れも。」
返り血の血が身体中に付いている、神無月が答える。
「何故!?お兄ちゃんにはなんで切れるの!?おかしいよ!!こんなの!ボクの!!大好きな遊戯じゃない!!」
神無月は、何時もの紅い瞳を、より一層濃くさせて、こう答えた。
「…さぁ、遊戯もフィナーレだ。」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!死にたくない!!」
「そうだな…少し聞きたい事がある。」
「な、何?」
神無月は一つ息を付いて、こう言った。
「……葛根 苺という少女は、幸せそうだったか?」
モルテは少し驚くと、少し嘲笑してこう言った。
「うん!元気だったよ!じゃあボクが君にいい事を教えて上げるよ!……その刀は外した方がいいよ?お兄ちゃんは冥府の王にでもなるの?」
それと、とモルテは間を置いてこう言った。
「朧お兄ちゃんは、人間じゃない。」
「それで?」
「驚くと思ったんだけど、驚かないんだね。人間だよ。でも彼奴は人を殺し過ぎた。身体中に怨念が絡み付いてる。おかしなくらい、ね?」
しかし神無月は持っていた刀をモルテの眉間の先に突きつけた。
「え?やめて!ボクの事を殺さないんじゃなかったの!?」
「…殺さないとは一言も言ってないだろう?」
しかも、と神無月は付け加える。
「…お前の名前はモルテ=ディー・グレンツェ。その異名は、」
「う、そだ?ボクの、異名なんて、なくて、!」
モルテの慟哭に被る形で神無月は言う。
「……地獄の虐待王。貴様、苺を苦しめているだろう?苺だけでない。死んだ者達を永遠に苦しめる。幸せそうだったから妬んでいるのか?まぁ、そう言う話を俺は見た。」
「…見た?」
モルテの涙はあまりの恐怖で止まった。
「俺の能力を忘れたのか?全ての者の急所を見抜く。神も人間も関係無くな。貴様の場合は『嘘』がそうだったみたいだな?」
「あ、!嘘、ついて、たのは!!あやま、るから!!皆解放、す、るからぁぁ!!」
モルテは泣きじゃくる。
「…それで俺が引き下がるとでも?……地獄におわします虐待王よ、その身を、滅ばすことを望まんと欲す!」
膝を付いたモルテの周りに、白い帯の様なものが走る。
「や、めて、よ!!お兄ちゃんはまだ綺麗なんだよ!戻れるよ!冥府の王なんかにならなくても!封印はしないで!!」
次は神無月が嘲笑する番だ。
「…貴様の戯言は面白くないからな。さぁ、次に会う時は怨念と化しているだろうなぁ?」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!まだボクは生きたい!!死にたくないよぉぉぉ!!」
「……ここまで見苦しいものか。元は怨念の塊だったと言うのに。」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして、モルテは消えた。神無月は独りごちた。
「……俺は、お前を救う事が出来たか?……俺は、皆を守りたい、」
だから、と彼は一息ついた。
「だから、全てを無くしてでも………俺は冥府の王になる。」
異空間にて。
朧は異空間の扉に足を踏み入れた。その途端、今まで世界の蒼さは消えて、赤、紅、朱、緋。足元は、血で満たされている。周りには、脳漿、片腕、眼球、肉片、屍、内臓。目の前に蓮花がいた。
「おぼ、ろさん?」
酷く、驚いた目。
「……君は、これを見て、どう思う?」
いつも通りの、朧の屈託の無い笑顔。その手には消えない血の跡。服の端々にも大量の血が付いてた。しかし蓮花は何も変わらず、こう言った。
「何って何ですか?」
「……え?」
「これは朧さんが殺した人間なんですか?」
「…そうだね、ここにいる全員は。」
世界を埋め尽くすような大量の屍。皆、苦痛に歪めた顔をして死んでいる。
「え?それだけですか?」
「…はい?人を殺した事で、罪になるんだよ?」
「そうですね。」
「……君と話すとどうも調子が狂うよ。」
朧の返答には返さず、一つこう言った。
「殺人は、とても悪い事です。でも、殺人なんて皆してるんじゃないですか?」
「どういう事だい?」
「勿論、人を殺す事。心を絶やす。それが罪ですよね?」
「そうだね。」
「そんな事、皆やってるじゃありませんか。人を傷つけて、自分だけ得をする。それだけでも、人を殺す事になりませんか?それで感情が絶えた時、人はまた死ぬのだと思います。」
「……。」
朧は黙ったままでいる。それに、と蓮花は付け加えた。
「朧さんは、私が初めて信頼した人間です。そんな無闇に貴方が殺人犯ですなんて決められませんから。」
「…君って本当に考え方が進んでいるというか、何というか。」
朧は苦笑した。そして蓮花は思いっ切り朧に抱きついた。少し朧はよろけた。
「……本当に、寂しかった。信頼する人が居なくなると、こうも寂しくなるんですね。初めて知りました。」
「…え?」
顔を埋めたままで話す。
「私は母も父もいません。母は、私が殺して、父は出張だと言って14年間帰ってきていないのです。……出張先で死んだと聞きました。」
「そう、なんだ。」
蓮花は少し離れるとこう言った。
「それに、ですね。」
足元にある多量の血に手を触れる。
「ほ、ほら、お揃い、ですよーだ……。」
ポロポロと涙を流しながら笑う。
「朧さんの、この世界を見てから、朧さんが、酷く1人になる事を怖がっている事が分かったんです。」
「私は……寂しいの?」
朧はきょとんとした顔をする。
「えぇっと、そうじゃないんですか?」
蓮花も同じ顔をする。
「ふぅん…。そう、なんだ。よく分かんないな…。」
そして朧と蓮花は少し考え事をして、同タイミングでこう言った。
「こういう事を言えば、喜ぶんじゃ無いのですか?」
「こういう事言えば、喜ぶんじゃ無いのかい?」
沈黙が襲う。
「…蓮花ちゃん、手、汚れてるよ。洗わなくちゃいけないんじゃないの?」
「こうすると嬉しいのでは?」
またまた、沈黙が襲う。蓮花は笑った。
「うふふふ…駄目ですね、面白いです…。」
「…???」
朧は分からないという顔をする。蓮花は笑いながら話した。
「えーとですね、私達は親が居ませんよね?」
「そうだね。」
「だから、なんて言ったらいいんでしょう、そういう『一般論』しか知らないんですよね?」
「……即ち、本来母親から貰う『暖かい言葉』を知らないって事?」
「……そうなんじゃないですかね?」
2人は考える。屍の山の中で。
「じゃあ、これから2人で『暖かい言葉』探していこうか。」
「そう、ですね。」
蓮花はにこにこ笑う。
「じゃあ蓮花ちゃんが今さっきしてた、『お揃い』ってなんか変じゃない?」
「……なら、何でしょう?仲間、とか?」
「それだと少し固くないかい?」
「これだけは本に書いてないですからね……。あ!わかりました!」
蓮花が思いつく。朧は食いついた。
「なになに!?」
「『似た者同士』、じゃないでしょうか?」
「『似た者同士』か。そうだね!」
「そんな大切な言葉も見つかった事ですし、帰りましょう。」
「そうだね。」
空間に切り込みが入って、白く光る。そこに蓮花は手を触れる。一気に視界が白くなる。その時知っているようで、知らないあの声が聞こえた。
『僕の孤独を暴いてくれて、有難う』
呪文がワンパターンなのでそれを何とかしたいですね。笑