ラプラスの魔物 10
「朧さん。こんな朝っぱらから何してんですか?」
蓮花は乱雑にバックを肩にかけると、何故か朝っぱらから古書堂前の道に突っ立っている相手に声をかけた。その相手は少しだけ後ろを振り向くと、呟くように言った。
「…流石に君は連れていけないよ。」
「『月の都』、ですか?」
朧は蓮花の肩をがっしりと掴むと言った。
「そう言うのをね、誘導尋問って言うんだよ蓮花ちゃん。」
「朧さんが口滑らしただけじゃないですか。」
間髪入れずに蓮花が返す。朧は肩から手を離すと言った。
「…というか、何故君が『月の都』について知ってるの。」
愚痴の様な低い声で朧は問う。
「『ラプラスの魔物』を調べたら出て来ました。」
蓮花のまたもや間髪入れない答え。
「…そんなオマケみたいな言い方しないでよ……。」
朧は少し笑うと、蓮花に言った。彼女は一拍置いた後、こう言った。
「……『ラプラスの魔物』と『マクスウェルの悪魔』の故郷だと。」
朧は冷たい視線を蓮花に向ける。それは無意識だった様で。
「そうらしいね……興味も無いけど。まぁ、取り敢えず。」
朧は笑顔で言った。
「君は連れて行けないね!」
蓮花の顔に苛立ちが見える。そして溜息を付く。
「……分かりましたよ…諦めますから、必ず無事に帰ってきて下さいね。」
朧は蓮花の頭を撫でると、空間移転の魔法を使うその瞬間だった。蓮花が駆け出し朧の手首を掴む。刹那、白い『月の都』の床が見える。
「君ねぇ………!」
朧の苛立った顔、其処には蓮花のしたり顔。
「…してやったりです。」
朧は溜息を付くとこう言った。眉間に手を抑えていた。
「本っ当に!君といると調子が狂う!」
蓮花は心の底から笑った。
黎明は朝の街を急いでいた。近くで朝市をやるからだ。そして兄の家へ向かうのが何時もの通例だった。
「間に合いますでしょうか、お兄様…。」
黎明は側に居る神無月に声をかけた。神無月も朝市には良く来る。
「大丈夫だ。まぁ、無理だったら俺が取ってやるからな。」
「うぅ……!有難う御座います!神無月お兄様!」
黎明は目をキラキラさせる。そして朝市の前の一筋前、古書堂前の通りを差し掛かった瞬間だった。
「黎明!退け!」
黎明が踏み出すその場所へ行かせまいと、神無月が手を取ったが、時既に遅し。途端に吹っ飛ぶ。黎明は驚いた。目の前の白い巨塔の周りには紋章の記された輪がぐるりを囲んでいる。何重にも。そして多数の浮島が周りには幾つもある。辺りには今の技術では実現不可能な機械が無惨な形で転がっていた。
「……神無月お兄様、此処は?それにどうしてこんな場所に辿り着くことが出来たのでしょう?」
神無月が有り得ないという顔で話す。
「俺の記憶が間違っていなければ………此処は『月の都』だ。そして、世界の真理…。創世神話の真実が記された場所。そして、超古代文明。あの下にはかなりの霊力反応が見られた。」
ひゅう、何故か暖かい風が吹く。黎明が問うた。
「あの、神無月お兄様。どうしてこんな高いところなのに、春の様な暖かさなのでしょうか?まだエレクトローネは寒いですのに。」
そうすると神無月は何処からともなくスケッチブックを取り出した。黒い油性ペンで図解を始める。
「か、神無月お兄様?どうしてスケッチブックを持っているのですか?そんな直すスペースなんてないで御座いましょう?」
神無月は無表情に言った。
「こう言うのは深く考えるな。」
キャップのかち、という音で説明は始まる。
「まず、魔力を使う為には少しだけでも良いから霊力が必要だ。それは知っているな?」
きゅ、とペンを走らせる音がする。丸い円の中に、半分ほど『魔力』と書かれ、少しだけ『霊力』書かれている。黎明は応えた。
「ええ、存じておりますわ。」
神無月が続ける。
「だから、体力の所有率、即ち魔力の所有率が100%だと使えない。最悪99.9%の魔力と0.1%の霊力が必要だ。」
黎明が言った。
「兄様は、そういう状態なのですね。」
神無月が応えた。
「彼奴の場合は少し特別だ。黎明の言う通り、朧はそういう状態だ。しかも魔力がカンストしている為と、元々の霊力の0.1%が0になる事は皆無に等しい。故に、もし霊力が0になっても多大過ぎる魔力がある為自分の体力が減っている事に気付かない。」
黎明はこくこくと頷いている。授業風景の様だ。神無月は続ける。
「これは霊力でも然りだ。だが、霊刀、宝刀、龍刀云々を持つ、即ち霊的力を持っている刀を持つためには沢山の霊力が必要だ…まぁ、それは置いといて。」
神無月は『魔力』と『霊力』が書かれた円の隣にまた『霊力』を大きく書き、『魔力』を小さく書いた。
「それでだな、300年程前からこれを『科学』に混ぜられないか、という考え方が生まれたんだ。『魔力』と『科学』。『霊力』と『科学』のハイブリッドをな。」
円がどんどん増えていく。その中に同じ手順で書かれていく。
「だが、それは難しかった。『魔力』と『霊力』は、人の体に宿る物。それをそのままの形で引き出すと言う事は不可能だった。その後、『魔力』と『霊力』を合わせる実験もなされたが、『魔力』と『霊力』は片方が少ないという事実によって成立するものだった。其処からもう誰も研究をしなかった。」
神無月は書く手を止めて話を続けた。
「しかし、大昔、ある研究者が『月の都』の書物を100冊見つけた。ぼろぼろで、何が書かれているか分からなかったが、数年かけて解読が続いた。そしてハイブリッドを生成する方法が見つかった。」
黎明が目を輝かせる。それに対して神無月は苦しそうな顔をした。
「……………綺麗な話では無いが、『魔力』、『霊力』を保持する人間を殺せば結晶が出て来るそうだ。黒い六角形のな。」
神無月が絵を描いて黎明に見せる。そして話は続く。
「それを精製して透明の結晶にし、不思議な作りをした機械にぶち込むと『魔力』それか『霊力』との『科学』のハイブリッドが出来たそうだ。今よりも数倍便利で、この世の中がずっと続くことを望んだ人達も多かったことだろうな。」
黎明は悲しそうな顔をして神無月に言った。
「と言うことは……魔法使いや霊力保持者が皆殺されてしまったのですわね……。」
神無月がこくりと頷く。
「勿論、そんな大虐殺が起こって黙っていられる訳があるまい。魔法使いや霊力保持者は反乱を起こした。…その筆頭は、『蓬莱夕霧』だった。」
神無月が少し詰まって言った。黎明が気付いた様に言う。
「もしかして……!刺客を送ってきたのも、もしかしての新しい企てのせいなのですか……?」
神無月が厳かに言った。
「まぁ、その可能性は充分にある。それで少し話がそれたな。書物は全て燃やされ、その後700年程は姿を見せなかった。双子共々な。」
黎明は不思議そうに問うた。
「蓬莱蚩尤様って、そんなに薄情なお方なのでしょうか?とても優しいお方なのに、どうして魔法使いや霊力保持者だけ…?」
神無月が答える。
「そうだな。『月の都』が滅びた原因は全く不明だが、己の出る幕は終わったと思ったのだろうな。」
あぁ、それで、と神無月が続ける。
「かなり話が逸れてしまった。その燃やされた書物の中には、まだ発見出来ていない物質や、過去の事まで書いてあった。そして驚くべき事はこれだ。」
神無月は沢山の円を点と点を結んでぐるりと一周にする。そして続けた。
「…『月の都』の先端技術は、『魔力』、『霊力』、『科学』……それら全てを集め、その上大虐殺も起きずに力を引き出せる事が出来た。故に、この標高5000mでも息ができるし、温かいそうだ。」
神無月が一面に広がる空と海を見る。黎明が問う。
「はい!質問ですわ!」
「どうした?」
黎明は笑顔で問う。
「こんな大きくて白い浮島なのに、どうして人々は気付かないのでしょう?」
神無月は応える。
「それはだな、この白い石自体見える物では無いらしい。視認出来ている理由は、特定のワープホールで此処まで飛ぶ事が視認の条件だった筈だ。そのワープホールも今の技術では作り得ない霊力の塊だな。」
黎明が不思議そうな顔をして問う。
「……神無月お兄様、とても『月の都』にお詳しいのですわね。どうしてですの?」
神無月は少し目を細めて、ふっ、と笑った。
「………少し、興味が湧いただけだ。」
「でーらぁーれぇーなぁーいー!」
「成人男性が聞いて呆れますよ。」
朧が駄々を捏ねる。もう毎度の事だ。蓮花達の周りには立方体の緑色の岩壁が囲っていた。朧が言った。
「…早々に出ないとこれは不味いんだよね…。」
蓮花が問う。
「何故です?」
朧はニヤリと笑って言った。
「あのね、これは有名な拷問方法なんだけど、人間はずっと緑色のものを見ていると赤いものが見たくなってくるの。だから緑一色の部屋に人間とカッターナイフを入れて……ね?もう分かったでしょう?」
そして続ける。
「だからね、蓮花ちゃん。その後ろに隠してあるナイフを私に渡してくれないかな?」
蓮花が慌てる。
「…え、あ、それは。」
「は〜い没収〜♪」
蓮花の手からナイフを取ると、朧が続ける。
「人間は本当にこういう事があるから困るね!」
蓮花が疑問の目で問う。
「…朧さんも、人間じゃないんですか。」
朧は笑いながら少し振り向く。
「さぁ、ねぇ?強いていえば人間の成損ないかな。」
蓮花がふぅ、と溜息をつく。ゆらり、上を見上げた時だった。
「朧さん、あれ、何でしょう?」
「ん〜?どれどれー?」
天井に突起がある。釦の様だ。朧が言った。
「あれ、ちょっと押してみようか。」
蓮花が反論する。
「え……。で、でももし毒ガスだったりとかしたら…!」
蓮花が恐怖の目で朧を見据える。
「…………まぁ、その時はその時でしょう。」
瞬間、朧の手から蓮花のナイフが出でる。ナイフはかん、と天井に当たり釦を押した。蓮花が言う。
「朧さんって射的技術物凄いですよね。」
「まぁねぇ…。」
途端、全ての壁が正方形に区切られ白く光る。一つだけでなく、無数の正方形が光る。直ぐに消え、直ぐに灯りを繰り返して50回ほどでピタリと光は止まった。そして蓮花が足を踏み出した瞬間だった。
「えっ!?これ、なんですか!」
区切られた正方形が白く光る。考え込みながら朧が言った。
「恐らく……。順番に押していくとこの扉は開く仕組みなんだろうね。」
朧はにやりと笑う。
「ねぇ、蓮花ちゃんは覚えた?」
蓮花が言った。その顔は呆れていて。
「朧さんはもう覚えてるでしょう。」
相手はさも当然そうに言った。
「もっちろん!まぁ、早くしないと色々危ない選手権1位を取る君がどうにかなっちゃいそうだからね。」
蓮花が反論する。
「その『色々危ない選手権』って何ですか!というか私が1位なら朧さんはチャンピオンですよ!」
朧は口を尖らせる。
「…私はワースト1位だもん。」
成人男性が、再び駄々をこね始める。
「兄様は恐らく此処に居らっしゃいますわ。」
崩れた都を歩く。時折風化しきって原型をも留めぬ骨が辺りに散乱している。ぎゃり、ぎゃり、と砂利の音が響く。神無月が問う。
「何故わかる?」
黎明は分かりきったように返した。
「基本的に魔法が使われた後は、魔力の粒子……光の粒の様なものが見える場合があるのですわ。」
神無月がうんうんと頷く。黎明が続ける。
「それを追っていけば執行者の近くまで辿り着くことが出来るので御座います。けれども私は魔力の量が少ないのですわ。だから身内の魔力の痕跡位しか分からないので御座います。」
神無月が不思議そうに言った。
「なら何故この崩れ去った場所に彼奴が居るのだ。用なぞ無いだろうに。」
黎明が心底呆れたふうに言った。
「……兄様の事ですから、己で全て終わらせてしまおうとでも思ったのでございましょう。あんの愚兄が。」
思い出すら朽ち落ちるこの場所には、屋敷があった。半分程崩れ落ちて居るが、書物累々が転がっている。黎明が言った。
「覗いてみましょう。何か手がかりがあるかもしれませんわ。」
間髪入れずに神無月は問う。
「本音は?」
「中身が気になるだけですわね。」
黎明は書物を拾いながら話し始めた。
「この前、兄様の部屋を掃除したんです。断りも勿論入れて、ですわ。」
「そうか。」
神無月も地下に何か無いか探し始める。
「…掃除しましたの。そうしたらあの愚兄のベッドの下には……。」
神無月がゆっくりと顔を上げる。黎明が息を飲んで言った。
「………………町中の女性の連絡先が書いてある紙があって。あと住所も。」
神無月は黎明に近付いて問う。
「そ、それでどうした?」
どきどきと、鼓動の音が聞こえる。
「え、えぇ!勿論、目の前で燃やしましたわ。でもあの糞兄貴は!」
黎明が悔しそうに言う。
「顔色を一つも変えずに『黎明もまだまだだね。それのコピーならあと1659枚位あるよ』って。1659枚ですわ。位じゃなくて完璧に数を把握してるんじゃありませんか!もう!神無月お兄様!一体どうすれば良いのでしょう!?」
神無月が真剣そうに言った。
「…もう焼くか?」
黎明は笑顔で言う。
「焼いても復活するので5日ほど火炙りにして下さいませ。」
神無月がぽん、と手をついた。
「それはそうしよう。そのベッドの下で、で思い出した。此処には地下の地下がある様だ。」
黎明が不思議そうに問う。
「地下の、地下?」
「そうだ。地下の一室のど真ん中に四角い地下に行く様の穴があってだな。其処の先にはまだ行っていないんだが……来るか?」
黎明は笑顔で言った。
「えぇ!勿論ですわ!中身が気になりますものね!えっと、こっちの方にまだカンテラがあったはず……。」
黎明は近くのタンスをがさごそと調べると
「ありましたわ!」
と、叫んだ。黎明は金銀瑠璃が散りばめられた四角い金で出来たカンテラを見せて喜ぶ。芯の部分に日を灯すと周りには宝石の輝きが床に散らばった。神無月が言う。
「これは恐らく……観賞用の物だな。一応使えるようだが。」
黎明はこくりと頷いて地下へ向かう。しかし地下の入口で黎明は神無月にカンテラを渡した。
「どうした?」
黎明はどぎまぎしながら応えた。
「ちょっと、怖いですわ…。」
神無月は微笑むと、黎明の手を握った。そして地下へと潜って行く。かつーん、かつーん、と踵の音が響く。階段の先には石造りの、文字は読めないが恐らくは洋酒貯蔵室があった。そこを開ける。ぎぎー、と軋んだ音が辺りへ響く。黎明は神無月の手にしがみついて居る。神無月が問うた。
「……そんなに怖いなら待っていても良かったんだぞ?」
黎明は慌てて返答する。声が震えていた。
「そそそそ、んなここと、できる訳、なないでしゃ、う?」
涙目だ。神無月は無表情のまま洋酒の瓶がばらばらになっている床を見た。洋酒が床に染みて各々の模様を作っている。黄ばんだ古い匂いがした。ぱきん、ぱきん、となる床をゆっくりと進む。奥に取っ手の付いた木の板を上げた。そこの見えぬ奈落が口をぽっかり開けていた。その瞬間カンテラの灯火が消えた。
「きゃっ!」
黎明が悲鳴を上げた。神無月が慌てて居る黎明を抱きしめる。
「落ち着け。深呼吸しろ。俺が居るからな。」
ふるふると、黎明は震える。神無月は目を細めた。黎明は、戦争のトラウマで暗い所が苦手とは朧から聞いていたが、此処までとは。
「俺はここに居る。黎明のそばに居る。朧も、蓮花もここに居る。皆ここに居るんだ。」
過呼吸が、黎明を襲う。助けを乞う目で神無月を見る。ポロポロの雫が零れる。
「お、にい、さま、死ぬ、し、じゃ、い、ます、わ、た、くし、たすけ、て!」
神無月は狼狽しなかった。逆に微笑んで、黎明に言う。
「良いか?ゆーっくり、息を吸え。」
黎明は意識が朦朧としている様子だ。
「いや、む、り、しに、たくな、いで、す、う、あ、ひぃ、くるし、い。」
嗚咽を混ぜて黎明は話す。神無月は黎明のフリルの沢山付いた背中に手を当ててゆっくりと上下する。
「大丈夫だ。浅く吸って、顔を上に上げろ。浅く息をするんだ。」
神無月は無理矢理、黎明の顔を上げると、呼吸を促す。
「う、は、あ…。」
蒼玉の目から水晶が絶え間なく流れる。口からは少しの唾液が流れ落ちる。少し弱まった時に、神無月が言った。
「そのまま、ゆっくり、息をしろ。呼吸する回数を少なくするんだ。」
黎明はゆっくりと息をする。神無月は抑えていた黎明の顔を下ろすと、黎明の身長の高さにしゃがんだ。笑顔で問う。
「…落ち着いたか?」
黎明は泣きながら神無月に抱きついた。
「う、ぁぁぁぁ!!怖かった、怖かったよぉ!」
神無月は驚きながらも黎明を抱きしめる。泣きじゃくりながら神無月の服を掴んでいる。
「よしよし。怖かったな。頭は痛くないか?手足のだるさは?歩けそうか?」
黎明は手で水晶を拭いながら、嗚咽をあげながら言った。
「っ、あ、だ、いじょ、ぶ、ですわ…う、ぇ…あ。」
神無月は黎明を負ぶさると、黎明が落としたカンテラを拾う。幾つかの宝石が辺りには散らばっているのを感じた。かちん、かちんと玉石同士が当たっているのを感じる。
「…よいしょ。」
神無月は宝石を一つずつ外すと、四方八方に投げ出した。黎明が問う。
「お兄様……何をしてらっしゃるのでしょう……?」
神無月は言った。
「………音で、この空間の作りを見ている。」
きん、きん、と洋酒貯蔵室の壁にあたる。一応確認しているのだ。黎明はゆっくり笑った。
「うふふ…。おんぶされたなんて、何年ぶりでしょう。」
神無月はゆっくりと地下へ歩き始める。
「…最後は何時だ?俺はされたと事が、ない。」
黎明が驚いた声で聞く。
「……された事が、御座いませんの?」
「嗚呼。した事はあるがな。」
神無月は黎明の方を見て懐かしそうに笑う。黎明が言った。
「…お兄様に、された事がありますの?」
神無月はゆっくりと笑う。
「そうだな。昔、朧が所用で街に言った時、俺と遊んだ時があった。」
黎明は不思議そうに言った。
「そんな事が?ありましたの?」
神無月は壁に手をつく。
「お前が四つの頃だからな。」
その階段へ向かう。黎明が言った。
「兄様に、最後にされたのは6歳の頃です。」
こつり、こつり、と靴の音がする。黎明の鈴の声が当たりへ響く。
「お父様と、お母様が居なくて真夜中に泣いたんです。静かに泣いているつもりでしたの。」
階段は長く、怪物が口を開けている様だ。
「そうしたら兄様が、『お外へ出よう。』って笑って。真夜中のエレクトローネを歩いていたんですの。兄様は全く歌わないのに、子守唄を歌ったのですわ。」
神無月が驚いた様に口を開く。
「子守唄?彼奴が?」
黎明は笑って言った。
「えぇ。私達の故郷に伝わる、子守唄。歩いている途中に眠たくなって、兄様が家まで連れて帰って下さいましたわ。」
そして続ける。
「題名は、確か……『星』。だった気がします。優しくて、お兄様が、強く思えて…あの時は、本当に笑ってて……あったかい……おにいさまの……子守唄……は…。」
ゆっくりと、黎明の寝息が聞こえる。神無月は笑った。その瞬間地下につく。
「仕方ないな……。」
壁に手をついて殺気を四方八方に放つ。
「前…5m机…左端クローゼット右端ベッド…以下無し…。」
机の上に本が置いたあるのを神無月は察した。ゆっくりと頁を捲る。
「…目が悪くなるな……。」
全て古代文字で書かれてあった。なぞっていく。小さく声を出して読んだ。
「『た…す……け…て。助けて…。あい……つら……は…ひどい…。あいつ……らは……ほ…らい…のいち…ぞくは………おれ…たち…ころす…!』…………!」
神無月は驚愕を隠せない。真後ろで深淵の怪物が喉を鳴らした。
「……。」
「朧さん?」
散々いじけて駄々を捏ねまくった朧を宥めた蓮花は、一つのオルガンの前にたった。そして朧が続ける。
「これって鳴るっぽいよね?」
「まぁ……そうですかね?」
途端、鍵盤が動き始める。朧は言った。
「あのね、私、一応、ピアノとバイオリンやってたんだけど……音符読めないんだよねぇ…。」
蓮花はぼんやりとそれを見つめた。そして音色は止まる。装飾が施された石造りの床をゆっくり歩く。鍵盤に触って、同じ曲を引き始める。
「…シラソファミミドドレミシラソミファドラソ……。」
鍵盤をカタカタと順番に叩く。そしてピタリと演奏は止まった。朧が感心して蓮花に言った。
「蓮花ちゃん、わかるの…?」
蓮花はさも当然そうに返す。
「えぇ。そんなに難しいものではありませんでしたから。」
「れ、蓮花ちゃんって、絶対音感持ってる…?」
蓮花は考えながら返した。
「ええっと……そうなのでしょうかね?」
がちゃん、重たい扉が開く。目の前に城下町が開けた。朧は言う。
「ねぇ蓮花ちゃん。ここって明らかに王城ぽかったよね?」
蓮花と朧は城下の方向へ向かう。そして蓮花は塔を見上げた。
「それは私もそう思います。私は最初これが城だとてっきり思っていたのですが…どうやら違うようですね。」
城下町の向こう側には、また巨塔がある。
「取り敢えず、歩いてみようか。」
朧が言った。
「えぇ。…………あの、あの人影は?もうこういう城あるあるの昔の文明で作られた兵士は嫌ですよ。」
「長いね。でも、あれ人じゃない?」
朧と蓮花は、その人影の方向へと歩き出す。朧が声を上げた。
「…か、神無月!何で黎明と一緒に!?」
神無月は黎明を背負いながら返答した。
「その説明は後だ。……何か来るぞ!」
神無月は険しい顔をしながら朧の方へ下がる。朧に黎明を渡して刀に手をかけた。そのままゆっくりと歩く。当たりの空気が張り詰めた瞬間だった。神無月は抜刀する。
「あっは〜!みっかっちゃったー!」
刀の切っ先は喉に当たり、血が出ている。
「ぴかりだよぉ〜!」
神無月は言った。
「…貴様の顔は2度と拝みたくないんだがな。」
神無月は朧に目配せすると、先に行けと命じた。ぴかりはそれを読む。
「そうはさせないよぉ?」
至極色の精霊収集機が幾つにも分裂して、投げナイフに変形する。それを3人目掛けて飛ばす。
「はぁっ!」
蓮花は精霊収集機を刀に変形させて全て捌く。蓮花は弾幕を投げる。朧が声を出す。
「何で弾幕なんか持ってるの…。」
「成り行きです!」
「ちょっと無茶あるでしょう!」
神無月は人の声が遠くになったのを見計らってぴかりに攻撃する。相手も同じ刀だ。ぴかりが言った。
「ね、ぴかりん、貴方に会ったこと、あるのー?」
神無月は表情をも変えずに言った。
「…無い。」
さて、と神無月は嗤う。
「早く終わらして仕舞わないとなぁ…!」
ぴかりは笑ったまま言った。
「貴方、戦闘狂?なのー?」
神無月は視線を零度にして言った。
「…良く言われるが、なんの事か分からんのだが。」
神無月は腕を捲ると、刀で腕を傷つけ、呪文を唱える。
「忌まわしきこの血を纏う宝刀よ。神無月の名において、邪を目覚めさせん!」
ばりばりと、雷の様な音を立てて『邪』と名のついた『何か』がぴかりを襲う。
「きゃははー!すごーい!」
しかしぴかりは全て捌く。
「まだまだだよー!」
刀を媒介にした『何か』は、攻撃の手を休めようとしない。神無月が唖然として言った。
「凄いな……これを使えば貴様は死ぬと思ったのだが。必殺技だから、必殺な筈なんだ…。」
「ねぇ、君何言ってるかわかんないよー?」
神無月は一つため息をついて言った。
「仕方ないな……。…急急如律令、業火の陣!」
ぴかりのぐるりに火柱が廻る。それは檻になって、ぴかりは動けない。ぴかりは驚いた声を出す。
「どーしてぇー?ほーこくしょにはー貴方術使えなーいってー!書いたあったよぉー。」
神無月は冷静に返す。
「…俺も刀だけでは駄目だと思ったからな。」
そして神無月は2つの術を繰り出しつつ媒介にしていた刀を手に戻す。
「…深淵の業火、黄泉比良坂の主、揺らめく灯篭。」
神無月はゆらり、舞う。ぴかりは叫ぶ。
「いやだ!やめて!それをやったら!ぴかりは殺される!」
その声に、ピタリと神無月は停止した。そして聞き返す。
「…殺される、だとぉ?何を戯けた事を言っている。」
「あ、あのね!これは本当なの!蓬莱様は、負けてしまった部下を、1度は許すけど2度目は殺される!」
神無月は冷静に返した。
「…ならば今此処で、燃やされてしまった方が楽だろう?」
ぴかりは必死で訴えた。
「やめて!お願い助けて!」
神無月は言った。
「…消し炭になれ。」
ぴかりの絶叫が当たりへ響く。相手は目を瞑り、耳に手を当てて己の死を実感したくない様だった。炎はぴかりを焼く。神無月は血濡れた刀を拭き、鞘に収めた。
「へ……あ、なんで……。」
ぴかりは信じられぬという顔で神無月を拝んだ。仕方なさそうに神無月は言った。
「…貴様、気付かんかったのか。」
「気付かないって…?」
ぴかりは不思議そうに返した。
「その精霊収集機は紛い物だ。場所が分かるように設定されている。それを俺は焼いた。それだけの話だ。」
「うそ…?」
神無月は片眉上げて言う。
「嘘なぞ言うか。偽物の精霊収集機が何故動く事が出来たのかは心底興味が湧かないが、逃げるなら今のうちだぞ?」
ぴかりは目をぱちぱちと瞬かせる。そして神無月はぴかりの横を歩きながら言った。振り返る。
「…賢くなれ。ただ賢くなるだけじゃない。人間的に賢くなるんだ。聡明に生きろ。」
神無月は手をひらひらさせて笑った。ぴかりは立ち上がる。
「…そうすれば、来世の道は保証してやろう。」
だから、と己よりも7つ程下の少女に言った。
「この瞬間、『ぴかり』は死んだ。新しい人間として生きるんだな。」
ぴかりーーー少女は声を上げた。
「なら、あたらしい名前がほしいの。ぴかり……わたしには、そんなこと決められないから。」
神無月は眉を潜めた。
「…俺が決めても良いのか……?」
少女は硬い表情で神無月を見た。そして少し考えた後、神無月はこう言い放った。
「…そうだな…お前の名前は、これから『透ノ宮 陽子』だ。透ノ宮家の暁の名前。」
少女ーーー陽子はくすくす笑った。
「そんな大事な大きななまえ、もらっていいの?」
神無月は歩き出していた。そして言った。
「そっちの方が貴様は勉学に励むだろう?」
その顔は、確かに微笑んでいた。
朧達は無理矢理入った城の入口でうろうろしていた。
「ねぇ…暗くない?」
「気の所為ですよ……あ……なんかあれ…。ねぇ、黎明。」
蓮花は目が覚めた黎明を呼ぶ。
「あ…人影…。」
朧は怯えながら言った。
「…驚かそうって言ったって!無駄だからね!怖くないから!」
蓮花は半ば呆れながら言った。
「………冗談ですよ。あとその体で怖くないとか言われても……。」
黎明は笑う。
「ね、兄様は幽霊が苦手でしょう?」
「冗談も程々にしてね……?」
蓮花が言った。
「…本当に怖いんですね。」
「うん。怖い。」
奥は真っ暗。入口をうろうろしているだけだ。蓮花が言った。
「朧さん、奥、照らしてもらえますか?」
朧は気まずそうに言った。
「……結論から言うと、無理なんだよねぇ。」
蓮花が問いただす。
「は…?…何で…?女誑しの朧さんにとってはそれが一番の武器なのでは…?」
朧が応える。
「女誑しなのは誇りだから良いんだけど……あのね、魔法は精霊とか累々集めて使うものなんだけど、此処は物凄くその累々が集まりにくい……即ち纏まりにくいんだよね…。」
蓮花が一息置いて返す。
「じゃあ、奥を照らす事は出来ないんですね。…………あ、じゃあ精霊収集機も使えないんですか…。」
朧は仕方なさそうに言う。
「そうだね。困ったな…。神無月が来れば良いのに……。」
神無月が問う。
「本音は?」
「存分に使いたらしめる……って!神無月居たの!?」
呆れて神無月は言った。
「数秒程前から。」
朧が声を上げた。
「じゃあ、奥照らしたり出来る?神無月は霊力保持者だから火とか出せると思うんだけど…。」
神無月は表情を変えずに言った。
「……此処を燃やす選択肢ぐらいか?」
「なるべく燃やさない傾向でお願いするよ。」
神無月は顎に手を当てて言った。
「いっその事……壊すか?」
黎明は言った。
「それもやめて下さいまし。」
朧は考え込む。
「さてはて…どうするか…。蓮花ちゃんは精霊収集機使えない?というか今さっき使えたよね?」
蓮花は無表情で言った。
「あれは叫んだら出来ましたけど…多分極限状態とか、ピンチにならないと発動出来ないみたいです。今は全く反応がないというか…。」
朧は笑う。
「わかったよ蓮花ちゃん!君をピンチにすればいいだよね!ほらこっちおいで!」
「刺していいなら行きますよ。」
蓮花の絶対零度の視線で朧を射抜く。蓮花が呟く。
「『言った事が本当になる能力』、早く使えるようになりたいんですけど…。」
朧がボソリと呟いた。
「……まぁ、私が死なぬ限りは無理なんだけどね。」
黎明が問う。
「兄様、何か言いました?」
「ううん。何でもない。」
朧は笑顔で誤魔化す。神無月が提案した。
「外に出てみた方がいいんじゃないか?他から入れるかもしれん。」
「そうだね。」
朧は石造りのタイルに足を出した瞬間だった。
「うわ…何これ…。」
突然、目の前に壁が落ちる。
「じゃ、じゃ……この暗闇歩けって言うの?もう真っ暗闇で何処に何があるかも分かんないのに……?」
朧は唖然とする。神無月は遠くを見つめて言った。
「……軽く、30mは有るだろうな。」
「取り敢えず進みましょう。話はそれからですね。」
神無月が遮るように言った。
「やめておけ。何処に罠があるかわからん。」
神無月は考え込む。そして言った。
「………策が無い訳でも無い…が。勧めはせんな…。」
蓮花が問う。
「え!?何があるんですか!」
渋々神無月は言う。
「……精霊収集機を無理矢理発動させれば、燐光が起こるそうだ。だが無理矢理だから、霊力は直ぐに消費する。そして体力を蝕む。蓮花は霊力の量が多いから、減っている事に気付かない可能性が有るんだが……それでも」
神無月の発言を朧が遮った。
「未成年だよ。……そんな無理は出来ない。」
今にも喧嘩を起こしそうな兄達を黎明はハラハラしながら見ている。蓮花は片眉上げて言った。
「良いですよ。やりますから。」
朧は笑って目を澱ませる。
「…君のそういうとこ、大嫌い。」
蓮花も負けず劣らず返す。
「朧さんもそういう所ありますよ?」
神無月が肩を竦めて笑って言った。
「どうやら蓮花の方が1枚上手だな。」
朧は嗤いながら言った。
「はぁ…。」
蓮花は1歩踏み出す。そして息を吸って言った。
「……精霊収集機。頑張って。」
ばちん、と静電気の大きな音がして、燐光が通路を照らす。蓮花は笑顔で返す。
「…さぁ、行きましょう?」
朧が手をひらひらさせて言った。
「君が笑顔でいる時は心底心配になるんだけど?」
蓮花がため息を付いて返す。
「心配し過ぎですよ。……あんなに暗い所怖がってた癖に。」
朧は笑顔で問い返す。
「何か言ったぁ?」
蓮花は綺麗な笑顔で返す。
「いいえ。何も。…精霊収集機。読み取って。」
ふわり、浮いていた精霊収集機が地面に吸い込まれて精霊収集機の波動が広がる。神無月が問う。
「何をしたんだ?」
蓮花はくるりと振り向くと言った。
「あー…えっとですね。精霊収集機の波動となるべく同調して、この通路の作りとやらが分からないかな、なんて。」
朧が片眉上げて言う。
「…結局疲れてるんでしょ?」
蓮花は無表情で答えた。そして目を瞑る。
「え、まぁ。……出来た。この道の先の途中に一つの部屋がありますよ。曲がるみたいです。何か、真ん中に何かありますけど…。罠じゃ無さそうです。」
その瞬間、ぐらり蓮花が倒れる。膝を付いてギリギリを保つ。
「……これは、霊力の消費じゃない!何か、来る!」
蓮花は道の向こうを見据える。蓮花は続ける。
「朧さん!部屋が消えました!えっと、正しく言うと部屋は消えてないんです。扉が落ちた感じで。向こう側に扉が上がって…その先は同調出来ないんです!」
朧は訝しげに問う。
「…部屋が、消えた?……まさか!」
朧は前を見据える。蓮花を後ろへ控えると、目を細めて呪文を唱える。
「……白き創造神よ。その姿を我が身に写せ。」
蓮花が目を見開く。
「そんな事したら……!朧さんの体が!」
朧は仕方なさそうに笑うと、相手を見据える。その瞬間朧は吐血する。大量の血がダラダラと流れる。生暖かい液体が蓮花に少しかかる。
「朧さん!ここは…私が!」
朧は直ぐに否定する。
「却下。……これは、私がする。そうあの人と約束したから。」
そして叫ぶ。目の前には少し小さい四足の創造神。
「我が下僕、『ラプラスの魔物』!」
朧は一拍置いて叫ぶ。
「……私の大切な人達の命を、全力で守れ!絶対に傷付けるな!」
物凄い剣幕で叫ぶ。蓮花をお姫様抱っこをしながら壁の方を見る。
「…壊れろ。」
手にはオレンジの魔法陣。壁は粉に変わる。そして外へ向かう。城下町へと走る途中に、黒い霧が起こる。黎明が言った。
「『マクスウェルの悪魔』!科戸の風を吹かせ!清き、悪霊祓いの風!」
蓮花は朧の顔を恐る恐る覗く。聞こえぬ様に言った。
「な……何で…。」
そして続ける。
「わら、ってる…ん…ですか…?」
右目は獣の如く光り、左目は淀む。口は三日月に走っている。蓮花はそれに気付いた瞬間、悪寒が走るのを感じた。朧は物陰に蓮花を隠すとそのまま走り出す。蓮花を立ち上がろうとするが、膝から踝に掛けて血がダラダラと流れている。だけど、これは、
「傷だけの、せいじゃない……!」
あの顔が、畏れ、だった。蓮花は血が流れている方の傷を叩く。
「立って!立ってよ!ねぇ!なんで……!何で最初に信じた相手を!その思いを貫け無いんだ!立て!お願いだから!」
ボロボロと涙が流れていくのを感じる。戦っている音が聞こえる。精霊収集機を握って叫ぶ。
「御手洗の名において命ずる!我に力を貸せ!」
蒼い光が生まれて、その中には扇子が有った。扇面は淡い青地に、白い天女が踊っている。それはまるで剣舞のような、しかし舞っていると言う中間。手には玉石が付き、その先には重そうな刀を片手に持っている。天女は黒髪で、牡丹色の唇しか見えない。周りには白木蓮が咲いている。
そして扇子の要の先には、蒼い宝玉が有った。蓮花は感嘆のため息を付くと、こう言った。
「今までの、青いラインの入った銀色の武器じゃない…これはもしかしたら…現状を打破するかも知れません。」
蓮花は怪我の痛みすら忘れて走り出す。道には血が飛び散る、黒霧は舞う。随分と高い所に来ていた様で、上から城下町が見える。蓮花は苦虫を潰した様な顔をしてパルクールを駆使し、くるくると降りる。霧が蠢く様に濃くなっている部分があった。周りには誰もいない。でも、あの真ん中には己の意思を貫くべき相手がいる。
「くるし…い!けど!」
蓮花は息を吸って脳に駆け巡る言葉を纏める。ゆっくりと歩き始める。足を1歩ずつ踏み出して、扇子を上に上げて。母親に貰った唯一の物を。
「…光より舞い降りたち白鳥よ、開けよ黒よ、暴けよ光、暁の夜明けの名よ、身を焼いた聖なる天女よ。黒霧を晴らせたもう!」
知っていた。母さんが私にくれた『子守唄』。でも、どうして母さんは精霊収集機を持っていたのだろうか。
「朧さん!」
蓮花は力一杯叫ぶ。その声に呼応する様に扇子から天女が出でる。剣舞は黒霧は全て晴らして、正に命を絶たせようとしていた朧が居た。その瞬間我に返ったように短剣が落ちる。吐血が再開する、傷が開く。
「朧さん!何してるんですか!どうして…あの人を殺す様な事を……!それにこんな怪我を!」
吐血を収めると朧は笑った。
「ふぅ……まだ傷が塞いで無かったか…。」
その言葉を聞いた霧の向こう側に居た黎明が物凄い剣幕で朧の胸ぐらを掴む。そして叫んだ。
「何故傷ができた事が言わぬのですか!兄様!」
朧はヘラっとしたままで応える。
「ごめんごめん。黎明に心配かけたくなくてさ。」
黎明は目を見開く。そして怒気を剥き出しにして言った。
「………『心配かけたくなかった』?」
そして黎明は首を絞めるような勢いで胸ぐらを掴む。
「私は!兄様の妹ですわ!兄様の最後の家族です!私の家族は兄様だけです!」
水晶が蒼玉の瞳から溢れる。
「私は!兄様が居なくなったら、独りぼっち、家族は誰も居ないんですよ!」
朧は心底反省して謝る。
「……ごめんなさい。」
蓮花は神無月の方向を見る。無表情だが、刀に手をかけているあたり、かなり立腹状態だ。黎明は質問し直す。
「で。兄様、傷は何処で付けたのですか?」
朧は渋々テュエの話を始める。
「ちょっと、夕霧の手下のキラーに会ってね。早く終わらせたかったから。使ったんだよ。血の呪い。」
黎明は目を見開いて言った。
「呆れましたわ。血の呪いですって?それで傷が出来た、と?」
「うん…まぁ、そうかな。」
まるで親子だ。蓮花が問う。
「その、『血の呪い』って何ですか?」
黎明が返答をする。
「血の呪いと言うのは、血を使って相手を攻撃するのです。血液を大量消費する上、血を使ったと言う罪により、執行中は執行者の攻撃が止みませんわ。けれどもこの魔法は、攻撃力が飛び抜けて一番強いのです。」
そして呆れて朧を睨む。
「そしてこんの愚兄は……全く…1度人生をやり直した方が良いと思いますわ。前の正座の刑にもっと罰せれば良かったですわ。」
朧は黎明の顔色を伺いながら言う。
「それは止めて…あと……ごめん、なさい。」
黎明は霧がまだ残っている方を睨んだ。
「……この、忙しい時に…!」
黎明は日傘をフランベルジュに変えると、こつ、こつ、と歩みを進める。
「あたし、ポルカ。」
黎明は俯いて続ける。
「存じ上げておりますわ。…して、何故このような場所に?早々にお帰り頂くと嬉しゅうございます。」
顔を上げて、相手を睨む。ポルカは笑った。
「今度こそ、始末する。それ、命令。」
黎明の纏う空気が変わった。ポルカの方へ足を進める。すす、と剣を引き摺る音がする。黎明の目には光がない。ポルカはぼやく。
「そんなのおいて、にげればいいのに。かぞくなんて、かわり、がいるで、しょ?」
黎明が続ける。
「家族には代わりが居ない。」
ポルカを見据えて黎明は言った。
「そんなの、当たり前で御座いましょう?」
ぶわり、殺気が舞う。それにポルカはたじろいだ。
「……あたしには、かわりいる。なんにん、も。」
黎明が訝しげに問う。
「何人も?それは…どういう?」
ポルカが半ば諦めた状態で話し始めた。
「あたしたちは、作られた。」
涙を落として話し始める。
「ぴかりは、人間。テュエは、ロボット。スティルは、人間だけど、感情、無い。あたしは人造、人間。すうじつまえ、書類に、書いてあったの、読んだ。」
ボロボロと涙を流して続ける。
「でも、皆、生きたい!死にたくない!みんな、みんな!生き、たいの!めいれい、背くと!死んじゃうの!だから!」
ポルカは泣きながら続ける。
「あなたを!ころす!」
ポルカのブレブレの攻撃を黎明は容易く避ける。そして黎明は残酷な事を言った。
「もし、貴女が何人も居るのなら。」
ゆっくりと顔を上げる。
「貴女を消したって、構いませんわよね?」
その瞬間朧がため息を付きながらゆっくりと歩みを進める。そして黎明の肩に手を置いた。
「黎明、私はね。」
今にも消されそうな殺気が飛ぶ。
「お前に、人を殺せ、なんて事は、1回も、言った事が無いよ?」
その言葉に慄いて黎明は剣を落とした。朧は神無月の方を向くと、問う。
「ねぇ神無月。何か方法無いかなぁ。」
神無月が考える。
「縁を斬るのはどうだ?」
「…へ?」
ポルカは間の抜けた声を出す。そして神無月に問う。
「えにし、って何?」
神無月は腕を組みながら話す。
「縁というのはだな、その人その人を繋げている糸のような物だ。…単純に言うと『運命の赤い糸』みたいな物だな。」
ポルカが俯きながら呟く。
「でも、あたしは夕霧様が、好き。育ててくれたから。それでも、あたし、生きたい。」
ポルカが問う。
「どうすればいい?」
神無月が返答する。
「そうだな…お前の分身を消して来い。」
「うん、分かった!」
ポルカは目の前で笑った。そして駆けていく。ポルカが遠くへ飛んで言った後だった。神無月が呟いた。
「結論から言うと、彼奴は死ぬ。」
蓮花が目を見開いて問う。
「なんで…助けるって!」
神無月が柄に手をかけると、ゆっくりと話し始めた。
「……………人造人間は、生きる為に生まれてきたわけじゃない。使われる為に生まれてきたんだ。主人の為に。」
蓮花が反論する。
「それが、どうしたって言うんですか!あんな、仕打ちをして…。」
神無月がぽつりと呟く。
「まぁ聞け。故に、主人に逆らうとそれはもう人造人間じゃない。だから主人は自我を持つ事を確認したら、人造人間の肉体が崩壊するチップを入れるそうだ。」
朧が続けた。
「でね、その自我の確認は3日間に渡って行われる。あの少女は『数日前』と言った。基本的には人造人間と普通の人間の時間の進み具合は同じだ。昨日の事を『数日前』なんて言わない。だから、あの子は今日、消滅する事が予想出来る。」
一拍置いて朧が続ける。
「…そして、あの子の言葉は物凄くたどたどしかった。おそらく造られてまだ日が浅いんだろうね。」
蓮花が悲しそうに問う。
「でも、もうあの子の一人称は『あたし』でした。それでもう自我は芽生えているのでは?」
朧は此処に居ない誰かに向かって嗤う。
「それは一種の『キャラ設定』、という奴さ。人造人間は主人の対。主人がそれを決める。人造人間は何時もロボットで、主人の言う事を聞いて、従順で、下僕で、」
「やめて!」
蓮花が叫ぶ。朧は言いすぎたとばかりに蓮花の頭を撫でた。
「ごめんね。でも、これが真実だ。」
蓮花にはその手が、絶対零度の如く感じた。
つー、つー、と規則正しく機械が音を刻む。暗く、青い光だけがその空間を支配していた。スティルは言った。
「…テメーも結局は、裏切るのかよ。」
目の前にはポルカのクローン体四体が液体に満たされた黒い筒に足を折って入っている。その前にはポルカの死体。ポルカが押したかったであろうボタンは、四体のクローン体を皆、殺すボタン。そのボタンに手をかけてポルカはだらりと目を見開いて死んでいる。
「…皆で幸せになるって話じゃねぇのか…。」
数時間前。この要塞に侵入者がいる。そんな話を聞いたあと、皆で逃げる事にした。侵入者を倒した後に。
「……オレも、地上で過ごしたかった。そうだ、ぴかり……ぴかりは、無事に逃げた。彼奴だけしか、きっと逃げられねぇ。末っ子の彼奴しか。」
スティルはそう言いながら、ポルカのうなじの皮を捲った。その中には小さいメモリの様なものがある。スティルはボタン等が沢山ある計器盤に向かうと、穴の空いている所へ入れようとする。しかしスティルの頬には涙が伝っている。
「何でっ…!何で……!こんな事しても、彼奴は生き返らない…!どうして…!」
初めて、涙を流す。向こうから一番上の『兄』が来る。
「…テュエ兄、オレはもう嫌だ。」
テュエは返答する。
「知らねぇよ。オレは、夕霧様に仕えるだけだ。最初の部下として。」
スティルは無言のまま、その部屋を後にした。
「本当に、ぶっ壊れましたね。」
朧達は先ほどぶち壊した壁の奥の部屋に向かっていた。壁が壊れたので通路は明るく迄はいかないが、仄暗い。蓮花が問う。
「というか、何故お姫様抱っこをしたんですか……?」
朧は当然とばかりに返す。
「え?普通でしょ?抱っこする時はお姫様抱っこって。セオリーじゃない?」
黎明は呆れて蓮花に言った。
「兄様は女誑しなのでこういう常識が通じないので御座いますわ。」
それを聞いて蓮花は呆れのため息を流す。そうこうしている内に小部屋に着いた。緑色の部屋に、珊瑚色の結晶がある。
「……なんなんですか、この国の皆さん緑色が好きだったんですか。」
「…そうなんじゃない?」
朧が棒読みで応える。蓮花はゆっくりとその結晶を触る、朧が止める。
「待って、罠かも!」
「これは……!」
蓮花の前に幾重にも情景が踊る。朧が問う。
「な、何か見えてるの…?」
蓮花は結晶から手を離すと、応える。
「ええっと、沢山の景色が見えました。」
朧の頭の上にハテナマークが出来る。そしてそのまま光る結晶を触る。神無月と黎明も触る。
「…凄い。」
朧は感嘆のため息を付く。そして目を潜めて言った。
「この…一人称がわちきの黒髪超絶美人は…もしや…糞お師匠様……?あの…呑んだくれが……?」
「…割と褒めてるじゃありませんか。」
朧が結晶から手を離して蓮花に言った。
「いや、本当に美人なんだよ。あれを見て惚れぬ相手など居ないと言われているからね。でもね、性格が納豆の如く腐ってるよ。」
「な、なっとう…。」
蓮花が呆れる。神無月が言う。
「これは、途中で終わってるぞ。」
蓮花が問う。黎明はその目の前の情景に魅入っていた。
「何やら、炎取り巻く都市の中であの双子が都市の際で口論か何かをしている所で終わっている。」
朧の声色が感嘆に染まる。
「凄いねぇ…神無月。私なんか皆が幸せそうにしている所ぐらいしか見えてないよ。」
「わ、私もです!」
蓮花が叫ぶ。神無月は考える仕草をして、呟く。
「…この炎は、もしかしたら反乱か戦争かもしれんな。お前が師匠と慕っていた、蓬莱蚩尤は何も言ってなかったか?」
朧は笑顔で返す。
「あの納豆の如く性格と性根が腐っている性悪野郎は何も言ってなかったよ。基本的にあの人はこの国…今さっき名前が分かったけど、『月影帝国』の事はね。」
蓮花が恐る恐る声を上げる。
「…………あの、朧さん。」
神無月も言った。
「俺も言いたい事があるんだが。一緒に言うか?蓮花。」
「えぇ、お願いします。」
そして2人は同時に言った。
「どうして、国の名前が分かるんだ?」
「どうして、国の名前が分かったんですか?」
朧は面食らった様に返す。
「え…?そんなの、読めばわか………あ。」
神無月が腕を組んで問う。
「…『月影帝国』とやらは、ルーン文字を使われていたんだぞ?解読不可能のな。」
朧が慌てて返答する。
「え、でもそんな事言ったら神無月だって古代語を…。」
「………何故俺が古代語を読んだ事を知っている?その上あれは元は地上の物だった。故に読めたのだ。考古学に興味があったからな。」
そして蓮花が付け加える。
「それに…例え文字を理解しても、その文字の文法が分からなければ言っている事もわかりません。朧さんは結晶に触ってから、超絶黒髪美人が蓬莱さんだという事を直ぐに分かったみたいですね。その上一人称が『わちき』だと。何せ千年前の事です。蓬莱双子の顔の区別がつくなんて到底思えないんですよ。映像はぼやけていたんですし。」
「う、う…。」
朧は論破寸前だ。それでも反論する。
「え、でも、ほら、お師匠様の顔をちゃんと覚えてたし、あの服装は間違いなくお師匠様だよ!」
神無月は呆れて言った。
「貴様は、つい先程、『師匠からは何も聞いていない』なぞと言ってなかったか?」
「う、う、う……。」
朧は情景を見ている黎明を引き剥がして前に出す。黎明はきょとんとした顔で2人を見詰めて言った。
「…どうなさったのですの?」
蓮花が返答する。
「朧さんが何故か知りませんがルーン文字を読めるんです。あと、神無月さんが古代語をこの国に来て読んでいた事も。その事について言及をしていまして。私は学校で名前だけ聞きました。解読不可能デマ訳本大量出版オカルトマニアの大好き文字だと。」
黎明はその言葉を聞いて兄を見る。
「兄様?何故ルーン文字など読めるのです?それにどうして神無月お兄様の事まで…。」
朧は俯いたままで応えない。神無月が思案している口調で言った。
「もしや……貴様、此処で魔法を使えるのではないか?…ルーン文字については良くわからんが。」
朧がため息を付く。
「…はぁ。神無月は勘が鋭すぎるよ。そうだよ。でも魔法は使えない。使えるのは私の『ラプラスの魔物』の力と、『マクスウェルの悪魔』だけ。あの時は非常事態だったから、何とか誤魔化せたけどもう無理だね。」
そして続ける。
「…ルーン文字は父から教えて貰った。ある時あの人が調べ物をしている際に、偶々書斎に入って。それで一切合切教えて貰ったんだよ。『役に立つから』ってね。」
黎明が声を上げた。
「お父様が!?どうして…?」
神無月も問う。
「父とは…あのお父上か?」
朧はさも当然に言う。蓮花が問う。
「あの、神無月さんはどうして朧さんのお父上をご存知なのでしょう?」
朧が言った。
「…とある理由で10年ほど花霧町に越していてね。その三年後に故郷のマグノーリエに戻ったんだよ。」
蓮花が手をぽんと叩いて言った。
「分かりました!お父様とお母様の駆け落ちですね!」
「だから何で分かるの…?」
蓮花は笑って言った。
「朧さんの遺伝子を考えれば簡単な事です!」
そして黎明の思案の声。
「…でも、どうしてお父様はルーン文字についてそんなにご存知なのでしょう?一般人はそんな事を存じないのでは?」
朧がぼんやりと空を見つめて言った。
「…あの人は一般人じゃなかった。18の頃に魔法学校に通っていて、その時にお師匠様と同じ『魔法超過』クラスだった。」
蓮花が問う。
「『魔法超過』って…?」
黎明が答えた。
「『魔法超過』というのは、普通の人間の中に潜んでいる魔力の倍……何千倍の魔力が眠っている事を言うのですわ。基本的に『魔力超過』の人間は、死んで肉体が滅んでも、魔力があまりにも多大過ぎる為、そのまま残ってしまうのです。魔力がその人間の器になりますの。蓬莱様は暇潰しに魔法学校に入学したと聞きましたわ。」
朧が続ける。
「……昔、あの2人とあと2人のメンバー、合計4人で、毎日悪事を働いていたらしい。だけどある時…ドラゴンの巣に行った時だね。死にかけたお師匠様を父が助けたそうだ。その恩をずっと取っておいて、お師匠様に私の師匠になる様にしたらしい。本当に嫌になっちゃうね。」
笑って朧は続ける。
「偽名を使ってお師匠様は入学していたけど、『魔法超過』の中でも飛び抜けて魔力があった父は、その正体に直ぐに気付いたそうだ。黙ってやるからルーン文字について教えろって散々に脅した挙句、ルーン文字について色々教えて貰ったらしい。」
黎明が口を挟む。
「我が父ながら、本当に惨いことを…。」
朧が黎明を見て言った。
「…まぁ、父上は知識に異常すぎる程貪欲だった。オーディンの如くね。あの人の知らない事なんてこの世に無いよ。あぁそう、隠してたのは父に言われてたからだからね。」
神無月が話を振り出しに戻す。
「…ルーン文字については分かった。何故俺が古代語を読んでいたか教えてもらおうか。」
朧が笑いながら言った。
「うふふ…神無月も貪欲だねぇ。理由はね、まだ魔力のスイッチ的なものを切ってなくて、この都市の大きさどれくらいかなー!とか思って見てたら神無月が恐怖の顔付きで誰かの日誌を読んでたから、それを理由におちょくろうとしたらおちょくられたね。」
朧が問う。
「何が書いてあったの?」
神無月が腕を組みながら言った。
「世界の真理が書いてあったが、途中で炭で汚れていてな。読めんかった。」
朧が何かに取り憑かれた様に言う。
「…世界の真理はこの奥にあるよ。」
それは恐らく無意識の内で。蓮花が問う。
「そうなんですか?」
「へ?あ、そうだよ。」
ぼんやりとしている朧は顔を笑顔に変えて、奥の通路へゆっくりと歩いて行った。その瞬間、蓮花の好敵手が見える。
「よぉ。」
「帰って頂けますか。ちょっと世界の真理とやらを拝んでからにして下さい。」
間髪入れない蓮花の返答。その答えにスティルは驚く。
「あ…オレ、仕事に来たんだけど?」
「知らないですお帰り下さい。」
蓮花はスティルの横をゆっくりと歩く。完璧にスティルの横を通り過ぎた瞬間だった。蓮花は手首を掴んで投げ技を決める。
「うわっ!」
「…普通の反応ですね。投げられたら『大丈夫ですか?お嬢さん。』って言えるぐらいじゃないと。」
スティルが叫ぶ。
「そんなん出来るやついねぇだろ!」
蓮花は朧を横目でちらりと見る。その視線に朧は笑う。蓮花が起き上がろうとしているスティルに問う。
「…そう言えば、貴方は中二設定輪をかけて中二設定だと聞きましたが、感情が無いだとか。」
スティルが埃を払い落として言う。
「中二設定は聞き捨てならねぇが、俺は感情が無い。この感情の時はこの顔をする、という一般論しか知らねぇんだよ。」
蓮花の頬に涙が一筋落ちる。
「どうして…こんなにも一般論しか知らない人が多いんですか…。」
蓮花は涙を拭うと、スティルに指さして言った。
「気が変わりました。私達を案内して下さい。」
「はぁ?」
蓮花は話を続ける。
「貴方には戦意という戦意が見当たらないんですよ。確か朧さんが戦ったキラーさんがもう一人いるでしょう?その人と一緒に地上に逃げたらどうです?」
そんな事無理だ。無理だけど。分かっているけど。
「…っ…ははっ、その話乗った。但し、条件がある。」
スティルは話を続ける。
「テュエ兄も一緒な。この先に其処の朧月夜の兄ちゃんを倒す為にな、テュエ兄は居るぞ。」
蓮花はきょとんとして応えた。
「それは勿論、構いませんよ。こんな所離れて地上の学校に行きましょう?同じ学校で、同じ学年だと良いですね!」
蓮花はこれまでに無い笑顔を作る。朧が悲しさを孕んだ目で蓮花に言った。
「…さぁ、行こう。この先にキルくんが居るんだし、こんな所早めにおさらばしたいもんだしね。」
一行はゆっくりと奥の部屋に向かって行った。
「スティルまでもが裏切ったか…。」
夕霧は青い、星座を模した王座の間でゆっくりと呟いた。その真ん中にテュエは居る。
「…オレが、完璧に全員を仕留めます。ご命令を。夕霧様。」
夕霧は囁く様にテュエに命じると、もう一人の殺人鬼は世界の真理の間へと足を進めた。
「うふふ。凄いです…!」
黎明は笑顔で壁に施された彫刻を眺めて笑う。まるで動き出しそうな躍動感は中から人が出て来そうだ。朧が口を挟む。
「黎明、遠足じゃ無いんだからねぇ。」
「分かっています!けれど…こんなに沢山な色に装飾された彫刻は見た事などついぞ無いものですもの…。」
黎明が感嘆の声を上げる。それもその筈、高さ10m強程の壁には一面天女が踊り、朽ちる事なく金剛石やら蛍石やら真珠などが名一杯はめ込まれていた。その向かい側の壁は無く、幾らかの柱が立っていた。雨がしとりと降っている。蓮花が問う。
「これが本当に『世界の真理の間』までの道なんですか?綺麗すぎやしませんか。」
「合ってるよ。」
とスティルはぼやく。いつの間にかその彫刻が終わり、その先には蓮花の扇子に描かれていた女性が舞っている。その周りには7人の女性が舞っていた。長い黒髪は玉石で散らばめられ、手にも宝石、腰には蒼い玉の付いた重そうな苗刀を差している。顔は楽しそうに笑い、目は美しい茜色だ。
「あれ…私の扇子に描かれてた…女の人…。」
朧が目を細めてそれを見る。そして直ぐに応えた。
「あれはね、蓬莱王家の御先祖様『蓬莱 緑珠』のという人だよ。そして周りの7人の天女は、『七仙女』と呼ばれていてね、名前は伝わってないんだけど、名称は伝わっていて、紅色仙女、橙色仙女、黄色仙女、緑色仙女、青色仙女、藍色仙女、紫色仙女と呼ばれているんだ。」
朧はそのまま続ける。
「さぁ蓮花ちゃん。緑珠様に見覚えは?」
蓮花は目を潜めて考えている。しかし直ぐに顔に光が入った。
「私の扇子ですね!」
その問に対してスティルが応える。
「…緑珠の名は光の名。其の髪は森を作り、其の歌声は世を安寧に導く。其の名前は罪ある者に裁きを下し、其の姿は深淵を祓う。……これが、緑珠様の力。だからテメーが持ってる扇子なんだか知らねぇが、それは深淵を切り裂く剣なんだよ。」
その話を聞いて黎明が言った。
「…蓮花姉様の精霊収集機と、緑珠様のこの刀…とても良く似ていますわね。」
その言葉に空気が凍る。黎明が慌てる。
「え…あ…あの…。」
神無月が言った。
「もしかしたら同じ物かもしれんな。」
蓮花がゆっくりと思案の表情で朧に問う。
「…朧さん、一つ質問です。緑珠様の出生と死に際をご存知ですか?」
朧が慌てて返答する。
「えっ?あ…あんまり緑珠様の出生については分からないんだけど、伝承によると、太陽から降りてきた天女らしい。『日栄帝国』って言ってね。でも帝国女王になった彼女は、政治が全く理解出来ず、クーデターを恐れて地上に逃げて来たんだ。『日栄帝国』は此処よりも文明が発展していたから、その科学力を利用して『月影帝国』を作ったって話。でも、彼女は『世界の真理』を知ってしまった。秘密にする為の代償は彼女自身の魔力だった。まだ言葉が生き物の様に蠢いていた時代だったから、言葉に魔力を取られぬ様にと、彼女は身を呈して『世界の真理』を『世界の真理の間』へ封印したそうだ。」
蓮花は何食わぬ顔で言った。
「恐らく黎明の言っている事はあっていると思います。」
間の抜けた声を黎明は上げる。蓮花が続ける。
「闇祓いをする時に、『日から降りた天女』や、云々かんぬん言ってますから。」
神無月が問う。
「それは云々かんぬんで良いのか…?」
ゆっくりと歩いている内に、巨大な扉が現れる。扉に触れながら朧が言った。
「うーん…重そうだし、魔法でも開けられなさそうだね…。」
蓮花が問うた。
「何故です?」
朧は笑いながら巨大な扉の真ん中にはめ込まれている紅い宝玉に触れると、後ろへ下がる。刹那、魔法陣が扉の前に現れて、金色の線が四方八方に飛び散る。
床に細かい線が施されていたのだろうか、曲線や歪曲した線が踊る。彫刻にも線が走る。蓮花は驚きながら言った。
「あ…の、これ、何ですか…?」
黎明が応える。
「巨大な魔法には、沢山の魔法の痕跡が残りますの。それは線の形となって現れるのですが……多ければ多い程、術を解くのは難解ですわ。これはパズルみたいなものですの。」
神無月が続ける。
「1発で解除出来る、特別な魔法の鍵の様なそれ専用の解除魔法があれば、これは解除出来る。だが、俺達は解除魔法を知らんからな、パズルをする他無いだろう。」
蓮花が続けて問う。
「あの…パズルって何ですか?」
その問いにスティルが応えた。
「パズルか?一種の言葉のアヤみてーなもんだよ。色んなところが絡まってんだろ?あれを1本の線に戻すんだよ。まぁ…。」
とスティルの声が途切れる。そして大量に絡まっている金色の線を睨みつける。
「無理だな。」
蓮花がそれを聞いて同意する。
「それは私も同意します。」
その瞬間朧が叫ぶ。
「もうこれは無理だな!神様の特権使っちゃおう!」
神無月が問い直す。
「…まさか…貴様、『ラプラスの魔物』を使うつもりか…?それなりにまぁ重症なのに。」
「ちょっと最後の方聞き取れないなー!」
黎明が朧に言った。
「兄様、あの魔法陣…よく見たら兄様の目の紋章とよく似通っておりますわ。」
朧が愚痴を呟くように言う。
「えー!じゃあー!黎明は、あの紋章の中に私の片目を突っ込めとでも言うの?流石に緑珠様もそこまでアバウトな事はなさらないでしょう?」
スティルが言った。
「…緑珠様はかなりアバウトな方だと聞いてる。女帝としては几帳面だったそうだが、私生活は『もうこんな感じでいいやー!』みたいなノリで生活してたそうだぜ。……あと、ゲームオーバーみてぇだな。」
扉が吹っ飛ぶ。真ん中に穴が開き、朧があんぐりと口を開ける。
「あ…まさかキルくん直々のお出ましとは…想定外だねぇ。」
無理矢理開かれた扉の魔法陣は小さく萎んでいく。スティルが言った。
「…テュエ兄、逃げよう。オレ達でポルカの分まで生きるんだ。だから、」
暖かい声は其処には無く、ただ機械音が流れる。
「ヒョウテキ、ゴメートル、マッサツカイシ。」
テュエは朧に目もくれず、スティルだけを殺そうとしている。刀を抜いて振り下ろすと、其処には風の刃が地を裂いた。神無月は蓮花と黎明の捕まえて後ろへ下がると、スティルも後ろへ下がる。朧がスティルに諭すように言った。
「…知っていたんだろう、少年。キルくんが人口的に造られたロボットだと言う事を。」
スティルが涙声混じりで言った。そして叫ぶ。
「…1000年だ。1000年間、テュエ兄は氷漬けにされていた夕霧様を傍にずっと目を覚ますまで居た騎士だった。まぁ、氷漬けされた理由はまた帝国を再興させる為だったが……わかんだろ、一度滅んだ国が元に戻る訳が無い!でも、夕霧様は再興する事をひたすらに夢見ていた。俺達は捨てられたり、破棄された者だ。甘える相手は1人しか、主しか居ねぇ。」
俯きながら涙が落ちる。
「…でも、仲間とも仲良くなった。暖かさを知ってしまった。だから夕霧様からにげようと決めた。オレ達は人を殺す事はダメだと知ったんだ。でも、そんな事許される訳がねぇ!」
蓮花がスティルに言った。
「…私が、必ず貴方の主を目を覚まさせます。」
「それは無理だな。あの人はもう現実には戻れない。己の夢に陶酔しているのさ。」
そして、ロボットは動き始める。
「…フウジン…。」
何かが避ける音がする。風の刃は四方八方に散り、5人に向けて放たれる。神無月とは黎明を引っ張り、朧は結界を張る。真ん中に居た蓮花の反応が一瞬遅れる。
「姉様!」
「蓮花ちゃん!」
「蓮花!後ろ、」
蓮花には、全てがスローモーションに見えた。だけれどそれは一瞬の事で。神無月が蓮花に手を伸ばす。その指先に蓮花は触れかけたが、届かない。悔しそうに、神無月は顔を歪める。蓮花は心の中で思う。それを刹那と片付けるには、難しい感情。
‴私は死ぬ筈だった人間。それが今に変わっただけ。色んな出会いと別れが合って、こんなにも仕合せで、幸せでした。皆、ごめんなさい。私は、無事に居られそうにありません。‴
蓮花は笑顔で泪を流す。そして呟く。
「…さよなら。」
遠くで誰かの叫び声が聞こえる。遅く遅く、風刃が蓮花の体を貫こうとした瞬間だった。
「…っ!」
蓮花に与えられたのは、「死」では無く、「相手の死」だった。ゆっくりと時間が進み始め、蓮花は足元に転がっている相手を見る。
「…すてぃる、さん…?」
相手はゆっくりと笑って、蓮花を見る。蓮花はスティルの傍に座ると、血濡れの手を掴んで言う。
「な、何で、庇ったんですか…。なんで、私を、ま、もろうと…。」
途切れ途切れに、スティルは言う。
「…こうてき、しゅ、に、しんで…っ…もらっ、ちゃ…こまる…。」
蓮花のただ泪が流れている頬に、スティルは手をやる。しかし血は直ぐに蓮花の泪で消される。
「…そ、んな、かっこ、いい事言って、しんじゃ、うんですか!な、で、どして!あな、たが、しん、だら、わた、しの、しょ、ぶは、どなる、んですか…!わたし、のら、ばる、は…?」
スティルは手を下ろして、何処か遠くを見つめる。
「そん…なこと、いって、もら、えて、う…れし、いぜ…。な、しょーぶは、こう、しよう。」
蓮花が聞き耳を立てる。
「…てめ、が、し、あわせに、いき、て、そ、れで、また、あえ、る。」
そしてスティルは続ける。
「…おま、えは、オレた、ちに、…ぐ…じが、をくれ、た…。オレに…っ…かんじょ、…くれた…。それ、で、オレの、ちじょー、での、さい、しょの、ともだち…!」
そしてスティルは涙を流して笑って言った。
「ありがとな。」
ゆっくりと、瞼が落ちて、「人生の時計」は止まる。蓮花はスティルから目を離さずに絶叫した。そして死体を掴んで言う。悲しみのあまり蓮花の口は三日月を描いていた。
「あぁ、ぅ、ひ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!ど、して!なん、で!わたし、が、死、ぬべ、き、な、のに!な、んで!生き、てよ!ねぇ!しょ、うぶ、は!?なん、で!死、なな、いで!いやだ!認、めた、くな、い!ス、ティル、は、まだ、生き、てる、な、んで!死ぬ、必要なんて、どこ、にも、な、かった!け、っきょ、くは!死、なない、と会えな、いじ、ゃな、い、ですか!私、居、たから!」
蓮花の足元には水溜りが出来ている。その傍に、朧がゆっくりと傍に座る。そしてきつく抱き締めた。朧が言った。
「……ごめんね。」
蓮花は滂沱している。黎明は神無月の傍にそっと寄り、神無月は俯いている。
「少年の敵は、私が討つから。」
朧は諭す様に言うと、蓮花も言う。
「まつ、て、わ、たしが、あ、いて…を!」
朧はゆっくりと立ち上がると、蓮花を神無月の側にやる。そして言った。
「君には手を汚してほしくないだろうから。あの子も私達も。」
朧は微笑む。しかし蓮花は反論する。
「そ、やって、きれーご、と、いう、んですか!…っ、うぅ…。」
朧は一瞬だけ驚くと、誰もが戦く笑顔で蓮花の頭を撫でた。
「…ふふ…君は一つ大きな事を忘れているねぇ。」
蓮花がキョトンとした顔で朧を見詰める。相手は言った。
「私は綺麗事を言っても、綺麗事はしない人間だ。」
朧はそう言うと蓮花を神無月に預けて心を無くした相手を見る。
「さてさて、女の子と弟泣かせの野郎にはとっとと冥界へグッドバイが当たりだね。」
テュエは意識を取り戻したのか、朧に言う。
「ウ…ァ…お前、の、言ってる事、わかった、れっとうかん、弟と、いもうとに、いだ、く、はな、し。」
「へぇ…。」
「に、くい、にくいにくい、ころす、あ、ぁぁ、う、は、いじょ、は、い、じょ。」
朧は笑う。眉間に手を抑えて。
「ふふ…あはは、ふふ…やっぱり、やっぱり、兄や姉は、こうじゃないと始まらないねぇ!」
目を見開いて、笑う。朧は隠し持っている短剣へ手を伸ばすと、テュエは瞬時に移動して朧に切りかかろうとする。しかし朧の手にも、短剣の他に氷の剣があった。神無月が黎明に問う。
「黎明、朧は武器が使えるのか?」
「兄様は剣技の全てが使えます。死人が出るから基本はしないと笑顔で申しておりましたが…。」
嬉嬉として戦っている朧を見て、黎明はテュエを睨みながら続ける。
「…まぁ、この状況では良しとしましょう。私もスティル殿が殺されたのは心外で御座いますわ。」
神無月が応えた。
「…ならばあれは蚩尤の賜物か?」
黎明が返す。
「あれは蓬莱様のお抱えメイド、キリア様からの技で御座います。武術や剣技は全てキリア様から教わっておりましたわ。……最初の方は吹っ飛ばされてばかりでしたけれど。」
テュエの攻撃は止むことが無い。朧が言った。
「千本氷柱!」
刀を薙ぐように振ると、其処には氷柱が幾つも生えていた。テュエはそれを軽く避けた。
「…結局、短剣使わないんだよねぇ。」
テュエが何かを引っ張る。刹那、地面から巨大な棘が大量に起こる。そして蓮花や神無月のいる場所にまで棘が生まれた。神無月が黎明の手を引いて逃げようとした瞬間、黎明が叫ぶ。
「ボム・キャンディ!」
途端、黎明の周りに可愛い包みに入ったキャンディが5,6個出来る。それはテュエの手を攻撃して、生まれくる棘を防いだ。朧は黎明の方を向いて笑うと、黎明は言った。
「お兄様!ご武運を!」
「ありがとう!」
神無月は黎明と蓮花を引いて前の部屋へ向かう。そこは何も無い大広間。そこから3人は2人の殺人鬼の行く末を見守る。朧が言った。
「…私は本来のキルくんと戦いたいんだよね。怒られるかもだけど、いいよね。」
朧はテュエの肩に短剣を投げると、それは肩に刺さり、短剣は地を滑る。瞬間、テュエの目に光が入る。
「…あ…ぅ…オレは、?」
朧が言う。
「あーあ、やっぱりデータベースのウイルス汚染かー。そんなに自己を侵食されていたら気付くもんだけどねぇ。まぁ1000年前のアンディーだから仕方がない気もするけど。」
テュエが呟く。
「…あ、あんでぃー…?でーたべーす…?なんだそれは。」
朧が笑って言った。
「気にしなくていいんだよ……と言いたい所だけど、そうもいかないね。結論から言おう、君はロボットだ。」
テュエが叫ぶ。
「違う!オレは人間だ!全て、『兄弟』と同じ!」
朧が上擦った声でいう。
「…兄弟、ねぇ…。まぁ私はレーザー線も持っていなければ、検査する機械も検査法も無いし、賞金稼ぎでも無いからねぇ。こういう事を言うのは野暮なんだけど…。……君はいつから夕霧に仕えてるの?」
テュエが叫ぶ。
「違う、オレは、人間で!」
朧の冷たい声。
「私の質問に答えろ。君は、いつから、夕霧に仕えてるの?」
ゆっくりと、朧は問う。
「せ、1000年と5ヶ月…。」
朧が冷えた視線で相手を見る。
「1000年間も生きてる奴が人間だ?ちゃんちゃら可笑しい言い訳だね。…でも、君にこの地獄を終わらせる方法がある。」
朧はテュエに近付きながら言った。テュエが歓喜の声を上げる。
「ほ、本当か!どうすれば!」
朧は呪文を唱える。
「……フロイド・ブリザード。」
空気は凍てつき、部屋も凍る。テュエが叫ぶ。
「どうして…壁が白く。」
朧は白い息を吐きながら言った。
「…感覚のデータベースの破壊は順調、と。」
テュエは全てを察した様に言った。
「…オレは…死ぬんだよな。ロボットだから涙も流せず、笑えるな。」
朧が俯きながら言った。
「まぁそうだね。全ての救済は死なのだから。」
ブリザードは止むことが無く、益々力が強くなっている。朧は顔を上げると、目を疑った。
「君……どうして…。」
「なんでかな…涙が出てる…オレは、ロボットなのに…。」
ポロポロと流れるはずだった涙は、氷の結晶になり、ロボットは笑いながら後ろへ倒れた。そして朧は叫んだ。
「さっむ!!!」
そして続ける。
「カッコつけてたけど!何とか耐えてたけど!この薄着でこの気温は無い!寒い!家に帰りたい!もう夕霧とか良いじゃん!お風呂にはーいーりーたーい!というかなんで溶けないの!もうワケワカメだよ!寒い…。」
朧は氷の上をごろごろしている内に、3人が入ってくる。蓮花が言った。
「朧さん大丈夫ですか…って、何してんですか。というかこの氷は…?」
黎明が応える。
「兄様の魔法、ですわ。まともにやるだなんて…何時ぶりでしょう?…それに。」
黎明はしてやったりの顔をする。
「ぐーたらしている兄様も見れた事ですし!」
「うげっ!だって寒いんだもん!黎明、お風呂沸かしてよ!今すぐに!」
朧が叫ぶのに黎明はムキになって返す。
「無理です!タダでさえ電気代とガス代が嵩んでいますのに!私にどうしろと!?」
「そんなの黎明の炎魔法で解決したら良いじゃないかー!ちゃんと私は働いてるし!」
「こんな場所まで来て何処が働いているのです!?ちゃんと言語を習得してからお話い下さいませ!」
「れ、黎明が反抗期…!」
「反抗期では御座いません!兄様がきちんとなさらないからです!」
それを見ていた神無月が蓮花に言った。しかも嬉しそうに。
「こ、これが噂の兄弟喧嘩か!」
蓮花も嬉しそうに返す。
「兄弟喧嘩ですね!……でも、兄弟喧嘩と言うよりは夫婦喧嘩に見えますけど。」
その瞬間、扉の魔法陣がまた現れる。金の線は暴走して、氷は徐々に水に変わっていく。蓮花は声を上げる。
「こ、これなんですか!」
朧が言った。
「多分、魔法陣が解けなかった場合の罠が業火で焼く事だったみたい。でも私が氷漬けにしちゃったし、キルくんが開けた穴もかなり氷で厚くしちゃったしねぇ。」
朧は短剣が見当たらないのを見ると、呪文を唱える。
「シュウエ・チェルカーレ。」
途端、朧の周りに美しい水の精霊が居た。朧が言った。
「短剣無くしちゃったんだよね。探してくれるかい?」
その光景はとても言葉には表せないほど水のベールや水鞠が散っていた。そして1人の精霊が朧の前に短剣を寄越す。
「また君かい?ありがとう、何時も真っ先に探してくれるよね。」
朧は目を細めて喜んでいる精霊の頭を撫でた。蓮花は笑いながら撫でている朧を見て、笑って言った。
「…良かったです。」
水の精霊は、開いているテラス造りから下へ落ちていった。朧は短剣を脇の下にしまうと、3人に振り向いて言った。
「さぁ、行こうか。」
「ええ!」
「行きますよ。」
「当たり前だ。」
4人は穴が開いた部分から向こう側の部屋へ入る。其処は丸い青い青い部屋だった。かなりの高さの所に崖の様な造りがしてあって、其処に玉座があるらしい。周りは底の見えぬ淵があった。蓮花がボヤく。
「何なんですか、緑の次は青ですか。」
「…来たの?」
風を斬る声が聞こえ、王座の部分に人影が見える。しかし、朧は悪寒がして淵の部分を見る。相手は煙管と一升瓶を二つ置いて一つの一升瓶は空にしていた。朧が言った。
「あ…この煙草の匂いとこの酒豪っぷりは、お師匠様ですね…。」
相手は淵に足を組んで座っていた。美しい切れ長の目を朧に向けて、ニヤリ笑う。
「健在だのォ。」
「ええ、まぁ。」
淵から立ち上がると、王座の方を向く。朧が問う。
「…そんなに呑んで大丈夫ですか。煙草と酒はやめた方が良いと私は前々から言ってますけど?」
「煙草と酒を手前から取ったらどうなると思っているのじゃ?」
「魔法があるじゃないですか、酒豪師匠。」
「まぁ酒豪は誉だからな、気にはせん。」
その会話を見ていた蓮花が言った。
「…この会話は何処かで。」
「同意で御座います。」
蓬莱は玉座に向かって言った。
「妹よ。帝国を復活させようなぞと夢を見るのは結構じゃが、周りを巻き込むのは関心せんな。」
それに対するように、玉座の階から白髪の美女が現れた。服は中華造りのドレス、目は黒。顔の輪郭や背格好は蚩尤にそっくりだが、目は蚩尤の切れ長の目とは違い、溌剌している。そして高い声で言った。
「忌まわしき姉……今すぐにでも殺してしまいたいわ…。もう決着を付けましょう。今までありがとうと言っておくわ。」
朧は蓬莱の側から離れると、蓮花に言った。
「…お師匠様の凄いのはね、影の魔法を使える事だよ。」
蓮花が問う。
「影の魔法…?って、何でしょう?」
「影の魔法は高等魔法だ。並の魔法使いじゃ出来ない。それに、影は何処にでも現れる。光が世を照らし、影がこの世界が抹殺されようと、人の影は起こる。だから無限の力を持っているんだよ。」
蓬莱は手を地面に招くと、地から鹿の角の様な杖が出でた。金の装飾で、蓬莱の身長よりもかなり長い。蓬莱は手を横にすると、周りから黒い帯の様なものが大量に出る。夕霧は銀の杖を出して対抗する。しかし夕霧の光の魔法は全て影に飲まれる。
「どうしてこんなに忌々しいんでしょう!もう嫌だわ!私が女帝になる筈だったのに!」
4人はそれを見る。しかし朧が戦っている蓬莱に向かって歩く。『目』を金色に光らせて、照準を合わせる。そして短剣を抜いて容赦無く夕霧の胸を貫いた。しかし血は出ること無く硝子の様に散っていく。蓬莱はそれを見て動じることなく呟いた。
「……やはり、1度も会ったことが無い妹でも情とはあるものなのじゃな。例え幻影、でもな。」
朧が問い直す。
「1度も会った事が無い?」
蓬莱は遠くを見つめながら言った。
「双子は凶兆の証。ヤンチャをしていた手前の代わりに妹は『月影帝国 第一皇女』として育てられたのじゃ。そしてある時に彼奴は手前の存在に気付いた。それで手前を憎む様になったんじゃ…まぁ、他にも聞きたいことがあるのじゃろう?黒龍の青年よ。」
神無月は俯いていた顔を上げて顔を曇らせながら問う。
「…葛根 苺の事です。」
蓮花が問うた。
「苺さんは…確か昔言っていらした方ですよね?」
「そうだ。とある事情で会えなくなってしまったが…其奴の正体と何故神無月の刀の装身具を持っていたのか気になるところです。」
朧が手を上げる。
「はーい!私からも質問です。『時の砂』とモルテがどうして襲った事も知りたいですよ。あと、私を付け狙う理由もね!」
蓮花が最後を締めくくる。
「…私からも。……どうして母さんは、精霊収集機を持っていたのでしょう?」
蓬莱は影で椅子を作ると、其処に腰掛け紫煙を燻らせる。足を組んで問に応える。
「…良いのか、黒龍の青年よ。真実は汝が想像するよりも残酷かも知れんぞ。」
神無月は真っ直ぐな瞳で蓬莱を見る。そして言った。
「…覚悟を承知の上です。」
その目を見て蓬莱は応えた。
「そうか…結論から言うと、あの少女は夕霧の手下じゃ。」
「…っ…。」
「まぁそんなに慌てるな。彼奴は『月影帝国』のとある帝人の娘だ。その親が居なくなってな。その親代わりをしたのが我が妹。その時にはもう戦乱を逃れる為に封印されていた妹は目覚めておった。狂い始めたのはその頃だな。……最初は短剣で汝を殺す予定でな、しかし人の情に触れたあの娘はそんな事が出来なかった。神無月の宝玉は確か…。」
神無月が挟む。
「500年程前に行方不明になったと聞いております。」
蓬莱は煙草を吸って笑う。
「それはな……贋作じゃ。」
「が、贋作…?」
神無月の顔には焦りが出ている。蓬莱は続けた。
「恐らく何処ぞの払い屋帝人が贋作を作ったのじゃろうな。」
神無月が問うた。
「え…それが、神無月の祖先なのですか…?」
「それは違うだろうな。神無月は古より払い屋の家系…何処かで贋作を掴まされたと考えざるおえんな。」
うふふ、と蓬莱は笑う。そして神無月も笑った。
「…彼奴が手下でも、俺は構いません。本当の事をしれて良かったです。」
蓬莱が驚く。
「なんじゃ。人という者は残酷な事を知ると悲しむという話を聞いたのじゃが。」
神無月は振り向きざまに言った。
「俺は、強いですから。」
「そうか。」
蓬莱は優雅に笑う。そして己の弟子を睨みつけた。
「…次はおマイさんか?」
「なんでそんなに冷たいんですかー!」
蓮花が言った。
「ほ、蓬莱さん!朧さんはちょっと弄るだけで駄々を捏ねるぐらいの精神年齢ですから…!」
その返答に蓬莱は驚く。
「…おマイさん…駄々を捏ねるほど感情豊かになったのか……?」
「え…えぇ、まぁ…。」
蓮花が問う。
「感情豊かって…どういう事です?」
蓬莱は遠い目をしながら応える。
「最初に会ったときは本当に死んだ魚の目をしていてな…焼き魚にして食おうかと思うたわ。」
「うぅ…それは酷いですよ。せめて串刺しとかに…。」
「それほど変わっておらんではないか。」
そしてあぁ、と蓬莱は話を続ける。
「『時の砂』……時を何度も渡って霊力又は魔力が強くなった存在を言うのじゃ。それを吸収すると、その分強くなる。………。」
朧は笑う。
「へぇ……私の気持ちを利用したって事ですか…尚更生かしておけませんね。あ、そうそう、私を付け狙う理由は?やっぱり恰好いいからいったい黎明的確に膝を蹴らないで!」
黎明はげしげしと朧の膝裏を蹴る。それを笑いながら見て蓬莱は続ける。
「それは…もちろん、おマイさんのその『ラプラスの魔物』の力を狙ったんじゃろう。新しく帝国を作り直す為にな。」
「やっぱり存外そんな端的な理由ですか。」
「理由は時にそうじゃよ。…あと、モルテの理由か。」
「えぇ、そうです。」
蓬莱は紫煙を燻らせる。
「モルテは封印されていた。じゃが、我が妹が封印を解き、そして『時の砂』を我が物にする為にモルテを唆したのじゃ。」
「…単純…。」
そして蓬莱は蓮花を見る。
「最後は……おマイさんか。」
蓮花が言った。
「聞きたい事が一つ増えますけど…良いですか…?」
「好きにせい。」
「…どうして貴女はそんなにも事実を存じてらっしゃるのでしょう?」
何時の間にか酒を呑んでいた蓬莱は、にたりと笑って話を続ける。
「…後の問の方が答えるのは簡単じゃな……それは、朧月夜 滄助………其処の朧兄妹の父君に、全てを教えて貰っていたからじゃ。」
蓮花が食い気味に問う。
「な、どうして朧さんのお父様はそんな事を…!」
蓬莱はゆっくりと話始める。
「彼奴の言い分は…ある時、突然未来が視たくなったそうじゃ…まあ彼奴の場合そんな端的な理由でするとは思わんが…それで、じゃ。この時この場所に問われる問答の内容を、全て手前に覚えろと言うた。……未来は変わる、じゃが運命は変わらん。未来が変わっても、死ぬ者は死ぬし、生まれる者は生まれる。彼奴は未来という名の運命を見ておったのじゃ。」
蓮花が驚く。そしてその顔を見て蓬莱は続けた。
「次は…その精霊収集機じゃな…。」
一升瓶の蓋を蓬莱は開けると、ぐびぐびと呑んだ。
「その精霊収集機は間違いなく蓬莱王家に伝わる『緑珠の精霊収集機』。…精霊収集機は貴族や王家には伝わっている事が多いが、庶民には伝わる事がまず無い…その上存在を知っていても、伝説上の存在と考えている考古学者は大勢居る。」
蓬莱は煙管に詰まった煙草をかんかん、と椅子の縁で落とすと、また吸い始める。
「…御手洗 菫は霊力の強い女性じゃった。ある時に手前の家に来おってな。其処で『緑珠の精霊収集機』は何処にあるかと尋ねた。手前には用のない代物じゃったから、そのまま渡した事を覚えている。……少し前その首飾りを見た時はおマイさんが直ぐに菫の娘だとわかったわ。」
そして蓬莱は言う。
「…以上。他は無いのか?」
朧が言った。
「私達は、この後どうすれば良いのでしょう?幻影を倒したという事は、まだ夕霧は生きていると言う事。」
蓬莱が言った。
「…この玉座の裏側に、『世界の真理の間』がある。其処に奴が居る。」
蓬莱は立ち上がると杖を出して、影の階段を作る。蓬莱は言った。
「手前も後から追う。…まぁせいぜい頑張るが良い。」
4人は階段を上がる。緑色の丸い円形場の部屋だった。玉座があり、其処には夕霧が座っていた。しかし玉座の後ろには二つの扉がある。夕霧が座っている玉座の対にもう一つ玉座があった。壁一面に文字が刻まれている。階段があり、奥に扉があった。
「まぁた緑ですか。…大変な悪趣味で。」
蓮花が言った。夕霧が肘をついて応える。
「悪かったわね。此処はそう言う造りなのよ。」
「大層緑珠様は悪趣味だった様ですね。」
「途中で改装したのよ。何十代か前にね。」
「それはそれは…建築費が大変ですね。」
夕霧と蓮花のやり取りに朧がヒヤヒヤする。それに対して蓬莱は何時の間にか玉座に座り高らかに笑っている。
「あっはっはっは!どうじゃ、そやつが御手洗 菫の娘だ。今時珍しく肝が座っておる。」
「み、御手洗 菫ですって!?…そう。だからアンタから渡した『緑珠様の精霊収集機』を持っていたのね…!」
朧が気を見計らって言った。
「…此処を通して欲しいんです。…まぁ、引き下がるなんて考えてませんが。貴女も私達も。」
「そうね。私も貴方も引き下がるつもりは無いわ。でも、私には考えがあるの。」
夕霧は優越な笑を零すと、背後の扉を指を指した。
「チェスをしましょう。…まぁ、チェスと言う名の殺し合いよ。」
朧が頭を掻きながら言った。
「貴女はチェスをする様な頭を持っていなさそうですからね。」
「失礼な神だこと。」
夕霧は朧の方を指を指すと言った。
「その失礼さに免じて貴方1人で闘ってもらいましょう。貴方も3人を傷付けたくないでしょう?」
蓮花達の足元に緑色の透明な枷が付く。
「動けない様にして差し上げたわ。感謝して頂戴。」
黎明が言った。
「こんな事をして悦ぶのは兄様だけなのに!屈辱ですわ!」
「黎明、私の事なんだと思ってるの!」
「性癖の百貨店です!」
蓮花も叫ぶ。
「私も同意です。」
「俺もだ。」
「皆酷くないかい!?」
その平和さに夕霧は驚愕を隠せない。夕霧の顔を見て蓬莱は言った。
「さてはて…これを見て貴台は勝てるのか。」
「良いわよ。絶対に勝ってみせるわ。」
「貴女が負ける予感しかしませんね。」
朧が夕霧に向かって挑発的な笑みを零す。そして蓬莱は朧に言った。
「…『月影帝国 第一皇女』、蓬莱 蚩尤が命ずる。我が騎士、我が弟子よ。我に仇名す者を断ち斬れ。……朧月夜 滄溟!」
朧はまたもや跪いて蓬莱に言った。
「…全ては蓬莱 蚩尤第一皇女の御心のままに。」
朧は立ち上がると、短剣を取り出して夕霧が放った造りものの兵隊をぶちまける。蓮花がぼやいた。
「やっぱり古代文明あるあるの兵隊さんのお出ましですか。」
朧は笑う。そして兵隊を一蹴した。夕霧は言った。
「神も弟子に成り下がったと…見ていて気分が良いものね。」
そして朧は言った。
「…言っておきますが、私は弟子に成り下がったという気持ちは有りませんから。」
蓬莱は続ける。
「此奴は『神』じゃ。幾つもある世界の創造神。その子孫という立場じゃが、現人神という面では何も変わらん。」
「…どういう事かしら。」
蓬莱は煙草を吸って話を続ける。
「…ふぅ。まだ分からんのか?物わかりの悪い奴め。此奴は『神』という立場から成り下がるなど毛頭ない。有るのは、今、此奴が『蓬莱 蚩尤の弟子』として居ることが何よりも楽しい。……即ち、我等が手玉に取られているという事だ。」
朧が続ける。
「まぁ…最初はそういう心算でしたが、この世間体も其処まで悪く無いですからねぇ。幸せですよ。」
袖を捲ってボタンで止めながら朧は言った。蓬莱が嗤う。
「…おマイさんが『幸せ』か……。」
朧が蓬莱の方を向いて返した。
「何ですか。その如何にも私に『幸せ』と言われる言葉が可哀想みたいな言い草は!」
「よう分かったのぉ。」
「はぁ…これだからお師匠様は…。」
「何か言ったか?」
「いいえ何も。」
夕霧も嗤う。
「楽しそうだっていうことは分かったわよ。……でも、これはどうかしら!」
両手を広げて、現れたのは人。その瞬間黎明が叫んだ。
「そんな……兄様は『人を殺した事が無い』ですのに!」
その返答を聞いて蓮花は神無月を見た。相手は下唇を噛んで悔しそうにしている。朧が俯いて言った。
「…今だけは解放してあげよう。蓮花ちゃん。」
朧の呟きは蓮花の耳にハッキリ聞こえた。
「……わかりました。私の能力。力を貸して下さい。『私の枷と神無月さんの枷を外せ!』」
枷は見事に溶けるように消えると、神無月は刀を抜きざまに相手を一掃する。
「行くぞ蓮花!」
「承知しました!」
蓮花も精霊収集機で刀を形作り、走り出す。一人残された黎明は呟いた。
「私は、連れて行ってくれないのですか。弱い、から?」
蓬莱が振り向かずに言った。
「心配だからではないか、と言いたい所だが。黎明、おマイさんはそんな物で引き下がる者では無いだろう?」
黎明は答えない。ただただ蓬莱を見詰める。そして言った。
「…あの者達は強い。だが、強さ上の弱さもある。蓮花は多大な霊力があり、神無月は能力があるし、朧には多量の魔力がある。だが、彼奴らは弱い。心がな。」
「こころ…ですか?」
黎明は驚きながら言った。
「弱い、というか脆いのだ。硝子よりも脆い。だから、それを支えてやれ。……だが、おマイさんがそれで納得しないなら。」
「納得致しませんなら?」
黎明が聞く。蓬莱は振り向いて返した。
「強くなれ。あの兄に心配をかけぬようにな。」
黎明は微笑んだ。少しだけ、涙腺が緩む。
「はい!」
そして3人を見た。蓮花はある程度敵を一掃すると、巨大カノン砲を撃つ。神無月は滑りながら斬っていくという彼にしか出来ぬ芸当を見せた。朧は敵の足を水の鎖で足止めする。だが、夕霧は笑う。
「まだまだねぇ…!これを止める事が出来ても、貴方達が勝った訳じゃない…。ねぇ、これは強いのよ。しかも大量に現れる。」
蓮花は汗を流しながら夕霧を眺めた。夕霧はそのままの表情で続ける。
「扉は閉まっているの。毒ガスも出るわ。貴方達3人と姉様は己を守れるけれど……。あの娘はどうなるのかしら?」
夕霧は黎明を指指した。黎明は夕霧を睨む。そして悔しそうに言った。
「この……!卑怯者が……!」
蓮花も睨む。
「…何をお望みで?」
「貴女よ。」
「私の霊力、ですか。」
夕霧はしめた笑いを蓮花に向ける。
「よく分かっているじゃないの。」
「良いですよ。乗ってあげましょう。」
「蓮花ちゃん!」
朧が叫ぶ。蓮花は振り向かずに言った。
「…朧さん、私の能力を封印していて下さって、有難う御座いました。もう、良いですから。心配しないで。」
そして蓮花は涙声で言った。
「皆さん、さようなら。」
ゆっくりと、階段を上る。夕霧が扉を開けると風が吹いた。蓮花は手で支えながら奥にある道へ歩き始める。夕霧は優越に得た笑みを見せて扉の奥に消えた。蓬莱以外は唖然として何も言えない。静寂を蓬莱が破った。
「さぁて、これで『世界の真理』を教えてやろうと言いたいところじゃが……貴様はまだ引き下がるつもりなぞ無いだろう?」
朧は無言で頷いた。そして言う。
「…しかし、あの扉の魔法は強力です。解くことは。」
「不可能だと言いたいのか?」
「に、近いと思われます。」
蓬莱は高らかに笑う。そしてにたりと笑った。
「まだ千年に渡る因縁は終わっていないと言う事じゃ。」
「…何とも残酷ですね。」
蓮花は扉から出て暫く歩いていた。暖かい春の風が、蓮花の頬を撫でる。恐らく大理石で出来たであろう道の周りには、等間隔に柱が立っていた。それは1組でアーチを形作っている。戦乱か何かがあった筈なのに、綻びが見つからない。先を歩いている夕霧が言った。
「何がかしら?」
「…戦乱で血が濡れたのにも関わらず、此処は全く綻びが見付からないという点です。」
「そうね。」
夕霧は短く返事した。蓮花が問う。
「何故か教えてくれませんか。どうして蓬莱さんを恨むような事を?」
相手は振り向かずに答える。
「簡単よ。双子の姉が世に明るみに出た時、魔力を私より持っていたあの人は、すぐさま世間で持てはやされたわ。私の存在など忘れた様にね。それだけの話。…着いたわよ。」
目の前の白い祭壇の二又の槍の真ん中には、橙色の球体がふわふわと浮いている。蓮花が問う。
「…これは?…精霊収集機?」
「そうよ。一応適当に作ってみたのだけど、10数年程しか持たなかったの。だから貴女の精霊収集機が必要だったの。」
蓮花が俯きながら言った。
「それだけで…?」
夕霧が訝しげに問う。
「それだけで、何?」
蓮花は激昂した。
「それだけで!貴方は人を殺したんですか!己の願望如きの為に!そんな蛮行、許される訳が有りません!」
夕霧は髪を弄りながら言った。
「あぁ…言ってなかったかしら?マグノーリエを潰したのも私。あの『神様』は力が強かったから、早々に潰したかったのだけど…まぁ、後に有効活用出来そうだし、生かしておいたワケ。」
蓮花は怒りで何も言えない。漸く口を開いた言葉は、夕霧に対する怒りだった。
「…許さない…。」
しかし夕霧は何も返さない。蓮花はつかつかと二又の槍へ向かう。そして橙色の精霊収集機をぱちんと弾いた。そして蓮花の精霊収集機でそれを砕いた。夕霧が言った。
「…そんな事をやっても只の悪足掻き。現に貴女のお友達は誰も助けに来ないじゃない。」
蓮花は呟いた。
「…貴女は…私の事をそういう風に思ったんですね?」
「何ですって?」
蓮花は声を振り絞って言う。
「人は、助けられて生きていく。それはその通りだと私は思います。でも人間誰しも、自分で支えて、それでこその他人だと思います。でも、一人で生きていかなければならない時があります。その時は戦わなければならない。だから私は戦います。貴女に絶対精霊収集機は渡さない。誰一人の命も譲りません!」
夕霧は鼻で笑った。
「好きにしたら良いじゃない。その祭壇に入れるのは私だけ。貴女は2度と出られないの。」
蓮花は言った。
「…ならば私は此処で悪足掻きをするだけです。」
そして蓮花は笑って精霊収集機を投げ捨てた。それは雲の下に落ちていく。夕霧は歯軋りした。
「私も学ばなければいけない訳ね…!もう少し迫ればアンタは此処から落ちると?」
「ええ。さて、どうします?」
夕霧は俯いてわななきながら言った。
「…最終的には、貴女の瞳でも手に入れば良いの。だから。」
「寄越せ、と?そんなの嫌ですよ。痛いでしょう?貴女も。」
朧が夕霧の背後へ周り、一つ呟く。
「な、どうして此処に!」
「さぁ?」
朧はにこやかに笑う。
「さて、我が主の命は貴女を殺す事。叶えてくれますね?」
「嫌よ。」
夕霧は短く断った。印を切ると、目の前には草に覆われた龍が現れた。
「草と水は相性が悪いでしょう?氷も効かないぐらいこの子は強いのよ。」
朧は笑わずにさっ、と手を出した。そして唱える。何故か魔法少女っぽく。
「絶対零度☆」
蓮花が有り得ないという顔をする。しかし龍の体に霜が降りた様な具合で、あまり効いていない。蓮花は朧の方に寄ろうとする。しかし朧が遮った。
「それに触れちゃ駄目だ!」
「何故です!」
「それに触れたら多分死ぬ!」
「た、多分って…。」
朧は空気中に指を踊らせる。そして朧の周りには大量の魔法陣が生まれた。ゆっくりと口ずさむ。龍の攻撃を避けながら、それはそれは優しい声で。
「日の出るところに 月の場所
対になりしも 相慣れず
悠久の時超えて
暁の空に 悪魔ありて
黄昏の空に魔物生まれん!」
手を出して、朧は笑って言った。
「…蚩尤第一皇女様万歳、ってところだね。」
龍は燃える。朧はそれを蹴り飛ばすと、夕霧の側まで寄る。しかし夕霧は結界の奥まで入ると蓮花を突き落とす。あまりの事に蓮花は悲鳴も出ない。夕霧は壊れた様に笑うと、朧は結界の中へ入る。瞬間、首飾りが割れ、夕霧の喉を掻き切った。夕霧もゆっくりと下へ落ちていく。朧は戸惑いも無く蓮花の側まで落ちる。全てが一瞬の事だった。
「お、朧さん!?死にますよ!」
「…それはこっちの台詞なんだけど。それに私は老衰と自殺以外で死なないし。」
朧は溜息を付くと言った。
「…この方法しか無いね。蓮花ちゃん、目を10秒瞑ってて。」
蓮花は言われた通りに10秒瞑っていた。体がふわりと浮く感覚がある。うっすらと目を開けると、蓮花は白龍の上に乗っていた。そして元の白い回廊に立つ。龍は滑るようにして回廊に立つと、光の粒が人の形を作り、それは言った。
「うげぇ…!酔った…!」
「酔うなら私でしょうが。朧さん。」
朧は滑らすように蓮花の精霊収集機を投げた。
「え…あ…これ、投げ捨てた奴じゃないですか…!」
「秘宝なんだからもう少し大切に扱ってね…。」
朧はよろよろと立ち上がると、蓮花が問う。
「…朧さん、怒ってます?」
振り向かずに答えた。
「別に怒ってないよ。」
「絶対怒ってますよね?」
「…別に…怒ってないから。」
「私が身を投げる様な事をしたから。」
朧は溜息を付くと、蓮花に顔も見せずに言った。
「……分かってるならやめて。私は君が死ぬのが1番嫌だ。」
「…朧さんの時間巻き戻し能力で何とかなるでしょう?」
朧は振り向いて蓮花の事を嗤って言った。
「どうしてそんな簡単な事を言うの?私は今の君が大好きだ。6番目の君なんて要らない。だから、だから…!」
静かに朧の目から涙が流れる。
「もう自分の身を投げる事なんてしないで。次したら本当に許さないから。神無月に言って次の転生を保証して貰えない様にするから!」
「字面がおかしいですよ…先に、叶っちゃいましたね。私の隣で怒ること。」
朧は一瞬驚いた顔で蓮花を見ると、直ぐに返した。
「…私は君達の隣でなら何時も本当に笑っているよ?」
「それなら、良かったです。」
蓮花は慈しむ様に笑った。そして朧の背後の影から蓬莱が現れた。
「…無事じゃった様だな。」
「お陰様で。本当に有難う御座いました。」
蓮花は蓬莱に礼をする。すぐ側に扉があった。直ぐに扉は開く。朧が蓬莱に問うた。
「そろそろ聞いても良いですよね?お師匠様が扉を開けれる理由を。」
元の大広間へ戻ると、黎明は蓮花に抱き着いた。蓮花は優しく黎明の頭を撫でる。そして蓬莱は勿体ぶって言った。
「…手前はな、『蓬莱 緑珠』の生まれ変わりじゃ。」
「はい?」
朧は度肝を抜かれた様に問う。そして蓬莱は続ける。
「生まれ変わりと言っても、魂が同じだけ。記憶も朧気に残っているだけだからな。『蓬莱 緑珠』はあの扉と、この『世界の真理の間』に己の魂がの反応を封印した。だから明けることが出来たのじゃ。…まぁ、この転生も仕組まれた物だが。」
蓮花が問う。
「…仕組まれた物、ですか?」
蓬莱は朧の方を向いて言った。
「貴様はその者を知っている筈じゃ。血縁関係にあって、一番嫌いな者と言えば?そして生まれ変わり前も、生まれ変わった後も、貴様は会っている。」
朧は考える仕草をすると、呟き始めた。
「…知っている…?血縁関係……嫌いな者……。」
みるみるうちに朧の顔が青ざめていくと、朧は叫んだ。
「……あ…ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!最悪!ふざけんな!もう!今日は!本当に!ツイてない!」
蓬莱はにたりと笑い、神無月と蓮花と黎明はきょとんとしている。転がっている朧に黎明が問う。
「どうなされたのです…?兄様?」
朧は顔面蒼白で続ける。
「チャンリだよ…!チャンリ!もう!最悪だ!あれの生まれ変わりが…我が父だと…?はぁ…?」
黎明が思考を巡らすが、直ぐに該当者が見つかった様だ。ぽんと、手を叩く。
「…ちゃんり…!朧月夜 真理様ですか!?」
神無月が言った。
「…朧月夜か…。朧の血縁者だな。そんなに嫌がってどうした?」
朧は渋々話し始める。
「…彼奴は、初代『ラプラスの魔物』だよ…リアル神様ってとこかな…。でも彼奴は性根が腐ってるし、死んでも死にきれないゾンビみたいな奴だ。何せ彼奴はドMだし。鬱陶しいから斬ったら悦んでるし…血縁関係も初代だから遠いと思ってたのに…しかもキラキラネームだし…!まさか父上が…あぁ…もう…。」
蓮花が問うた。
「どうして1000年程離れている相手を知っているのです?」
その問いに蓬莱が答える。
「手前が昔、幻影の術を見せた時に、何故か知らんが出てきたのじゃ。その後暫く付き纏ってな…お陰でこの有様じゃ。」
唸っている朧をちらりと見て蓬莱は笑った。そして話し続ける。
「これで1000年の因縁も終わり。『世界の真理の間』の内容も話し終わった。」
黎明が問う。
「え…そんな単純な物なのですか…?」
「緑珠は随分とアバウトだったのじゃ。もうこれで良いと思ったんだろう。」
そして唸っている朧に話しかける。
「…その姿が面白いから言う気は無かったのじゃが…。まぁもう良いじゃろう。」
「はい…?」
朧は力無く顔を上げた。蓬莱がしめた笑いをした。
「朧月夜 滄助は、真理を物にしたのじゃ。」
朧はぼんやりと聞き返す。
「…真理を物にした?一体どういう事ですか。」
「彼奴は己が真理が仕組んだ仕組まれた転生だと言う事に気付いたのじゃ。だから、真理の知っている魔法などの全てを修得する為に試行錯誤を繰り返していた。そして彼奴は真理の魂を殺して、滄助の魂に置き換えた。」
朧は半ば呆れながら言った。
「………毎度思いますけど、本当に父は性根が腐っているというかなんと言うか…。」
蓬莱は片眉上げて言った。
「何を言っている。手前が見てきた朧月夜の家の男は全員性根という性根が腐っておるわ。」
「あー…3人見てきた訳ですからね。伊達じゃないですね。」
蓬莱が思い付いたように言った。
「そうじゃ。朧や。おマイさん、首飾りが取れただろう。というか割れたのか?」
朧は笑って言った。
「そうですよ。思いっきり割れました。あれは?どういった物なのです?」
蓬莱は過去を慈しむ目で視線を流すと、今は亡き人を夢見ていた。
「…おマイさんが知る必要も無い。さぁ、早々に帰れ。もう申の刻じゃ。」
神無月が叫んだ。
「おやつの時間か…。」
朧が言う。
「神無月って時折古典的だよね。さぁ、帰ろ?」
朧は3人を押し遣るように外へ出すと、自分も出ようとした瞬間だった。蓬莱が止める。
「…屈め。」
「跪くのではなくて?」
「それはおマイさんの趣味だろう。良いから屈め。」
朧は蓬莱に向かって屈むと、蓬莱は優しく朧の頭を撫でた。朧は目を見開く。そして頬を緩ませて言った。少し涙声で。
「あぁ…もう…そんな事をしないで下さい…。」
「何故じゃ?」
蓬莱は不思議そうに尋ねる。
「…父と母を思い出してしまうではないですか…父上…母上…。」
朧は消え入りそうな声で話す。そして元の体制に戻ると、朧は言った。
「また、お師匠様の二胡を聞かせてください。私はあの音色が大好きですよ。お師匠様の小唄も。」
蓬莱は振り向きざまに笑った。そして朧がさらに尋ねる。
「…つかぬ事をお聞きしますが…その昔からよく着ている西洋ドレス、喪服ですよね?私の考え過ぎかも知れませんが、まさか妹様の為になんて、ね?」
蓬莱はその返答に答える事は無かった。あったのは狂笑だった。悪寒が走る。そして嗤って言った。
「無駄口を叩いている暇があればさっさと帰れ。まぁ、二胡ぐらいなら家に来たら聞かせてやろう。」
「は、はい…。」
朧は引き攣った笑顔を見せる。蓬莱がさりげなく言った。
「…灰の水曜日。」
朧が溜息をついて言った。
「……それは私の中二病ノートじゃないですかぁぁぁ!処分して!?後生ですから!というか処分したんだけど!何で持ってるんですか!」
蓬莱はどんどん言う。
「何だあれは…うひひ…終焉の時は…うふふ…預言者によってだとか……救い主とか…荒野の…誘惑とか…方舟だとさ…うふふ……あっはっは!あれはなかなか笑い物だな!」
朧は顔を真っ赤にして叫んだ。
「こんの性悪野郎がぁぁ!」
「いやぁねぇ!蓮花ちゃんのカッコイイシーンで魔力供給絶たれちゃったからな!家に帰れないね!」
「私のせいにしないで下さい…。」
4人は最初の魔法陣に着いていたが、蓮花が精霊収集機を割った為に魔法陣が使えないのだ。朧は外を見る。そして悪い笑みをした。
「お、朧さん…どうなさいましたか…?」
蓮花の手を引いて、朧はテラスの様な作りになっている場所まで来た。そして言う。
「此処から落ちるの!」
「…あ?」
「うっわ!蓮花ちゃんに「あ?」とか言われたー!メンタル弱いから泣きそうー!」
「その全て棒読みなのを止めくだされば考えなくもないです。」
そして朧は言った。
「ん、じゃあ皆で手繋いでー!」
「本気じゃ無いですよね?」
朧は蓮花の返答を聞かずに飛ぶ。そして叫んだ。
「We can fly!」
蓮花が返す。
「We can not fly.です!」
そして、4人は宙に舞う。黎明が叫んだ。
「ちょっと無茶苦茶ですわ!」
朧が返す。
「世の中には無茶苦茶があってこそちょうど良いんだよ!」
神無月は顔面蒼白で浮いている。その時、雲が開け、夕焼けが見える。その上には月が見えた。蓮花が呟く様に言う。
「『月が綺麗ですね』。」
その言葉を聞いて3人は蓮花の方を向いた。神無月が静寂を斬る。
「…蓮花。『月が綺麗ですね』の意味を知っているか?」
きょとんとして蓮花は返した。
「そのままの意味じゃないんですか?」
黎明が笑い損ねた顔で蓮花に言った。
「ね、姉様。『月が綺麗ですね』の意味は、私は貴方の事が好きですという意味ですよ?」
蓮花はさらにきょとんとして言った。
「…私は皆が大好きですよ…?それじゃ、駄目なんですか?」
朧が深い溜息を付く。
「はぁ…君にはちょっと敏感さという物が著しく欠けているように思えるんだけど…家に帰ったら蓮花ちゃんをそういう造詣を深くさせようか…。」
そして朧はニヤリと笑う。
「まぁ、蓮花ちゃんは告白されてたし!ちょっと勉強してた方が良いんじゃないの?」
蓮花が顔を真っ赤にして叫んだ。
「なっ!何で私が告白されてた事を知ってるんですか!」
朧はニヤニヤしながら言う。
「私の目は誤魔化せないよ?」
その瞬間、朧は己の両親が夕焼けをバックにして、踊っているのを夢見た。しかしもう1度瞬きするともう居ない。蓮花が尋ねた。
「どうしました?」
朧は胸に手を置くと優しく笑った。
「いいや…何でもないさ。…それよりも楽しみだねぇ…もう神無月も蓮花ちゃんも泊まっていきなよ。」
「そうすれば家事の分担が物凄く楽に…!」
黎明が喜んで声を上げた。しかし蓮花が反論する。
「私…今日、学校行ってないんですよ…?その上お泊まりなんて…。」
朧は笑う。
「そんなの簡単じゃないか。欠席表を書き換えて親御さんの記憶を書き換えれば良いの!」
「良くないですよ!」
でも。…それも悪くない。
「…まぁ、お泊まり会、楽しみですね。」
蓮花は笑った。
「嬉しいです!」
黎明が歓喜の声を上げる。神無月も優しく微笑んだ。
これが麗らかな日々の思い出。
千年に渡る因縁はこれにて終わり。
朱夏の日々に続く…かもしれない。
お付き合い、有難う御座いました!恐らく続きを書くと思いますが、是非読んで下さると嬉しいです!コメント忘れないでね!




