ラプラスの魔物 8
アンジェス峠の真反対。バビリアの国の方向。黎明はその花畑に1人佇んでいた。そして悲しそうに言う。
「…お父様、お母様。私達は幸せですわ。だから、心配しないで。兄様ったら全く此処に来ないんですもの。酷いですわね。」
目の前の少し小さな石。円を囲うように周りには小石が置いてあった。ひゅう、ひゅう、と冷風が吹く。
「まだ春になるのに冷たい風が吹くなんて。雪でも降るんじゃないかしら。」
黎明はくすりと笑った。そして続ける。
「何時かこの墓石が要らなくなる事を只、願っておりますわ。……早々、兄様は、相変わらずです。何処か寂しい雰囲気で、私に劣等感を抱きながら、それでも面倒を見て下さいます。…ある時は学校に行かないかと言ったのですわよ。」
さぁさぁ、と風が木の葉を撫でる。
「…無理ですわよって、笑って言ったのですわ。兄様は、ちょっとくらい勉強した方が良いんじゃないか、なんて言ってましたけど。私達は戸籍等も全く持っていないのに。」
黎明は話を続ける。
「それに、蓬莱様の所で一切合切教えて頂きましたもの。もうそれで充分です。……私は、兄様と共に居れる時間が何よりもの幸せですわ。」
黎明の目から雫が溢れる。
「……お父様、お母様、兄様を、どうか救ってやって下さいまし。もうちょっと体を大切にしろって。」
其処にはもう黎明の泣き顔は無かった。ひたすらに笑顔だ。
「駄目ですわね、私も兄様の悪い癖を持ってしまいそうですわ。兄様はとても感情を出すのは苦手な人ですから。」
そして黎明は立ち上がる。後ろを振り向いた時だった。
「………What your name?」
何処か近未来風のピンクベースの服を着ながら、髪留めには何故か青のイヤホンを使っている。一つくくりの薄ピンクのポニーテールにギザギザの前髪。目は金色だ。黎明は応えた。
「My name is Reimei Oborozukiyo……。貴女、外国の方ではありませんわよね?英国でも、米国でもそんな方はありませんでしたわ。」
少女は言った。
「うん……貴女の言ってる事、合ってる。あたしの名前、ポルカ。電気、使える。貴女を捕まえれば、オマケが付いてくる、って聞いた。」
黎明は険しい顔をした。
「我が愚兄はそこまで落ちぶれておりませんわ。……そして私も。」
黎明の言葉の覇気に、ポルカは怯む。
「…やっぱり、朧兄妹、凄い。お話通り。」
黎明は問う。
「…『お話通り』とは?」
「朧月夜 滄溟、指名手配犯。その妹も、凄い。でも、何故、捕まらない?」
黎明は目を細めた。
「兄様の素性に気付いた警官は、兄様に関する記憶は全て消される様に蓬莱様が手を使って下さいましたの。」
「そう。ね、話戻るけど、貴女捕まって?」
ポルカは無表情で言った。黎明はそれに対抗するように言う。
「お断りですわ。私の身は、私が守ります。それに私は貴女を傷付けたく無いのですわ。早々にお帰り下さいませ。」
黎明は思いっ切りの笑顔で返した。ポルカが少し間を置いて言った。
「…仕方、無い。貴女、攻撃する。」
「どうぞお好きに!」
ポルカは編み針を出す、黎明は何時も使っている日傘を出す。
「あみ、あみ。」
ポルカが高速で毛糸を編むと、それは1枚の布になる。四方八方に電気を帯びた1目が散らばると、黎明を攻撃した。
「それ、1目ずつ、攻撃する。」
黎明は日傘を空へ上げると、呪文を唱えた。
「アグリア・クリチーナ!」
途端、真珠の淡い色が辺りへ拡散すると、全て跳ね返す。黎明はその間に新たな呪文を唱える。
「フレイア・ラザキア!」
火の粉をポルカが持っている毛糸へ直撃する。しかし毛糸は全く燃えない。
「何ですって…!」
黎明は驚愕した。それに対してポルカはまたもや無表情で詰まりながら言う。
「これ、燃えない。凄い。加工、されてる。」
そして続ける。
「こうした方が、尚のこと早い。」
2本の編み針を黎明の両端に指すと、輪を書くように毛糸を回す。
「…捕まえようとの心算ですわね。」
黎明は一時的に『マクスウェルの悪魔』を繰り出すと、高く跳躍した。輪の後ろに着地した途端、輪のど真ん中に霹靂が起こる。
「これが、ほんとの、晴天の霹靂……。」
ばん、という音。その瞬間、初めてポルカが笑った。
「あーあ、墓石、壊れた。」
ポルカは含みのある笑い方だった。しかし黎明は意表を付く返答をした。
「…それが?」
黎明は無表情でポルカに問う。彼女は驚きを隠せぬ顔で言った。
「…人間、こういう事されたら、苦しいと思う。苦しくない?」
黎明は鼻で笑った。
「…我が一族は現人神。故に人間の気持ちなど分からぬのでございますわ。」
黎明の、必死の強がり。しかし、彼女にはもう一片ばかりの魔力程しか残って居ない。黎明は日傘を構えると呟いた。
「…天のお父様、お母様、『マクスウェルの悪魔』、『ラプラスの魔物』。今、私に力を貸してくださいませ。」
刹那、日傘の手元から光が爆ぜる。
「……お父様、お母様……。」
黎明は光の中で両親を見た。その手にはフランベルジュが握られている。しかし全く斬れない代物だ。黎明は涙を流しながら言った。
「これ、は……。『マクスウェルの悪魔』の力、を、極限まで、引きだせる鍵…。」
黎明は一息置いて目を硬くした。途端、彼女は歌い始める。
「実をつけるは桃 邪気祓いの印
大空に浮かぶは白き巨塔
約束を果たす赤い鍵。」
黎明の握っているフランベルジュは赤く光る。目の前には麒麟の角端が居た。後ろを振り向き、黎明の指示を待つ。黎明は視線を下に流しながら、顔を上げて角端に言った。ポルカは動揺して全く状況が理解出来ていない。
「……元の場所へ帰して上げてくださいまし。」
そしてポルカの周りに科戸の風が吹く。白銀のシルエットが溶けるように消えた。ポルカが居なくなった後に残ったのは、ボロボロの花畑と崩れた墓石だった。黎明は角端へ命じる。
「この花畑と墓石を、元に戻して下さると嬉しいですわ。」
ぶわっ、と風が吹いて、まるで何も無かった様に戻る。もう角端は居なくなっていた。墓石に向かって黎明は言う。
「………有難う御座いました、お父様、お母様。……あら?」
黎明は人の気配を感じて振り返ると、其処には最後の家族が居た。其の人は柔らかく笑うと、後ろに隠していた花束を出して、黎明の方へと近付いた。
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