朝ノサエズリ
遅くなりました。すいません。
「兄さん、もう起きてください」
妹の声で目が覚めた。
焦点が合わず、ぼやけた白い台形の物が目に入った。
「ご飯の途中で寝ないでください」
そうか、そうだった。
まだぐるぐる回る頭で、目の前のものが食器だと分かる。
「ごめん…」
眠い、と言い訳もせず、素直に謝った。ごちゃごちゃしていてよく分からなかった。
目の前の用意された遅めの朝食から、食欲を刺激する美味しそうな匂いが広がる。
普段なら即座に箸を取っていたところだろうが、今日はなんだかそんな気になれなかった。
ちゃんと、静かに食べたかった。
いただきます、と呟いて箸を取る。ふと視界に入った自分の手が気になった。
昨日はエリスと帰宅してから、俺の中に異質なモノがいた。巣食っていた。ぐちゃぐちゃ中身を引っ掻き回された。
ひと切れの食パンを水に浸した様に、隙だらけの俺の中を侵してきたんだ。
それがどうだ。気づけばすっきり。さっぱり違和感はない。
体の中は安全精悍そのもの。どこにも異質な存在なんてありゃしない。
まるで、俺が適応したみたいに、俺に適応したみたいに。
平穏な日々を退屈と称した罰だろうか。
それとも退屈しのぎにとどっかの誰かがやらかしたのか。後者なら今すぐやめて欲しい。
「兄さん?」
「ふぇっ」
一気に戻ってきたら目の前に妹がいた。テーブルの向かいに座っていた。
驚いて素っ頓狂な声が出た。こっちを見つめている妹に驚いて、自分から出たとは思えないような声にもう一回驚いた。
「兄さん、今の・・・ふふっ」
「あ、え、ちょっと、ちが」
お箸片手にあたふたと手を動かした。
くすくすと口元に手を当てて笑う妹の視線に耐えられなくて顔を横にそらした。
とりあえず、またあの喫茶店に行こう。多分、いや絶対確信的にあの割ってしまった小瓶が原因だ。
謝りついでに誰かいたら、何か情報が得られるかもしれない。
そうだ、エリスが俺を誘った口ぶりからして、あの喫茶店を知っているはず。だったらエリ
「あぁっ!!」
大事な事忘れてた!
エリスは、エリスは大丈夫なのか!?
あの時その場に一緒にいた、彼女はなんともないと言っていたがもしかしたら何か・・・!
持っていた箸を乱暴に置き、椅子を倒しそうになりながらリビングを飛び出した。
「すぐ戻る!」
階段の手すりを掴んで一目散に駆け上がる。遠心力やら何やらで俺の髪がふわりと広がり、その重さに頭を引っ張られて何度か危うく転びそうになった。
携帯は多分部屋にある。いつも目覚まし用に枕元に置いているから。
ドアノブを捻ってドアを開け放ち、ベッドに駆け寄るまでの動作を1回だけ何もない床に躓きながらも終え、枕の下にめり込んでいた携帯を手に取った。バランスを崩した。
柔らかい音を立ててベッドに倒れ込みながらも画面を開き、素早くアドレス帳からエリスの名前を呼び出す。
決定ボタン連打で彼女の携帯へコールをかける。コール音が鳴るまでの1秒に満たない時間さえももどかしく、いつの間にかとくとく鐘打っていた自分の心臓と共に待つ。
1、2、3
まだ出ない。エリスはどちらかというとこういう物に疎かった気がする。だから出るのに手間取っているかもしれない。
4、5、6
まだかな、まだかな。もしかしたらやっぱり何かあって携帯どころじゃないなんてことも…!
7、8、プツッ
来た!
「エリス!? 無事…」
「現在お掛けになった携帯電話は、電波の届かない位置にあるか、電源が入っておりません…」
「……」
数秒、色んな憶測が頭を飛び交うも、視界に入った机の上を見て最初に出たのはため息だった。
AM 11:05
机の上に置かれたデジタル時計が現在時刻を映し出している。
他はどうか知らないが少なくとも俺とエリス、勿論妹も通っている高校じゃ授業真っ只中だ。
生真面目お嬢様なエリスのこと、授業中に携帯は電源を切って鞄にでも入れているのだろう。多分そう規則に書いてあったから。
俺は、エリスが学校に登校出来る状態ということに安心しつつ、途中で飛び出てきてしまった申し訳なさを感じながら携帯片手に妹の元に戻ることになった。
ーーーー
「食べ終わるまで見ていますからね」
「はい」
ちょっとご機嫌斜めな妹を前に、大分冷えてしまった味噌汁を啜る。
冷めてしまうと、いや妹の作る味噌汁は冷めていても十分美味しいのだが、やはり出来たてよりは味や風味が劣る訳で、途中で勝手に席を立ったら冷めたんで温めて下さいとも言えず、お椀のふちで自分を隠すようにちらちらと妹の顔を伺いながら前より小さくなった口でちびちび飲むことにした。
小さくなったというより、小さくしか開けられなくなったと表現した方が合っている。
ご飯も前、つまり男だった時はかき込んだり大口開けて時間短縮なんてことが出来たけども、そんなこと到底出来ない訳で。お箸で少しずつ摘まんで口に入れては静かに咀嚼、その繰り返しだ。
「兄さん、女の子みたいですね」
曇りも無い様な笑顔でそんなこと言う妹に、分かってて言ってんだろ、と言い返したいのを押しとどめ
「はい、外見的に女の子です」と素直に口にした。