飴ノコベヤ
店の中は、そこだけ世界を切り取ったような不思議な所だった。
薄暗く柔らかい明かり、天井には回転式の羽が緩く回っている。
同時にとても涼しくて、外はこんなに暑かったのかと思う。汗がつぃと頬を伝った。
体の中に溜まった熱っぽい空気を吐き出したくて、大きく吐息をついた。
後ろで扉が閉まる。
その音が妙に大きくて、思わず息を呑んで振り返ってしまった。
扉は異様に重たく、大きく見えてここと外の世界を隔てているようで、寒気が襲う。すぐに店内にいるはずのエリスを探し、自然と急いだ足で向かった。
「おかしい、ですね」
エリスが出した怪訝な声。身長差のあるカウンターで、ひょこひょこと跳ねながら無人の店奥を伺っている。
確かに、人の姿も見えないしそれらしい気配も無かった。一緒になって覗き込んだ店の奥は真っ暗で、また得体の知れない何かを感じてぞっとした。
「休憩、とかじゃないのか?」
なら照明くらいついているはずだ、と正論を述べる心を無視して、ありきたりな単語を挙げる。
「そうかもしれませんね」
彼女は別段気にした様子は無く、なら少し待たせてもらいましょう、と長い髪を揺らしながらテーブルへ歩く。
その挙動に多少ほっとしながら後を追った。
ーーーー
人間は適応能力の進化で生き残る。
数分もすればこの不思議で異質な空気に慣れ、またいつもの退屈が戻ってきた。結局こうなるのかとガラス一つ隔てたいつもと違う風景をぼんやりと眺める。
さっきまで別の世界みたいだとか、雰囲気がどうとか、柄に無くはしゃいでいた自分が子供染みてバカみたいに思えた。
穴をあけられた風船みたいに、俺の心は興奮が収まっていく。
「これ、何でしょうか」
視線を窓から正面に戻すと、そこにエリスの姿は無かった。
教室とだぶる視界。俺の手元にはノートじゃなくて、場所を探して結局テーブルの上に置いた黒い鞄。
椅子から居なくなった少女は壁に背を向けた棚の前に移動していた。
「先輩、これは紅茶の葉じゃないですか?」
面白いものを見つけたと言わんばかりに少し上ずった声と共に振り向く。その手には小さな小瓶が乗っていて、随分と時間が経ったようなラベルが貼られている。
彼女も暇を感じていたのだろう、その小瓶を棚に戻すと次々に物色し始めた。
「へぇ。結構種類があるんですね」
さっきしぼんだはずの心がまた、好奇心でむくむくと膨らんでくるのを感じる。
勝手に漁るのは、店主に対して悪いと思いながらも俺の足は、手は止まらない。多分俺も止める気など微塵も無いのだろう、まぁ、彼女という免罪符もある。
エリスの隣に立ち、俺の身長よりも高い棚を見上げた。
ずらりと陳列した大小様々な小瓶は、中に枯れて乾燥した葉のようなものが入っていて、なるほど。ここが喫茶店ということを考慮すると、紅茶の葉に行き着くのも頷ける。
棚の端から、まるで本の流し読みのように目でラベルを見てゆく。
多分英語で書かれているはずだけども、掠れていて何が書いてあるか分からないものが殆どだ。
ふと、一つの小瓶が目に止まり、無言で何かから惹きつけられたように手に取った。
そのガラスで出来た透明な小瓶は、中に何も入っていない。はずなのだが、何か、何か入っているようで他の小瓶よりいくらか重いように思えた。
さらにラベルの文字に被せるように黒い太線が引かれていて、何が入っていたのか、入っているのかが分からない。
それが更に俺の好奇心を刺激する。
エリスが、空の小瓶をじっと見つめている俺を不信に思ったのか横から顔を覗かせる。
瓶と顔の間に影が入り込んで、彼女の髪から甘い匂いが漂った。
「あっ」
何時の間にか汗ばんでいた俺の手から、小瓶は滑り落ちる。
木製タイルが敷き詰められた床で、砕けた破片が周囲に散乱する。
射し込んだ光が鋭いガラス片に反射して、様々な角度に輝き、物が壊れ散る瞬間だというのに綺麗だと思った。
丁度真ん中から割れて、蓋を開ける以外の方法で中身が飛び散る、はずだけど何も入っていない。
ただ、俺とエリスの前で入れ物が壊れただけだった。
でも、俺は確かに感じたんだ。
入っていたはずの何かが、この中に。
入れ物が、俺に変わっただけだって。
2000文字いかなかった、でもいいか、ゆっくり書こう。