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自分の狂気。

視点――――主人公



 俺が天野さんについて行って、見たものは信じれない光景だった。

 不健康青少年が営業マンさんの首筋に注射針を当てていて、それが営業マンさんの首に刺さった。そして、そのまま倒れていく。まるで、死んだかのように。

 一瞬自分の目を疑った。けど、天野さんが焦っていたという事実と照らし合わせてみると不思議なことではないように思える。だから、これは俺が信じたくなかっただけだ。この現実を。

「……ッ」

 不健康青少年の表情が驚きの一色となる。そしてすぐに営業マンさんから離れる。それは逃げているようにも見えた。

 俺は状況を把握するのに必死で声を出すことができなかった。代わりに天野さんが不健康青少年に声を掛けた。

「だ、大丈夫ですか!」

 大きな声だった。必死さが声色にも伝わっていた。

「どうして戻ってきた」

 不健康青少年は天野さんに返事をしたのにもかかわらず視線は俺に向いている。

「まあいい。ちょっと、ズボン穿かせてくれ」

 何となく不自然だが自然の事のように思えてしまっていたボクサーパンツ一丁という事実に目を向けてみた。そして、どうしてパンツ一丁なのだろうかと、何故か後回しにしていた疑問が浮かんでくる。けど、そんなことはどうでも良かった。今はただ、不健康少年。彼が人を殺した。それを今見た。そして、それを見た俺はどう接すればいいのか? と、どうでもいい事がまず頭に浮かんでくる。

目の前で人が死ぬのを見たことが死んでから二度もあったのが嫌だった。殺し合いなんてして欲しくなかった。そして俺は殺し合いを止めるために全力を尽くそうと決意したのに、何もせずに遊んでいた。

 しかも、また誰かが殺されるのではないかと不安ではいた、けどそれを忘れるために現実逃避をした自分が情けなかった。

「ん?」

 ふと気づいた。不健康青少年が何か変な顔になっている。それは言葉通りの意味ではなく、何か気がかりがあるような顔。それは最初は殺人をした後悔だと思ったが、それは違うと何となく思えた。

 何かがあるかもしれない。 

 そう思った次の瞬間日本刀が投げられた。

 俺の理解が追い付く前に不健康青少年の背中に刺さった。深く。それは冗談のような光景だった。

「あぅづぐぐぁぁつっ」

 言葉にならない声を上げる。それは悲鳴にも似た絶叫だ。いや、嗚咽に近いかもしれない。俺は呆然としていた。そして、天野さんの悲鳴が聞こえる。それでようやく事実が頭の中に入ってくる。

「あはは、危なかったです。思わず殺しちゃいました」

 いつもの口調で、変わらずに言う

「いやあああああああああああああああああああ」

 何度かも分からない天野さんの絶叫。

 でも前は状況整理するのにも時間がかかったけど、今度はすぐに理解できた。

 営業マンさんが不健康青少年を殺したのだ。

「どうして……殺したのですか?」

 俺は自分でも驚くほど落ち着いた声色で彼に尋ねる。

 落ち着いた、というと語弊があるかもしれない。

きっと、冷めた。と言った方が的を射ているだろう。

「殺したかったからですよ、いつもそうです。僕は殺したいから殺すんです」

「ぐふっ……まだ、生きてるぞ、おぃ」

 俯せに倒れていたけれど、どうにか声を出す。しかし、その声は今にも消えそうで、安心させるために声を出したのに逆効果だ。

「だ、大丈夫ですか!」

 言って駆け寄る天野さん。

「これが……大丈夫っ、に、見えるな…ら、頭の病気だぞ」

「そうですか? 実は大丈夫とかはないのですか?」

 おどけたように言う営業マンさん。刺した本人なのに、その顔には残念そうで、後悔も混じっている。

 どうして俺はこの状況で、何も言うことができないのだろうか。何か言えよ俺。俺はいつも、こうやって後悔しているんじゃなかったのか? 何もできない。何もしようとしない自分が嫌だったんじゃなかったのか? そう自問自答してみても、嫌だ。これは間違っているという言葉一つも出ない。

 ただ、俺の中で、何かが壊れる音は聞こえたが。それが何なのか、全体像が見えてこない。

 営業マンさんが立ち上がって、俯せに倒れている不健康青少年に近寄る。不健康青少年に寄り添う形でいた天野さんはそれに気づくと、反射的に逃げてしまう。

「あれ? 傍にいてあげなくていいのかい?」

 営業マンさんが皮肉を言う。そして、彼の瞳にはうれしさだけがあった。

 何がうれしいのか俺には分からない。ただ分かるのはそれは間違っている。その事実だけだ。でも、その事実すら虚しく、もう意味のないものになっているかもしれない。

 ここは生きている人のいる世界ではない。どこかで、何かがおかしく、狂ってしまった人が集まる世界だ。だから、俺の知っている常識は成り立たないかもしれない。

 いや、それ以前に俺の常識が誰よりも狂っているのかもしれない。

 だから、笑いたいときに笑う。泣きたいときに泣く。そんな単純なことでさえ正しいのかも分からない。

「……、いいんだ、それで。とにか…くっこいつから………逃げて、生きてくれ」

 血を吐きながら、言葉も吐く。しかし、不健康青少年の目が少しずつ虚ろに、体は無機質に近づいていく。もう彼の命は長くない。あと数分だろうと推測さえできてしまう。そこで、追い打ちをかけるように不健康青少年に刺さった刀を抜こうと近づく営業マンさん。

 彼に凶器を持たせてはいけない。そう本能が囁く。しかし、気が付いた時には手遅れで、彼は刺さってあった日本刀を引き抜く。

 それと同時に血があたり一面に飛び散る。グロテスクとは思わなかった。俺はそれを美しいと思ってしまうほどだった。そしておそらく不健康青少年が死んだ。      

 今度もあっけなかった。思えば死というものは本来あっけなく、寂しいだけの物のような気がする。それを今、たくさんの死に触れ分かったかもしれない。

 しかし、そんなことは今は考えている暇はない。営業マンさんが殺人鬼となって襲ってくる気がする。流れで。不健康青少年を殺したついでに。そう。俺は殺されると予感した。

 案の定彼は話しかけてくる前に俺に近づいてくる。まるで、鬼ごっこの鬼のように。そしてその鬼は早く鬼から変わりたいと思うような単純な鬼ではなく。純粋に鬼を愉しんでいる、真の鬼だ。――殺人鬼だ。

 しかし、俺は一歩たりとも動けなかった。いや、動かなかった。いつもの悪い癖が出ている。自分の命がどうでも良くなってしまっている。ふと、いつから俺はこんな癖がついてしまったのだろうと思い返す。ただ、思い返す前に叫び声が聞こえて、意識を現実に戻される。

「逃げてください!」

 天野さんの声。

 必死で、悲痛だなと思った。その声は涙交じりで声に焦りも混ざっている。

「逃げて!」

 もう一度叫ぶ。しかし、俺の心は打たれる事もなく、ひどく落ち着いてしまっている。何もかもがどうなっても良い。そんな風に考えている。今となっては早く殺して欲しかった。ようやく分かった、俺の何が壊れたのが。

 どうしてか? それは普通の人には分からないかもしれない。いや、普通の人と区切るのは普通以外の人にたいそう失礼だ。だから、俺以外の人には分からないかもしれない。そう訂正する必要がある。

 それは生きる意味が分からなくなったからだ。

いつからか俺は俺の生きている意味を探すことに必死だった。たぶんこれくらいの事は誰でも思うことなのかもしれない。ただ、普通の人は答えを見つける前に人は考えていたことすら忘れてしまうと俺は思う。しかし、俺は偶然にも人が生きる意味は見つけられなかったけど、俺が生きる意味を見つけられた気がした。ただの自己満足でしかないそれは、生きている時、苦しい時に俺を酔わせてくれて、俺の支えだった。

 俺は他人のために生きているんだ。

 自分のためではない。他人のため。

 偽善だと思われるだけかもしれない。実際、誰もが偽善だというだろう。人の為と書いて偽。なんて言葉からも分かる。

しかし、俺は偽善ではないと思う。そもそも善ですらないかと俺は思う。だって、勝手に俺が他人のために生きるって思うんだぞ。他人もいい迷惑じゃないか。だから、これは俺のただの身勝手だ。でも、唯一の俺の生きる理由でもあった。

 ただ、死ぬまでそれを貫き、死んでからもその考えを、いわば宗教のように信仰している。しかし、いざ振り返ってみて、俺が、他人のために生きるといって、他人のためになった事があったのだろうか。それを疑ってしまう。むしろ迷惑ばかりかけている気がする。そう思ってしまう。俺が馬鹿みたいに信じていた自分の道が、そもそも不可能なのだと分かってしまう。

たぶん俺以外の人からしたら、たったそれだけのこと、なのかも知れないが、俺は生きる意味を失くして生きていける気がしない。実際、今俺は生きることを放棄してしまっている。……もう一度死んでいるのだから、死を放棄というのは表現が間違っているのかもしれないけれど、当たり前だが、生きていたあの世界には二度死ぬときの、二度目に特に言葉はつけられておらず、だからとりあえず死ぬと表現するしかないのだ。

 こんな表現がどうとか、そんなことは今俺の置かれているこの状況にすることではない。そんなことはどうでもいい。はずだ。しかし、今の俺にとっては生きることも、こんなどうでもいい言葉の事と同じくらいに位置付けられている。どうでもいいのだ。どうでも……。

 走馬灯という奴なのだろうか……、目に映るものがスローに思える。だから一思いには殺されないんだろうなと知覚する。営業マンさんは相変わらず笑顔だが、日本刀が血で赤く染まっており、そのせいで切れ味とかが落ちている気がする。だから、俺の唯一の心残りはそれだ。楽に死ねないことだけだ。

「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ」

 天野さんの悲鳴が聞こえる。ただその時にはもう日本刀が振り切られる直前で手遅れだ。

 ただでさえ自分が嫌いなのに、唯一の生きる意味をなくした俺に、もう生きようとする気力はない。だから――。

 もう、いいんだ。ごめんね。お姉ちゃん。

 切っ先が眼前五センチでぴったりと日本刀が止まった。すぐにどうしてだ? 疑問が湧く。どうして殺してくれないんだ? 

「君には失望しました。……いや、逆に尊敬できるかもしれません。あなたほど自分の死に無関心な人に出会ったのは初めてです」

 営業マンさんが睨み、凄みながらそう言う。その声も初めて聞く。いつもの穏やかな声じゃなく、真剣に怒っているような声。そして失望と言ったが、それは言葉だけで、声からは怒りしか読み取ることはできない。

 また疑問が湧く。どうして、どうして俺に怒るのだろうか? 分からない。……この人は俺を含めて、皆を殺したいのではなかったのか? だったら俺みたいに楽に殺せる人がいるのは喜びはあっても怒りはないはず。違うのだろうか。どうせ俺の考えだ。違う可能性のが高い。

「どうして?」

 たくさんの疑問が頭の中を埋め尽くしたせいで、自然と口が動いてしまった。

「つまらないからですよ。死んでから。つまり、自殺した人しかいないこの世界ではあなたみたいな人がたくさんいます。死について無関心で、無頓着。ひどいと死にたいとしか考えることしかできない人まで」

 話し始めて少しずつ表情も戻ってきたが、笑顔にはならない。無表情。もしかしたらこれが彼の本質なのかもしれない。

「たくさん殺してきました。……そして死んで初めて、生きたときにも会えなかったような人に出会いました。ですが、さっき殺してしまいました。どうしてでしょうかね、本当に求めている人はすぐに出会えなくなってしまう。ただ、あなたのように僕でさえ軽蔑してしまうような人種とは、いつまでたっても出会い続けるのですよ」

 そういって首筋に当てられていた日本刀を外す。

「どうして?」

 それしか言えない。……それ以外の言葉が出てこない。この言葉が今の俺の全てだった。

「僕は人殺しです。ですが生きることを止めたあなたはもう人ではありません。だから、殺しません」

 悲しく言い放ち、天野さんの方へ向かう。それを見た天野さんは急に取り乱し、死の恐怖に怯える。それが普通なんだろうと思う。

「そうですよ。こういう反応をされなければ僕は殺しなんてしたくありませんよ」

「嫌ぁぁっ来ないでぇ!]

 ゆっくり近づく、しかし、天野さんは逃げない。……違う。逃げれないのだ。恐怖で足がすくんでいる。

「たすけて……」

 小さな声で言う。その言葉をこの場で聞けるのは俺しかいないのに、俺に向けられた言葉ではなかった。

 本当にいいのか? お前の生きる意味。そして、生きている理由。全ては他人のためではなかったのか? 自分の声が聞こえる。その声は冷たく、酷く、人間味のない理性の声。いや、理性だからこそ本当は人間らしい声なのかもしれない。その声が俺に問いかける。

 どうせ無駄だ。意味のない行為だ。……そう言いかえす。

 お前は他人を見殺すのか。そう返される。そして、俺はその声に恐怖する。いや、声じゃない。その問いに恐怖する。

 俺に見殺しをできるほどの心はない。怖い。恐い。きっと後悔によって俺の心は壊れるだろう。

 もう壊れているようなものだ。と、また違う声がする。その声は諦めに満ちていて、俺の心はそれにひきつけられる。諦めは、心が最も求めるものだ。だから吸い寄せられる。しかし、それでは何の解決になっていない。と、理性の声がする。

 だけど、そんなことはどうでもいい。どんなことだってどうでもいい。誰が死のうが、他人が死のうが、俺が死のうが、どれも大した違いはない。

 どうでもいい。

 結局それが結論だった。そして、ぼんやりと殺されるところを傍観している。ぼんやりと。まず足首を切ったようだ。そして、悲鳴が俺の鼓膜を振動させる。……うるさいがどうでもいい。その次に右手、左手。同時に悲鳴。涙は流れていないが、目を大きく開いている。次に腹を刺す。ゆっくり。悲鳴が小さくなった。やった。もううるさくない。そして、刺したのを抜き空に向け刀を上げる。大きく振りかぶって、首を切り落とす。血が落ちるようにして出る。そして、ひどく暗い顔をした営業マンさんが俺を見る。侮蔑するように。その眼でお前なんか殺さないと告げているようだ。

「あなたには失望しました」

 ここで、まだナイフを手に持っていることに気付く。こんなもの何の役にも立たなかった。だって俺が持っているのだから。何もできない。何もしない。流されるまま、そして自分の夢もなく、希望もなく、生きる意味を失ってしまった俺が、そんな俺が持っているのだから。それは殺人のため、肉を切るための道具ではなく、だからただの木の棒と何にも変わらない。

 でも、見殺しをした身分にもかかわらず後悔しているこの心が嫌だった。

初めて死にたいと思った。死ねない。自殺できない。それを知っているのにもかかわらずナイフで首を掻っ切ってみた。無意味だった。死ねない。だから、一思いに行くのが駄目だと思い込み、お腹を切ってみることにした。駄目だった。死ねない。気が付いたら治っている。死ねないというのは死ぬことよりも怖かった。今でようやく気付く。彼は俺がこうなることを知ってて殺さなかったのだ。俺が自殺することを知っていたから殺さなかった。俺を苦しめるためだけに殺さなかった。

 それに俺は酷いとしか思わない。どうして殺してくれないのか。それが嫌だった。嫌で嫌で、我慢ができない。だから叫んだ。言葉はない。言えない。だから叫んだ。叫ぶしかなかった。気が付いたらまともに目が開けれていない。見る者すべてが歪んで見える。涙を流している。

 眼前に幻。影。人の影。誰かが俺を呼んでいる。

 でも、どうだっていい。どうでも、いいんだ。

「パシィィィィィイン」

 乾いた音が響く。しばらくして頬に痛みを感じる。目の前には十人目の子がいた。なんでこの子に俺はビンタされたのかが分からなかった。

「見損なった! 君はそんな蛆虫な人間じゃないと思ってた」

 そんな事なんで君に言われなくちゃならないんだ。どうして? 

「なんでそんなこと、俺に言うんだよ」

「あなたが自分を見失ってるから。ここに居る人の中でまだ正気だったのに。歪ではあったけど、他人のために、努力してた。それは止めたの?」

 何を言ってるんだ。こいつは。そんな事、最後に来たこいつは知らないはず。わけがわからない。何も知らないはず。

「どうして?」

 理解不能。急に性格の変わった十人目について行けない。意味が分からない。

「……自分で考えて。私は先に行くから」

「…………」

 そう言い放って走り去り、俺の視界から消えてもなお、俺の心は疑問しかなかった。でも、そんな疑問さえどうでもいいと気付いて俺は考えるのを止めた。

 何もしたくない。それに俺の心は落ち着いた。

 しばらくぼうっとしていると、自然と昔の事を思い出す。そういえば、お姉ちゃん、元気かな。自殺せずに生きててくれよ。

 なんとなく心で呟いた。そして気づく。俺はずるい。自分は自殺しようとしたくせに、姉の自殺は邪魔をした。……ははっ、可笑しいな。やってることと言ってることがめちゃくちゃだ。

 たぶん最初から間違ってたんだ。他人のために生きるなんて不可能なんだ。理想論ですらないかもしれない。ただの自己満足、かもしれない。だから――。

「何やってんだろ……俺」

 目を瞑る。……何も見ないように。

 耳を塞ぐ。……何も聞かないように。

 どうして……俺、もっとうまく生きれないのかな。


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