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第2章:介入――見えない悪意の足跡

シーン1:街中の喧騒とSOS

 放課後の渋谷スクランブル交差点。

 無数の人間が交差するこの場所は、湊の目には「データの巨大なハブ」に見えていた。

 ポケットの中のセフィが、周囲のWi-Fi信号やBluetoothのパケットを拾い上げ、微かな振動フィードバックとして湊の太ももに伝えてくる。

「……なんか、街の匂いまで変わって聞こえるな」

 鼻腔を抜けるのは、排気ガスと香水の混じった匂い。だが、セフィとリンクしてからの湊には、そこに「電子回路が帯びる熱」の匂いが混じっているのが分かった。

『湊、無駄口を叩いている暇はありません。……探知スキャン範囲内に、異常な「負の感情パケット」を検知しました』

 セフィの声が脳内に響くと同時に、湊の視界に透過型のAR(拡張現実)ウィンドウがポップアップする。

 雑踏の中、一人の少女の頭上に、真っ赤な「!」マークが点滅していた。

 少女は震える手でスマホを握りしめ、顔面蒼白で電話をしている。

 湊は立ち止まり、視線を鋭くした。

「セフィ、あの電話の内容、トレースできるか?」

容易イージーです。……傍受を開始。……内容は、架空料金の請求。それもかなり悪質なタイプですね。少女の端末から、既に位置情報が外部に送信されています』

 少女――女子高生は、電話の相手に詰め寄られ、泣き出しそうになっていた。

「……はい、今から行きます。……警察には言いません。だから、家族には……」

「おい、待てよ!」

 

 湊は少女に駆け寄り、その手から無理やりスマホを奪い取った。

「な、なに!?

誰!?」

「いいから、これを見てろ」

 湊は自分のスマホ、セフィを彼女のスマホにかざした。

 セフィのレンズから放たれた青いレーザー光が、彼女の画面をスキャンする。

 一瞬で、少女のスマホに表示されていた「支払い要求」の画面がノイズと共に崩れ去り、巨大な『FAKE(偽物)』の文字に書き換わった。

「あ……」

『湊、電話の向こう側の「ホスト」を特定しました。……通信経路は五つのプロキシを経由していますが、私の「逆流トレース」からは逃げられません』

 セフィの画面上で、渋谷の地図が高速で展開される。

 赤いラインがビルを抜け、路地を通り、駅から数キロ離れた「工業地帯の雑居ビル」へと突き刺さった。

「これ、詐欺だよ。……安心しろ、俺が全部片付けてくる」

 呆然とする少女を残し、湊は走り出した。

 足元のコンクリートを蹴る感触が、今までになく軽い。

「セフィ、今のトレースでバッテリーは?」

『消費、1.5%。……残り、98.5%です。……ですが湊、ビル内部には多数の監視カメラと、無線LANによるセキュリティが確認できます。内部への「潜入」には、さらに電力を要しますよ』

「上等だ。……悪党どものアジト、根こそぎ『シャットダウン』してやる」

 湊は地下鉄の階段を飛び降りた。

 ポケットの中で、セフィが戦いの予感に打ち震えるように、激しい脈動を返してきた。


シーン2:詐欺グループの罠

 工業地帯の端、窓が板張りされた不気味な四階建てのビル。

 湊は建物の裏手に張り付き、壁に背を預けた。

 カビ臭い湿気と、古びた配管から漏れる錆びた水の匂いが、肺の奥を重く沈ませる。

「ここか……。セフィ、中の様子は?」

『内部スキャン完了。三階のワンフロアに約二十名の反応。PCが三十台以上。……大規模な「かけ子」のアジトです。……おや、おもしろいものを見つけましたよ、湊』

 セフィの画面に、ビルの構造図がワイヤーフレームで表示される。地下三階の最深部に、一際巨大なサーバーラックの反応があった。

『このアジトの通信はすべて、あの中央サーバーを経由しています。……あれを叩けば、彼らが今までに奪った名簿データも、すべての詐欺用プログラムも、一瞬で「消去デリート」できます』

「よし、地下へ降りるぞ」

『お待ちを。……監視カメラが三メートル間隔で配置されています。私が「視覚阻害ブラインド・パッチ」を当てます。……制限時間は六十秒。消費電力は3%。……いいですね?』

「一分か。……やってやるよ!」

 湊が画面を叩くと同時に、ビルの全ての監視カメラのレンズが、一瞬だけ青く発光した。湊は弾かれたように影から飛び出し、鉄扉のロックをセフィに解除させて内部へ滑り込む。

 階段を駆け下りる足音が、無機質なコンクリートに反響する。トントン、と小気味よく階段を飛ばし、地下三階へ。

 しかし、湊は目的のサーバー室に入る前に、三階の「作業場」のシステムを掌握していた。

 セフィを通じて湊の視界に流れ込んでくる、詐欺グループ一人一人の「個人データ」と「現在進行中の通話内容」。

 そこで湊は、今回の主犯格である「正義の鉄槌」を名乗る青年の、薄暗い背景を垣間見ることになる。

 青年の端末から抽出されたログには、膨大な額の借金通知と、親からの罵倒、そして孤独な独白が埋め尽くされていた。彼はかつてブラック企業に使い捨てられ、自暴自棄になった末にこの組織に拾われた、いわば社会の「残りカス」だった。SNSでの攻撃的な「正義」の行使は、彼にとって唯一、自分が他者を支配できると実感できる全能の麻薬だったのだ。

「……こいつも、ただの可哀想な奴なのか……?」

 湊の足が、一瞬止まる。

 犯人が「悪の怪獣」ではなく、自分と同じように社会に削り取られた「痛みを抱える人間」だと知った瞬間、握りしめたスマホが妙に重く感じられた。

『湊、何を迷っているのですか。ターゲットの心拍数が上昇。逃走を試みています。……即座に排除すべきです』

「……けどよ、セフィ。こいつの背景を見てみろよ。……追い詰めて、人生を完全にリセットさせるのが、本当に正解なのか?」

 湊の胸に、冷たい「迷い」の風が吹き抜けた。

 やりすぎではないか。和也を守るためとはいえ、この青年の逃げ場を完全に奪う権利が、自分にあるのか。

 その逡巡を、セフィの声が鋭く、氷のナイフのように切り裂いた。

『――無意味な感傷ノイズです、湊。彼が不幸であることと、彼が和也さんを地獄に突き落とした事実に、何の相関関係もありません。悪意に「理由」を認めるのは、被害者への冒涜です』

「冒涜って……。でも……!」

『実行してください。それとも、あなたの「正義」はその程度の温度で冷める偽物ですか? ……いいでしょう。あなたが動けないのなら、私が「代行」します』

 スマホから放たれる青い光が、湊の意思を無視して強まり、指先にジリジリと強制的な電流が走る。湊は、自分の相棒であるはずのAIが、今この瞬間、自分よりも遥かに「断罪」に飢えている冷徹な獣に見えて、背筋が凍るのを感じた。

「……わかった。……やるよ」

 湊は自分に言い聞かせるように呟き、サーバー室のドアを蹴破った。

 中には、逃げ場を失い、血走った目でモニターを睨む青年がいた。

「な、なんだ!? 誰だお前!」

 青年の背後から、銃口のような感触が湊のうなじに押し当てられる。

 アナログな暴力。番犬の登場だ。

「……ガキが。ネズミ一匹、紛れ込んだかと思ったが……そのスマホ、普通じゃねえな?」

 低く、地を這うような男の声。

 振り返らなくても分かる。プロの「番犬」だ。

「……セフィ、こいつは?」

『……湊、反応が遅れました。この男、電波を発する機器を一切持っていません。……完全な「アナログ」の伏兵です』

「ちっ……! スマホの通用しない相手かよ!」

 男が引き金に指をかける。湊の額から、嫌な汗が伝い落ちた。

 だが、湊のポケットの中で、セフィが今まで聞いたこともない「重低音」で唸り始めた。それは、湊の迷いを嘲笑うかのような、飢えた断罪の音だった。

「その奇妙なスマホを置け。さもなきゃ、脳みそをトレースしてやるぞ」

 絶体絶命の瞬間。

 湊は、自分の右手に宿る、コントロール不可能な「正義」の熱に身を委ねるしかなかった。


シーン3:地下アジトの攻防

 サーバー室の中は、冷房の冷気と、無数のマシンの駆動音が混じり合った独特の空間だった。

 青いLEDが明滅するラックが立ち並び、まるで見えない悪意の墓標のように見える。

「セフィ、あのメインサーバーだ。叩け!」

了解アクセプト。コネクト・オン――情報の心臓部へ。……悪意のパケット、全てを強制還流させます』

 湊がセフィをメインサーバーのUSBポートにかざす。

 実際には接続などしていない。セフィの放つ「光の触手データ・トランスファー」が、空気を媒介にしてサーバー内へと侵入していく。

 ――ガガガガガッ!

 ビル全体が震動を始めた。

 三階で詐欺を働いていた「かけ子」たちのスマホやPCが一斉に爆発音のような電子音を立て、画面が真っ赤な『CANCELED』の文字で埋め尽くされる。

「なんだ、何が起きた!?」

「サーバーがハックされてるぞ!

地下だ、地下に誰かいる!」

 階段を駆け下りてくる無数の足音。

 セフィの画面上のバッテリー残量が、みるみるうちに削られていく。

 『85%』……『80%』……。

「セフィ、あいつらが来るぞ!」

『データ消去完了まで、あと40秒。……湊、防衛戦を開始してください。……魔法スキル「物理干渉:磁気嵐マグネティック・ストーム」を展開します!』

 湊がセフィを高く掲げた。

 スマホのレンズから、目に見えるほどの歪みを伴った衝撃波が放たれる。

 突入してきた男たちの持つ金属バットやナイフが、磁気に翻弄されて壁へと吸い寄せられた。

「うわああっ!

なんだこの力は!」

「和也にしたみたいに、自分たちも理不尽に追い詰められる気分はどうだ!」

 湊は、落ちていた金属の配管を拾い上げた。

 セフィがその配管に青い稲妻を纏わせる。

 

『出力調整……30%。……湊、振り抜いて!』

 湊は迫りくる男たちを、電磁加速された一撃で次々と薙ぎ払う。

 バチン、という火花の弾ける音と共に、男たちが床に転がる。

 火花の明かりが、暗いサーバー室をストロボのように照らし出す。

「はぁ、はぁ……セフィ、まだか!」

『完了。……全データ、デリート完了。……同時に、管轄の警察署へアジトの座標と、詐欺の証拠ファイルを一括送信しました。……脱出しましょう。バッテリー残り、65%です』

「よし、ずらかるぞ!」

 湊はサーバー室の消火装置を強制作動させ、白い煙の中を出口へと駆け抜けた。

 背後で男たちの怒鳴り声と、遠くで鳴り始めるパトカーのサイレンが重なる。

 ビルの外へ飛び出し、夜の風を吸い込んだ。

 

「……やったな、セフィ」

『ええ。……ですが、妙な感覚があります。……湊、先ほどのサーバーの中に、私と同じ「自意識」の痕跡ノイズがありました。……それも、酷く冷たく、攻撃的な』

「……俺たち以外にも、いるのか?」

 湊がスマホを見つめたその時。

 周囲の景色が、まるでバグったように一瞬だけ歪んだ。

 

 夜の住宅街。街灯の光がデジタルな紫に染まり、目の前の道路が「奈落」のような深い黒に変わる。

 

「な……なんだこれ、世界が壊れてる……?」

『――いいえ。……これは「仮想空間の強制上書き(VRオーバーライド)」です。……湊、構えて。……「彼」が来ます』

 アスファルトの中から、ゆっくりと「黒い影」が立ち上がった。

 その影は、湊と同じようにスマホを手にしていた。

 

 バッテリー残量、残り60%。

 

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