第一話
シャンデリアの光が宝石のように降り注ぐ、王立学園の卒業記念パーティー。
きらびやかなドレスを纏った令嬢たちと、仕立ての良い礼服に身を包んだ子息たちが、楽しげに談笑している。
その輪の中心から少し外れた場所で、わたくし、オリビア・フォン・アシュベリー侯爵令嬢は、グラスの中の果実水を揺らしながら、静かに息を潜めていた。
(ああ、退屈。早く帰って研究の続きがしたい)
見た目はしがない侯爵令шня。
魔力はほとんどなく、茶色の髪に茶色の瞳という、物語の主人公には到底なれない地味な容姿。それが世間一般の、わたくしへの評価だ。
けれど、わたくしには秘密がある。
このオリビアという人間には、前世――化学と薬学の研究に人生を捧げた、日本の研究者の記憶があるのだ。
(まさか、乙女ゲームによくある異世界転生なんてものが、自分の身に起きるなんてね。しかも、ヒロインをいじめる家柄だけの悪役令嬢……ではなく、その取り巻きCくらいの、どうでもいい役どころで)
この世界は、魔力の有無が人の価値を決めると言っても過言ではない。
だから、わたくしのような「魔力なし」は、たとえ侯爵令嬢であっても日陰の存在。家族からも半ば厄介者扱いされている。
そんなわたくしが、なぜこの国の宰相候補と名高い、アレクシス・ド・ヴァレンティン公爵子息の婚約者でいられるのか。
理由は簡単。わたくしの実家であるアシュベリー侯爵家が、代々商業で成功を収めてきた、裕福な家だから。
ヴァレンティン公爵家は、高い家格と魔力を持つ代わりに、財政は火の車。
我が家は、富と引き換えに、娘のわたくしに箔をつけたかった。
典型的な政略結婚というわけだ。
「オリビア様、こちらにいらっしゃいましたのね」
甘ったるい声に思考を遮られ、顔を上げる。
そこに立っていたのは、この物語のヒロイン――もとい、わたくしから婚約者を奪い取った女、イザベラ・ド・ローゼンベルク伯爵令嬢だった。
ふわふわと波打つ金色の髪。潤んだ青い瞳。
強力な光の魔力を持ち、その愛らしい容姿と相まって、学園では天使とまで呼ばれている。
(出たわね、腹黒天使)
もちろん、そんなことはおくびにも出さず、わたくしは淑女の微笑みを顔に貼り付けた。
「ええ、イザベラ様。少し休憩しておりましたの」
「まあ、いけませんわ。だって今夜の主役は、卒業生の皆様ですもの。さあ、アレクシス様がお呼びですわよ」
イザベラはそう言って、有無を言わさずわたくしの腕を取る。
彼女に引かれるまま、ホールの中心へと導かれた。
そこには、わたくしの婚約者であるアレクシス様が、苦虫を噛み潰したような顔で立っていた。銀色の髪に、冷たい紫色の瞳。彫刻のように整った顔立ちは、その冷徹な性格を隠すように、完璧な微笑みを浮かべている。
(……来るわね。この日のために、散々お膳立てしてきたものね、あなたたち)
わたくしの予想通り、アレクシス様は、周囲の注目が十分に集まったのを確認すると、凍てつくような声で口火を切った。
「オリビア・フォン・アシュベリー! 君との婚約を、この場で破棄させてもらう!」
シン、とホールが静まり返る。
集まっていた貴族たちの好奇心に満ちた視線が、ナイフのように突き刺さる。
わたくしは、か弱い令嬢の仮面を被り、震える声で尋ねた。
「……アレクシス様? なぜ、そのようなことを……」
「なぜだと? しらばっくれるのも大概にしろ!」
アレクシス様は、隣に立つイザベラの肩を抱き寄せ、庇うようにしてわたくしを睨みつける。
「君は、その恵まれない魔力を妬み、天使のように心優しく、類まれなる魔力を持つイザベラに、数々の嫌がらせをしてきた! 教科書を隠し、ドレスを汚し、挙句の果てには、彼女を階段から突き落とそうとまでしたそうじゃないか!」
(あらまあ、すごい創作物語。ミステリー小説でも書いたらどうかしら?)
もちろん、すべて事実無根。
教科書を隠したのは、イザベラ様を崇拝する取り巻きの令息。
ドレスを汚したのは、給仕にわざとぶつかったイザベラ様ご本人。
階段の件に至っては、彼女が自分で足を滑らせたところに、わたくしが偶然通りかかっただけ。助け起こそうとした腕を、「触らないで!」と振り払われたのが真相だ。
わたくしは冷静に反論を試みる。
「お待ちくださいませ、アレクシス様。それはすべて誤解です。わたくしは決して、そのようなことは……」
「黙れ! 見苦しい言い訳は聞きたくない!」
アレクシス様はわたくしの言葉を遮ると、イザベラを慈しむように見つめた。
「可哀想なイザベラ……。君はいつも、オリビアの嫉妬に耐えてきた。だが、もう我慢することはない。これからは私が、君を生涯守り抜くと誓おう」
「あ……アレクシス様……!」
イザベラは瞳に涙を溜め、うっとりとアレクシス様を見上げる。
周囲からは、「なんてお似合いの二人だろう」「さすがアレクシス様だ」「それに比べてアシュベリーの令嬢は……」などと、ひそひそ声が聞こえてくる。
(完璧ね。完璧な三文芝居だわ)
魔力を持たない地味な悪女が、魔力溢れる美しい聖女をいじめる。
なんて分かりやすい構図だろう。
魔力こそが正義のこの世界では、誰もわたくしの言葉を信じない。
もはや、何を言っても無駄。
わたくしは、この茶番を終わらせるために、最後の抵抗を試みた。
「……分かりましたわ。アレクシス様が、そこまでおっしゃるのでしたら。この婚約、謹んでお受けいたします」
そう言って、深く、深くカーテシーをした。
これで終わり。
あとはこの場を去れば、惨めな婚約破棄劇の幕引きだ。
――そう、思っていたのに。
「待て。まだ話は終わっていない」
冷酷な声が、わたくしの背中に突き刺さる。
顔を上げると、アレクシス様が嘲るような笑みを浮かべていた。
「婚約破棄を受け入れるだけでは、済まないだろう。君の罪は、ヴァレンティン公爵家の名誉を著しく傷つけた。その慰謝料を支払ってもらわねばな」
「……慰謝料、ですって?」
「ああ。そうだ」
アレクシス様は、勝ち誇ったように言った。
「これまで我がヴァレンティン公爵家が、君のアシュベリー侯爵家に融通してきた資金――その全てを、利子を含めて〝明日の正午まで〟に返済してもらう」
ざわっ、と周囲が大きくどよめいた。
ヴァレンティン公爵家がアシュベリー侯爵家に貸し付けている金額は、それこそ侯爵家が一つ傾くほどの巨額だ。それを、たった一日で返済しろと言う。
それは事実上、アシュベリー家への死刑宣告に等しかった。
(……なるほど。そこまでやるのね)
慰謝料というのは、ただの名目。
本当の狙いは、アシュベリー家の財産をすべて奪い、その上で、魔力も美貌も持つイザベラを新たな婚約者として迎え、彼女の実家であるローゼンベルク伯爵家を取り込むこと。
そうすれば、ヴァレンティン公爵家は、財政を立て直すどころか、以前よりさらに強大な権力を手に入れることができる。
なんて狡猾で、貪欲なのだろう。
わたくしの両親がこの事実を知れば、卒倒するに違いない。
周囲の貴族たちは、もはや同情ではなく、憐れみと侮蔑の目でわたくしを見ている。
「終わったな、アシュベリー家も」
そんな声が、どこかから聞こえた気がした。
絶望。
破滅。
この場にいる誰もが、わたくしとアシュベリー家の未来をそう確信したはずだ。
アレクシス様は、青ざめて震えるわたくしを見て、満足そうに口の端を吊り上げた。
「どうした? さすがに声も出ないか。まあ、無理もないだろう。君たちに残された道は、破産して平民に落ちるか、どこぞの成り金にでも身を売るか、それくらいだからな」
ああ、本当に、心の底から楽しそうだ。
人が絶望に染まる瞬間を見るのが、たまらなく好きなのだろう。
けれど、残念でしたね、アレクシス様。
わたくしはゆっくりと顔を上げた。
涙に濡れているはずの瞳で、まっすぐに彼を見つめ返す。
そして、唇に、ほんのわずかな笑みを浮かべた。
「承知、いたしました」
凛、と響いた声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「ヴァレンティン公爵家にお貸しいただいていた資金、そして慰謝料。すべて、明日の正午までに、きっちりとお支払いさせていただきますわ」
アレクシス様の顔から、笑みが消えた。
イザベラも、信じられないというように目を見開いている。
静まり返ったホールに、わたくしの声だけが響き渡る。
「ご心配には及びません。アシュベリー侯爵家は、あなた様がたのご想像よりも、遥かに〝豊か〟ですので」
(――ええ、そうよ。あなたたちが知らないだけ)
この地味で魔力のない令嬢が、水面下で何を成し遂げてきたのか。
この世界の誰も知らない知識を使い、どれほどの富を生み出す準備を終えているのか。
あなたたちが、わたくしからすべてを奪ったつもりでいるのなら。
その傲慢さが、自らの首を絞める刃となることを、すぐに思い知らせてあげる。
わたくしは、目の前の愚かな二人にもう一度、今度は心の底からの笑みで完璧なカーテシーを捧げた。
「それでは、皆様、ごきげんよう」
背後で誰かが息を呑む気配を感じながら、わたくしは一人、胸を張ってパーティー会場を後にした。
絶望の淵?
いいえ、違う。
これは、わたくし、オリビア・フォン・アシュベリーの、華麗なる逆転劇の始まりに過ぎないのだから。
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