第9話「よっ! ほっ! はっ!」
「よっ! ほっ! はっ!」
陽女は威勢の良い声を上げながら鴨川の飛び石を軽々と渡っていく。その見た目からは意外な程の跳躍力だが、あくまでも人間の域を越えない程度にセーブされた飛距離だ。吸血鬼としての能力をコントロールする力は日々、成長しているようだ。
「うん、これも大丈夫……と」
そんな彼女の姿を見て陸はそっとため息を吐く。大丈夫どころか、夕日が照り返す川面の上で日傘を翻しサングラスをかけて跳躍する陽女は、まるで天女か妖精の様に現実感のない存在だ。
この鴨川は京都市を縦断する大きな河だが、水深は非常に浅く点在する石を踏み台に人が渡れる場所が何カ所かある。一大観光都市の中にある素朴な自然は地元の人々にも観光客にも愛され、陸たち以外にも家族連れや友人同士など多くの人々が周囲を散策していた。
その内の何名かが楽しそうにはしゃぐ陽女を観て微笑みを漏らす。恋人とのデートで浮かれる女子、或いは何かの撮影と思っているのかもしれない。陽女にはそれだけの魅力があった。
そんな彼女だが数分前は餃子二人前を軽く平らげ、追加でラーメンもオーダーしていた。そこは普通の食欲旺盛な女子高生である。そう、吸血鬼であっても普通の女子高生。
結局、ニンニクは彼女に何の害も与えなかった。そもそも何かあるなら、店の前で換気扇から吐き出されるニンニク臭でダメージを負っていただろう。
つまりは無駄な時間と出費であった訳だ。もっとも気の許せる友人と気楽な食事を取る時間を無駄と言い切れるなら、ではあるが。
特に陸にとって、誰かと食卓を囲むのは久しぶりの経験でもあった。
「先輩、何か異変はありませんか?」
「異変~? うん、胃はだいぶ落ち着いたし、食べた分のカロリーは消え去ったと思う!」
追いついた陸の問いに陽女は朗らかに応えた。そもそも鴨川まで来てこんな事をしているのは、陽女が
「食べたぶん消化したい!」
と言い出したからなのだ。……
もっとも吸血鬼に体重の増減はあるのか? という疑問はあるのだが。
「そんな簡単に消費できたら、みんなダイエットで苦労しませんよ……。僕が言っているのは例の、吸血鬼的な苦しさとかです」
「そっちか~。確かに食欲が満たされたら次は性欲って言うし、ちょっと吸いたくなってるかな~? ……くれんの!?」
「そういう意味じゃないし今はダメです! あとほいほい性欲とか口にしないで下さい! 僕が確認したいのは流れる水を渡った影響です」
「あ~」
言われて陽女は自分の全身を見渡す。あれほど動いて息が乱れず汗ひとつかいてないのは吸血鬼として普通の状態であり、異変ではない。日焼け止めも王将のトイレで塗り直したし大丈夫だ。
つまり……何も影響は無さそうだった。
「何もないよ~」
「そうですか。じゃあニンニクに加えて流れる水も影響無し、と。これでプールへ行く手間が省けましたね。しかし吸血鬼の伝承って割と適当なんだ……」
「えーっ!?」
納得しスマホのメモを打ち込み出した陸の肩を、陽女は唸りながら掴んだ。
「何ですか?」
「りっくん……謀ったね!?」
「何をですか?」
「プール行くの恥ずかしいから、川で済ませようとして~!」
「プールが面倒くさいと思ってたのは事実ですけど、『鴨川……行こ?』って言い出したのは先輩ですよ?」
「そんな綾野剛のヤクザみたいな言い方、してへんもん! ちょっと似てるのがムカつくわ~」
「似てますかね?」
陽女が言及しているのは『カラオケ行こ!』という映画だ。ある音痴なヤクザの男性と合唱部少年の交流を描いた物語で、もしそれに例えるなら自分はむりやり連れ出される男子中学生の方ではないか? と陸は思った。
「似てるよ! 普段あまり話さへん関西弁に……」
そういう陽女の目に、あるものが映った。自分たちに続いて飛び石を渡っていた親子連れの子供が、足を踏み外し川面に落ちようとする姿である。
「きゃー!」
母親の悲鳴は我が娘が川底の石に顔を打ち付ける未来を視てしまったからだ。もし水深があれば別の、例えば溺れる心配が発生していただろう。だが鴨川は浅い為、勢いよく飛び込んだ人物は、減速することなく石などに衝突してしまう。
……だがそれは実現しなかった。
「ほい~」
とんでもないスピードでその場へ駆けつけた陽女が少女を抱き留め、高い高いをするように抱え上げたのだ。
「きゃっきゃ!」
5歳くらいの少女は落下の衝撃も母の叫びも一瞬で忘れ、喜びの声を上げた。
「あああっ! ありがとうございます!」
少女の父親が慌てて駆け寄り、礼を言いながら陽女から娘を受け取る。母親の方は半狂乱で涙を流しながら頭を深く下げた。
「おおーっ!」
その光景を見た周囲の人々が、陽女の勇敢かつ鮮やかな行動に拍手を贈った……。
「ひゃっひゃっひゃ! くすぐったいって~」
数分後。陽女と陸は他の男女から等距離を置き、川岸に座っていた。鴨川名物の『等間隔に座り川を眺めるカップル』である。
但し、相違点が一つだけあった。女子の方が靴下を脱いで座り、その足を男子がタオルで拭いてやっているのだ。
「申し訳ないですけど大きな声を出さないで下さい。目立ちますから」
陸は咎める内容を言ったが、その口調は非常に穏やかだ。それもそうだろう。誰一人動けなかったあの一瞬、陽女は矢の如く飛び出し幼子の身に起きたかもしれない惨劇をくい止めたのだ。そんな彼女へ厳しい事など言える筈がない。
「そうかな~? みんな自分らの世界にどっぷりて、余所は見てへん感じで~」
陽女はそう反論しながら周囲を見渡す。彼女の言う通り夕暮れ時の鴨川の岸辺に座るカップルは殆どが『二人の世界』に浸っており、仮にすぐ近くでゴリラが玉乗りしながらお手玉をするような曲芸を披露しても気づかないだろう。
「でもさっきの救出劇を見てた人がいるかもしれませんし、そもそも先輩は派手なんですよ」
陸は片方の足を拭き終わり、逆へ移りつつ言う。先程の陽女はとんでもないスピードで曲芸的な動きを行った。冷静に離れた所から見ていた人物であればその異常さに気づき、彼女を注視しているかもしれない。
その上この女子高生は……人々の目を引く魅力があった。もともと恵まれた容姿と魅力的な体型をしていたが、吸血鬼になって一種の妖艶さが加わり通り過ぎる男女が振り返って見る機会もだいぶ増えているのだ。
もちろん、周囲の男女は恋人同士であり今は互いのパートナーに夢中の筈だが。それでも陸はこちらをチラチラと見る視線を陸は感じていた。
「さ、靴下は自分で履いて下さい。あと日傘をお借りします」
陸はそう断って日傘を広げると、視線を遮る様に二人の頭上へ広げた。そして、陽女の耳元でボソっと呟いた。




