第36話「はい、無事です。洛聖の奥川君も家へ帰しました」
「はい、無事です。洛聖の奥川君も家へ帰しました。全生徒明日は自宅待機で、それからリモートで……あ、詳細は掲示板ですね。分かりました」
陽女は教頭先生から直々にかかってきた電話へ淀みなく嘘を交えて答え通話を終了した。かしこまった場では平然と、しかも京都弁を出さずに問答できる女である。それから彼女は持ち帰った輸血パックの一つを開封し、自宅のベッドで横たわり新鮮な乙女の血を味わいながら学校の様子へ思いを馳せた。
電話の向こうの、教頭先生がいる御西女学院の校内はまだ混乱の極みであった。文化祭の最中、白昼堂々と献血バスが強奪され教師と生徒約5名も連れ去られたのだ。直ちに警察が学校を封鎖し生徒や来客の安全確認と現場の保全に当たったのも当然と言えよう。
それでも夜になって、生徒の大部分は家へ帰され再度の安否確認が行われていた。これはこういった事態の際に、これ幸いと帰宅せず遊びに行く生徒が少なからずいるからである。
その安否確認、基本的にはメッセージアプリや学校関係者用のクローズドな掲示板が利用されるが、陽女達数名に関しては電話も用いられた。献血バスとボランティア部は直接の関係があること、催し物である上映会に多数の児童や中学生がいることもあり、念には念が押されたのだ。
余談ではあるが児童達が見た『ジャンゴ』は非常に好評で、彼ら彼女らの間でしばらく
「Dは沈黙だ」
という決め台詞が流行り、事情を知らない親御さんたちは大いに頭を捻ったという。
それはさておき。電話まで使った事で教師側は安心したが、実際のところ陸は帰っていなかった。だだ彼女一人が混乱に紛れて駐車場を脱出すると、一目散に自分の家へ帰り家族へ向かって
「なんかすごい事件があって、文化祭中断して家へ帰されて~ん」
と事態に興奮する元気な娘を演じた。
しかる後、今は自室に籠もって体力回復中である。今日のヤマは大成功をと言っても良いが予想以上に血を使った。特に永田寺へ向かう山道へ入ってからと、そこから帰ってくる時に全力で走った事が吸血鬼としてのエネルギーを消費させたのだ。
「あー潤うわ~。やっぱ産地直送、聖職者見習いの乙女の血は格別ですね~」
御西女学院生徒の血を飲みながら、陽女はグルメ番組のレポーターさながらに論じる。だが急にベッドの上でガバっと上半身を起こし、暗い顔でぼそっと呟いた。
「でもりっくんの血の方が数段、美味しかった……」
それから立ち上がり窓まで行くと、夜空に向かって叫ぶ。
「う~早くあいたーい! なんでこんな作戦にOK出したんやウチのあほー!」
「アレはお嬢の叫び声なのサ!? ……まあ緊急性は無さそうだからスルーするのだわサ」
レンレンは陽女の声に気づきつつも、冷静な猫らしくそれを無視する事にし引き続き山道を下り続けた。
いまハチワレ猫がいるのは永田寺を頂上に頂く山から市内へ向かう道の一つである。一応舗装はされているが、車が通る事は滅多にない。吸血鬼や吸血猫も同様だ。
もちろんそんな僻地で陽女の声が物理的に聞こえる訳がない。実際は吸血鬼としての親子、主と隷の精神的な繋がりによって届いただけである。
その精神感応の中でレンレンは陽女の焦りや孤独を感じたが、猫の方は全くそういったものを覚えていなかった。なぜなら彼女は大きな役割をやり遂げた直後なので、達成感が強かったのである。
彼女が果たした大仕事とは……献血バスの運転と身投げだ。実は駐車場から出て行って以降、バスを操っていたのはレンレンなのだ。
吸血猫とはいえ猫である。車の運転は簡単な事ではない。だがアクセルを固定するバーや座席に重ねたクッションの助けを借りて、彼女はバスを頂上付近まで導いた。
バスには大事な積み荷や人質はおらず、吸血鬼達から本気で追われてもいなかったのも助けとなった。しかも最後は頂上付近で崖から落ちたが、実際は駐車場を離れさえすればどこで道を曲がり損ねて転落しても構わない状態にしてあった。
何故ならあの時点でバスの役割は、
「追っ手を幾らか引きつけた後、森の中に落下し搭乗者も荷物もバラバラに散らばった……と思わせる」
事にあったからである。
ただし運転手が簡単に決まった訳ではなかった。当初の計画と異なり須貝は使えない。いや仮に使えても脅して自殺的な運転をさせる事は不可能だろう。ファンティーニに至ってはもっと困難だ。『オーシャンズ・イレブン』の様にラジコン装置を作る程の技術は無いし、陸では命の危険がある。陽女とてリスクは高いだろう。
そこでレンレンに白羽の矢が立ったのである。猫であれば落下直前のバスから飛び降りる事も容易であり、現場付近で攻撃隊に姿を見られても怪しまれはしないだろう。事実、永田寺には野良猫も多く生息しているのだ。
そうと決まってから、聡明な吸血猫は何本かの動画を見て運転技術をマスターした。当日、作戦開始以降はボランティア部の後片づけを素早く行い、一足先に駐車場に着いて陸達を迎え入れ替わりにバスに乗車した。その後はかくの如し……正に八面六臂の活躍であった。
彼女が大きな達成感を覚えるのも当然であろう。しかも彼女は陽女と違って、陸と会おうと思えば会う事が出来るのである。
「まあ三日後くらいに会いに行ってやるのだわサ」
レンレンはそう呟いてニヤリと笑った。犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ、という。では猫が三日会わなければどうか?
自分よりも陸が寂しがるだろう。彼女はそんな事を考えながら、孤独な少年の事を想った。




