第18話「かはっ……!」
「かはっ……!」
その美男子は口から真っ赤な鮮血を吐き出しながら床に崩れ落ちた。それでも彼は柱に寄りかかりながら、立ち上がろうとする。薄明かりに包まれた室内にはまだ戦いの音が鐘のように鳴り響いている。
「沖田さん!」
しかし自らが作った血溜まりに足をとられ、沖田と呼ばれだ長髪の美声年は再び床に倒れ、浅葱色の衣が醜い色に染まった。心配した隊士が駆け寄ろうとするのを手で制し、咳こみながら彼はいった。
「かまいわしまへん。ちょっと咽せただけや」
そう強がる沖田を呆れた目で見下ろしながら、隊士はリモコンを操作してまずテレビの電源を切る。
「だから昨晩言ったじゃないですか! 呑み過ぎだって!」
「いや久しぶりの京都やさいかな。テンション上がって……」
彼は次に用務員室のミニ台所から雑巾を持ってきて、沖田の吐いた血を拭き始める。
「えらいおおきに! ごめんなファンティーニ君」
「私は見守り隊であって、血を呑みすぎる吸血鬼の介護隊ではないんですけどね!」
ファンティーニと呼ばれた青年はそうボヤきながらも、用務員室の血を拭き取り台所の流しでそれを落とす。彼も沖田に負けず劣らず美青年で、しかし髪は長くない。その身を包むのは上品な、だがそれほど高価ではないスーツだ。
「ああっ、汚したら仕事に差し障るやろ? 後はワイがやっとくさかいに」
「血溜まりが残った方が余程、仕事に影響が出ますよ! 変な怪談が産まれて生徒が夜に見に来るかもしれませんし……」
そう呟きながら掃除を続けるファンティーニへ、沖田は驚き言う。
「いやあそんな事まで気にしてるんか? いよっ、教師の鑑!」
「きっ……!」
「いやん、見つめないで!」
沖田はおどけて自分の顔を隠したが、ファンティーニの赤く光る目に笑いの色は無かった。
「沖田さん、池田屋で血を吐いたのも御用改めの前日に呑み過ぎたかららしいじゃないですか!? まだその悪癖治らないんですか?」
「あれは労咳のせえで吐いた事になっとるやろ? ファンティーニ君も教師やったらそういうところ間違えたらかんで」
「私は英語教師です」
ファンティーニはそう言って立ち上がり、拭きの残しが無いかをチェックする。言うことがコロコロ変わる沖田と違い、彼は仕事を全うするタイプであった。
「英語いうたらメリケンの言葉やなあ。『せんせえ! あいらぶゆー、ってどう訳したらええんですのん?』『月が綺麗やね、でええんやで』『せんせえ、月が綺麗です!』『君の方がもっと綺麗やで……』『いや、あかんってせんせえ……』」
「ちょっと黙って貰えますか!?」
突然、寸劇を始めた沖田に向かって英語教師は深紅の瞳で睨みつけた。すると薄ら笑いを浮かべまだ何か言おうとしていた沖田がパタ、と口を閉じる。
「く……うっ……く……!」
時間にして1分間ほど。沖田は苦悶の表情を浮かべながら何か口にしようともがき、その間にファンティーニは淡々と掃除を終えた。
「はい、良いですよ」
「くはあっ! 年長の吸血鬼をこない長ごう操るなんて、ファンティーニ君の力はえぐいな! 御西女学院に赴任してるだけの事はある!」
「沖田さんだってほぼ自力で解きかけていたじゃありませんか? 幕末から生き続けるだけのことはありますね」
両者はそう言って互いを褒め称えた。両者は少し特殊な協力体制にある。そう仲違いもしていられないのだ。
「なあ、武田さん? あ、先生おった!」
と、そこへ用務員室の外から声がかかった。見ると、部屋のすぐ外に一人の生徒が立っている。
「ほい、どないしたんや? 忘れ物でっか?」
沖田は愛想よくそちらへ向かう。武田というのは御西女学院で使用している偽名だ。仮に本名を聞いても彼の事を新撰組の隊士、沖田総司だと気づける人間はいないだろう。だがそのまま名乗ってしまうと上に潜入が気づかれてしまう危険があったのだ。
「いや、ほら、ファンティーニ先生を探してて……」
その生徒は顔を赤らめながら言った。明るい髪色、お洒落に着崩した制服、短いスカート。世間一般で言えば大人しい目のギャル、しかし御西女学院の基準で言えばかなり派手な子である。
だがそんな子が今は恥じらいの表情を見せている。いや、その表情がつぶさに観察できるのは沖田の持つ吸血鬼特有の視力によるものだが。何にせよ、それを見て彼はピンと来た。
「ほうか~。ほれ、中におるよ? おっちゃんは外でタバコ吸うてくるから」
「え? 武田さ……」
「(おきばりやす!)」
沖田は戸惑う彼女の肩を叩き、靴を履いて用務員室を出て行く。入れ替わりにファンティーニの方が入口の方へやってきた。
「どうしました? あ、加藤さん」
「いや、その……。二人っきりの時は『響』って呼んでや言うたやん」
出てきた彼へ向かって、加藤と呼ばれた生徒はそう返した。ブラウンとも金色とも呼べる色の髪を弄び、何とも恥ずかしそうだ。
「それは申し訳ない。おき……武田さんがまだ近くにいるかと思って。中へおいで」
ファンティーニはそう言うと響の肩を抱いて部屋の奥へ連れ込む。その距離は教師と生徒にしては近すぎた。
「それで……今日は何の用で?」
「抱いて!」
直球で、響はそう言うと彼に抱きつき身体と唇を押しつける。教師は一瞬だけ驚きの表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻し何度か舌で応戦した後、口を開いた。
「先週、愛し合ったばかりじゃないですか?」
「でもちょっと、物足りなくて……」
「もう。欲張りさんですね。仕方ない」
ファンティーニはやれやれとネクタイを緩めつつ首を振る。それを見て響は笑顔を浮かべた。幸い、用務員室には宿直用の畳も布団もある。問題と言えば用務員の武田さんが気をきかせて何本、タバコ吸ってくれるかなのだが……。
「貴女と私は激しく愛を交わし、満足行くまで互いを求め合った」
「私は先生と激しく愛を交わし、満足行くまで互いを求め合いました」
ファンティーニが瞳を赤く光らせてそう言うと、響はとろんとした目になってそう復唱した。
「貴女は満ち足りた気分で去る。卒業までこの事は他の人に言わず、他の男には身体を触れさせない」
「私は満ち足りた気分で去る。卒業までこの事は他の人に言わず、他の男には身体を触れさせない」
「よろしい。行きなさい」
「はい、先生」
教師に促された生徒は夢遊病者の様な足取りで用務員室を出て、夜の廊下を歩み去った。すぐそこの暗闇に立つ沖田にはきづくことなく……。
「いやあ先生、見事な腕前でんな!」
「まあ、これをして長いですから……」
部屋へ戻った沖田にそうからかわれても、ファンティーニは大したことではないと言うかのように首を振った。それから改めて彼の方を見る。
「沖田さんこそ、腕前の方は落ちていないでしょうね? 私に疑いがかかったら困りますよ?」
「大丈夫! 内通者のファンティーニ君がいる上に、こうして潜り込んでもいるんや。それこそ余計な血は流さずに、献血バスを奪ってやるわ!」
沖田はそう言って、両手をいやらしく擦り合わせた。




