第1話「あの……先輩、当たってますよ?」
この物語に登場するのは……
教会と寺社仏閣
能天気な女子校生と生真面目な男子中学生
多数の吸血鬼と幾つかの映画
幕末の剣豪と茶室の猫
愚かな計画とそれより少しだけ、まともな計画
そして、血と乙女
「あの……先輩、当たってますよ?」
「んー? 当ててんのやで~」
暗がりのなか小柄な中学生、奥川陸がそう指摘すると彼を背後から抱きしめていた大柄な女子高生、安藤陽女は耳元をくすぐるような声でそう言った。
「え!? わざとですか……」
陸は振り向き眼鏡の奥から非難の視線を飛ばして呟く。今の眼鏡は屋内用で、勉強をしたり映画を観たりする時に使う細い黒縁の物だ。
「そやで~。あーりっくん、赤くなってるやん~」
睨まれた陽女はピンクに染まった瞳で見つめ返しながら応えた。陸の顔を覗き込む時に小首を傾げ、その勢いで豊かなブラウンの髪とブラがキツそうな胸が揺れる。一見すると日本人形の様に整った顔立ちと柔らかな京都弁はまさしく
「はんなりとした京女の先輩」
ではあるが、神学系女子校の制服でも隠しきれない出るところは出て引っ込むところは引っ込んだボディは、時にその範疇を越えてしまう魅力があった。
「なっ! 赤くなってますか!?」
しかし陸は驚きの声を上げつつソファから立ち上がりその身をさっと離した。時に良い歳の大人でさえ、法律の範疇を越えて触れたくなる様な陽女の身体から、だ。
「待って下さいよ!」
少年はそう言いながら片手でプロジェクターのリモコンを手に取り、片手で自分の首をさすった。そしてまず一時停止ボタンを押す。
その操作で、ボランティア部部室の壁に映し出されたブラッド・ピットの動きが止まった。彼らはここで映画「スナッチ」を観ていたのだ。部屋が暗かったのはだからである。
「あー! 本当だ、赤くなってる!」
逆の手、つまり己の首を探った側の手を映写機が作り出す光の中へ差し出して、陸は驚き叫んだ。陽女の様な肢体を持った女性に抱きしめられて、赤くならない中学生男子などいよう筈もないのに。
「いま、血を吸おうとしてましたよね!?」
「え~? ウチが?」
指摘された陽女は、年頃の女子がよくやるように両手で自分の口を塞いで言った。もし夜目が効き、今の動作で寄せ上げられた胸に視線をやらない自制心を持った第三者がここにいれば、その手の陰で異様に伸びた犬歯がそっと縮まっていくのが見えただろう。
「それもへんけんやで? 別に吸血鬼やからって、おぼこい男子中学生がボクシングのシーンに夢中なあいだに可愛い首筋に歯を打ち込んで生き血を啜ろうていつも虎視眈々と狙ってる訳やないし」
「やけに具体的ですね。あと狙ってるじゃなくて実行してましたよね?」
「してへんよ! うち、ふだん貰っているので満足してるし」
「でも唇の端にケチャップみたいなのがついてますよ?」
「そ、その手にはのらへんからね~。あ、あそこの暗幕とれかけてるかもしれへん~」
話の途中から自分も立ち上がり腕を組んで怒りの演技をしていた陽女は、口元へ戻しかけた手を慌てて停めて後ろ斜め上を向いた。
「じゃあなんで犬歯を大きくしてたんですか?」
「あれは生理現象。男の子が何も無いときに勃起するみたいなもんやで~」
「女子が勃起なんて口にしないで下さい! あと仮にそうだとしても、血が出るまで押しつけることはないでしょう!?」
「それはちょっと距離が近かったから当たっただけ~」
「そもそも何でそんな近いんですか? 吸血鬼になる前から隣に座って手を握ってくるくらいはありましたけど、最近は異常ですよ!」
「それも生理現象というか……性欲的な感じで。そもそも手を握ってた頃にりっくんが襲ってくれてたら、こんなに困らへんかったのに~」
「はい!?」
陽女の最後の言葉は口の中でモゴモゴ言う感じだったので、陸の耳には届かなかった。その代わり彼は彼女の動作を別の行為と推測した。
「もしかして叱られている最中に僕の血、反芻してます?」
「してへんよ。あ、やっぱ美味しい~」
「してますよね!?」
そう指摘されて陽女は己の犬歯を舌で舐め回すのを辞めた。代わりにくるっと振り返り、両手を腰に当てて反撃に出る。
「仕方ないやろ! ウチ、吸血鬼に転化してまだ日が経ってへんねんで!? 性欲と吸血欲の区別がつかんでも仕方ないと思わへん~?」
「あ、開き直ったよこの人! あと性欲でも吸血欲でも中学生男子に抱くのはどっちもアウトですよ」
「じゃあ両方合わさったらマイナスかけるマイナスでセーフになったりする?」
「するわけないでしょう!」
恐らくこのテンションでは映画を見続けるという展開にはならないだろう。陸は頭を抱えながら壁の方へ歩き、部室の電灯を点けた。
「まったく、こんな人がキリスト教系の女子高通ってるなんて世も末ですよ」
部屋が明るくなり周囲の諸々が目に入って陸は呟く。この御西女学院ボランティア部部室は6畳ほどの広さで、壁には今までの活動報告や各団体からの感謝状の他に聖書の言葉や十字架などが飾られている。ただ一方の壁だけは何もなく、プロジェクターで映し出される映像が見易いようになっていた。
もっとも今は光量の変化で全身入れ墨だらけのブラッド・ピットの姿も薄くなっているが。
「ほな頂きま~す」
「なっ!?」
周囲に注意を向けている間に陽女が背後から抱きつき再び首に歯を突き立てようとしたので、陸は慌てて距離を取った。
「何で今の流れで吸おうとするんですか!?」
「だってりっくん、『余を吸え』って言ったやん?」
「『世も末』です! 世の中終わりだって言ったんですよ! あと僕の一人称は『余』じゃないですよ、皇帝や天皇じゃないんだから!」
「それは『朕』やで朕」
「ちん?」
「そそ、ちんちん~。すぐ東に天皇さんやはったから、ウチらだいだい詳しいねんで。皇帝とか天皇の一人称はちん~」
あまり女子がちんちんと連呼するな、と指摘する気力は陸にはもう無く、彼はソファに戻り座った。そして全身の倦怠感から、無いのは気力だけでなく体力もである事に気づいた。
「どちらにしても、もう吸わせられないです。こう毎日だと身体が保たないですよ……」
陸は演技ではなく本心から疲れた口調で言った。ある出来事で陽女が吸血鬼になってから一週間まいにち血を与えている。幾ら若さ溢れる中学3年生男子としても身体の負担は大きかった。
「それもそうやんな……」
彼の様子を見て陽女も少し肩を落とす。が、それも一瞬のこと。ポケットの中から折り畳まれたチラシを取り出すと、さっと開いて陸の方へ見せた。
「そんな訳でじゃじゃ~ん!」
「なんですか、これ?」
首を傾げる陸へ、陽女は力強く告げる。
「これは秋の文化祭、ボランティア部恒例の催しやねん! りっくんの健康の為とウチの充実した食生活の為に、来月この献血バスを強奪したいと思いま~す!」




