14
朝になってフリージアは、小屋の前の川岸に行っていくつかハーブを摘んだ。
森の朝は天気が良い時は空気が清涼で気持ちが良い。
止血効果のあるハーブと殺菌作用あるのハーブをいくつか摘んで、持って来た袋に詰めた。
「多分、今日ワイバーンの巣の辺りまで行くことになるよね……」
後ろに人が立った気配がした。
フリージアが振り返る。
「おはよう、フリージア。」
「スリン、おはよう。」
「フリージア、早起きだね。」
「念の為に止血薬を用意しておこうと思って…」
「止血薬…?」
「フリージアは、今日ワイバーンと遭遇すると思う?」
「あるいは。」
「そうか、決戦前にフリージアのことを教えて欲しいのだが……」
「私のこと…?」
(お祖母さまの芳香木の話をしたから、気になってしょうがないのかも……なんていっても宝杖だもんね。)
フリージアはアイスリンを見つめた。
ごく暗い紫味の青い髪が、朝の清涼な空気に対して色味の強さを主張している癖に、透明感のある水色の瞳がそれを感じさせずに、アイスリンをそのままこの空気に溶け込ませてしまっている。
(スリンは夜の静寂でさえ味方に出来る色合いだわ……いつかこの色の組み合わせでドレスの刺繍をしてみたい。)
「フリージア?」
「スリンは、ノースポール伯爵の三男だよね。リナリスさまとは政略結婚?」
「そうだな、婿入りの予定だった。」
「政略でも、仇討ちをするぐらい大事な人だった?」
「彼女とは領地が近くてね、幼少の頃から一緒に過ごすことが多かったし、同じギルドメンバーだったからね、仲は良好だったと思う。」
「スリンは、好きだったの?」
「好きか……いわゆる恋愛感情ではないな。お互いそんなものは持っていない、どちらかというと同士のようなものか。」
(貴族は政略結婚が常識……リナリスさまのことは恋愛では無かったのね。)
「スリンはどうして、私のことを知りたいの?」
「私はフリージアにすごく興味がある、こんなに興味をそそられたのは始めてだよ。」
フリージアは頬が熱をもったのが自分でわかった。
頬を思わず両手で押さえて、アイスリンを見つめる。
(もしかしたら、スリンにとっても初恋なんて……そんな都合のいいこと考えちゃうわ。)
アイスリンがフリージアを見つめた。
「スリンはワイバーンの討伐の後、ノースポールの領地に帰る?」
「もちろん、そのつもりだ。」
「その……」
「私が領地にいたらいいなって…昨日言ってたけど。」
「ああ、昨日の夕食の時のこと?」
「ノースポールに一緒に行っていいの?」
「エリカさまに悪くないかな。」
相手は貴族だ…この意味が伝わるのだろうか…
「フリージアは得難い人材だ、父も喜ぶと思う。」
「ありがとう、そこまで私のことを認めてくれて嬉しい。」
(スリンたら、お父様に紹介してもいいと思ってくれているのね!)
ノースポールに行くなら私の秘密を明かさなくていけない。
「私はね、平民だけど普通とちょっと違うんだ。」
「お祖母さまも、母も人間国宝として王家に管理されていて、私もいずれそうなる事が決まっているの。」
アイスリンが小さく息を飲んだ。
「王家が優秀な人材を人間国宝という称号を与えて囲っているのは聞いていたが、フリージアもその一人だったのか。」
「なぜ芳香木を持っているのかわかったよ。それを持つに相応しい人ということか。」
フリージアは苦笑いした。
「あれは……ちょっと違うんだけど。」
「お祖母さまは若い頃にね、研究に熱中するあまり建築途中の小屋の芳香木を勝手に持って行っちゃったんだよね。」
「え…それはまた…」
「でも、祖母は王家にとって重要な人材だったからそれで思い罰を免れたといえば、特別なのかもね。」
「お祖母さまは薬草に詳しいの。母は王家お抱えでドレスを作っていて、私は糸の染色と母の作ったドレスに刺繍をしている。」
「人も王家所有の財産っていう考えみたいね。」
「ニーレンは、本当は王家の寄越した監視役だったんだけど、今は私の友達。」
「そんな王家の財産が、なんで森に住んでいるんだ?」
「5歳頃スイレン殿下と喧嘩になって殴っちゃって…罰の代わりかな。」
「殿下を殴るって…すごいね、聞いたことないよ。」
アイスリンがフフと笑みをこぼす。
「当時は道理も弁えない子どもだったから!今はしないよ。」
「一週間ほどでお許しが出たけど、快適で森に居付いちゃった。」
ふふっ…とフリージアが笑う。
フリージアの笑顔に優しい目を向けた。
アイスリンの人差し指の背がフリージアの頬を軽く撫でる。
心臓の音が頭の中に強く響く。
(触られたほっぺが熱い〜!)
「フリージア?」
フリージアが真っ赤になって顔を背けた。
それを見てアイスリンが、フリージアに触れていた頬から指の背を離して、そのまま手の平を自分の口元に当て小さく吹き出した。
「フフ…ごめん、つい触れてしまった。」
フリージアが上目遣いで軽く睨んだ。
(揶揄われたのね…)
「では、私がフリージアを気に入ってもノースポールに連れて行く事は出来ないのか。」
「この秘密を話しちゃったから、出来る人になったよ。」
「そうなのか?」
「だけど、王家の縛りを受けるよ、面倒くさいんだよ。」
「なら今回、私に付いてきて大丈夫なのか?」
「他国に行くわけじゃないし、王都に近い森だから平気。それにニーレンが報告してないからあちらは知らないと思うし。」
小屋の扉が開いた。
「スリン〜!もう戻って来てよ。」
エリカが窓から2人を見ていた。
気になって我慢できず大きな声で呼んだ。
その後、朝食を摂って出発する。
川に沿って進んでいくが、今日進む道も険しい。
木の根が地面から出て剥き出しになって凸凹している。
ところどころ泥濘みもあり足が取られる。
慎重に進んでいくと、急に辺りが明るくなる。
川の蛇行によって右手側に三日月湖が形成されていてそこだけ木が生えていないので明るいようだ。
「すごい、ここだけ明るい!」
湖面も濁りも無く綺麗で下が見渡せる。
一行が気を抜いた時、足元に影ができた。
上を見上げると、1体の竜が旋回している。
「ワイバーンだ。」
棲家が近くで警戒しているのかもしれない。
一行は身を固めた。
アイスリンはワイバーンの額を凝視した。
「額に剣でつけた傷がある。」
「あれだ。」
(まさか本当に今日遭遇するなんて…)
足手まとい3人は直ぐに岩陰に隠れた。
アイスリンは、肩掛けしていた矢をつがい狙いを定めて立射する。
弓の尖端はタランを削って作った鏃になっている。
前肢の左翼に鏃が刺さる。
ワイバーンが空から地面に後肢で着地するように落ちて来た。
ワイバーンは、矢をつがえたまま睨み据えているアイスリンを敵と見なしたようで、前肢と一体化した翼を羽ばたき、右の前肢を庇いながら少し上昇して、降下しながら後肢の長い爪でアイスリンの目を狙ってきた。
弓矢を肩に掛けて、黒のローブを脱ぎワイバーンの視界を塞ぐ為にローブを大きくはためかせる。
マートルも隙を狙って剣で応戦する。
エリカは直ぐにフリージア達が隠れた岩陰に隠れた。
フリージアはエリカを一瞬だけ見た。
エリカは両手の平を組んでアイスリンの無事を祈っている。
エリカが、フリージアに聞かせるように言った。
「私、このお姉さまの仇討ちの後、領地に帰ったらスリンと婚約することになっているの。だから絶対無事に成し遂げて欲しいの。」
「貴族の3男も政略なの?」
ネリネがフリージアの代わりに質問した。
「跡取りのお姉さまが亡くなったのよ、私がスリンと婚姻して跡を継ぐの。」
ニーレンがヒュっと息をのんだ。
エリカとしては、朝何やらいい雰囲気を作っていたフリージアに聞かせていたのだがニーレンのほうが衝撃を受けていた。
「私は物心ついた時からずっと好きだから全く問題無いんだけど、スリンにはお姉さまとのこと、ちゃんと決着つけてほしいからこうして見届けようと思って同行したのよ。」
アイスリンが剣でワイバーンの鋭い後肢の攻撃を避けていた。
前肢の翼がバサバサと動くと風圧でアイスリンの髪が揺れる。
フリージアはただ真っ直ぐ、ずっとアイスリンを見つめていた。
フリージアはアイスリンの瞳が静かに燃えているところをじっと見つめていた。
(なんて、綺麗な動きだろう。)
フリージアは、アイスリンの一挙手一投足を見逃さないように集中していた。
自分の頭の中を、アイスリンが独占していることに満足していた。
横で何か話し声がしたが、半分も聞こえていなかった。
アイスリンがワイバーン追い詰めたので、形勢不利になって隙をついて逃げようと飛び立ったところを、アイスリンが素早い動きで矢をつがえて立射する。
ワイバーンの右前肢にタランの仕込んである鏃が刺さる。
ワイバーンが頭に血が登り一直線に下降してきたところを懐に入り込みタランの仕込んである剣で心臓の近くを刺しワイバーンの核を破壊した。
ワイバーンは一度空に舞って湖の深くに落ちていった。
「スリン!すごいわ!やったわ。」
エリカが大はしゃぎをしてアイスリンの方へ駆け寄った。
フリージアは半ば放心してスリンを見つめていた。
アイスリンと目が合う。
アイスリンは腕を引っ掻かれたようで出血していた。
「スリン、腕を止血しないと魔物を寄せ付けてしまう。」
フリージアが呟いて、アイスリンの側に行った。
アイスリンの袖を捲くって腕の傷を確認する。
後ろを付いてきていたニーレンの方を向いて指示する。
「ニーレン、水筒の水を傷口に掛けてちょうだい。」
ネリネにもお願いする。
「お祖母さま、杖を持ってスリンの近くに来て。」
出血はいらない魔物を呼び寄せる。
ニーレンが傷に水筒の水を流す。
朝摘んだ止血効果のある葉をすり潰していたのを、フリージアがチュニックのポケットに入れていたので、ハンカチに包んで傷口に充てがう。
手際の良さにアイスリンとマートルが見惚れる。
強めに押さえて止血する。
「フリージアって便利な人ね。うちの領地に一緒に来ない?」
エリカが感心して勧誘する。
「ありがとう、フリージア。」
アイスリンがフリージアの方を身体ごと向いてお礼を言う。
「ね、役に立ったでしょう?消毒と止血。」
「ああ、フリージアの言うとおりになったな。」
2人で朝の光景を思い出し笑った。