12
朝食が済んで一行は出発をした。
森の中を進むと、小川が流れていて風がひんやり涼しい。
今日は川沿いに進んでいく。
王都の魔物討伐組合の情報では、先程の小屋を出て川沿いに進むとワイバーンの棲家があるということだった。
「マートルさま、昨日よりも歩きやすいので私は大丈夫です。」
ニーレンがマートルが差し出した手を遠慮した。
エリカにまた何か言われたら…と思い、ニーレンはちらっとエリカを見たが、エリカはスリンの左側を陣取っていてご機嫌のようだった。
「マートルさま、私の方はよろしくお願いします。」
ネリネがマートルの利き手の邪魔にならないように、左手で杖を突き、右手を差し出す。
慣れたマートルが左手を差し出してネリネの右手と繋いだ。
フリージアは、途中ハーブを探しながら進む。
(小さめの魔物がいたら狩って食料にしようかな、お肉が好評だったよね。)
木々の合間から日が差し込む。
相変わらず足場は凹凸があるが、岩などがない分足への負担が少ない。
フリージアがお肉と相性の良いハーブを見つけた。
「このハーブいいんだよね。」
フリージアの植物の知識は3年前にネリネから譲り受けたものだった。
料理好きのフリージアのために特に香草類をネリネは教えてくれた。
フリージアはハーブを見つけてしゃがんだ。
「フリージアさま?足をどうかさったのですか。」
ニーレンがしゃがんだフリージアの心配をして声を掛ける。
「違う、違う。このハーブを採って行こうと思って。」
いくつか摘んで、上着のポケットから薄い袋を出して仕舞う。
フリージアが立ち上がって前を向くと、ネリネがエリカに連れられて来た。
エリカがフリージアとニーレンの側に来てここに留まるように告げる。
「熊の魔物がいるわ。」
「このお婆ちゃんと一緒にここで隠れていて。」
エリカがネリネを置いて、そのまま走ってアイスリンとマートルのもとへ戻る。
「ジアさま、これでお昼ごはん大丈夫そうですね。」
「そうね、あの熊の魔物…大きいね。」
熊の魔物は核が心臓にある。
立ち上がると体長5メートル以上ありそうだ。
真っ黒な硬そうな毛に赤い目の瞳孔が開いて興奮しているのが遠目でもわかる。
両手を上げて大きな爪を見せ威嚇している。
アイスリンはローブを脱いでフリージアの方に投げて寄越す。
フリージアはアイスリンのローブを受け止めて自分の腕に掛けた。
3人は闘い慣れているようで、うまく連携をとって熊の魔物の攻撃を躱している。
木の陰などを利用して熊の魔物の視覚を撹乱する。
剣で爪を躱しながら追い詰めていく。
そんな中、熊の魔物がフリージアたちの匂いに気付いたようで向きを変えた。
ネリネが杖を振って大気中に芳香木の香りを撒くが、ここまで大物だと芳香木はあまり効果が無い。
マートルが叫びながらニーレンの方に走って向かう。
「ニーレン、そこから離れるんだ!」
フリージア達に一番近いところにいたアイスリンが、素早く剣を鞘に収めマートルより早く加速して飛び出した。
熊の魔物がフリージア達の方へ突進した。
アイスリンがそのまま速度を上げて高く跳躍した。
フリージアにはアイスリンが跳躍して着地するまでの動きがスローモーションに見えた。
アイスリンが魔物より早く到着し、フリージアたちを背中に庇った。
素早く流れるような無駄のない動きで剣を抜き、熊の魔物が完全に立ち上がる前に、魔物の脚を斬りつけ、よろめいたところで核を剣で破壊した。
熊の魔物が後ろにドサリと倒れた。
アイスリンが川岸で、剣の血のり洗い流し鞘に収めてから、フリージア達の無事を目で確認する。
少しだけ息が上がっているのがなんとも魅力的に見える。
フリージアは自分が息を止めていたことに気付いた。
アイスリンが自分達を守る為に、息を乱して駆けつけてくれたことに胸がときめく。
「スリン、ありがとうございます!」
「素敵です。カッコいいです!」
「動きも俊敏だし、足の運びも剣の腕も洗練されていて芸術的で美しく感動しました!」
「それに…っむぐ」
「フリージア、恥ずかしいのでそのくらいで。」
アイスリンが俯いて、フリージアの口元を手のひらで塞ぐ。
よく見ると頬が仄かに赤く染まっている。
熊の魔物は3人が川で解体した。
腹を出すと匂いで他の魔物を寄せ付けるので、なるべく血やらを川で洗い流す。
マートルが胆嚢と核を取り除いて仕舞う。
「肉も今から焼いて食べて、残りは食べれる分だけを持って行こう、残りは他の魔物の餌になるだろう。」
アイスリンが指示を出す。
マートルが木の枝を集めて火をおこし、肉の塊を食べれる大きさに切って、リュックから鍋を出して焼く。
フリージアとニーレンがリュックから手袋を出して着用する。
マートルに小屋に持って行く分の肉をもらって塩を振りかけ皮袋に保存する。
ネリネが手慣れた手付きで、火の番をしながら肉を裏返すのを手伝う。
フリージアとニーレンは塩を振った肉を皮袋に入れて仕舞った。
フリージアは手が空いたので座ったまま周りを見渡した。
川のせせらぎと焚き火が爆ぜる音と、時々風で木の葉が擦れる音がする。
フリージアの目がアイスリンとエリカの姿を映した。
アイスリンとエリカが2人で何やら色々話しながら、手際よく残りの肉も塊にして持ち運べるようにする。
2人の間には、他人が入り込む余地など全く無いほどの信頼関係が垣間見える。
(昨日も2人はこうやって狩りをしていたんだわ。)
フリージアは2人の雰囲気を見て、アイスリン興味本位で追い掛けて来たことを初めて後悔した。
(一目惚れって、不利よね。スリンと過ごした時間で言ったらエリカに適うわけないしね。)
(しかも、相手は伯爵家のご子息さま……なんで我慢できなかったのかな…)
フリージアは森の中頃には何度も入ったことがあるが、ここまで深いところまでは来たことがない。
熊の魔物はまだいるだろうし、明日辺りはワイバーンの棲家に近付く。
(足手まといだわ、私達3人……)
(もう素敵なスリンも見たし、目の前でエリカと親密なところを見せられても辛いし、そろそろ帰ろうかな。)
アイスリンとエリカとマートルが火の近くで肉を焼いている。
時々エリカがアイスリンに甘えたように戯れているのを見ると、フリージアは疎外感を強く感じた。
(あそこにいるのが、私だったらな……)
少し離れたところに座ったフリージア達に、マートルが人数分の焼けた肉を持って来てくれた。
ニーレンがマートルからは受け取った皿を順番に渡す。
フリージアはお先に、と断って肉に手を付ける。
何か口に入れた方が気が紛れそうだと思った。
焼けた肉を頑張って咀嚼すると涙が出てきた。
(元々、見るだけでいいと思って付いて来たのに…)
我儘に付き合わせて、付いてきてくれた2人にも申し訳無いという思いが込み上げる。
「お祖母さま、疲れちゃったよね…ごめんなさい。」「ニーレンは怖かったよね…ごめんね。」
2人にだけ聞こえるように俯いて呟いた。
ネリネとニーレンは、フリージアが熊の魔物がよほど怖かったのだろうと勘違いした。
「フリージア、わかるよ。私も若い頃に森に出てジアのような気持ちになったことがあるよ。」
「急に不安になってもしようがない、あの熊の魔物は今まで遭遇したどれよりも大きかったしね。」
「慣れるよ、慣れていく。」
「怖かったのはジアさまだけじゃないですよ、私もほら今になって震えが……」
ニーレンが震えている手を見せてくれた。
「ニーレン!震えているじゃないの。」
なぜかネリネが大袈裟なほど反応した。
肉を食べていたマートルがネリネの声が聞こえたようで、こちらを見たかと思うと、直ぐに寄って来た。
マートルが片膝を付いてニーレンと目を合わせる。
「ニーレン怖かったよな、私は慣れていたから直ぐに気が付かず悪かった。」
そう言ってニーレンを抱きしめる。
ニーレンも満更でもない感じだった。
隣の2人を見てフリージアは目を丸くした。
(いつの間に2人はこんな親しくなっていたの!?)
抱擁されるのにフォークが邪魔だろうと、フリージアが気を利かして、ニーレンの手からフォークを抜き取った。
(この旅はこの2人の恋の為にあるようなものだわ。だったら私そんなに責任感じなくていいのかもね。)
(お祖母さまは、マートルが飛んで来るのが分かっていて大きな声で言ったのね。)
アイスリンとエリカがマートルを見て口をポカンと開けていた。
アイスリンと目が合う。
フリージアは涙をこそっと袖で拭いた。
「私は熊の魔物が怖くて涙が出たわけじゃないわ。」
「そうなの?」
ネリネが肉を頬張りながらフリージアの方を見る。
フリージアはアイスリンを見ていた。
ネリネが最初にフリージアが言ったことをもう一度言った。
「フリージア、アイスリンさまのことは見るだけでいいんだろう?」
エリカが、アイスリンに寄りかかって何かを喋っていた。
フリージアはようやくアイスリンから目を逸らしてネリネを見る。
「お祖母さま、どうやらこれが私の初恋のようです。」
エリカのおかげで知ってしまった。
マートルは知らない間に戻っていたようだ。
ニーレンが、いつの間にか肉を食べながらフリージアの話を聞いている。
「ジアさま…恋を知ったとなると、この旅も無駄ではありませんね。」
「失恋でも?」
「最初から失恋するとわかりきっていたでしょう。」
「今後の作品に色気が加わるのでは?」
「ニーレンは、いつもそればっかりね。」
フリージアは静かに笑った。
食べ終わってから一行は出発した。
また川沿いに進む。
今度は足場が岩が多くなって来た。
ネリネはマートルに背追ってもらっている。
(なるほど、マートルにお世話になってるから、お祖母さまはマートルのこと応援したいのね。)
先頭にアイスリンとエリカが進み、次にマートルとお祖母さま、ニーレンとフリージアが最後だった。
だんだん日が陰って来た。
木々が密集して生えているので光が入りにくいところに日暮れが近付いて来た。