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霧の街のヒナタ  作者: 下駄ロボ
リメイク版

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……アレって本当に君が作ったのか!

 1927年1月下旬。


 西アーカムは、観測史上稀に見る記録的な寒波に見舞われていた。


 空からは絶え間なく湿った雪が降り注ぎ、街全体を分厚い白の沈黙で埋め尽くしていく。

ミスカトニック大学の古い学生寮では、骨董品のような蒸気暖房が悲鳴を上げて沈黙し、学生たちは毛布にくるまって震えながら、政府の毒酒政策と大学の管理不足に呪詛の言葉を吐き捨てていた。


「寒い、寒いよ○○○。ねえ、このままだと僕たち氷像になっちゃうよ」


 少年の姿をしたヒナタが、吐く息を真っ白にしながら窓の外を眺めていた。

隣に座るカイも、白人少女の姿のまま、寒さのせいか少し不機嫌そうに鼻を鳴らしている。


「寒いなら外で動けばいいじゃない。じっとしてるから凍るんだよ」


 カイの極論に近い提案に、ヒナタが「それもそうだね」と立ち上がった。


 二人は震える○○○を部屋に残し、以前古代ギリシャ文化をレポート用に纏めたノートを片手にコートも羽織らず、髪の擬態を解除した触手で玄関に立てかけてあった数本の雪かき用スコップを掴んで猛吹雪の中庭へと飛び出した。

常人なら数秒で肺が凍りつくような冷気の中、彼らは「遊び」を開始した。


 ヒナタが雪面に近付くと、触手が蛇のように伸びて器用にスコップを動かし、周囲の雪を凄まじい速度で掻き集め始めた。

カイが小声で唱える魔術の数式が空間を歪め、雪は瞬時に圧縮され、大理石のような強度を持つ氷のブロックへと変貌していく。

 触手による重機顔負けの土木作業と、深海の知恵による構造計算。ノートを参考にしたデザイン彫刻。


 わずか数十分後。


 中庭の雪を一掃して現れたのは、ただの雪山ではなかった。

それは、美しいドリス式の円柱が並び、二十人以上が優に収容できる広さを持つ、ギリシャ神殿を彷彿とさせる巨大な「氷の宮殿かまくら」だった。


「ふう、これなら風も通らないし、ちょうどいい隠れ家だね」


 ヒナタが満足げに額の汗を拭う。

 窓からその光景を眺めていた学生たちは、寒さを忘れて呆然と立ち尽くした。


---


 静まり返っていた寮内が、にわかに騒がしくなった。

 窓から「神殿」を目撃した学生たちが、寒さも忘れて次々と中庭へ飛び出してきたのだ。

○○○も慌てて厚手のコートを羽織り、彼らの後を追った。


「なんだこれ……信じられねえ……」

「おい見ろよ、この柱の彫刻。雪でできてるなんて嘘だろ」


 学生たちが恐る恐る氷の神殿に足を踏み入れると、そこには驚くべき空間が広がっていた。

厚い氷の壁が外の猛吹雪を完全に遮断し、人の体温がこもることで、室内は凍える自室よりも遥かに過ごしやすい温度に保たれていたのだ。


「……なあ、これだけ広くて暖かければ、いいことができるんじゃないか?」


 一人の学生がニヤリと笑い、コートの内ポケットから平らなスキットルを取り出した。


 その一言が火をつけた。


 政府の毒酒解禁以来、外のスピークイージーへ行くこともできず、かといって冷え切った寮の自室で飲むのも寂しく、鬱屈した日々を送っていたエリート学生たちだ。

彼らの「悪知恵」と「悪ノリ」が爆発するのに時間はかからなかった。


「よし、野郎ども! 各自、自室の秘蔵品を持ち寄れ! 今夜はここで新年会だ!」

「スピークイージー『パルテノン』の開店だな!」


 学生たちは一度寮へ引き返し、ベッドの下や本棚の裏に隠していた「禁忌の品々」を抱えて戻ってきた。

ミスカトニック大学の学生ともなれば、中には化学の知識を動員して自室で密かに蒸留を試みていた猛者もいれば、実家から送られてきた果物を「うっかり」発酵させてしまった知能犯もいる。


 ランタンの灯りが氷の壁に反射して幻想的に揺れる中、神殿の中央には即席のカウンターが据えられた。


「おいヒナタ、カイ! この場所の『家賃』代わりに一番いい特等席をやるよ。さあ、宴の始まりだ!」


 ○○○は、熱狂する学生たちの中心で、いつのまにか「バーテンダー」のような扱いを受け始めたヒナタとカイの姿を見て、頭を抱えた。


---


 氷の神殿「パルテノン」の内側は、持ち寄られたランタンの光が氷壁に乱反射し、まるで巨大なダイヤモンドの内部にいるような幻想的な輝きに包まれていた。

だが、そこに集った学生たちが差し出すのは、およそ幻想とは程遠い、泥臭くも切実な「自家製酒」の数々だった。


「さあ、まずは俺の自信作だ! 化学科の意地にかけて、実験器具をフル稼働させて蒸留した最高純度のエタノール……を、チェリーのシロップで割った代物だ!」


 一人の学生が誇らしげに差し出した瓶を、ヒナタはひょいと受け取り、自室から持って来たカップに1ショットにも満たない量を注いでテイスティング。

熟練の味覚と嗅覚は、瞬時にその液体の鑑定を終えていた。


「うん、メタノールは綺麗に抜けてるね。

……でも、後味が少しだけ試験管のゴム栓の匂いがするかな」

「うっ、鋭いな……」


 ヒナタが次々と差し出される瓶に「これはただの酸っぱい酢だね」「このパンプキン・ジャック、度数は高いけど飲みすぎると明日ひどい頭痛になるよ」と神業のような鑑定を下していく。


 一方で、酒を造っていない学生たちは、寮に隠し持っていた二酸化炭素ボンベと自作の加圧装置を持ち込み、即席のソーダマシンを組み上げていた。


「おい、こっちには新鮮な炭酸水があるぞ! 割るための氷は壁を削ればいくらでもある!」

「最高だ! 街のスピークイージーよりよっぽど豪華じゃないか!」


 学生たちは、お互いの「当たり外れ」を笑い飛ばしながら、氷の彫刻が施された円柱に背を預けて杯を重ねた。

外界では政府が撒いた毒に人々が怯えているというのに、この氷の聖域だけは、エリート学生たちの知恵と悪ノリが生み出した、奇妙に清浄な熱気に満たされていた。


「……みんな、あんまり美味しくなさそうだね」


 ヒナタが少しだけ退屈そうに呟いた。彼にとって、学生たちの自家製酒は「飲める」レベルではあっても、心を震わせる「作品」ではなかった。


 ヒナタは隣に座るカイと目配せすると、氷のカウンターの下――どこからともなく取り出した小さな木の樽を置いた。


「これ、僕とカイからの差し入れ。自作のアップルジャックだよ。

……凍らせて度数を上げた、とっておき」

 栓を抜いた瞬間、神殿内の空気が一変した。

 熟成されたリンゴの芳醇な香りと、冬の森を凝縮したような瑞々しい芳香が、冷たい空気の中で鮮烈に弾けた。


「この香りは……!」

「嘘だろ、こんなの街の高級クラブでもないとお目にかかれないぞ!」


 一口飲んだ学生たちの顔が、一瞬で驚愕と恍惚に染まる。

身体の芯からカッと熱くなるような強烈なアルコールと、それに負けない果実の甘み。

品質にうるさいイレギュラーズの保証付きのその一杯は、寒波に震えていた彼らの魂を真に解き放った。


「そういえば、高級なスピークイージーでヒナタの名前が入ったアップルジャックが売られているって話を聞いたが……アレって本当に君が作ったのか!」


 その言葉を聞いて、熱狂的な歓声が氷の天井に反響する。

○○○は、学生たちの熱狂の中で満足げに微笑むヒナタと、当然のように彼の隣で誇らしげに胸を張るカイを見つめながら、毒と寒波に閉ざされた一月の夜が、魔法のように溶けていくのを感じていた。


---


 氷の神殿「パルテノン」の熱狂は、夜が更けるにつれて最高潮に達していた。


 ヒナタのアップルジャックは飛ぶように消費され、学生たちは酩酊と高揚感の中で歌い、踊り、一九二七年の暗雲を束の間忘れていた。


 だが、その喧騒を割って、神殿の入り口から見慣れた長身の影が滑り込んできた。


「……なるほど、ドリス式の円柱か。雪の剪断強度を考慮した見事な構造計算だ。

なあ、そう思わないか、ハロルド君」


 聞き慣れた、しかし場違いに陽気な声に学生たちが凍り付く。


 そこにいたのは、厚手の毛皮のコートを羽織ったカニンガム教授だった。

しかも、隣には建築学科のハロルド教授を「安全確認のための専門家」として引き連れている。

ハロルド教授は氷の柱をペタペタと触りながら、「信じられん、雪をここまで圧縮するとは……」と職人気質な溜息をついていた。


「きょ、教授……! これは、その……」


 代表して言い訳をしようとした学生を、カニンガム教授はひらひらと手で制した。

その顔には、怒りよりもむしろ、明確な「不満」が刻まれている。


「言い訳はいい。私が心外なのは、これほどまでに知的で、しかも愉快な『野外実習』が行われているというのに、なぜ私に招待状が届かなかったのか、という点だ」


 教授はわざとらしく溜息をつき、○○○の方を見て肩をすくめた。


「○○○君。君にはガッカリしたよ。

私がこの手のイベントに目がない事は知ってる筈なのだがね。

こんな面白そうな企画を、学生たちだけで独占するとは」

「えっ、あ、すみません……」


 ○○○が呆気にとられていると、教授は隣のハロルド教授に向き直った。


「どうだね、ハロルド君。建築物としての安全性は?」

「……完璧だ。このまま春まで崩れることはないだろう。

それどころか、ここで焚き火をしても数時間は耐えられるぞ」

「結構。安全が保証されたのなら、ここが大学公認の『臨時休憩所』になっても問題はないな」


 教授はそう断言すると、カウンターのヒナタに向かってちゃっかりと指を二本立てた。


「ヒナタ君、我々二人に、その噂のアップルジャックを。

……もちろん、私の『口止め料』として、一番良い樽から注いでくれたまえよ」


 その言葉に、神殿内は一瞬の静寂の後、爆発的な歓声に包まれた。


 カニンガム教授とハロルド教授は、学生たちの輪に混ざり、氷の椅子に腰を下ろしてグラスを傾けた。

ヒナタとカイはクスクスと笑いながら、教授たちの分を並々と注ぐ。


 翌朝、寒波が和らぎ始めた中庭には、相変わらず巨大な氷の神殿が美しく横たわっていた。

学生たちは二日酔いと満足感を抱えて寮へ戻り、教授は鼻歌まじりに研究室へと消えていく。


「楽しかったね、○○○」


 ヒナタとカイが左右から○○○の腕をとり、朝日を浴びる神殿を見つめる。


 毒と暴力の一九二七年。その地獄の入り口で、彼らは確かに「人間らしい」愚かしくも温かな一夜を共有していた。

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