最高にクールな場所へ招待しよう
十月。
西アーカムの空気は澄み渡り、街全体がリンゴの甘酸っぱい香りと、熟したカボチャの土の匂いに包まれていた。
大学裏の貯蔵庫ではイレギュラーズから追加発注を受けた酒の仕込みの為に、リュウグウから地上に上がってきた数人の住人たちが○○○の指揮の下、慣れた手つきで発酵の為の仕込み作業を行っている。
「よし、今年の『ジャック・ザ・カウボーイ』は最高の出来だ。
……お疲れ様、みんな。この分なら冬の備蓄も十分確保できるよ」
○○○が声をかけると、作業着姿の男たちが満足げに頷いた。
そこへ、いつものように規則正しい靴音を響かせて、アーサー・ペンドルトンがやってきた。
彼の脇には、いつもの分厚い報告書と、最新号のオカルト月刊誌が抱えられている。
「○○○卿! 騎士団の皆さんも、収穫作業ご苦労様です。……おや、新しい『協力者』の方々ですか?」
「ああ、まあな。……今日も報告書か?」
「ええ。それと……ヒナタさん、カイさん。これを読んでおいてください」
アーサーは神妙な面持ちで、月刊誌の見開きページを広げた。そこには『全米で急増する日本人の失踪! 海に消える影の正体とは?』という扇情的な見出しが躍っている。
「どうやら全米規模で日本人の失踪が本格的な問題になりつつあるようです。
……この街にも不穏な影が忍び寄っているかもしれない。僕も情報の収集を強化します。
君たちの身に何かあったら、ペンドルトン家の名にかけて守り抜きますから!」
アーサーの言葉は相変わらず大げさだが、その瞳には純粋な心配の色があった。
ヒナタとカイは顔を見合わせ、苦笑いしながらも「ありがとう、アーサーさん」と礼を述べた。
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その日の午後。予定していた仕込みをすべて終えた○○○たちは、手伝いに来てくれた住人たちを送り届けるため、港に停泊させている「改造漁船」へと向かった。
「これでやっと、リュウグウで打ち上げができるな。みんな、腹を空かせて待ってるぞ」
○○○がタラップを上がり、出航の準備を始めたその時だ。
「……あ! ついに見つけた! 夜な夜な霧の中に消える『沈むボロ漁船』の正体は、先生の持ち船だったんですね!」
桟橋の陰から、双眼鏡を手にしたアーサーが飛び出してきた。
彼は「遠くから見るだけ」という自分への誓いをあっさり破り、好奇心の赴くままにここまで追ってきたのだ。
「……アーサー! お前、何やってんだ!」
「逃げませんよ! 僕はただ、先生たちがどこで戦っているのか、その『出撃の瞬間』を目に焼き付けたかっただけで……って、え?」
アーサーの視線が、船上にいる「失踪したはずの東洋人たち」と、彼らが積み込んでいる大量の日用品や嗜好品の山に釘付けになった。
「教授……。まさか、アメリカ中で消えている人たちを、先生が……誘拐して、ここで?」
アーサーの声が震え、その瞳に衝撃と絶望が走る。彼にとっての英雄が、最悪の犯罪者に見えた瞬間だった。
だが、そこにいた住人の一人が静かに首を振った。
「違いますよ、坊ちゃん。私たちは、先生とあそこにいる○○○さんに、匿って貰っているんです。……地上の冷たい社会からね」
「地上の、冷たい社会……?」
アーサーは立ち尽くした。
カニンガム教授は深いため息をつくと、パイプを咥え直し、観念したようにアーサーを手招きした。
「……ペンドルトン君。知られてしまった以上、君をこのまま帰すわけにはいかんな。
……君の言う『アトランティス』程幻想的ではないが、最高にクールな場所へ招待しよう」
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改造漁船が海面に静かに沈み、魔法の結界が窓の外を泡と深い青に変えていく。
アーサーは、先ほどまでの絶望が嘘のように、窓に張り付いて「ひゃあ……!」と奇声を上げていた。
「すごい……潜水艦でもないのに、海の下に潜るなんて!
まるでジュール・ヴェルヌの世界だ! 先生、あなたはこんなに凄い物を……!」
「騒がしいぞ、ペンドルトン君。耳抜きでもしていなさい」
カニンガム教授が呆れたように窘めるが、アーサーの興奮は収まらない。
やがて、深海の闇の中に燦然と輝くドーム都市「リュウグウ」が姿を現すと、彼はついに言葉を失い、静かに涙を流し始めた。
桟橋に降り立ち、そこで待っていた大勢の日本人たちが「お疲れ様!」「アップルジャックの仕込みはどうだった?」と明るく出迎える光景を目にして何かに気付き、彼は疑問を投げかけた。
「……あの、カニンガム教授……ここって誰が作ったんですか?」
「彼ら日本人さ。深海で活動出来る事を利用して、魔術と科学でここに楽園を築いたのさ。」
カニンガム教授が答えると、アーサーは顔を上げ、絞り出すような声で言った。
「僕は、オカルト雑誌の安っぽい怪異を探して喜んでいた……。
でも、先生たちは、この国の冷酷な法や差別に追いつめられた人達が作った深海の底の『理想郷』を守っていたんだ。
それも怪物を倒しながら、ずっと困難で、ずっと尊い戦いをしていたんですね……!」
彼の中で、カニンガム教授と○○○は聖者か何かへと完全に昇華されたらしい。
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その夜、リュウグウの広場では、持ち込まれたばかりの野菜や果物、ベーコン等の肉類を使った打ち上げの宴が開かれた。
アーサーは宴ではしゃぐ日本人達の姿を見ながら、慣れない手つきで「ジャック・ザ・カウボーイ」のグラスを煽った。
「○○○卿。……僕は決めました」
少し顔を赤くしたアーサーが、○○○の隣に座り、真剣な眼差しを向けた。
「今までは『趣味』で情報を集めていましたが、明日からは『使命』として取り組みます。
アメリカ各地で消えている日本人の情報をペンドルトン家の通信網で追い、ここに逃げてきたい人がいれば、僕がルートを確保します。
……資金の心配はしないでください。あんな退屈な銀行口座の数字が、こんなに素晴らしい場所のために使えるなら、安いものです!」
「……アーサー、ハリウッドで働いてる連中や、ヒナタ、カイのような例外以外はみんなリュウグウか大西洋側の海底都市に行ったんだ。探さなくても大丈夫だぞ」
○○○の言葉に、アーサーは一瞬呆け、大笑いした。
カニンガム教授はアップルジャックを喉に流し込み、この日初めて満足げな笑みを浮かべた。
「ああ。……九月の霧は晴れたが、十月の収穫は予想以上だったようだ」
深海の宴は、地上の寒さを忘れさせるほどに温かく、賑やかに続いていった。




