こんな夜中に何やってんの?
ミラー捜査官が去って数日後。酒の仕込みも終わり、西アーカム分校の静かなキャンパスは秋学期の始まりと共に一変した。
地方の港町らしいのんびりした空気の中に、東部の洗練された、しかしどこか鼻持ちならない若者たちの話し声が混ざり始める。
そんな中、カニンガム教授の研究室のドアが、ノックもなしに勢いよく開け放たれた。
「――ここか! あのカニンガム教授の聖域は!」
現れたのは、仕立ての良すぎるツイードのジャケットに身を包み、度の強い丸眼鏡を光らせた青年だった。
彼は呆然とする○○○を無視して部屋に踏み込み、デスクで古文書を読んでいた教授の前に身を乗り出した。
「初めまして、カニンガム先生! 僕はアーサー・ペンドルトン。ボストン本校から来ました。あ、編入の書類は事務局に投げておいたので気にしないでください!」
「……ペンドルトン? あのボストンの海運王の一族かね。本校で何かやらかして追放されたと聞いたが」
教授が眉をひそめて眼鏡をずらすと、アーサーは悪びれる様子もなく胸を張った。
「追放なんて人聞きが悪い! 僕はただ、本校の図書館の地下で見つけた『セイラムの魔女裁判に関する極秘記録』に従って、真夜中の墓地でちょっとした実験を試みただけですよ。
……まあ、教授たちの石頭には理解できなかったようですが」
彼はそう言って室内を見渡し、部屋の隅で資料を整理していたヒナタとカイに目を留めた。
その瞬間、彼の瞳に異常なほどの好奇心が宿る。
「おや……? 先生、そこの彼女たちは?
ほう、東洋人ですか。最近、ボストンのオカルト雑誌『ウィアード・テイルズ』で読んだんですよ。
東洋の神秘的な血筋には、海に住む精霊と交信して、宝石を貢がせる儀式がある……なんて記事をね!」
アーサーはズカズカと二人に近づき、無遠慮にヒナタの顔を覗き込んだ。
「君たち、その宝石の噂を知っているだろう? 西アーカムに流れ着いた、青紫の守護石!
もしかして君たちがその『人魚の儀式』の巫女だったりするのかな?
いやあ、素晴らしい! 地方分校にもこんな面白いフィールドワークの対象がいるなんて!」
「……なに、この失礼な人」
カイが資料を握る手に少しだけ力がこもり、ヒナタも困惑して○○○の後ろに隠れた。
「おい、君。彼女たちは教授の助手だ。あまり変な噂を吹き込まないでくれ」
○○○が間に割って入ると、アーサーは「おっと、失礼」と肩をすくめた。
「僕はただ、この街に漂う『非日常の気配』に興奮しているだけですよ。
先生、僕は今日からここに通い詰めますからね! この西アーカムに眠る、失われたアトランティスの遺産……あるいは伝説の人魚の隠れ里。
僕が必ず暴いてみせますよ!」
アーサーは嵐のように一方的に喋り散らすと、再びドアを派手に開けて去っていった。
後に残されたのは、静まり返った研究室と、頭を抱えるカニンガム教授、そして呆れ果てた三人だった。
「……教授。今の、リュウグウに行く前のミラーさんより何倍もタチが悪いですよ」
「ああ、間違いない。……鋭くて真面目な捜査官よりも、中途半端なオカルト知識を信じ込む金持ちの坊ちゃんほど、質が悪いものはないな……」
カニンガム教授の深い溜息が、九月の冷え始めた空気に溶けていった。
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新学期が始まって一週間。西アーカムを包む霧は、日を追うごとにその濃度を増していた。
この深い霧は、海底都市「リュウグウ」からの荷揚げや、イレギュラーズや○○○達が買い揃えた日用品をリュウグウの住人たちが夜陰に乗じて倉庫から回収するには絶好の目隠しとなる。
だが、その「目隠し」を利用しているのは、彼らだけではなかった。
「……おおっ、この海から上がったような足跡は……」
深夜の西アーカム分校の裏手、海岸へと続く崖道。
アーサー・ペンドルトンは、防水コートに身を包み、ランタンで地面を執拗に照らしていた。
彼の眼鏡は霧で真っ白に曇っているが、その瞳には狂信的な輝きが宿っている。
「もしかして……オカルト雑誌にあった『アトランティスの落とし子』か?
夜な夜な海から上がり、特定の民家から貢物を受け取っているという話だが……。
この足跡を辿って確かめてみようか!」
数メートル後ろの物陰から、○○○はヒナタ、カイと共にその様子を苦々しく見守っていた。
「……ねえ、あれ。昨日の夜、リュウグウの住人がシロップや炭酸ガスとかを取りに来た時の足跡だよね」
カイが小声で囁く。
「そう。しかも、よりによって昨日海が荒れてたから、砂に足が取られないように跡が付くくらい踏み込んで歩いてたみたいで……。
あんなふうに照らされたら、見つかっちゃうよ……」
ヒナタも困ったように、自分の指先をいじった。
アーサーは「はっはっは!」と場違いな高笑いを上げながら、足跡の先にランタンを向ける。
その先にあるのは、カニンガム教授の個人用倉庫――つまり、先ほどまで「アップルジャック」を熟成させていた場所だ。
「おい、まずいぞ。あの中には、まだラベルを貼っていない大量の酒と、何よりリュウグウへ送る予定の『特注のバニラエッセンス』の箱が山積みだ。あいつがあそこを暴いたら、ただの密輸騒ぎじゃ済まない」
○○○が冷や汗を拭う。
アーサーは「人魚の住みか」だと思い込んで突撃するだろうが、そこで彼が見つけるのは「異常な足跡の主が、大量の嗜好品を海へ運んでいる」という、密輸と怪異が混ざり合った、この街の最大機密に繋がる証拠だ。
「……ねえ、○○○。あいつ、いっそのこと霧に巻いて海に落としちゃダメ?」
カイが冗談とも本気とも取れないトーンで、触手を一本、袖口からちらつかせた。
「待て、それは最終手段だ。
……ヒナタ、霧を使ってあいつの視界を狂わせられないか?
足跡を別の方向……例えば、あっちの古い墓地の方へ誘導するんだ」
「やってみる。……でも、あんなにやる気満々の人を騙せるかな」
ヒナタが呪文を唱え、周囲の霧が生き物のようにアーサーの足元へ集中し始める。
一方、アーサーは「おや、霧が濃くなってきたぞ? もしや人魚の魔力か!」と、恐怖するどころかさらに興奮して、ランタンを振り回し始めた。
ヒナタが呪文を紡ぐと、それに呼応して霧は意志を持った蛇のようにアーサーの足元に絡みついた。
アーサーが照らすランタンの光は、不自然に屈折した霧に跳ね返され、彼自身の影を巨大な怪物の姿に変えて地面に映し出す。
「お、おおっ!? これは……なんだ、僕の影か……」
自分と同じ動きをしていることに気づいたアーサーは、影の正体に少しガッカリしたが、これまでの興奮のあまり、足跡が倉庫ではなく崖沿いの古い墓地の方へ「曲がって」続いていることにも気づいていない。
ヒナタが霧で作り出した「偽の足跡」に、彼は文字通り踊らされていた。
○○○たちは息を潜め、アーサーを墓地の入り口まで誘い込む。そこは数十年前に閉鎖された、潮風で墓石が丸く削れた不気味な場所だ。
「よし、あそこまで行けば倉庫からは遠ざかる。あとは適当なところで驚かせて追い返せば……」
○○○がそう呟いた瞬間だった。
墓地の奥、霧の向こうから「ガリッ……ガリッ……」という、石を爪で引っ掻くような、生々しく硬い音が響いてきた。
「……ヒナタ、今の音も君の魔術?」
カイが眉をひそめて尋ねる。
「ううん、僕は霧を操ってるだけ。あんな音、出してないよ……」
三人の間に、今度は本物の緊張が走った。
一方、何も知らないアーサーは、その異音に歓喜の声を上げた。
「聞こえるぞ! アトランティスの落とし子か?人魚か?
さあ、姿を見せてくれ、深淵の住人よ!」
アーサーが墓標の影にカメラを懐から取り出しつつランタンを向けると、そこには人魚でもアトランティス人でもない灰色をした「痩せこけた影」が蹲っていた。
それは墓石を器用に剥ぎ取り、地中の「中身」を貪ろうとしていた、本物の食屍鬼だった。
「……あ」
○○○の喉から短い声が漏れる。
食屍鬼はランタンの明かりに驚き、ゆっくりと首を巡らせた。その鼻も耳もない、犬に似た不気味な顔が、レンズ越しにアーサーを捉える。
アーサーが驚いてシャッターを切ると、食屍鬼は光で怯んで後退ると墓石に足を引っ掛けて転倒し、強かに後頭部を打ち付ける。
食屍鬼が痛みで悶絶してる間にアーサーは驚く程のスピードで三人のいる方向へ逃げ出した。
○○○がアーサーの足を引っ掛けて転ばせて、ヒナタは食屍鬼の頭に触手で大きめの石をぶつけて粉砕し、アーサーが転倒した勢いで放り投げられたランタンをカイが触手で回収した。
「こんな夜中に何やってんの?」
呆れた調子のカイの声が夜の墓場に響いていった。
慌ててアーサーが起き上がると、4人の周囲から唸るような声がいくつも聞こえてくる。どうやら一匹だけでは無かったようだ。
○○○が懐から45口径オートを引き抜く。霧の向こう側、無数の墓石の陰から、一つ、また一つと「灰色の中腰の影」が這い出してきた。その数は十を下らない。
空腹と死臭に突き動かされる食屍鬼の群れにとって、動転しているアーサーと、武器を構えた○○○たちは、格好の獲物に見えた。
「う、わ、わああっ! 怪物だ! 雑誌に出ていたイラストよりずっと……ずっと気味が悪い!」
アーサーは腰を抜かしたまま、震える手でカメラを抱え直した。そんな彼を背中に隠すように、○○○は45口径オートのセーフティを親指で跳ね上げた。
「ヒナタ、カイ! 囲まれる前にこいつを連れて離脱するぞ。……威嚇程度じゃ止まりそうにないな」
一体の食屍鬼が、ゴムのような皮膚を波打たせて跳躍した。○○○は躊躇なく引き金を引く。
――激しい銃声が夜の墓地に轟き、急な跳躍で狙いを外された一発の弾丸が怪物の股間を抉った。
食屍鬼は崩れ落ち、苦悶の声を上げながらも、その犬のような顔を歪めて泡を吹き、のたうち回っている。
そのまま頭に弾丸を撃ち込むと動かなくなった。
周囲の食屍鬼が後退る。
「……こいつら、そんなに強くない!」
カイが髪に擬態したままの触手を鞭のようにしならせて振るい、食屍鬼数体の頭をスイカのように叩き割る。
ヒナタもまた、髪に擬態していた触手を振るい、数体の頭を纏めて叩き割る。
「アーサー、立て! 死にたくなかったら走れ!」
○○○がアーサーの襟首を掴んで無理やり立たせると、背後の霧の中から、別の個体が迫って来ていた。
「逃げるぞ!」
三人は銃声と怒号、そして怪物の唸り声が入り混じる中、アーサーを連れて食屍鬼達を倒しながら墓地を通り抜けた。
ヒナタが呪文を唱えると、霧が彼らの背後で閉じ、追跡してくる影を不透明な白の世界に閉じ込めていく。
ようやく大学の管理棟の明かりが見える場所まで逃げ延びたところで、アーサーはその場に膝をつき、激しく喘いだ。
「はぁ、はぁ……。助かった……のか? 先生の助手たちが、あんな……あんな……」
アーサーは震えながら、○○○が手にする重厚な拳銃と、ヒナタたちが触手を素早く髪に擬態する様を交互に見た。
九月の冷たい霧の中、○○○はアーサーの肩に冷えた手を置いた。
「……アーサー。この辺は夜だと碌でもないものが出るんだ。外を出歩くのは控えた方が良いぞ」
○○○の低い声に、アーサーは力なく頷くしかなかった。
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翌日。
西アーカム分校の暗室にこもっていたアーサーは、真っ赤な電球の下で、震える手を使って現像液から一枚の印画紙を引き上げた。
浮かび上がってきたのは、霧の中でランタンの光を浴び、犬のような顔を歪めた怪物の姿だった。
「……やはり、そうだったのか。カニンガム教授と彼らは、この街に巣食う闇の勢力と戦う、現代の聖騎士団だったんだ!」
アーサーは感動に打ち震え、現像したばかりの写真を胸に抱きしめた。
彼の中では、昨夜の凄惨な殺戮劇が「魔の巣窟に迷い込んだ自分を助ける為の戦い」に塗り替えられていた。
○○○たちが密造酒の貯蔵庫を守るために墓地へ誘導し、たまたま遭遇した邪魔な怪物を掃除しただけだという事実に、彼は一生辿り着くことはないだろう。
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「……で、アーサー君は大人しくなったのかね?」
研究室のフカフカの椅子に座った教授が呆れたように、コーヒーを啜りながら尋ねた。
「ええ。今日から僕らのことを『サー』とか『レディ』とか呼び始めてますよ。
一応、あの後に自衛出来るようになった上で怪しい所に立ち入るなと忠告しておきました。
……まあ、夜中に勝手に出歩いて、変な足跡を追うような真似はもうしないでしょう」
○○○が窓の外を眺めると、中庭でアーサーがこちらに向かって深々と、恭しく一礼しているのが見えた。
「……アレはあれで凄く面倒臭いね」
カイが不満げに口を尖らせ、ヒナタは「でも、バレなくてよかったね」と胸をなでおろした。
アーサーはそれ以来、自らを「カニンガム教授の協力者」と任じ、シューティングレンジで銃の腕を磨きつつ、大学やソーダファウンテンで噂を集めて報告書に纏め、定期的にカニンガム教授に提出するようになった。
思わぬ「協力者」の出現に、教授は「情報収集が楽になるのは助かるが……」と、相変わらずの溜息をつくのだった。




