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霧の街のヒナタ  作者: 下駄ロボ
リメイク版

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58/62

……お代はいかほどいただけますか?

 六月の北太平洋は、凪いでいるように見えても常にうねりを孕んでいる。

 海洋生物学研究室所有の漁船後方に引かれた曳航索は、海面を浅く切り裂きながら、規則正しい白波を立てていた。

 ヒナタは、その白波の中から音もなく浮上してきた影に、わずかに視線を向けた。

 次の瞬間、海面が盛り上がり、人影がすっと姿を現す。


「……久しぶり。ヒナタ、元気してた?」


 水を切るような動作で、中性的な少女が甲板の縁に肘を掛ける。

 年の頃はヒナタと同じくらい。だが表情はどこか生意気で、唇の端に薄い笑みを浮かべている。


「久しぶりだね、カイ。

 迎えに行くって言ってたのに……」


 ヒナタは、その名を短く呼んだ。

 少女――カイは、背後の海面を指差した。


「待ちきれなくて来ちゃった。

 後ろ、繋げてもいい? 十数樽あるけど、牽引してくれるなら、作業は全部手伝うよ」


 ヒナタが視線を巡らせると、曳航索のさらに外側に、いくつもの影が波間に浮かんでいるのが見えた。

 樽だ。木製の中型樽が、魔術処理された縄で連結され、潮流に乗って静かに揺れている。


「……多いね」

「交渉用の手土産だからね。 ケチると後で高くつくんだ。

 それと、着替えとかも入ってる樽が一つ混ざってる」


 言い切る口調は、見た目相応に幼いが、そこに迷いはない。

 ヒナタは一瞬だけ考え、船尾の学生に声をかけた。


「密輸品、もう一本追加が来たから引っ掛けるね」

「えっ!?そんなのあったか?

 ……まあ、多いに越したことは無いか」


 船尾に曳航索が追加され、海面の樽列がゆっくりと引き寄せられていく。

 その間に、カイは何事もなかったかのように髪に擬態した触手を引っ掛けて甲板へ上がった。

 素肌に触手を水着のように貼り付けて擬態した身体から水滴を滴らせつつ、周囲を一瞥する。

 最低限の範囲を隠す程度にしか触手を貼り付けていない為、現代の水着で例えると、背中の紐が無いスリングショットのような姿だ。

 学生の一人が息を呑み、一人は目を逸らした。


「……なるほど。

 これが今の居場所、ってわけか」


 船上では、コーエン教授と数名の学生が呆気に取られた表情でカイとヒナタを見つめている。


「どうしたの?コージョリョーゾクってやつはちゃんと守ってる筈だよ?

 ……隠しきれてなかったかな?」


 触手をめくろうとするカイの手を止め、ヒナタは笑いながら言った。


「もうちょっと隠した方が良いかも。

 それに……手伝うって言ったでしょ?」

「うん」


 カイは頷き、すぐにロープに再度魔術をかけた。漁船への負荷を減らす為に魔術で海流を操ったのだ。


「任せて。

 昔より魔術とか色々と上達したんだから」


 その言葉にヒナタの口元がごくわずかに緩んだ。


---


 曳航索の追加接続が終わり、船の進路が安定すると、漁船の空気はようやく動き始めた。

 それまで言葉を失っていたコーエン教授が、咳払いを一つしてから、慎重に口を開く。


「……ヒナタ君。

 こちらの……お連れの方は?」


 その問いに、ヒナタは一拍置いてから、自然な口調で答えた。


「日本にいた頃の友人です。

 名前はカイ。色々な仕事を転々としてました。

 貯めたお金でアメリカンドリームを掴む為に密輸を始めたみたいです」

「……え?」


 数名の学生が同時に声を漏らした。

 カイは、そんな視線を意にも介さず、ひらりと片手を振った。


「カイだよ。

 えっと……よろしく、です?」


 語尾の曖昧な上がり方と、どこか幼い発音。

 その場の誰もが、どう反応すべきか分からずに固まる。

 コーエン教授は数秒沈黙した後、ようやく思考を再起動させた。


「……つまり、君は――」

「中国沿岸で仕入れた酒を、日本経由で北太平洋横断して、アメリカ西海岸に運んでます」


 あっさりと言い切る。

 教授の眉が、目に見えて跳ね上がった。


「……単独で?」

「はい。今はまだ一人です。」

「……それは、いつ頃から?」

「半年前からかな?

 去年の夏あたりから沿岸の日本人がいなくなっちゃって、現地の日本人以外にツテの無い沢山の業者が廃業していったからヒナタと友達の私ならいけるかもと思って始めました。」


 学生の一人が、耐えきれず声を上げた。


「ちょ、ちょっと待って。

 それって……君、年はいくつ――」

「17。……たぶん」

「たぶん!?」


 甲板に、微妙な沈黙が落ちる。

 ヒナタはその空気を察し、さらりと補足した。


「正確な年齢の測定が難しい体質なんです。

 見た目と実年齢にズレが出やすくて」

「あー……」


 教授は、納得と諦観が入り混じった表情で頷いた。

 この船には、すでに「少年の姿をしたトンチキ生物」が乗っている。

 今さら多少の異常が増えたところで、驚く方が負けなのだ。

 カイは興味深そうに、学生たちの顔を一人ずつ眺め回した。


「ここが、ヒナタの今の職場?」

「研究船さ。

 海洋生物学の調査が主目的だが……」


 教授は言葉を濁し、ちらりとヒナタを見る。


「副業が、密輸」

「副業なんだ」


 カイは小さく笑い、ヒナタの方を向いた。


「アメリカンドリーム、掴みかけてるじゃん」

「そんな大層なものじゃないよ」

「ううん。

 十分すごい」


 その声音には、からかいと、少しだけ寂しさが混じっていた。

 カイはすぐに表情を切り替え、教授へ向き直る。


「今回、ヒナタの思念を感じたから、岩場じゃなくてこっちに交渉用の手土産を持ってきたよ」

「交渉?」

「うん。

 アメリカ側で、中国酒の需要、ないかなって」


 学生の一人が、思わず呟く。


「……度数の高い薬膳酒とかなら、チャイナタウンで……って今は復興中だったか?」

「その辺。

 体調回復系と、薬効強めのやつ中心」


 カイは、海面に浮かぶ樽の列を指差した。


「ヒナタ宛てと私の私物以外の分は、

 ヒナタがお世話になってる組織に渡していいよ。

 販路開拓、手伝ってもらえるなら」


 コーエン教授は、ゆっくりと息を吐いた。


「……君、商才があるね」

「そーでしょ」


 カイは胸を張って得意気に答えた。

 ヒナタは、その横顔を見つめてから、静かに言った。


「交渉相手はコーエン教授じゃないよ、カイ」

「えっ、そうなの?」

「ハーバード・カニンガムって人が僕の上司かな。大学教授をやってる。

 交渉は港に戻ってからだね」

「気が早かったかぁ……」


 カイは、わずかに声を落とす。


「ところでいつの間に英語を覚えたの?」

「ヒナタがアメリカに行った後、残してくれた教科書片手に頑張ったんだよ。

 喫茶店に来るガイジンさんに試してたから、発音もちゃんとしてるでしょ?」


 カイは胸を張って答えた。


「元気にやってるよ」

「知ってる。

 でも、目で見たかった」


 そのやり取りを、教授と学生たちは、言葉もなく眺めていた。

 密輸。

 魔術。

 人外。

 どれを取っても異常だが――

 その根底にある感情だけは、ひどく人間的だった。

 やがてコーエン教授は、観念したように言った。


「……分かった。

 樽は、イレギュラーズの倉庫で一緒に受け取るようにかけ合おう。

 販路についても、検討するよう口添えするよ」

「ありがとう」


 カイは、ぱっと表情を明るくする。


「じゃあ、しばらく厄介になるね」


 ヒナタは、小さくため息を吐いた。


「……なるって決めてたでしょ」

「ばれた?」

「顔に書いてある」


 カイは楽しそうに笑った。



---


 魔術によって調整された海流に引かれ、樽列は驚くほど滑らかに船尾へと寄せられていく。

 軋み音すらほとんど立てず、漁船の進路に無理な負荷もかからない。


「……おい、今の見たか?」

「見た。もうちょっとだな……」


 学生たちの間に、小さなどよめきが走る。

 カイの触手がヒナタとの会話に夢中で外れかけているのだ。

 だがヒナタは、それを気に留める様子もなく、曳航索の張力計に視線を落としながらカイの触手の位置を元に戻した。


「上手になったね。昔ならぶつけてたのに」

「今は違うからね。

 あれから何年経ったと思ってるの?」


 カイは軽く肩をすくめ、甲板に腰掛ける。

 濡れた触手が木板に触れるたび、ぴたり、と吸い付くような微かな音がした。


「一時期は海底都市に潜りっぱなしだったからね。魔術使わない日なんて無かったんだよ。

 ……そっちは?」

「相変わらず。

 研究と航海と、ちょっとしたトラブル対応……それと他色々」

「ふうん。

 “ちょっとした”って顔じゃないけど」


 その言葉に、ヒナタは苦笑した。


「色々ね」


 曖昧に流すヒナタを、カイは一瞬だけ真剣な目で見つめた。

 だが、それ以上は踏み込まず、すぐに軽い調子に戻る。


「ま、いいや。

 今日は再会祝いも兼ねてるし」

「再会祝い?」


 ヒナタが首を傾げると、カイは曳航中の樽の一つを指差した。


「清酒に焼酎、味噌、醤油、昆布。恋しくなってきたんじゃない?」

「ありがとう!大好き!」

「後で何か作ってよね」


 あっけらかんと笑うその様子は、昔と変わらない。


「……そろそろ着替えても良いんじゃない?」

「そう?隠してるから問題なくない?」

「ズレてたよ」

「あらま……」


 二人のやり取りに、後方で聞き耳を立てていた学生の一人が、耐えきれずに口を挟んだ。


「あ、あの……ヒナタさん。

 日本の方はその……なんというか……開放的なんですか?」


 視線が、恐る恐るカイへ向けられる。

 好奇心と警戒心と、純粋な驚きが混ざった表情。

 ヒナタは一拍だけ置き、静かに答えた。


「そうだよ。

 泳ぐ時は基本的に裸だし」

「おお……」

「うん。

 ティーンエイジャーだっけ?そう見えるカイにその反応は色々とヤバいって聞くけど大丈夫?」


「可愛くてナードを馬鹿にして来ない女の子は貴重なんです!」

「僕だって君の彼氏みたいな勇者になりたい!」

「種族が違っても可愛ければ良いと思います!」


 学生たちの血を吐くような言葉にヒナタとカイはただ呆然と見守るしかなかった。


 その一方で、船首に立つコーエン教授だけは、好奇心で輝いた目でカイを見ていた。


「……ヒナタ君」


 低く、落ち着いた声。


「彼女――いや、“彼”かね?

 いや、どちらでも構わんが……」

「気にしなくて大丈夫です。

 本人も気にしてませんから」

「うん。

 その日の気分で変わるし」


 即答するカイに、コーエン教授は一瞬だけ言葉を詰まらせ、そして深く息を吸った。


「カイ君、〝海底都市〟というのは何なのだね?

 凄くワクワクする響きがするのだが……」


 学生達が「また始まったよ」という空気になる。

 カイは一度だけヒナタを見やり、そして、ゆっくりと微笑んだ。


「……お代はいかほどいただけますか?」

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