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霧の街のヒナタ  作者: 下駄ロボ
リメイク版

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50/57

放っておけば勝手に死ぬんじゃないですか?

 西アーカム警察署の地下に位置する霊安室は、地上よりもさらに一段と冷え込み、防腐剤の鼻を突く匂いと、死の沈黙が支配していた。

 カニンガム教授、○○○、そして少年の姿のヒナタの三人は、カニンガム教授の馴染みの刑事に伴われて、部屋の中央に置かれたステンレス製の解剖台の前に立っていた。


「……こいつが、一昨日の夜に仕留めた『不審者』だ」


 刑事が忌々しそうに吐き捨てながら、横たわる巨躯にかけられた白布を乱暴に剥ぎ取った。

 そこに横たわっていたのは、もはや人間と呼ぶにはあまりに冒涜的な「ナニカ」だった。

 散弾銃を浴びて無残に破壊されているが、剥き出しになった腹部や脚部には、人間のものではない粗い鱗と、動物的な剛毛がびっしりと生え揃っている。さらに、腰のあたりからは力なく垂れ下がった、吸盤を持つ触手の名残さえ見て取れた。


「深夜、大学図書館の窓を壊そうとしていたところを、パトロール中の警官に見つかってね。

 大人しく手を上げろと言ったんだが、こいつは『邪魔だ!』と喚き散らして襲いかかってきやがった。

 ……最近のうちは引き金が軽くてな。警告の後は、ご覧の通りだ」


 刑事はそう言って、ヒナタの反応を伺うように視線を向けた。


「どうだ、ヒナタ。人外の繋がりで、こいつに心当たりはないか?

 インスマスの魚野郎どもの親戚か何かじゃないのか?」


 ヒナタは眉一つ動かさず死体を検分した。


「……いいえ、見たことないです。人外の繋がりと言われても、この姿はちょっと……」


 ヒナタは困ったように首を傾げた。


「こんな出来の悪いパッチワークみたいな生き物なんて初めて見ました。

 触手も僕達とは違うので、多分、僕みたいな海由来の生き物ではないでしょうね」


 あんまりな情報に、刑事は期待外れだとばかりに肩を落とした。


「そうか……。こいつの素性が割れれば、何かしら事件の裏が取れると思ったんだがな。

 代わりに、こいつが持っていた日記から妙なことが判明してね」


 刑事は台の脇に置かれた、血痕と泥に汚れた古い日記帳を手に取った。


「ウィルバー・ウェイトリー。それがこいつの名前だ。日記によれば、ダンウィッチの山奥にある実家で、こいつは『弟』と呼ぶ何かを飼っていたらしい」


 刑事は嫌そうな手つきで日記を捲っている。触ると変な病気にかかりそうな見た目の日記なんて誰でも触りたくないだろう。


「こいつら一家はよほど金を持っていたらしく、近隣の農家から家畜だけじゃなく、農地まで割高な値段で買ってやがった。『家畜を置く場所はどうするんだ』とでも言いくるめられたんだろうな。

 農家連中も、こいつらのヤバさに気づいてたんだろう。新天地へ逃げる絶好の口実だと言わんばかりに、口八丁で家畜のついでに土地まで売り渡して、とっくに村から消えていやがる。

 ……おかげで、今のウェイトリー家の周囲には、人間が一人もいない。完全に孤立した空白地帯だ」


 刑事は重苦しい溜息をつき、日記を閉じた。


「そして、その空っぽの農地の中央にある屋敷に、飼い主を失った『弟』が残されている。

 ……もし日記にある通り、家畜を何頭も喰らうような化け物が暴れ出したら、止める奴がいないんだ。

 今すぐにでも武装した警官隊をダンウィッチに突っ込ませるべきか、我々も判断に迷っている」


「日記に書かれている『弟』が、どれほど巨大で凶暴な生き物かは分かりませんが……」


 静かに日記の記述を追っていた○○○が、ふと顔を上げて刑事に問いかけた。


「これ、放っておけば勝手に死ぬんじゃないですか?」

「……何だと?」


 刑事は意外そうな顔で○○○を見た。隣で日記の内容をメモしていたカニンガム教授も、眼鏡の奥の目を瞬かせる。


「日記の内容を信じるなら、この『弟』は兄であるウィルバーが付きっきりで世話しなきゃ、満足に食事も摂れないような状態だったはずです。

 唯一の供給源だった兄貴がここでくたばった以上、あとに残されたのは飢えてるのに餌の捕らえ方がわかるか怪しい化け物だけだ」


 ○○○は解剖台のウィルバーの死体を指差した。


「近隣の農家も土地まで売り払って逃げ出したんでしょう? なら、屋敷を壊して外に出たところで、襲うべき家畜も人間も周囲にはいない。

 ……こんな狩りの経験皆無の大食いで燃費がすこぶる悪い生き物が冬を越せると思いますか?」


 皆、揃って首を横に振った。


「凶暴ではあるけど自分で狩りをしたとか、そういう事は書かれてないね……狩りが出来る前提で考えてたよ……」


 ヒナタは恥ずかしそうに頭を掻いた。


「わざわざ吹雪の山に警官隊を突っ込ませる必要なんてありませんよ。

 家を壊して雪の中に這い出したとしても、何も食べられずに凍えて死ぬのが関の山です。

 春まで放置しておけば、屋敷の中で勝手に干からびて死体になってますよ」


 刑事はしばし呆然としていたが、やがて慌てて資料を読み直し、日記の記述と○○○の言葉を突き合わせ始めた。


「……確かにそうだ。こいつが買い占めた家畜の在庫も、そう長くは持たないはず。近隣に略奪する対象もいないなら、餓死は免れん。

 ……よし、これなら上に『放っておいて野垂れ死ぬのを待つのが最も経済的かつ安全である』と報告できるな。

 無理に弾薬と人命を消費して、得体の知れない山に火を放つ手間が省けた」


 刑事が安堵の溜息をつく。西アーカム警察にとって、正義よりも「効率的かつ確実な駆除」こそが今の最優先事項なのだ。


「助かったよ。君たちの合理的な意見を聞けて良かった。

 ……さて、この『パッチワークの失敗作』は、さっさと焼却炉に放り込むとしようか。

 一応、人扱いされてる情報があるから、化け物の癖に標本にして売り飛ばす事も出来ないしな」


---


 警察署を後にした三人は、凍てつく風を裂いてミスカトニック大学へと戻った。

 正門を潜ろうとしたその時、大学の構内から慌ただしく飛び出してきた一団と、危うく正面から衝突しそうになった。


「――おっと、失礼。……おや、カニンガム教授じゃないか」


 厚手のコートに身を包み、大きなトランクを抱えていたのは、大学図書館長であるヘンリー・アーミテッジ教授だった。その背後にはライス教授とモーガン博士も控えており、三人の顔は、これから戦地にでも赴くかのような悲壮な決意に満ちている。


「これはアーミテッジ教授。そんなに慌てて、どちらへ?」

「決まっている。ダンウィッチだ!」


 アーミテッジ教授は、血走った目でカニンガムを凝視した。


「先程、警察から事情聴取を受けてきたのだよ。

 あのウィルバー・ウェイトリーが図書館への侵入未遂で射殺されたと聞いてな。

 ……奴は日記の中に、この世を滅ぼしかねない恐ろしい魔術の鍵を記していた。術者である奴が死んだ今、残された『弟』が鍵を開け、向こう側のモノを呼び降ろす依代になるかもしれん。

 一刻も早く、あの忌まわしい屋敷を焼き払わねばならんのだ!」

「ああ、その件でしたら……」


 ○○○が少し申し訳なさそうに割って入った。


「警察は、放置することに決めたみたいですよ」

「……何だと?」


 アーミテッジが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。

 カニンガム教授が苦笑しながら、先ほど警察署でまとまった「合理的な結論」を、手短に、かつ学術的に補足した。


「つまりだね、アーミテッジ教授。呪文を唱えられる術者ウィルバーは既に死んで焼却炉に向かっている。

 残された『弟』とやらは、兄がいなければ食事も摂れないほど生存能力が低い上に、『弟』が単独で〝向こう側のモノ〟とやらを呼び出せるなら、とっくの昔に呼び出してる筈だ。

 ましてや今、ダンウィッチの周囲には奪うべき家畜も人間もいないんだ。

 君がわざわざ冬の山に登って命を懸けずとも、向こう数週間もすれば野垂れ死んで、ただの干物になるだろうよ。

 他にも問題になりそうな物があったら日記に書かれている筈だから、見落としの心配は無いだろう」

「そんな……しかし、あの怪物には、我々の理屈を超えた宇宙的な……

 そういえば、日記には確かに『弟』が狩りをしたとか、呪文を唱えられるとか、そんな事は全く書かれていなかったね……」


 アーミテッジ教授はライス教授とモーガン博士と顔を見合わせ、深いため息と共にトランクを地面に置いた。


「確かに……術者が死んだ今、依代がいた所で呼び出される心配は無かったな……」


 張り詰めていた使命感があっけなく霧散していった。


「……わかった。我々の遠征は中止だ。春になったら、警察と一緒に掃除に行くとしよう」


---


 遠征を中止したアーミテッジ教授たちが、トランクを引きずりながら重い足取りで図書館へ引き返していく。

 その背中を見送りながら、カニンガム教授もまた、満足そうに鼻を鳴らした。


「いやはや、冬の山で怪物と追いかけっこをするなんて自殺行為を止められて何よりだよ。

 ……君たちも、今日はもう上がりでいいぞ」

「ありがとうございます、教授。お疲れ様でした」


 ○○○が軽く会釈をすると、カニンガム教授は手を振りながら校舎の中へと消えていった。


 大学の正門を後にした二人の前には、夕闇の迫る西アーカムの街並みが広がっていた。

 空は低く垂れ込めた雲に覆われ、街灯の鈍い光が、濡れたアスファルトに琥珀色の反射を投げかけている。

 世界を破滅させるかもしれなかった『弟』が、山奥でひっそりと飢え死ぬというのに、街は何事もなかったかのように寒々しい日常を続けていた。


「……○○○」


 隣を歩くヒナタが、少年の姿のまま少し首を傾げて、○○○の袖を引いた。

 その顔には、ただ空腹を感じている一人の同居人としての顔があった。


「さて、今日の夕飯、どうする?」

「そうだな……。今日は寒かったし、温かいものがいいな」


 ○○○がそう答えると、ヒナタは嬉しそうに目を細めた。


「じゃあ、今日はシチューだね。

 材料買いにいこうよ。」

 ヒナタが○○○の隣で弾むような足取りに変わる。


 二人は肩を並べて、食料品店に向かって歩き出した。

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