東洋の神秘というやつかな?
クリスマスが迫る西アーカムの夜は、骨まで凍てつくような湿った冷気に包まれていた。
街灯の光が深い霧に乱反射し、石畳の道は黒く濡れて光っている。
カニンガム教授、○○○、そして少年の姿のヒナタの三人は、襟を立てて足早にいつもの路地裏へと滑り込んだ。
理髪店の奥、隠し扉を抜けて地下へと降りる。
扉が開き、外の静寂が嘘のような喧騒と、温かな熱気が三人を迎えた。そこは、いつもの飲んべえ連中や、素性の知れない紳士たちが集う、馴染みのスピークイージーだ。
店内は常連たちが中心で、ジャズが低く流れ、落ち着いた琥珀色の照明が漂う紫煙を照らし出している。
「いつもの席でいいですかい?」
バーテンダーが、カウンターの奥でグラスを拭きながら問いかけた。
「ああ。まずは喉を温めるものが欲しいね」
教授が椅子を引き、三人は並んで腰を下ろした。
バーテンダーが注文のウイスキーとジンジャーエールを運んできた際、彼はふと手を止め、ヒナタに声をかけた。
「○○○、ヒナタ、いいところに。折り入って頼みがあるんだ」
「何かな?」
ヒナタが首を傾げると、バーテンダーは少し気まずそうに声を落とした。
「悪いが、ワインとブランデー……あれの追加を早めに回せないか?」
その言葉に、隣にいた○○○が眉をひそめた。
「おい、先月まとまった数を納品したばかりだろ。もう切らしたのか?」
○○○の問いに、バーテンダーは「そうなんだよ」と肩をすくめた。
「本来なら来月まで持つはずだったんだが、ここ数日、異常なほど注文が重なってね。あっという間に底を突きそうだ」
「高めの値段で出してたのに、もう売り切れたのかい?」
教授が興味深そうに身を乗り出す。バーテンダーは周囲を気にしながら、さらに声を潜めた。
「ああ、妙な噂が広まっていてね。あんたたちの作るワインやブランデーには、……その、『媚薬』か『惚れ薬』のような効能があるんじゃないかって話だ」
「……は?」
○○○が素っ頓狂な声を上げた。ヒナタはきょとんとして、自分の指先を眺めている。
「媚薬?そんな変なもの入れた覚えはないよ」
「わかってる、わかってるさ。だが、客たちの間じゃ持ちきりなんだ。
あの酒を飲んで口説くと、意中の相手が面白いように落ちる。あるいは、冷え切っていた夫婦が急に仲直りするとかな。
そんな話に尾ひれがついて、今じゃ『愛の霊薬』なんて呼ぶ奴までいる始末だ」
カニンガム教授が、耐えきれないといった様子で「くくっ」と喉を鳴らして笑い出した。
「東洋の神秘というやつかな?」
「笑い事じゃないですよ、教授」
○○○が顔を引きつらせて否定した。
「材料の調達は俺がやってるんだ。
入ってるのはワインブロックとレーズンと酵母だけだ。怪しい薬の類なんて、一滴も混ぜちゃいない」
「ああ、そこは俺も疑っちゃいないさ。衛生面でも成分面でも、下手な大手の酒よりよっぽど信頼してる」
バーテンダーが即答する。彼の視線は、ただ淡々と事実を告げている。
「ただ、お前さんたちが思っている以上にヒナタの作る酒は丁寧すぎるんだよ。
変な混ぜ物がないから悪酔いしにくい上に強いからすぐ酔える。
……そこに『人外が作った特別な酒だ』っていう触れ込みがあるせいで特別な力があると信じ込む奴が出てきたんだ」
「そうか、この辺だとワインやブランデーは少しばかり珍しい。
珍しくて度数が高い酒を奢られれば、特別扱いされたと感じてお持ち帰りされる事もあるか」
教授がグラスを傾けながら、冷静に分析する。
「……つまり、僕が丁寧に作り過ぎたのが原因?」
ヒナタが申し訳なさそうに尋ねると、○○○が優しくその肩を叩いた。
「お前が悪いんじゃない。」
ヒナタは少し困ったように笑い、それからバーテンダーに向かって頷いた。
「わかった。次に仕込んだ分なら三日後には持ってくるよ。それでいいかな?」
「助かるよ、ヒナタ。恩にきる」
バーテンダーは安堵の表情を浮かべると、「これは礼だ。店からのサービスだ」と言って、三人の前に並々と注がれた最高級のウイスキーと、自家製のピクルス、それに香ばしく焼いたナッツの皿を差し出した。
「おや、役得だね」
教授が愉快そうにグラスを持ち上げる。
三人はグラスを軽くぶつけ合い、琥珀色の液体を口に含んだ。
西アーカムの深い夜。怪異と隣り合わせのこの街で三人の夜は穏やかに更けていった。
「……ところでヒナタ君。警察から君に職質に抵抗して射殺された不審者について何か知らないか教えて欲しいと連絡があったよ」
「西アーカムに不審者の知り合いは居ませんよ?」
「何でも、やたらデカくて毛深くて、触手まで生えてるらしい。
人外同士の繋がりとかないか気になったのだろうね」
「えぇ……」
穏やかには終われないようだ。




