家族みたいなものでしょう?
玄関を入ると、温かい空気と、何かを煮込んでいる良い香りが漂ってきた。
「わあ...」
ヒナタが、思わず声を上げた。
リビングには暖炉が燃えていて、壁には家族の写真が飾られている。
手入れの行き届いた家具、清潔なカーテン、そして所々に置かれた花瓶。
どこを見ても「家族の温かさ」が感じられる空間だった。
「素敵なお家ですね」
ヒナタが目を輝かせて言った。
「ありがとう。大したものじゃないけれど、私たちの大切な家よ」
母親が嬉しそうに微笑んだ。
「さあ、コートを脱いで。○○○、荷物は二階の部屋に置いてきなさい」
「わかった」
○○○がトランクを持って階段を上がっていく。
ヒナタはコートを脱ぎながら、母親の横に立った。
「ヒナタちゃん、本当に久しぶりね」
母親がヒナタをまじまじと見た。
「はい...あの時は、その...」
ヒナタが顔を赤らめる。
あの日、突然訪問してきた両親に○○○の膝の上に座っている姿を見られてしまった。
「ふふ、もういいのよ。あの時はびっくりしたけど、二人が仲良くしているのは嬉しいことだわ」
母親がヒナタの肩を優しく叩いた。
そして、その視線がヒナタの服装に移った。
「...あら?」
母親が少し困ったような顔をした。
「どうかしましたか?」
「いえ...ヒナタちゃん、その服...」
母親がヒナタの服装を上から下まで眺めた。
ズボン、シャツ、ベスト。
全て明らかに男物だ。
「...女の子の服、持ってないの?」
母親が優しく尋ねた。
「あ...はい」
ヒナタが恥ずかしそうに俯いた。
「普段は男の子として過ごしているので...」
「そうなの?」
「はい。大学でも男子学生として登録していますし、その方が動きやすいので」
「なるほど...」
母親が少し考え込むような顔をした。
その時、階段から○○○が降りてきた。
「母さん、何か問題でも?」
「いいえ、何も」
母親がにっこりと笑った。
「ただ、ヒナタちゃんと明日お買い物に行こうと思っただけよ」
「買い物?」
「ええ。感謝祭のディナーには、ちゃんとした服で出たいでしょう?」
母親がヒナタに向き直った。
「え...でも」
「遠慮しないで。せっかくだもの、一緒に選びましょう」
母親の目は優しく、でもどこか有無を言わさぬ強さがあった。
「...はい」
ヒナタが小さく頷いた。
「良かった。じゃあ、明日の午前中に行きましょうね」
母親が満足そうに微笑んだ。
リビングに座ると母親がお茶を淹れてくれた。
「さあ、どうぞ。長旅で疲れたでしょう?」
「ありがとうございます」
ヒナタが温かいお茶を受け取る。
父親も新聞を脇に置いてお茶を飲んでいる。
「ヒナタ君、大学の方はどうだい?」
父親が尋ねた。
「はい。無事に単位も取れていますし、カニンガム教授にもよくしていただいています」
「そうか。○○○も、ヒナタ君のおかげで真面目に勉強しているようだね」
「...親父、俺は元々真面目だったぞ」
○○○がむっとしたように言った。
「いやいや、お前は昔から怠け者だったじゃないか」
父親が、クスクス笑う。
「そうそう。宿題も最後までやらなかったし」
母親も笑いながら言った。
「...もう、その話はいいだろ」
○○○が顔を赤らめる。
ヒナタはその様子を見てクスクス笑った。
「○○○って昔はそうだったんだね」
「ヒナタまで...」
○○○がため息をついた。
「でも、今は本当に頑張ってるわよ。○○○、あなたの成績、とても良かったもの」
母親が誇らしげに言った。
「...母さん、それは」
「何よ、褒めてるのよ」
母親が、○○○の頭を撫でた。
「ヒナタちゃん、夕食の準備を手伝ってもらえるかしら?」
母親が尋ねた。
「はい、喜んで!」
ヒナタが、元気よく答えた。
「じゃあ、○○○とお父さんはリビングでゆっくりしていてね」
「わかった」
○○○と父親はリビングに残り、ヒナタは母親と一緒にキッチンへと向かった。
キッチンでは既に大きな鍋が火にかけられていた。
「今夜はシチューよ。感謝祭の前夜だから、軽めのものにしたの」
「わあ、いい匂いですね」
ヒナタが鍋を覗き込む。
「じゃあ、ヒナタちゃんは野菜を切ってもらえるかしら?」
「はい!」
ヒナタはエプロンを借りて、野菜を切り始めた。
とても手慣れた手つきだ。
「...上手ね」
母親が感心したように言った。
「料理、好きなんです」
「誰に習ったの?」
「独学です。日本にいた頃から」
「そう...」
母親が、少し何かを察したような顔をした。
でも、それ以上は聞かなかった。
「○○○は、料理できないのよ」
「知ってます」
ヒナタがクスクス笑った。
「でも、○○○は他のことが得意ですから」
「例えば?」
「...えっと」
ヒナタが少し困った顔をした。
密造酒作りとか、マフィアとの交渉とか、そういうことは言えない。
「...優しいところとか、交渉とか」
ヒナタが、顔を赤らめて言った。
「ふふ、そうね」
母親が、優しく微笑んだ。
「○○○は、昔から優しい子だったわ。少し不器用だけど」
「はい」
ヒナタが嬉しそうに頷き、二人は並んで料理を続けた。
キッチンには温かい空気が流れていた。
母親は時々ヒナタに料理のコツを教え、ヒナタはそれを真剣に聞いていた。
「ヒナタちゃん、明日の買い物、楽しみにしていてね」
母親が野菜を炒めながら言った。
「はい」
「女の子の服、きっと似合うわよ」
「...ありがとうございます」
ヒナタが少し照れくさそうに笑った。
窓の外は既に暗くなり始めていた。
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やがて、夕食の準備が整った。
ダイニングテーブルには、大きな鍋に入ったシチュー、焼きたてのパン、そしてサラダが並べられている。
暖炉の火が、部屋全体を温かく照らしていた。
「さあ、座って」
母親が、四人分の皿を並べ終えた。
○○○とヒナタが並んで座り、父親と母親がその向かいに座る。
「では、祈りを」
父親が、穏やかな声で言った。
全員が手を組み、目を閉じる。
ヒナタも、自然な動作で従った。
「主よ、この食事と家族に感謝します。そして、息子と彼の大切な人を、無事に迎えられたことに感謝します。アーメン」
「アーメン」
全員が唱和し、食事が始まった。
シチューは、野菜と肉がたっぷり入っていて、とても美味しかった。
ヒナタは、スプーンを静かに口に運び、音を立てずに食べている。
ナプキンの使い方も、パンのちぎり方も、全てが自然で洗練されていた。
母親が、その様子をちらりと見て、少し驚いたような顔をした。
「……ヒナタちゃん、マナーがとても綺麗ね」
「ありがとうございます」
ヒナタが、控えめに微笑んだ。
「どこで習ったの?」
「大学の教授に教えていただきました」
「カニンガム教授ですね」
○○○が補足する。
「へえ、文化人類学の教授が?」
父親が、興味深そうに尋ねた。
「はい。『社交の場で恥をかかないように』と」
○○○が答えた。
実際には、「裏社会で舐められないように」という理由だったが、それは言えない。
「素晴らしい教授だね」
父親が、感心したように頷いた。
そして、自分の息子の食べ方を見て、少し眉をひそめた。
「……○○○、お前も教わったんだろう?」
「え? ああ、はい」
「なら、もう少しちゃんとしろ」
父親が、○○○のパンのちぎり方を指摘した。
「……すみません」
○○○が、慌てて姿勢を正した。
ヒナタが、クスクスと小さく笑った。
「○○○、頑張って」
「……ヒナタは完璧すぎるんだよ」
○○○が、少し拗ねたように言った。
食事が進む中、母親が話題を変えた。
「ヒナタちゃん、ご家族は日本にいらっしゃるの?」
ヒナタが、一瞬手を止めた。
「……はい、一応」
「そう。寂しくない?」
「……少しは」
ヒナタが、小さく笑った。
「でも、今は○○○がいるので」
「そう...」
母親が、優しく微笑んだ。
それ以上は聞かなかった。
母親は、ヒナタの表情から、何かを察したようだった。
「じゃあ、私たちも、ヒナタちゃんの家族みたいなものね」
母親が、そう言った。
「...え?」
ヒナタが、驚いたように顔を上げた。
「だって、○○○の恋人なんだから。家族みたいなものでしょう?」
「...はい」
ヒナタが、涙ぐんだ。
「ありがとうございます」
「何を泣いてるんだ」
父親が、苦笑する。
「いえ...嬉しくて」
ヒナタが、ナプキンで目元を拭い、○○○がそっとヒナタの手を握った。
「...ありがとう」
ヒナタが、小さく囁いた。
夕食が終わり、皿を片付けていると、母親が尋ねた。
「そういえば、お土産を持ってきてくれたんでしょう?」
「あ、はい」
○○○が、トランクから二本の瓶を取り出した。
「これです」
父親が、小さい方の瓶を手に取って眺めた。
「ほう...これが、寮母さんが褒めていた酒か」
瓶を光にかざして、透明の液体を確認する。
「ポートワインと...こっちはブランデーか」
「はい」
ヒナタが、少し緊張した顔で答えた。
「寮母さんから聞いてるよ。美味しいポートワインを作って、二人で飲んでるってね」
父親が、にやりと笑った。
「...はい」
「それで...ワインに足すアルコールは、どこから持ってきたんだい?」
父親の声は、穏やかだが、核心を突いていた。
○○○とヒナタが、一瞬顔を見合わせた。
「...えーと」
「そして、このブランデーは蒸留したんだろう?」
父親が、ブランデーの瓶を軽く振った。
「...はい」
○○○が、観念したように答えた。
「蒸留器の所持は違法だぞ、○○○」
「...わかってます」
「ポートワインに足すアルコールは、このブランデーだろう?」
「...はい」
父親が、少し真面目な顔になった。
「禁酒法は確かにバカげた法律だ。私もそう思う」
父親が、瓶を置いた。
「でも、法律は法律だ。捕まるようなヘマはするなよ」
「...わかってます」
○○○が、頷いた。
父親は、しばらく二人を見つめていたが、やがて表情を和らげた。
「...まあ、ここまで手間暇かけて作ったんだ。感謝祭のディナーで、ありがたくいただこう」
そして、○○○の方を向いた。
「○○○」
「はい」
「ヒナタ君を大事にしろよ。ここまでやってくれる子なんて、そうはいないぞ」
父親が、真剣な顔で言った。
「...わかってます」
○○○が、ヒナタの手を握った。
「ヒナタは...俺にとって、一番大切な人です」
「そうか」
父親が、満足そうに頷いた。
母親も、嬉しそうに微笑んでいた。
「ヒナタちゃん、本当にありがとうね」
「いえ...私も、○○○が好きだから」
ヒナタが、顔を赤らめて言った。
「ふふ、お似合いよ、二人とも」
母親が、瓶を戸棚にしまった。
「感謝祭のディナーが楽しみね」
その夜、ヒナタと○○○は客間に案内された。
かつての○○○の部屋は、今は物置になっているらしい。
「ごめんな、狭くて」
○○○が、申し訳なさそうに言った。
「ううん、全然」
ヒナタが、ベッドに座った。
「...親父、結構厳しかったな」
「うん。でも、怒ってなかったよ」
ヒナタが、微笑んだ。
「『大事にしろ』って言ってくれた」
「ああ...」
○○○が、ヒナタの隣に座った。
「お前、本当に色々やってくれてるよな」
「え?」
「ポートワインも、ブランデーも。あんなに手間かかるのに」
「……だって、○○○と一緒に飲みたかったから……」
ヒナタが、恥ずかしそうに笑った。
「それに、○○○の両親にも喜んでもらいたかったし」
「...ありがとう」
○○○が、ヒナタを抱きしめた。
「俺も、お前が一番大切だよ」
「...うん」
ヒナタが、○○○の胸に顔を埋めた。
「お母さん、優しかったね」
「ああ」
「『家族みたいなもの』って言ってくれた」
ヒナタが、幸せそうに笑った。
「私、家族ってこういうものなんだって、初めて知った気がする」
「……」
「日本にいた頃は……こういうのなかったから」
ヒナタが、少し寂しそうに笑った。
「でも、今は○○○がいる。それに、お父さんもお母さんもいる」
「ああ」
「私、幸せだよ」
ヒナタが、○○○を見上げた。
「...俺も」
○○○が、ヒナタの頭を撫でた。
「明日、買い物に行くんだろ」
「うん。ちょっと緊張するけど...楽しみ」
「母さん、張り切ってたからな」
「ふふ、頑張るよ」
ヒナタが、笑った。
「それにしても...」
○○○が、少し呆れたように言った。
「何?」
「お前のテーブルマナー、完璧すぎるだろ。親父も母さんも驚いてたぞ」
「だって、恥ずかしい所を見せたくなかったから...」
ヒナタが、クスクス笑った。
「俺もだけど...お前の方が上手いよな」
「○○○も頑張ってたじゃない」
「いや、俺は緊張すると忘れるんだよ」
「ふふ、可愛い」
ヒナタが、○○○の頬をつついた。
「...からかうなよ」
「からかってないよ」
ヒナタが、幸せそうに笑った。
窓の外では、静かな夜が更けていく。
オリンピアの街は、西アーカムとは違って、とても静かだった。




