今夜は長くなるぞ
列車は、ゆっくりと西アーカムを離れていく。
窓の外に広がる景色は、次第に変わっていった。
霧に包まれた西アーカムの荒々しい街並みが遠ざかり、代わりに現れたのは、穏やかな田園風景だった。
「わあ...」
ヒナタが窓に顔を近づけて、外を眺めている。
広がる畑、点在する農家、そして遠くに見える雪を被った山々。
秋の終わりの景色は、どこか静かで、落ち着いていた。
「西アーカムとは全然違うね」
ヒナタが呟く。
「ああ。オリンピアは州都だから、もっと整然としてる」
○○○が窓の外を見ながら答えた。
「整然?」
「街並みが綺麗に区画されてるんだ。西アーカムみたいに、古い建物と新しい建物が入り混じってる感じじゃない」
「へえ...」
ヒナタが興味深そうに頷いた。
「それに、霧も少ないし、治安も良い」
「治安?」
「ああ。少なくともバスが暴走したり、マフィアの鎮圧で街の区画が更地になったりはしない」
○○○が苦笑する。
スピークイージー、密造酒、マフィア、そして半魚人。
西アーカムは、表向きは平和だが、裏では様々なことが起きている街だ。
「オリンピアは『普通』なんだ」
「普通...」
ヒナタがその言葉を反芻する。
「うん。普通の人たちが、普通に暮らしてる街」
○○○がヒナタの肩を抱いた。
「...私、この国の『普通』ってよくわからないな」
ヒナタが、少し困惑混じりに笑った。
「どうして?」
「だって、留学してからずっと西アーカムにいたから」
「...…そうだな」
○○○が、気まずそうにヒナタの手を握った。
「でも、大丈夫だ」
「え?」
「俺の両親は、お前のこと気に入ってる。それに、お前が『普通』じゃなくても、関係ないさ」
「...本当?」
「本当だ」
○○○がヒナタの頭を撫でた。
「それに、『普通』って、そんなに大事なことじゃないと思うぞ」
「どうして?」
「だって、俺達『普通』じゃないだろ。マフィアと関わってる時点で今更だ」
ヒナタがクスクス笑った。
「確かにね」
「だから、気にしなくていい」
「...ありがとう、○○○」
ヒナタが○○○の肩に寄りかかった。
列車は、畑の間を抜け、小さな町を通り過ぎていく。
時折、駅に停車して、乗客が乗り降りする。
農夫、商人、家族連れ。
皆、穏やかな顔をしている。
「...平和だね」
ヒナタが呟いた。
「ああ」
「西アーカムだと、いつも何かが起きてる気がする」
「まあ、あの街は特殊だからな」
○○○が苦笑する。
「でも、私はあの街が好きだよ」
「どうして?」
「だって、○○○がいるから」
ヒナタが顔を上げて、○○○を見つめた。
「...そうか」
○○○が照れくさそうに笑った。
「それに、イレギュラーズの皆もいるし、カニンガム教授もいるし」
「ああ」
「私にとっては、あそこが『家』なんだ」
ヒナタが、幸せそうに微笑んだ。
「...そうだな」
○○○もまた、微笑んだ。
列車は、次第にオリンピアへと近づいていく。
窓の外の景色が、再び変わり始めた。
田園風景から、整然とした住宅地、そして立派な建物が立ち並ぶ街並みへ。
「...すごい」
ヒナタが目を輝かせた。
「あれが州議事堂だ」
○○○が、遠くに見える白い建物を指差した。
「立派だね」
「ああ。オリンピアは州都だからな」
列車は、ゆっくりとオリンピア駅に近づいていく。
「もうすぐ着くぞ」
「うん」
ヒナタが、少し緊張した顔をした。
「大丈夫か?」
「...ちょっと緊張してきた」
「大丈夫だって。親父も母さんも優しいから」
「でも、○○○の実家に行くの、初めてだから」
「...そうだったな」
○○○が、ヒナタの手を握った。
「でも、手紙で『必ず連れてきなさい』って書いてあったんだ。歓迎されてるってことだろ」
「...そうだね」
ヒナタが、少し安心したように微笑んだ。
列車が、ゆっくりと駅に滑り込んでいく。
汽笛が鳴り、蒸気が吹き出す。
「着いたぞ」
○○○が立ち上がり、トランクを持った。
「うん」
ヒナタも立ち上がり、列車を降りた。
オリンピア駅のホームには、既に一人の男性が立っていた。
落ち着いた服装、真面目そうな顔立ち。
○○○の父親だった。
「……親父」
○○○が、少し緊張した声で呼びかけた。
「久しぶりだな、○○○」
父親が、穏やかな笑顔で答えた。
そして、その視線は、○○○の隣に立つヒナタへと向けられた。
「よろしく、ヒナタ君」
「はい。お世話になります」
ヒナタが、丁寧にお辞儀をした。
「堅苦しい挨拶はいいさ。さあ、母さんが待ってるぞ」
父親が、車へと案内する。
ヒナタは、○○○の手を握りしめながら、父親の後を歩いた。
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駅前に停まっていたのは、黒い塗装の落ち着いた乗用車だった。
1920年代の典型的な中流家庭の車——手入れが行き届いているが、派手さはない。
「さあ、乗ってくれ」
父親が後部座席のドアを開けた。
「ありがとうございます」
ヒナタが先に乗り込み、○○○がその隣に座る。
父親は運転席に座り、エンジンをかけた。
「オリンピアは初めてかい、ヒナタ君?」
車が動き出すと、父親がバックミラー越しにヒナタに話しかけた。
「はい。列車の窓から見ただけです」
「そうか。西アーカムとは随分違うだろう?」
「はい...とても静かで、綺麗ですね」
ヒナタが窓の外を眺めながら答える。
オリンピアの街並みは、確かに西アーカムとは全く違っていた。
整然と区画された通り、手入れされた街路樹、煉瓦造りの立派な建物。
どこを見ても、「計画された街」という印象を受ける。
「ここは州都だからね。連邦政府の目もあるし、警察もしっかりしている」
父親が、誇らしげに言った。
「……ただし、禁酒法の取り締まり以外は」
○○○が笑いながら言い切った。
「どこでもそうさ。皆それなりに飲んでいるよ。ただ、西アーカムみたいに派手にやらないだけだ」
「派手に...」
「こっちでも、自家製のワインやビールを作っている家庭は多いが、誰もそれを売ったりはしない」
父親が、少し呆れたように言った。
○○○が、ヒナタと顔を見合わせた。
自分たちが持ってきたお土産は、まさにその「売り物」レベルの酒だ。
大丈夫だろうか、と○○○は一瞬不安になったが、父親の次の言葉でその不安は消えた。
「○○○、お前たちが何か持ってきてくれたんだろう?」
「え...ああ、はい」
「寮母さんから聞いているよ。ヒナタ君が作った酒だってね」
父親が、バックミラー越しににやりと笑った。
「...聞いてたんですか」
「当然だ。恋人が息子と一緒に過ごす為に密造酒を作っているなんて、親としては気になるだろう」
ヒナタが、顔を赤らめて俯いた。
「どんな味なのか楽しみにしているんだ。寮母さんが『とても美味しい』と褒めていたからね」
「...そうだったんですか」
○○○が、少し安心したように笑った。
「ああ。それに、母さんも楽しみにしている」
父親が、車を住宅街へと進めていく。
車は、整然と並ぶ住宅街の中を走っていく。
どの家も、手入れされた庭と、きちんと塗装された外壁を持っている。
中流家庭が並ぶ、穏やかな街並みだった。
「あそこが、州議事堂だ」
父親が、遠くに見える白い建物を指差した。
「ああ、列車からも見えました」
ヒナタが目を輝かせる。
「私が働いているのは、あの隣の建物だよ」
「お父さんは、どんなお仕事をされているんですか?」
ヒナタが尋ねると、父親は誇らしげに答えた。
「州政府の税務局で働いている。主に、企業からの税金の徴収と記録の管理だね」
「すごいですね」
「まあ、地味な仕事だがね。でも、州の運営には欠かせない仕事だ」
父親が、真面目な顔で言った。
「○○○も、卒業したらこっちで働いてもらうつもりだったんだが...」
「...親父、それは」
「いや、無理に勧めるつもりはないよ。お前は西アーカムの方が合っているようだしね。
バス暴走事件のように、何かあってもヒナタ君がいるから心配する必要は無さそうだ」
父親が、苦笑する。
「でも、時々は帰ってきてくれよ。母さんが寂しがっている」
「...わかってます」
○○○が、少し申し訳なさそうに答えた。
やがて、車は一軒の家の前で止まった。
二階建ての木造住宅。
庭には、よく手入れされた芝生と、いくつかの低木が植えられている。
玄関のドアは濃い茶色に塗られ、窓にはカーテンがかかっている。
典型的な中流家庭の家だった。
「着いたぞ」
父親が車を降りて、後部座席のドアを開けた。
「ありがとうございます」
ヒナタが、緊張した顔で車から降りる。
○○○もトランクを持って降りた。
「さあ、中へ入ろう。母さんが待っているはずだ」
父親が、玄関へと向かって歩き出した。
ヒナタは、○○○の手を握りしめながら、その後を歩いた。
玄関のドアが開く。
そこには、エプロン姿の女性が立っていた。
温かい笑顔で、二人を迎える。
「お帰りなさい、○○○!」
「ただいま、母さん」
「ヒナタちゃんも、ようこそ!」
母親が、ヒナタに向かって両手を広げた。
「お、お邪魔します...」
ヒナタが、緊張しながらお辞儀をする。
「さあさあ、中に入って。夕食の準備をしているから、手伝ってもらえると嬉しいわ」
母親が、ヒナタの手を取って中へと案内した。
○○○と父親は、その後をゆっくりと歩いた。
「...母さん、張り切ってるな」
「ああ。お前が恋人を連れてくるなんて、初めてだからね」
父親が、クスクス笑った。
「覚悟しておけよ、○○○。今夜は長くなるぞ」
「...やっぱりか」
○○○が、ため息をついた。
でも、その顔には、どこか安心したような笑顔が浮かんでいた。




