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霧の街のヒナタ  作者: 下駄ロボ
リメイク版

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41/57

全員助け出すぞ!

前回「俺達もブルっちまったよ」にて張り忘れた伏線があったので訂正しました。

 降りしきる霙が、ミスカトニック大学のゴシック様式の石壁を濡らしていた。

 ダゴン秘密教団の精鋭部隊を率いるサイラスは、雨の音に紛れ、背後の仲間たちにテレパシーで指示を送った。彼らの狙いは同胞を冒涜したアンドリュー・コーエンへの「報復」だ。


(……この先の曲がり角を抜ければ、海洋生物学研究室のある棟だ)


 サイラスは、自身の皮膚が湿り気を帯び、変質が進んでいることに誇りを感じていた。

 後ろには、同じく「恩寵」を授かった屈強な同胞が五人。足音を殺し、霧に紛れて進む彼らは並の警官では太刀打ちできない「海の狩人」であった。


 最初の異変は、三つ目の角を曲がった時に起きた。

 サイラスが最後尾から戸惑うような思念を感じて背後を振り返ると、最後尾にいたはずの若者がいない。

 困惑から「身体が動かない!声が出ない!真っ暗で何も見えない!」と恐怖に染まり、恐慌した思念が恐ろしいスピードで外壁を伝って移動していった。何かに捕まったらしい。思念の方向からして、海洋生物学研究室へと連れ去られたようだ。サイラスは舌打ちして、「助けに行く」と思念を送り、再び歩き出した。


 階段を上がる。踊り場に辿り着いた時、さらに二人の気配が消えた。

 二人分の思念が困惑から恐怖に変わり、恐ろしいスピードで海洋生物学研究室へ移動した。

 サイラスは呼びかけなかった。行き先はわかっている。

 残った二人の同胞は、引き攣った顔で海洋生物学研究室のある方向を見つめている。

 何かが自分たちを摘み取って「そこ」に引き摺り込もうとしている。そんな本能的な恐怖がサイラスの脊髄を駆け抜けた。


「……行くぞ! アンドリュー・コーエンを捕まえて全員助け出すぞ!」


 サイラスは同胞というより自分に言い聞かせ、廊下を駆け抜ける。途中で後ろの二人が攫われたが止まらずに駆け抜けた。研究室の重い扉は開いており、中からは明かりが見えている。

 中に飛び込むと精肉店の肉のように縛られた両手をフックに掛けて吊され、頭に黒い布袋を被せられた同胞達の姿があった。

 五人からは変わらず思念を感じる。生きている。下手人からはアンドリュー・コーエン共々ツケを取り立ててやろう。そう思った瞬間、耳のすぐ後ろ――頭蓋の隙間へと、細く鋭いアイスピックが正確無比に滑り込んだ。

 痛みはなかった。ただ、喉から下の感覚が、肺を除いて真っ白い霧の中に溶けるように消失した。

 サイラスは、自分が泥のように床に崩れ落ちるのを、他人事のように眺めることしかできなかった。


 床に転がったサイラスの視界に、一足の真新しいウールコートの裾と、編み上げのブーツが映り込んだ。


「……お疲れ様、みんな無傷で連れてきたよ」


 少年の声だ。その声が響くと同時に、研究室の奥からアンドリュー・コーエン教授と、拳銃を手にした○○○が姿を現した。

 サイラスの脳内には、吊るされた同胞たちの「助けてくれ」「ここはなんだ」「体が動かない」という悲鳴のような思念が反響し続けている。


「見事だよ、ヒナタ君! 脳幹のわずかな隙間を突いて、生命活動を維持したまま運動機能だけを遮断するとは。これなら鮮度を落とさずに作業ができる」


 コーエン教授は狂熱を帯びた手つきで、サイラスの頬に触れた。その指先からは、冷徹な解剖医の温度しか感じられない。


「さて。○○○君、マリオ君に電話をかけてくれたまえ。シチューの準備ができたとね。鍋とかが届く前に、まずはこいつの部下の中で一番美味しそうな個体を処理しようか。ヒナタ君、目利きと解体は任せたよ」


 ヒナタが「わぁい」と小さく手を叩くと、同時に彼の腹が「ぐぅ」と低く鳴り、○○○は指示通りにメモを見ながら電話をかけた。交換手の取り次ぎが終わり、目的の相手に繋がったようだ。


「マリオさんに伝えてください。シチューの材料が入ったので、手筈通りに頼みます」


 目の前で繰り広げられる会話にサイラスの思念が凍りついた。

 ヒナタはそんなサイラスに目もくれず、吊り下げられた五人の中から最も筋肉質で変質が進んだ一人の前に立った。その手には、いつの間にか磨き抜かれたキッチンナイフが握られている。


 ヒナタの包丁が、生きたまま吊るされた同胞の皮膚に当てられた。

 サイラスは視線を逸らすことすら許されない。全身不随のまま、目の前で同胞が「神の眷属」から「食材」へと、手際よく解体されていく様を見せつけられる。

 良く研がれているらしい。ヒナタの包丁が音もなく肉の深部へと滑り込む。


 深夜の研究室、激しい雨音に混じって、サイラスの頭の中には絶命していく同胞の断末魔の思念が、ノイズのように激しく掻き乱れた。


---


 研究室に、不釣り合いなほど芳醇な香りが漂っている。

 マリオの部下である大男のビッグ・トニーが、手際よく持ち込んだ大型のガスコンロに火をかけ、アンチョビ、ニンニク、唐辛子をオリーブオイルでソテーした巨大な鍋にトマトベースのスープ、赤ワインと魚の缶詰を放り込む。彼は組織の「掃除屋」兼「シェフ」という奇妙な肩書きを持つ男だった。


「……いい出汁が出そうだ。こいつの肉は筋肉質だが、しっかり煮込めば最高にホロホロになるぜ」


 ビッグ・トニーが鼻歌混じりに、ヒナタが切り分けたばかりの「新鮮な同胞の身とレバー」を鍋に放り込んでいく。

 サイラスの脳内には、煮えたぎる鍋の中で崩れていく同胞の肉塊が上げる、もはや言葉にならない死の残響が響いていた。神聖なる深海の血筋が、ニンニクとトマト、そして安っぽい缶詰の魚と一緒に煮込まれている。その事実が、サイラスの精神をどんな拷問よりも深く削り取っていく。


「さあ、出来上がりだ。凄腕ハンター。たっぷり食べてくれ」


 ビッグ・トニーが差し出したボウルには、赤く染まったスープの中に、白濁した「それ」の身が贅沢に沈んでいた。


「わぁ、美味しそう! いただきます」


 ヒナタは無邪気にスプーンを運び、熱々のシチューを口にした。


「……うん、最高! イタリア料理ってこんなに美味しいんだ、もっと早く挑戦していれば良かったよ」


 コーエン教授や○○○、そしてマリオとビッグ・トニーまでもがその禁断の味を口にする。○○○とマリオは引き攣った顔でおっかなびっくり料理を口に運んでいる。

研究室は、一瞬だけ和やかなディナーの場へと変貌した。吊るされたまま、その光景を眺めるしかないサイラスたちを置き去りにして。


「……ふぅ、ごちそうさま。お腹いっぱいになったから、お仕事しようか」


 ヒナタが口元を拭い、椅子から立ち上がった。その目は、獲物を探す猛獣のそれに戻っている。


「その通りだ。腹も満たされたし、ここからは『芸術』の時間だ」


 コーエン教授が、壁際に並べられた数十枚の空の額縁を指し示した。

 ビッグ・トニーが手早く調理器具を片付け、代わりに解剖用の大型カッターと、大量のホルマリン液が運び込まれる。


「リーダー君。君にはこれから我々のメッセンジャーになってもらう。

 ……ああ、心配しなくていい。君を殺すのは最後だ。まずは君の誇り高い部下たちが標本になっていく様を、特等席で見守ってくれたまえ」


 教授がそう告げると、ヒナタの手に大型カッターが握られた。


 深夜の海洋生物学研究室。

 みぞれが窓を叩く音を打ち消すように、肉を断つ鈍い音が響き始めた。


---


 ヒナタが振るう大型カッターが、吊るされた一人目の部下を切り裂き、切り口を広げて内臓を引き抜いた。ずっと機械的で、冷徹な作業だった。

 サイラスの脳内には、部下の思念がプツリと断線し、ただの「肉塊」へと変わる瞬間の虚無が流れ込んでくる。


「部下たちは、内臓を取り出し、皮を剥いでから薬液に浸す。西アーカムと同じ、乾いた見慣れた標本にするよ。……でも、リーダーの君は特別だ」


 コーエン教授が、薄型のガラスケースが嵌まった額縁の一枚を手に、サイラスの目の前で振ってみせた。


「君はこの五センチの厚さの額縁の中で、文字通り『芸術品』になる。切断された断面には、君の脳も、心臓も、脊椎も、すべてが完璧なレイアウトで保存される。何枚分になるかはわからないけどね。

 インスマスのお仲間達はきちんと並べてくれるかな? 並べるだけの頭があると良いのだけどね」


 サイラスは声を出そうとしたが、肺以外の自由を奪われた喉からは、わずかな空気の漏れる音しか出なかった。隣では、ヒナタが手際よく他の部下たちを「標本」にするための前処理を進めており、扉から姿見を抱えた○○○が入ってきて、鏡を「サイラスが自分の全身を見られる位置」に固定した。


「コーエン教授、準備ができました。まずは足の方から行きましょう教授。」

「リーダー君が全身見られるように鏡の準備もできました。楽しんでくれるはずです」


 ヒナタと○○○の提案にコーエン教授は「素晴らしい配慮だ」と目を輝かせた。


 深夜、海洋生物学研究室に「ガリリ」と、骨を断つ大型カッターの硬い音が響き渡る。

 サイラスの視界の下方で、自分の足先が最初の「一切れ」として切り出された。痛みはない。

 だが、自分の身体が五センチの断層としてケースに収められ、額縁という名の牢獄へ一節ずつ閉じ込められていく光景は、どんな神話的恐怖よりも濃密な狂気をサイラスの精神に叩き込んだ。


「……あー……身が詰まってて切りにくいね。一回洗った方がいいかな?」


 みぞれが窓を打つ音と、肉を断つ音。そして、額縁が重なり合う音。

 東アーカムの夜が明ける頃、狩人達のリーダーは数十枚の美しい「壁飾り」へと姿を変えていた。

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