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霧の街のヒナタ  作者: 下駄ロボ
リメイク版

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31/57

ママのミートローフよりおいしい

今回使われてる楽曲は著作権切れのパブリックドメインです。

蒸気船ウィリーみたいな物ですね。

 コーエン教授の依頼を受けてから三日後の午前11時頃、海沿いの道路をピックアップトラックが軽快に走っていた。


 荷台には水の入ったガロン瓶とロープで固定されたアイスチェストが二つ。

 アイスチェストの中身は空だ。


 エンジン音に混じってラジオから陽気なピアノの音が流れてくる。


♪ Yes! We have no bananas〜 ♪


「来たな」


 ○○○がハンドルを握ったまま笑い混じりに言う。


「いいよね」

 助手席のヒナタが即座に乗った。


 二人は顔を見合わせるでもなく自然に声を重ねる。


「♪ Cabins and pomegranates〜」

「♪ And all kinds of fruit and say〜」


 意味なんてどうでもいいと言わんばかりに調子だけ合わせて歌う。

 歌詞は軽く、メロディは馬鹿みたいに明るい。


「何でも揃ってるのに、肝心なものが無いってやつだ」

「今のご時世だね」

「違いないな」


 二人は同時に笑った。


 窓の外では灰色の海が鈍く光っている。

 港町に入り、海の匂いが強くなる。


♪ Yes! We have no bananas〜 ♪


「ねえ○○○」

「ん?」


「目的のウミウシってどんなやつ?」

「深海の生き物ならなんでも良いけど、ウミウシ優先でできれば二匹ずつ集めて欲しいってさ。

 どこで捕まえたか大雑把な場所を記録して欲しいとも言ってたな」

「りょーかい」


 ヒナタは少し考えてから、窓の外に視線を向けたまま答えた。


「結構適当でも何とかなるものなんだね。」

「生き物だから、そこまで細かく記録できないからな」


 コーエン教授が“待ちきれなくなった”のは、二人とも察していた。

 東アーカムでの「半魚人」展示の為にしばらく大陸の反対側ボストンまで行かないといけなくなった為、それまでに深海生物のサンプルを見たかったのだろう。


「沢山欲しいって言っても調べてる時間あるのかな?」

「コーエン教授には無さそうだし、学生に調べさせているんじゃないか?

 卒論のネタになるし。」


 ○○○は肩をすくめる。


「それに、金になるなら文句は無い」

「うん。カニンガム教授が忙しいおかげで潜る時間もできたし」


 ヒナタは、そう言って笑った。


 ラジオの曲が、サビをもう一度繰り返す。


♪ Yes! We have no bananas〜 ♪


 ピックアップトラックはダイナーへと入っていった。


---


 ダイナーのドアを押すと、油とコーヒーと焼いたパンの匂いが鼻を突いた。


 昼前だが、店内はそれなりに混んでいる。

 カウンターには作業服姿の男、奥のボックス席には家族連れ。

 ○○○とヒナタは窓際のボックス席に滑り込み、テーブル端に立てかけてあるメニューを開くと二人で覗き込んだ。

 そこにウェイトレスが近付き、注文を取る。


「何にいたしますか?」

「ミートローフセット。ドリンクはコーヒーで」

「僕も同じ物を」


 注文を告げると、○○○はメニューを畳んでテーブル端に戻した。

 そのタイミングで、店内のラジオの音量が少し上がる。


『――先週土曜、西アーカムのチャイナタウンで大規模な抗争が発生しました』


『一部の中国系ギャング同士の小競り合いがもつれて抗争は急速に拡大。

 チャイナタウン全域にまで被害が及び、他の犯罪組織も巻き込んだ大規模な衝突へと発展しました』


 カウンターの男が小さく舌打ちする。


『事態を重く見た西アーカム警察と州兵は共同で介入。治安回復のため、該当区域一帯を制圧しました』


 「制圧」という言葉が、妙に乾いて聞こえる。


『現在、チャイナタウン周辺は立ち入り禁止となっており――』


 そこでラジオは、次のニュースに切り替わった。店内の空気は、何一つ変わらない。

 ウェイトレスがコーヒーを二杯、二人のいるボックス席に置いていった。


 ヒナタは何も入れずに一口飲み、渋い顔をする。コーヒーが煮詰まってたようだ。

 ○○○はミルクと砂糖を入れてコーヒーを一口飲み、渋い顔をした。中和しきれなかったようだ。


「砂糖とミルク無しで飲む物じゃないだろ」

「気になっちゃってつい……」

「……それにしても、ハズレのタイミングに当たったな」


 ヒナタは砂糖とミルクをコーヒーに入れた。


「コーヒーがこれだとミートローフも嫌な予感がするんだけど……」

「奇遇だな、俺も嫌な予感がする」


 ○○○は肩をすくめてミートローフセットを頼んだ他の客を見た。

 実直で無骨な灰色のミートローフを顰めっ面で一口ごとにコーヒーで流し込んでいる。

 ヒナタも見ていたらしい。顔が引き攣っている。

 

「注文間違えたかな」

「この分だとジュース以外、全部一緒じゃないか?」


 ウェイトレスがミートローフセットを持って来る。二人は覚悟を決めてフォークを握った。


 ナイフをミートローフに入れると沈まずに割れた。

 ボソボソの感触だ。かさ増しの主張が強い。

 意を決してミートローフを口に運べば、古いラードの匂いと過剰なコショウの刺激が鼻を突く。

 素材の味はとっくにどこかへ家出してしまったらしい。

 グレイビーは塩気だけが強く、旨味が無い。

 ヒナタは一口噛んで、静かにコーヒーで流し込んだ。


言葉が出ない。この港街唯一のダイナーはその特権にふんぞり返っているようだ。

 ○○○も一口食べて、眉を寄せる。


 二人は顔を見合わせ、同時に肩をすくめた。

 ラジオからは、ボストンの東アーカムでも「半魚人」の展示が決まったというニュースが流れている。

 ヒナタは付け合わせのマッシュポテトをコーヒーで流し込みながら、ぽつりと言った。


「次は下調べしてから行かないとね」

「そうだな」


 ○○○は淡々と答える。


 店内では、家族連れの子供が「ママのミートローフよりおいしい」と言って店中の注目を集めている。


「……食べ終わったら、港の南側に行こう」

「潮の流れか?」

「違うよ。人がいないからね」


 そりゃそうだと○○○は頷き、二人はほぼ同時に皿を空にした。

 会計を済ませ、席を立つ。

 ラジオでは、明るいジャズが流れ始めていた。

 外に出ると、海の匂いが強くなる。

 ピックアップトラックの荷台で、空のアイスチェストが陽に照らされて白く光っていた。


---


 港の南側は、地図に載るような場所ではなかった。

 整備されていない防波堤と、使われなくなった桟橋。錆びた係留柱と、割れた浮き。

 昼間だというのに人影は無く、波の音だけが一定の間隔で繰り返されている。


 ○○○は腕時計を確認した。

 針は十二時を少し回ったところだ。


「じゃあ、行ってくるね」


 ヒナタはそう言って、服を全て脱いで裸になる。水着のように擬態した触手で局部を隠した姿だ。

 空の麻袋を数枚片手に桟橋を海に向かって歩き出した。


「……六時な」

「うん」


 ヒナタは桟橋の先から躊躇なく海に飛び込んだ。水柱が一度立ち、すぐに元の静けさに戻る。

 ○○○はそれを見届けてから、トラックの荷台に腰を下ろした。



 時間は、驚くほど普通に流れた。


 潮の満ち引き。

 遠くを通る貨物船の汽笛。

 昼下がりの風と、夕方に近づくにつれて冷えていく空気。


 氷入りのバケツにはルートビアやコーラの瓶がいくつも沈んでいる。

 アイスチェスト用の氷を買うついでに、○○○が用意した物だ。


 時計を見て、海を見て、煙草を一本吸い、瓶を一本開ける。


 それを何度か繰り返して腕時計が六時を指した頃、海面がわずかに揺れた。

 次の瞬間水面が割れ、ヒナタが何事もなかったように顔を出した。

 続いて触手。さらにその先にパンパンの麻袋が数個ぶら下がっている。


「おかえり」

「ただいま」


 ヒナタは桟橋に上がり、濡れたままの状態で荷台に近付いた。

 アイスチェストの蓋が開き、中に次々と“成果”が放り込まれる。


 色とりどりのウミウシ。

 見たことのない棘皮動物。

 形状が説明しづらい何かや深海魚。

 ○○○は数を数えるのを途中でやめた。


「……十分すぎるな」

「そう?」


 最後に、ヒナタは少しだけ間を置いてから別の獲物を持ち上げた。

 丸々と太ったフグだ。まだ生きている。


「夕飯にどうかなって」

「それ、俺でも知ってるヤバいやつじゃなかったか?」

「あっ……ガイジンさんに食べさせるなって話だったような……」


 ヒナタは顔を引き攣らせた。


「こっちじゃ有名な話だぞ?

外交官が記者の前で外務大臣と同じ物食ったら死んだって話だ」

「あー……ゴメン、迂闊だった……」


 ヒナタは少ししょんぼりした様子でフグをアイスチェストに放り込み、○○○から水入りガロン瓶とタオルを受け取った。


「……研究室の連中に食えるやつを見分けて貰おうか」

「キノコと一緒で専門家に聞かないとダメってことだね」

「まあ、そうだな」


 ○○○は氷とおがくずを“成果”の上に被せてアイスチェストを閉じると、荷台に積み直した氷入りバケツを指差す。

 コーラとルートビアが一本ずつ残ったようだ。

 

「コーラとルートビア、どっちにする?」

「うーん……コーラで」

「じゃあ俺はルートビア」

 

 ヒナタが体を洗い、着替え終わった後、二人はジュース片手にピックアップに乗り込み、研究室へと走らせた。

 夕暮れの港に潮の匂いが濃くなる中、ピックアップの荷台ではアイスチェストが夕日に照らされていた。

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