カニンガムの悪巧みに付き合ってても潜る時間はあるはずだ
ヒナタの部屋には、夕方特有の匂いがこもっていた。
油とコショウの香りが混じった、腹が減る匂いだ。
狭い簡易キッチンの前で、ヒナタは触手で持ち上げたレシピ本を確認しながらフライパンで刻んだベーコン、玉ねぎ、セロリを炒めている。
「えっと……まず塩コショウで炒めて……」
本は英語表記だが、ところどころに自分で書き込んだメモがある。
“代用品可”“チャイナタウン限定”といった走り書きだ。
今日は後者を使わない縛りらしい。
炒めた具材をボウルに取り出してからフライパンにラードを多めに追加。
フライパンを熱しながら、並行して触手で器用に卵を6個、ボウルに割り入れて具材と丁寧にかき混ぜる。
ラードが温まったフライパンに卵液を具材ごと流し入れるとジュワッと音を立てた。
エッグ・フー・ヤン。
中国料理、というより“アメリカ式中華”に分類される料理だ。
ノックの音がして、ヒナタは顔を上げた。
「どうぞ」
ドアが開いて、○○○が顔を出す。
「お、いい匂いだな」
「ちょうどよかった。もうすぐできるよ」
○○○は慣れた様子で部屋に入り、テーブルに買ってきたルートビアの瓶を並べるとキッチンを覗き込んだ。
「今日の夕飯はどんなやつ?」
「エッグ・フー・ヤン。中華っぽいオムレツだよ。チャイナタウンで食べれなかったから雰囲気だけでもね」
「いいね」
○○○は手慣れた様子で棚から厚切りパンと栓抜きを取り出すとトースターのスイッチを入れてパンを差し込んだ。
焦げる前にパンを取り出してからしばらくして、ヒナタは餡のかかったオムレツを二皿持ってきた。
見た目は素朴だが、湯気と匂いが食欲を刺激する。
「いただきます」
瓶の栓を抜いてから料理に手を伸ばす。
「……あ、これ、うまいな」
○○○は素直にそう言った。
「卵がふわっとしてる」
「よかった。」
箸を進めながら、しばらくは他愛のない話が続いた。
講義の愚痴、寮の共有スペースの使いにくさ、五日前に軍と警察に更地にされたチャイナタウン。
それから、○○○がふと思い出したように言った。
「そういえばさ」
「うん?」
「この前の“半魚人”の展示してない方なんだけど」
ヒナタの手が一瞬だけ止まる。
「海洋生物学の研究室が貰っていった分?」
「そう。それ」
○○○は特に声を落とすでもなく、世間話の続きをするような調子で言った。
「東アーカムの本校から連絡が来たらしい。
あの標本、向こうの博物館で展示させてほしいって」
「へえ、まあ人気だから当然だよね。」
フォークが皿に触れる、かすかな音。
「あっちにも“半魚人”がいたりして」
「あはは、まさかあんなのがゴロゴロいる訳……海は繋がってるからあり得そうだな」
「言われてみれば確かに…」
ヒナタは特に深く追及せず、食事を再開した。
○○○もそれ以上は続けない。
しばらくして、○○○がまた別の話題を振る。
「そうだ、コーエン教授からヒナタに頼み事があったぞ」
「何を?」
「素潜りで深海のウミウシを捕ってきてほしいって」
ヒナタは少し考えるように首を傾げた。
「研究用?」
「標本と生体、両方欲しいらしい。
“カニンガムの悪巧みに付き合ってても潜る時間はあるはずだ”ってさ」
「……教授も軍や警察関係者とパーティーとかで話す機会が増えて忙しいって言ってたね」
「おかげで“お使い”の斡旋とかがこっちに回って面倒になった。“お駄賃”は増えたけどな」
ヒナタは少しだけ困ったように笑った。
「街は落ち着いてるし、どっかで一日開けてても大丈夫だから一緒に行こうぜ」
「じゃあ、今度の休みに行こうよ。」
「良いね。じゃあレンタカーとアイスチェストを借りて来る」
窓の外では、夕暮れの西アーカムが静かに色を変えていく。
エッグ・フー・ヤンの皿とパンは、きれいに空になっていた。




