番外編:博物館にて
ウエスト・アーカム博物館の展示室は、平日の昼間にしては人が多かった。
理由は分かりきっている。
ガラスケースの中、照明に照らされて鎮座している“半魚人”の標本。
噂話と新聞記事が火をつけ、今やちょっとした見世物になっている。
「……これが噂のやつか」
展示室の端で、イレギュラーズの下っ端――ジョーは、ポケットに手を突っ込んだまま標本を見上げていた。
二十歳そこそこの青年で、服装はよくある私服だ。
くたびれたジャケットにシャツ、動きやすそうなズボン。
博物館に来る若い見物客として、これ以上ないほど自然な格好だった。
「思ったより……生々しいな」
灰緑色の皮膚、盛り上がった肩、ぎょろりとした眼。
説明文には《未確認深海生物》《新種の可能性》とある。
――新種ねえ。
インスマスを知っている者なら、喉の奥で笑ってしまう表現だ。
「買い忘れてるぞ」
横から、不意に声をかけられた。
「……あ?」
振り向くと、見覚えのある顔。
教授の連れの若い男――○○○だった。
彼は観光客同士の距離感を崩さず、ジョーの手元に何かを押し付ける。
博物館の有料パンフレットだ。
「展示、ちゃんと見ないと損だろ」
それだけ言って、○○○は再び標本へ視線を戻す。
周囲から見れば、知り合い同士が軽く声をかけ合っただけにしか見えない。
ジョーは何事もなかったようにパンフレットを開いた。
中ほどのページに、不自然な折り目。
そこに薄い紙が挟まっている。
――今夜の摘発予定。
――検問の時間とルート。
見慣れた書式。
値段以上の価値がある情報だ。
「……助かる」
ジョーが小声で言うと、○○○は肩をすくめた。
「今日は人が多い。立ち話は目立つ」
確かに、背後では家族連れや学生が標本の前に群がっている。
子供が母親に「これ人なの?」と聞き、慌てて否定される声が聞こえた。
――人、ね。
ジョーは、もう一度ガラスケースの中を見た。
「なあ」
気づけば、口が先に動いていた。
「これ……本当に新種なのか?」
○○○は、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
「どういう意味だ?」
「いや……インスマスの連中に、そっくりだろ?」
言ってから、少し後悔した。
下っ端が余計な詮索をする癖は、直した方がいい。
だが、○○○は表情を変えなかった。
「教授が“新種”だと言ってた」
淡々とした声だった。
「なら、新種だ」
「……なるほどな」
ジョーは素直に納得した。
教授がそう言うなら、それで終わりだ。
「しかし、やることが派手だよな」
ジョーは、標本から目を離さずに続ける。
「街を吹っ飛ばす前に、こんなもん展示してよ」
「完全に煽ってるじゃねえか」
「深読みしすぎだ」
○○○は短く答えた。
「はは、そう言うと思った」
ジョーは笑った。
だが、内心では確信している。
――全部、繋がってる。
バス事件。
インスマス壊滅。
半魚人展示。
教授は、きっと分かってやっている。
ーーーふと気になってしまった。
「傷が見当たらないんだが、どうやって仕留めたんだ?」
「忍び寄って耳からアイスピック刺したんだよ。」
なんでも無い事のように答えが返ってきた。
心臓が跳ねる。身体が動かない。思わず振り向きそうなものなのに、震えることすら出来ない。
“仕留めた本人”の声だ。声の性質は近いとはいえ、女としての声を聞いたことが無いのに何故か分かった。
もしかしたら振り向いたら死ぬのでは無いだろうか。思わず息を潜めてしまった。
「忘れ物は届けた?」
「ああ、今渡した」
頑張って喉を震わせる。
「教授に伝えといてくれ」
声が震えずにちゃんと言えただろうか?そんな事を気にすることすら出来なかった。
ーーージョーはパンフレットを閉じ、出口の方へ視線を向ける。
「今回も助かったってな」
「分かった」
○○○はそれだけ答えた。
ジョーが展示室を離れた後も、標本の前には人だかりが続く。
ガラスケースの中の“半魚人”は、何も語らない。
説明文は、今日も変わらずそこにある。
――《新種の可能性が高い》
それを疑う者は、誰もいなかった。
禁酒法時代には耳からアイスピックを突っ込んで殺してた暗殺者がいたらしいです。
殺人はバレなかったけど別の罪で捕まりました。




