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霧の街のヒナタ  作者: 下駄ロボ
リメイク版

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16/62

何もない訳無いじゃないですか!

 翌朝。

 学生寮の食堂には、安いコーヒーの焦げた匂いと、紙の擦れる音が満ちている。


 配達されたばかりの新聞が、無造作に長机の上へ放り出されていた。

 ○○○はトレイを持ったまま、その一面で足を止める。


 見出しは、昨日よりも大きく、太い。


-映画界、冷静な声

 “彼らは怪物を演じるために生まれてきた俳優だ”-


 その下に、昨日まで踊っていた

“正体不明の怪物”

“街に潜む脅威”

といった言葉は、ほとんど見当たらない。


 代わりに紙面を埋めているのは、映画関係者の談話と専門家の意見だった。

グラフと数字が添えられ、「犯罪率」という見出しが目に入る。


「観客が求めているのは恐怖と迫力だ」

「特殊メイクでは再現できない“動き”がある」

「彼らは、それを生まれながらに持っている」

「性別を自由に変えられるから演じられる役の幅が広い」


 ○○○は、顔を顰めつつ紙面を眺めていた。


 記事は一貫して「擁護」の形を取っているが、その論調のどこにも日本人自身の言葉は載っていなかった。


 隣の席で新聞を覗き込んでいた学生が、軽い調子で言った。


「なんかすげー事になってきたな。

 昨日はカニンガム教授の研究室で留学生が変身の練習してたって話だし、あの留学生も多分ハリウッド行きだぜ。」


 別の学生が、トーストを齧りながら続ける。


「ギャラもすげー貰えそうだよな。」


「それにしても、本物使って撮影とかすげー事するよな。」

「だよな。ハリウッドは考える事が違うぜ。」


 ○○○は何も言わず、紙面をめくった。


 二面には、昨日の襲撃事件の続報が小さく載っている。

 見出しはもう、事件そのものではない。


「電話交換手と病院の対応に批判集中」


 襲われた日本人の名前は、記事の末尾に一行だけ。

 昨日よりも、さらに軽く扱われていた。


 ○○○は新聞を畳み、トレイを持って席に着いた。

 コーヒーを一口飲むが、味はいつも通り不味い。


 恐怖は消えていない。

 映画業界の捏ねた駄々にみんなで乗っかっただけだ。


 新聞を畳む音が、食堂にいくつも重なった。

 誰かが笑い、誰かが映画の話をしている。


 世界は、昨夜よりずっと騒がしい。

 そしてその騒音の中心に、

 ヒナタの姿は、相変わらず存在していなかった。


---


 昼過ぎ。


 学生寮の廊下は、午前中のざわつきが嘘のように静かだった。

 講義の時間帯だ。ドアの閉まった部屋が並び、足音だけがやけに響く。


 ヒナタは部屋の机でノートを開いていた。

 中身は数式でも講義のメモでもない。

 発酵日数、温度、糖分量、改善点──

 いつもの“記録”だ。


 触手でペンを走らせていた、その時。


「ジョン、やめろって!

噂とか関係なく俺達相当野暮な事してるぞ!」

「それでも良い!ここで止まったらチャンスなんて来ないぞ!」

「場所を考えろって言ってるんだ!」


 ヒナタの触手が止まる。

 この時間帯に訪ねて来る相手は限られている。


 ○○○が立ち上がり、ドアへ向かった。


「何の用だ?」


 扉を開けると、見慣れない学生が二人立っていた。

 どちらも白人で、年の頃は○○○と同じか少し上。

 一人は丸縁眼鏡、もう一人は肩から革鞄を下げている。


「もしかして……映画研究部か?」


 ○○○が先に口を開いた。


 眼鏡の学生が、ほっとしたように頷く。


「はい。突然すみません。

 ミスカトニック大学映画研究部の、ジョン・ハリスです。」

「同じく映画研究部のエドモンド・ジャクソンです 。」


 名乗りながら、革鞄の学生…エドモンドは廊下を一瞬だけ見回した。

 誰かに聞かれていないか、無意識に確認する仕草だった。


「中、いいですか?」

「おいやめろって!

 …お騒がせして申し訳ありません…日を改めてまた伺います。」


 ○○○は嫌そうな顔振り返り、ヒナタと視線が合う。


 ヒナタは面倒臭そうに軽く頷いた。


「どうぞ。」


 驚きつつもおっかなびっくり部屋に入った瞬間、二人の学生は足を止めた。

 視線が、布をかけられた蒸留器、棚の瓶、ノートへと自然に流れる。


「……ワオ」

 エドモンドが瓶から漂う匂いを嗅ぎ、思わず小声で漏らす。

 ワインの出来を察したらしい。


 ○○○が軽く咳払いをした。


「それで、用件は?」


 眼鏡の学生…ジョンは、少し姿勢を正した。


「単刀直入に言います。

 僕たち、コンテスト用の短編映画を撮っていて……“本物”が必要なんです。」


 言葉を選んでいるのが分かる。

 だが、隠す気はない。

 ヒナタは眉を顰めた。


「特殊メイクじゃ無理なやつです。」


 エドモンドが続けた。


「新聞に書いてあったやつです。」


 ○○○は黙っている。

 視線をヒナタに向けないまま。


 ジョンが、ヒナタの方を見た。


「あなた達に、協力してほしい。」


「「えっ?」」


 ヒナタと○○○が揃って反応し、思わず二人で顔を見合わせた。

 ジョンがおおっと呟き、グッと両の拳を握りしめる。

 ヒナタは中性的ないつもの姿のまま、静かに言った。


「……役者として、ですか?」


「はい。」


 即答だった。


「お二人には主人公と、怪物兼ヒロイン役として。」


「俺も?」


 ○○○は驚きのあまり、呆けた表情のまま動かなかった。


「あなた達なら出来ます。」


 ジョンは急いで付け足した。


「新聞に載ってましたよ、ヒナタさん。あなたは自由に性別を変えられると。

そして、あなた達は寮で酒まで作って、噂になる位…そう、毎晩二人きりで一緒に飲んでるんです、そりゃあ…何もない訳無いじゃないですか!」


 ジョンのトーンがヒートアップして行き、○○○とヒナタは思わず圧倒された。

 エドモンドは天井を仰いだ。

 もう止めても無駄だと悟った顔だった。


「書くしか無いでしょう!ラブストーリーを!」


 ジョンの台詞に○○○とヒナタは思わずお互いの顔を見てしまった。

 毎晩ではないが、確かに何も無かった訳じゃなかったのだ。酒の勢いである。心当たりしかなかった。

 誤魔化すように○○○が問いかける。


「報酬は?」


 ジョンとエドモンドは顔を見合わせた。


「金は……正直、大した額は出せません。」


 エドモンドが正直に言う。


「学生映画ですから。

 無理なら断って頂いても構いません。

 コイツには念入りに言って聞かせますので。」


 沈黙。


 ラジオのない部屋は、やけに静かだった。


 ヒナタは、棚のガロン瓶へちらりと視線を向ける。

 昨日の夜のワインの味が、まだ舌に残っている。


「……条件があります。」


 ヒナタが言った。


 映画研究部の二人が身を乗り出し、○○○が驚いてヒナタを見る。


「僕を“見世物”みたいに扱う脚本なら断りますよ。」


 ジョンは、即座に首を振った。


 その様子に、ヒナタは少しだけ考え込む。


 やがて、軽く息を吐いた。


「……試し撮りだけなら。」


 二人の顔が、ぱっと明るくなる。


「本当か!?」


「ただし。」


 ヒナタは静かに言った。


「酒は持参してください。

 昨日の教授みたいに、いいやつを。」


 一瞬の沈黙の後、エドモンドが吹き出した。


「了解。 密造じゃないやつ、必ず用意する。」


 ○○○は苦笑しながら肩をすくめた。


「交渉成立、ってところだな。」


「ところでその映画ってどんなお話なんですか?」


 ヒナタが問いかける。

 当然だろう。スカウトされたのにまだ説明らしい説明をされていないのだ。


「そういえば、役しか言ってなかったね。

 簡単に説明すると、君達が恋仲になってデートする話だよ。

 まず、男友達として付き合う中で○○○君の男らしさにヒナタさんの中の女の子がときめくんだ。」


 熱を感じるイントネーションでジョンが脚本の中の○○○とヒナタの馴れ初めを語りだした。

 エドモンドの顔に呆れが浮かぶ。どうやらジョンが妄想を拗らせるのはよくある事らしい。


「だから、少しづつでも自分を意識して貰う為にヒナタさんは男装したまま女の子の姿で○○○君に付き合って少しづつアピールする事にして、気付きにくい形で少しづつアプローチする事にしたのさ。」


 もっとも、実情はジョンの語る若干ロマンチックなそれとはかけ離れたものだったが。


「ヒナタさんの事が気になって悶々とする○○○君にヒナタさんは自分が性別を変えられることと自分の中の女の子が○○○君に惚れた事を明かし、晴れて恋仲になるんだけど…」


 実際は飲めるレベルのブロックワインを作れるようになった喜びで飲み明かしている内に二人揃って泥酔してしまい、ヒナタが酔っぱらいのノリでふざけて女性化した所、○○○が信じなかったので裸になってみせたら

 ケダモノになった○○○に押し倒され、ヒナタもそれを笑って受け入れた結果、○○○が絞り尽くされて1日腰砕けで動けなくなったという酷い話である。

なお、ヒナタは余裕でピンピンしていたし、○○○の看病までこなした。


「周囲には男として通してるから、密造酒を作って晩酌するって名目で逢引をするようになった…大体そんな話さ。

 どうだい?僕の予想込みの脚本は当たってたかい?」


 「私はホームズかポアロです」と言わんばかりのドヤ顔で自慢げに言い切った。


「「外れ」」


 ○○○とヒナタは呆れた顔で切り捨てた。

 エドモンドは吹き出し、腹を抱えて爆笑している。


 推理が外れて呆然とするジョンにヒナタが追い打ちをかけた。


「このストーリーなら、わざわざ僕を使わなくても〝男と勘違いされてるボーイッシュな女の子〟で十分じゃないの?」


 無慈悲な指摘である。問題を直視してしまったジョンは頭を抱え、エドモンドは「そんな日もあるさ」とジョンの肩を叩いて慰め、ジョンを立たせて部屋を出ようとしていた。


「邪魔してしまってごめんよ。主役とヒロインは他の人に頼む事にするよ。」


 エドモンドが打ちひしがれるジョンの代わりに謝罪し、ドアの方を向こうとした瞬間、ヒナタの触手が伸びて二人の肩を掴み、無理矢理椅子に座らせた。


「ちょっと待とうか。」


 ヒナタが静止する。静かな口調だが怒りが込められていた。

せっかくの平日休みを邪魔された挙句、痛い妄想を聞かされたのだ。イラつくのも当然である。

 同じくイラっときて静止しようとした○○○もヒナタの様子に少しビビった。ヒナタが力加減を誤った事はこれまでの生活で一度も見た事がないが、触手含めたヒナタの筋力がとんでもない事はこれまでの生活で知っているのだ。

 映画研究部の二人は凄くビビった。“例のモンスター映画”で見た、明らかに人間技ではないモンスターの動きがモンスター役の触手含めた身体能力である事を今朝の記事で知っているのだ。自分達の肩をガッチリ掴んでいる触手の筋力がどれ程のものか、自分の身体で確かめるのは真っ平ゴメンである。


「今日は講義も無くて、1日○○○とゆっくり過ごすつもりだったのに、君達は邪魔をしたておいて〝気が済んだからハイサヨナラ〟?

…何か私達に言う事とやる事があるんじゃないかな?」


静かな口調のまま、ヒナタは映画研究部二人の肩を掴んだ触手の力を更に強めた。


「「お二人の邪魔をしてしまい申し訳ありません!」」


二人揃って頭を下げて謝罪した。


---


 数分後、肩を落としたジョンとエドモンドがヒナタの部屋から出ていった。

 結局、ヒナタと○○○の映画出演は無しになり、迷惑料としてお高いマトモな酒を2本融通して貰う事になった。

 痛い出費になるだろうが知った事ではない。誓約書も期日付きできっちり書かせた。


「とんでもない日になったな。」


 半笑いで○○○がぼやいた。


「本当にね。」


 呆れた顔でヒナタが答える。

 窓の外は太陽が天高く昇っている。そろそろランチタイムだ。


「ランチ作るの面倒だから今日は外食にしない?」

「いいね。今なら石投げは無さそうだ。」


 気怠げなヒナタの声に○○○が答えた。


 数分後、寮を出る二人の姿を見たミスカトニック大学の女子寮住まいの女子学生達が「噂は本当だった」とキャーキャー騒いでいた。

 しばらく二人はジョンのような〝迷推理〟に悩まされる事になりそうだ。

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