9. いざ、試験へ
試験当日の朝。魔法学院一年生たちは、学院敷地内にある初級ダンジョン手前の広場に集まっていた。
学院長と、担任のドグラスから最後の説明があり、迷った時や途中で辞めたい時の方法などが再確認され、一番最初の組から順番に入る。
敷地内できちんと管理されているということもあって、十組の受験者の列は、あっさりと前へ進んでいく。
「なんか、真面目に授業受けてたら、あっという間だったね」
すっかり態度の柔らかくなったメルギウスが話しかけたのに対して、太陽の眩しさでしかめっ面のマナは軽く頷いた。
初級ダンジョンは、ランクE魔法使いが対象となるように調整されている、試験用のダンジョンだ。学院長が契約している精霊が、罠や試練を用意して待っている。
ペアで潜り、四属性魔法の基礎と、適した魔力があることを証明するため、ゴールにある宝箱からアイテムを取って戻ってくることになっていた。
「きっと試験もあっという間だと思う。お互い、苦手な属性がないから」
マナは頭の中で、前回適当にクリアした際のダンジョン内を思い出している。手順と道筋は、幸い覚えていた。だがあまり詳しすぎるとメルギウスに説明ができないので、対策はしてあっても内容までは伝えていない。基礎魔法とはいえ、苦手な魔法を詠唱するのは割と面倒なものだ。真っ暗闇で松明に火を灯す。今度は火が邪魔になる場所があるので、水で消す。風で進路を開ける。土で橋を作って渡る。言うのは簡単だが、精霊の邪魔も入るので、なかなかよく考えられた試験だとマナは思う。
「ふふ。そうだね」
初対面以来、例の裏庭のベンチでメルギウスとランチをするのが日課になった。そこでマナは精霊王とも、気兼ねなく会話を交わすようになった。
闇の精霊ヘラは『恐れ多すぎる』と懸命に気配を消していたが、精霊王オベロンに『遠慮しないで顔見せて欲しいな。闇なんて珍しいし』と言われてからは、むしろデレデレした顔で会いに来る。
精霊王は言うまでもなく全属性を統べる存在であり、闇の精霊に苦手な四属性はない。唯一光属性は苦手だが、教会に所属する高位司祭や聖女でなければ操れない魔法である。
「僕たち、密かに最強ペアだもんね」
メルギウスがそう囁くのに、マナも思わず頷くと、やはりレンゼンは苦笑いしている。
結局メルギウスが言いくるめて、騎士団へ『闇の精霊と契約した暗殺者』が潜入したことは報告していないのだというから、マナはいつも申し訳ない気持ちになってしまう。
「あー、ごめんなさい?」
居た堪れなくなってマナが謝罪すると、レンゼンは首を横に軽く振る。
「いやいや。無邪気な殿下がこうして見られるのなら、私の首なんてどうでも」
軽く放つレンゼンの言葉は、態度と釣り合っていない。マナはまた驚きで飛び上がってしまった。
「ちょ、レンゼンさん⁉︎」
「僕が、斬らせないってば」
「え! 待って、メルが止めないと、斬られるってこと⁉︎」
「あー……気にしないで、マナ」
「うむ。気にするな」
「いやいや。いやいや!」
動揺したマナの声量が大きくなると、数歩先で雑談をしていたと思われるセスト・ルル組が訝しげに振り返った。
「なんだ、騒がしい」
「あらあ? 今頃、何か問題でもあったのかしら?」
試験前に波風立てるのも良くないだろうと、マナはメルギウスから言われて、目立った言動は抑えるようにしていた。
だからか、クラスの雰囲気は表面上あまり変わっていないように見える。
だが、以前のようにメルギウスを明らかに軽んじるような発言は、なくなった。そのことにセストは気づいているのかいないのか不明だが、今まで通りまるで自分がクラスの中心人物であるというかのような、強い主張は変わらない。
「なんでもない。僕がちょっとからかっただけだよ」
「ふん。これから試験だというのに、余裕だな」
「緊張しすぎも、良くないだろう?」
「それもそうだな」
碧眼を細めてマナを一瞬見てから、セストは再び前に向き直る。その横で、ルルは分かりやすく頬を膨らませていた。もっとはっきりやり込めるところが見たかったのだろうか、とマナは心の中で「ベーッ」と舌を出す。
「なんか、ああやって虚勢張るのも大変だね」
抱え込みきれなかった鬱憤を、マナがそうして変換して吐き出すと、メルギウスが咳払いをした。
「マナ……笑わさないでよ」
「だって〜」
騎士訓練をしてから魔法学院に入学、というセストの経歴から、レンゼンに彼の剣の腕を聞いたところ「記憶にない」というさらりとした答えだった。騎士訓練を受ける新人の数は、毎年軽く百名を超える。到底覚えられないが、その中で『高位貴族の子息』となるとかなり数が絞られることから、きちんと腕が立つ侯爵子息なら覚えていて然るべきらしい。
さらにレンゼンは、王国騎士団最強と団長が太鼓判を押し、男爵家三男という身分から王族の護衛騎士に抜擢された人物だ。新人稽古には今でも足繁く胸を貸しに行っているし、訓練を真面目にやった者ならレンゼンの顔を見れば恐れるような存在である。
つまり、セストがレンゼンを恐れず、むしろ軽んじる態度を取ることは――騎士訓練を経ているならば、あり得ない。
『たまにいるんだ。金でねじ込んで、訓練終わりましたの証書だけ貰うやつが』
『レンゼンさん。セストもきっとそうなんだろうと思います。けど、そんなことして、何になるんです?』
『貴族といえば、見栄えと虚勢だよ、マナ殿』
あの時のレンゼンの顔を、マナは忘れられない。騎士としての誇りも、貴族ならば金で買えると認めたことになるからだろう。
『わたしは、レンゼンさんを尊敬しています。メルへの忠誠心や心遣い。すごいなあって思います』
だからマナは、本心で日々の感謝と、素直な尊敬を伝えた。
『……ありがとう』
そんなレンゼンも、今日はダンジョンの入り口手前までしか、追従を許されていない。
「殿下。初級とはいえ、どうか油断なく」
「わかってるよ。心配性だね〜。僕だけじゃなくマナもいるんだから、大丈夫」
「わたし、全然頼りになりませんけど、がんばりますね」
「マナ殿! そういう意味ではなくっ、……失礼したっ!」
マナからすると、こうして真面目で優しいレンゼンが新人から悪魔と恐れられていることの方が、信じられない。
「あ、前の組、入ったね。いよいよ次か〜! 緊張するなあ」
ニコニコするメルギウスに、マナは微笑みを返す。
「大丈夫。わたしたちなら、歩いて抜けるだけだよ」