8. 勢力図の変化
翌日の朝、マナが登校してクラスルームに入るのを見た男子生徒が、わざと皮肉を発した。
「一番最後って、楽でいいよな」
「俺たちが通った後だもんな」
貴族の品位はないのか、と反論したいマナだが、一年かけて積み上げられてきた空気をすぐに変えることは難しい。
王子であるメルギウスが、精霊王という強大な力を周囲へ悟らせないために、穏やかに過ごした結果であることは、今のマナなら納得できる。だがこれからはどうだろう、と一言、発してみる。
「楽ってどういう意味?」
反論が来ると思っていなかったのか、男子ふたりは硬直した。
答えを持っていないのに、断言するような言葉に、マナは苛立ちを覚えフードを後ろに落とすようにして脱ぐ。その態度に気圧されつつ、一人が反論した。
「……前のパーティが倒すんだからさ」
「それ、リセットされるって説明。聞いてないの? っていうか、もしそうなら、セスト・ルル組だってずるいよね?」
むぐ、と口を閉ざした男子に、マナは心底軽蔑した目線を投げかける。もう伊達眼鏡も止めた緑の目で、ギロリと見つめる。喧嘩を売られたと感じたのか、男子二人は色めき立った。
「なんだよいきなり。あれか? 王子と組んだからって強気になってんの?」
「はは、あんなポンコツ」
だがそれに負けるマナではない。今やどうせ死ぬという諦めと、保身しなくて良いという強さが全面に出ていた。昨日全てを告白したことで、任務もしがらみも、全て吹っ切れたと言っても良いだろう。
「それさ。不敬で咎められなかったのは、メルの優しさだよ。でもこれからは、どうかな」
マナが振り返る目線の先には、メルギウスと、背後に護衛騎士のレンゼン。ビクッと肩を震わせる男子生徒越しに、マナは大きな声で問いかけた。
「レンゼンさん! メルへの不敬罪って、どのぐらい牢屋に入るものなの?」
眉根を寄せたレンゼンだが、すぐにハリのある声で答えた。
「牢屋に入るかは、言葉や行動によるが。生徒同士であれば、品位に問題ありとして報告し、家柄によっては国王陛下・王妃殿下のお耳にも入れることになる」
「ありがとうございます。へえ〜、陛下まで行っちゃうんですね。……お家、困らないといいね」
ふん、とマナが強い目線で見やると、男子二人は顔面蒼白になっている。
「マナ」
穏やかにメルギウスに問いかけられ、マナは我に返り気まずさで目を伏せた。
「ごめん。この二人が、メルのことバカにしたから」
「僕の代わりに、怒ってくれたんだね。ありがとう」
するとメルギウスは何を思ったか、男子二人に微笑む。
「気にしないで。今までの僕が悪かったんだから。これからは、マナが嫌な思いをしたら嫌だから、注意するね」
クラスルームに続々と入ってきたクラスメイトたちが、異変に気づいて戸惑いつつ自席に着いて行く。
「一体、なんの騒ぎだ?」
そこへ堂々とした態度でやってきたのは侯爵子息セスト・パルヴィスだ。
「なんでもないよ、セスト。さあみんなも、席に着こう」
メルギウスが促すと、男子生徒二人は不満げな表情をしながら、自席へ向かう。マナは今までクラスメイトになんの興味もなかったが、改めて二人の顔をしっかりと覚えておくことにする。なぜなら、二人ともセストへ目配せをしたからだ。セストはあくまでしれっと、ふうん、のように頷きながらカバンを机の上に置いた。
マナが厳しい目のままレンゼンを見やると、苦笑を返される。護衛騎士ならば当然、クラスルーム内の勢力のようなものは把握しているのだろう。そうして初めて、マナは恥ずかしい気持ちになった。今更自分が義憤に駆られたとて意味はない、と感じたからだ。
「マナ。ありがとう」
だが、メルギウスはそんなマナの気持ちを否定するように言う。
「え?」
「僕のために、怒ってくれる友達がいる。こんなに嬉しいことなんだね。初めて知ったよ」
今度は褒められた恥ずかしさで、マナの頬が赤くなる。
メルギウスはさりげなくマナを席へエスコートしながら微笑みかけた。
「ふふ。可愛いね」
「は⁉︎」
ビョン! と飛び上がったマナへ、今度のレンゼンは反応しない代わりに、苦笑いを返す。
「うわー。なんか、すみません……」
罪悪感を持ったマナがレンゼンにぺこりとお辞儀をすると、護衛騎士は声量を抑えずに放った。
「いや、俺も悪かった。これからは舐めた態度の生徒は、遠慮なく睨むことにしよう」
何人かの男子生徒の肩が揺れた一方で、セストが決して小さくない溜息を吐く。
気になったマナが横目で見ると、いつも冷静な優等生が、珍しく感情を露わにしているのが垣間見えた。
(すごい、苛立っている……!)
この日を境に、クラスルームの勢力図が目に見えて変化していく。
「え、と……?」
その証拠に、担任のドグラスが戸口で戸惑っている時、率先して空気を変えるのはセストだったが――
「先生。どうかお気になさらず!」
メルギウスが明るい声で、全員に席に座るよう促し自分も腰を落ち着けた。
他のクラスメートたちも、お互い顔を見合わせながら特に反発するような様子はなく、素直に着席する。
ドグラスが今日の授業内容を話し始めてから、感情的になったセストの態度を見たメルギウスが、ギリギリ聞こえるか聞こえないかの声で隣の席のマナに囁きかけた。
「ねえマナ。セストの魔力……わかった?」
マナは態度に出さないように気をつけ、前を向いたまま口だけ小さく動かした。
「ええ。奴こそ、ポンコツ」
「ンフ」
メルギウスが今まで大して問題にしていなかった理由は、精霊王を悟らせない他に、セストの魔力の少なさにもあった。
「……剣の腕については、後でレンゼンに聞いてみよっか」
「賛成」